第240話 ピエロ過去編 —泣いちゃうんだから—

 薄暗い地下のBar。棚に綺麗に陳列された大小さまざまで色彩鮮やかなボトルが並ぶ。カウンターでバーテンダーが静かにグラスを拭いている。柔らかなオレンジ色の光がグラスと二人を映し出す。


「かがみん、おしゃれさんやなー」


 店の雰囲気を見回す様にする関西人。慣れない店の雰囲気。予想してたのと違う場所。似つかわしくない落ち着いた空間。火神は慣れた手つきでロックグラスの氷を揺らしながらその色を眺めている。


「お前を静かにするためだ」

「わいちゃん封じってことかい……確かにここじゃさわげんわ」


 ナッツのつまみにオードブルのようなこじゃれた料理を摘み不思議そうにする草薙。それを意に介さず静かに酒に酔いしれる火神。草薙は一通り空気を堪能してその場に馴染みだす。


「今日はありがとうさんな、かがみん」

「別に何もしてねぇよ。トレーニングに付き合ってやっただけだ」

「かがみんらしいわ、ほんまに」


 落ち着いた雰囲気に馴染むように静かにただ会話を交わす。その雰囲気に酔いしれたのか草薙がずっと気にかかっていたことを火神に問いただす。


「かがみんは、晴夫さんとオロチさんがいなくなってから――」


 草薙だけではない。他にも多くの者が思っていたことがある。誰もがそうなるであろうと予測していた。


「なんでリーダーやらんかったん」


 二人の性質を継ぐのはこの男しかいないと。誰もが知りたかった答え。だが聞けずにいた答えでもあった。火神の心境を考えれば聞いていいことではないと誰もが理解していたから。


「アイツがリーダーになることを晴夫さんとオロチさんが望んでいた」


 推薦書の存在。二人亡き後にリーダーを引き継ぐ先を示した要望。ただそれに沿っただけだと火神は返す。


「ブラックユーモラスはあの二人が作ったもんだ。俺のもんじゃねぇ」

「せやけど……」


 草薙もわかってはいる。ただそれでも、


「わいは銀翔はんには荷がキツイと思う」


 納得すべきことではないと草薙はいう。


「ブラックユーモラスは特別な組織や。それこそ国とは別で維持されてることすらオカシイぐらいの戦力を持ってる。だからこそ決断が必要になる。強いんじゃなくて、みんな引っ張っていける者が必要や」


 ブラックユーモラスという組織が一つの国で存在してしまってるという事実。国内で有するトリプルSランクのほとんどを有してしまっている。それでもやってこれたのは涼宮晴夫という男がいたから。


 その後を継げると考えた時に出せる答えは上の者ならわかりきったことだった。


「かがみんやないとワイはキツイと思う」

「……」


 草薙のいうことも火神はわかっている。銀翔を嫌いだからという理由とは別。銀翔という男にリーダーシップを求めるのが酷だということを火神は知っている。誰よりもその銀髪を近くで見てきたが故に分かっている。


「ただでさえ銀翔はんがリーダーになるって時はもめたやんか……」


 ブラックユーモラスは一度内部分裂を起こしかけた。銀翔をトップとする体制に疑問符を叩きつけるものがいなかったわけではない。そして火神をトップとする体制を持ち上げようとした組織もいた。


 火神のグラスの氷が解けて位置を変えて音を鳴らす。


「それでも二人が望んだことだ。俺がとやかくいうことはねぇ」

「かがみん……」


 火神は草薙を言葉で黙らせる。それが結果だと。二人が創った組織。それがブラックユーモラス。その二人が決めたことに口を出すことは隊への裏切りだと。誰よりもその場所を愛しているから、火神はそういう他ないのだ。


「さよか……」


 草薙は観念したように椅子に頭を預ける。


「せやけど忘れんといてな、かがみん」

「何をだよ」

「今のブラックユーモラスを創っていくのはワイらや。そして二人がいなくなった後のブラックユーモラスを守ったのは」

 

 草薙はちゃんと分かっている――火神という男を。


「誰でもなくかがみんや」


 内部分裂の際にそれを止めたのは当事者である火神だった。今と同じように晴夫さんとオロチさんが決めたことだからと。従えねぇならブラックユーモラスをやめちまえと。いつもの暴言を吐いた。


 しかし、火神がそれを言葉にしたことが火種を収束させた。


 本人がそうであると納得させているのに誰かが蒸し返すことをなど出来るはずもない。一番悔しい想いをしているのは他でもなく火神なのだと。あの二人に一番憧れて誰よりもそばにいたグラサンの男なのだと。


「世辞言っても奢らねぇぞ」

「アカン……」


 火神の言葉を受けて草薙はお茶らけて椅子にもたれ掛る。


「失敗してもうたか」


 二人は話の雰囲気を変えるようにお互い口を開けて酒を飲み干す。そして飲み干したあとで注文をする。ただ静かに時間は過ぎていく。緩やかにその時を楽しむように。


 その先にある別れを知らないように――


「草薙、もし世界が一人の存在で狂ってるとしたら」


 それはいくつかの会話の中に紛れ込んでいた問いだった。火神は見破られないように悟られないように自然に話した。


「オマエだったらどうする?」

「わいちゃんだったら……」


 それに草薙は乗って考える。何の気なしの戯言だろうと。それが本当のことだとは知らないがそれでも真剣に考えてみる。単なるifの話だとしてとらえて。


「ソイツを殺すかもしれんな」


 仲間を失った直後だということもあったのかもしれない。戦いに疲れていたということもあるだろう。しかし、もし仲間を失うことがそのふざけた理論にのかっているのであればと考えた結論だった。


「そうか……」


 それを聞いて火神は目を伏せて返す。その答えは残酷であるがしょうがないこと。ただ一人の命とこれからの命の天秤でしかない。重さが違うであろうことは容易にわかる。


 たった一人でいいのだから。


 それが涼宮晴夫という男の、


 息子だとしても――


「そろそろ帰るか」

「わいちゃんも一緒に帰るわ」


 荷物をまとめて立ち上がると草薙がニコニコして着いてくるのに火神は眉をしかめる。


「お前はどこに帰る気だ?」

「そんなもん決まってるやんか……恥ずかしいから言わんせんといてなー」

「……」

 

 店を上がり外に出てところで火神は立ち止まって草薙を見る。見つめられた草薙は不思議そうな顔で火神を見返す。


「草薙、お前背中にゴミついてんぞ」

「背中?」

「とってやるか、後ろ向けよ」

「恭弥くん! むっちゃ優しい!!」


 火神の気遣いにルンルンして草薙は背中を差し出す。酒も入って上機嫌な背中。背後で火神の足が上がる。ニコニコする草薙には見えていない。それが無防備な背中に足跡を付ける。


「ほわっぷッ!」


 背中に衝撃が走り草薙の体は入り口の階段へと吸い込まれていく。見事に騙された。背中にゴミなどついてるのを前を歩く人間が見えるわけもない。地下へともんどりを打ちながら下へと転げ落ちていく。



「あばよ」




 火神は転げ落ちた糸目を無視し帰路へと着く。


 だが数分歩いたところでヤツは


「かがみん、ナニしてくれてん。ホント、無茶苦茶すんねんな……」

「チッ……」


 背後から現れた。一度は殺したと思ったのに。伊達にブラックユーモラスではないこの男。大阪支部の代表をやっていない。引き離したはずなのにいつの間にか追いついている。


「いま舌打ちしましたやんな……絶対したやんね!」

「早くホテルに帰れ。俺はねみぃんだ」

「恭弥くんちについていく言うたやんかー!」

「くんな」

「いくーゆうたら、ゼッタイいくねん!! 家の場所は知ってるさかい、逃げても無駄やでかがみん!!」

「……」

「ワイは甲子園から南ちゃんに会いに行くんや! 約束したんやー!」


 知られてしまっている火神のヒロインを。しかも草薙の嫁である美琴と意外にも旧姓南は仲よくなってしまっている。だからこそ火神としては草薙と一緒に帰りたくはなかった。


「今は南じゃねぇ……」


 それは名字でしかない。もうすでに南は南でなくなっている。


「火神だ」


 家の位置まで知られているが故に逃げおおせないと観念した火神はうるさい糸目と夜の新宿へと仲良く消えていった。




 そして――



「タカヒロ……もう一杯……」

「明日仕事なのにどこまで酔いつぶれる気だ、スギリオ」


 もはやぐでんぐでんの湯でダコのように赤くなり、体も軟体動物化しているエセクールビューティ。その二つ名の見る影もない。呆れる三嶋の前でスギリオ楽しそうに酒に酔っている。


 そこに店じまいと言わんばかりに暖簾をしまってエプロンで拭き拭きしながら


「隆弘、杉崎ちゃんを家まで送ってきなさい」


 おばちゃんが登場した。


 もはや酔いに酔って泥酔状態の杉崎を心配しての発言である。


「えー」

「えーじゃないわよ。女の子がこんな夜遅くにこんな状態で歩いてて何かあったらどうするの!」

「……」


 三嶋は思った。何かあるのではなく何かをしでかすぐらいしかないと。この女はそういう女だと。


「ちゃんと食った分は働きな! 杉﨑ちゃんはうちの常連さんなんだからッ!」

「わかったよ……」


 おばちゃんのもといい三嶋母の迫力に負けて渋々息子は従うしかない。杉崎に近づき頬をペチペチ叩いて起こしにかかる三嶋。


「おーい、フられ姫閉店だ―」

「うるさいし……」

「かえんぞー」

「もうちょっとだけ……」


 気持ちよさそうに酒の瓶を抱きかかえにへらとする姫様。それに従者はため息をつく。仕方なく無理やり背中におぶさって連れ帰るしかない。


「うんじゃー、かぁちゃんちょっと行ってくるわ」

「気を付けてね」

「女一人背負ったぐらいでやられるほどブラックユーモラスはやわじゃねぇよ」


 店から二人が消えていき母はエプロンを外してカウンターに置いた。


「ったく、いつになったらウチのバカ息子は素直になるのかねー」


 母は気づいている。自分の息子が杉崎に好意を寄せていることを。おばちゃんはそこらへん目ざといのである。そして厨房で片づけてる男に目を向けて


「本当に誰に似たのかねー」


 微笑みながら嫌味を飛ばす。父は何も答えずに調理器具を洗う。


 聞こえない振りをして。


 夜風が吹く中を二人が歩いていく。街灯の光に頼りに道を進んでいく。


「たかひゅろ……次はどこの店じゃ?」

「お宅です」


 気持ちよく酔ってる杉﨑をおぶってただ静かに相手をしながら歩いていく。


「お宅と申したか、そこに酒があるのか?」

「あると思いますよー」

「うむ、よきよき。一番高い酒を持って参れ」

「ご自分で選んでみてください」


 何の気なしに会話が続く。三嶋家から杉崎の住んでる場所は大した距離ではない。普通に歩けば五分くらいだろう。三嶋はただその時間を噛み締めるように味わう。


「冷たいのー、隆弘は」

「そうですか?」

「大阪に行ったら連絡も寄越さない薄情ものじゃ……」

「そうでしたね」


 これが終わってしまえばしばらくは会えないだろうことはわかっている。


「いつ帰るのじゃ?」

「明日ですよ」


 二人に会う理由がないということも――


「そうか……」

「そうです……」


 だから、急がずにゆっくりとゆっくりと他愛もない会話を交わして、夜道を歩いていく。ずっと傍にいられるわけではないとわかっている。


 悲しいわけでもないが寂しくないわけでもない。


「生意気にも私をおぶるとは……」

「アンタが不甲斐ないからでしょうが……」

「アンタって誰だ?」

「スギリオ先輩」


 懐かしさを味わえなくなるだけだと分かっている。


「なつかしい……大学の時そう呼んでたよね」

「そうでしたね。というか、言わされてたの間違いでは」

「ホント……かわいくにゃい」

「ずっと言ってるでしょ」


 ただ静かに歩いていく。


「俺は可愛さなんて求めてないって」

「そういうところが本当に可愛くないんだよ……」


 杉崎は頬を三嶋の頭につけて微笑む。


「タカヒロは」

「……」


 わずかに伝わる包み込むような体温が三嶋にわずかな緊張を与える。ただ近くにいるだけなのに。それは特別な存在で三嶋隆弘という男にとって特別なものだから。


 少しずつ首に巻き付いてる杉﨑の腕が抱きしめるように、三嶋を包む。


「死ぬんじゃないよ……」


 杉崎にとっても三嶋は特別な存在である。ただ一人だけの後輩。どこまでも追うように後を着いてきてくれる存在。自分が、杉崎莉緒が歩いた道を追うようにわかってくれる存在。


「分かってる」


 三嶋は自分の出した言葉を噛みしめる。その意味は分かっている。自分のいる場所が死と隣合わせであることを直視した。だからこそ彼女の言葉を、忠告を、願いを、真摯に受け止める。


 それを聞いた杉崎の目に涙が浮かぶ。そうなって欲しくないから。


 もし三嶋が傍に居なくなったらと思うと胸が苦しい。ずっと傍に居て欲しいと思ってるから。泣きそうになる。生意気で全然可愛くないけど自分のいうことを聞いてくれる愛すべき後輩に生きて欲しいと願うから。


「泣いちゃうんだから……」

「……」

 

 言葉にする。伝えられる機会などお互い忙しくて少ないと分かっているから。三嶋が今日新宿に来ていたことは知っていた。わかっていて会うために実家を訪れたのだ。


 会うために――わざとらしく。


 何事も無い様相を装って。


 知っている。大阪支部で戦死者が出たことも知っている。それが三嶋でないということも知っている。けどそれは積み重ねていくほどに確立を上げていく。いつかはその番が来てしまうかもしれないと思ってしまうから。


 泣きたくなる――。


「死なねぇよ」


 だから三嶋は力強くいう。俺の番は来ないと。お前の傍に居てやると隠した気持ちをのせて。その言葉に杉崎は涙を拭って、笑って返す。


「銀翔さんを泣かすんじゃないわよ」

「はぁ……そういう意味かよ」

「隆弘はどういう意味だと思ったの?」


 意地悪に聞き返す杉崎に三嶋は白いため息をついて皮肉を返す。


「猫被ってるとまた振られんぞ」

「なんてことを言うのかしら……猫?」

「どうした?」


 三嶋の皮肉に首を傾げる杉崎。三嶋は不思議そうに見守っていたが


「そういうことか!」

「いたっ!」

 

 頭をバンバンと叩かれた。何かを閃いたように杉崎はニコニコした笑顔を夜空に浮かべる。イヤそうな顔をする三嶋に告げる。


「あのって、にゃんこのことだよ!」

「はぁーあ?」

「そうか、確かに! 子猫飼い始めたら早く帰んなきゃ心配だもんね!」

「うわー……無駄にポジティブ……」


 二人の恋は進まない。小学校の時から止まったままで後輩と先輩でしかない。


「きっとそこらへんで捨て猫を拾ってきたんだよ! うわー、銀翔さんらしい」

「その発想が……スギリオらしい……」


 そうして二人の再会は幕を閉じたのだった。



《つづく》

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