第236話 ピエロ過去編 —『スギリオ』が俺の世界の中心だっていうふざけた現実—

『ねぇ、タカヒロ……聞いてる?』

『サクヤ、ごめん……なんだっけか?』


 学食で上の空でいる俺にサクヤは怒った顔を浮かべた。


『二周年記念をどうするかって話でしょ……』

『わりぃ……』


 彼女は顔を横に小さく右へ左に振った。ずっと俺に対して言いづらかったのかもしれない。唇を噤んで、噛みしめて、溜まっていたものを吐き出す様に。


『タカヒロって……最近さ』


 なんとなく言われることは自分でもわかっていた。どこか浮かれていた熱が冷めているような雰囲気は感じ取っていた。それが異世界から現実へ帰ってきたせいだということにして逃げていた。


『私のことどう思ってるの』


 彼女が問いかけながら寂しそうな顔を浮かべると俺の胸が痛んだ。


 異世界で一緒に過ごしてきた分それはこちらで過ごす一年とは違う意味合いを持つ。異世界転生は冒険なのだ。見たことも無い景色や想像もできない旅。非日常的な世界を一緒に過ごす。それは一生に一度しかなくて大事なものだった。


 けど、帰ってきてしまえばその体験が夢や幻のようにすら感じられた。


 現実こっち異世界あっちじゃ違う。目の先にある将来とか自分という存在が特別という括りから外れていることとか。あちらで手にした何かが少しずつボロボロと剥がれていくような感覚。


 三嶋隆弘っていうのが……どういう人間なのかを浮き彫りにされる感覚。


『好きにきまってんだろう』


 俺はクールぶって返す。わかってる。スギリオの言う通りだ。ぶっているだけだ。この様は英語でクールではないフール愚かというんだ。


『お前が俺のヒロインだろ』

『なら、ちゃんと伝えてよ』


 サクヤは俺の愚かさを隠した言葉を受け取り嬉しそうに席を立ちあがって、一旦背を向けて進みこちらを振り返った。


『二周年記念楽しみにしてるからね』


 動きに合わせて長い艶がある黒髪が彼女の喜びを表す様に跳ねる。目は一本の黒い線を紡ぐように歪められ眩しい程の笑顔。


 それに俺はハハと笑う。


 ボロボロと零れ落ちながらも必死に取り繕っているだけだ。言葉でクールぶって中身がないことをさらけ出さない様に。その落ちたものの中に俺の恋心も含まれていることを悟られない様に俺は愚かにも隠している。


 気づかないふりをして、わからないふりをして、


 愚かぶっているんだ。


 そのメッキが剥がれるまでにさほど時間はかからなかった。それはちょうど二周年記念だった。俺達は横浜の夜景を見ながらホテルのレストランで食事していた。


『タカヒロ、今日は楽しかったね♪』

『そうだな』


 俺は自分のポケットに彼女へのサプライズプレゼントを忍ばせていた。それが気になりテーブルの下で触って確認する。なくなる訳も無いし落とすわけもないのに。ただ不安で気づかれない様に触っていた。


『色々あったよね、私達』

『そうだな』


 彼女が思い出に浸るように夜景に顔を向ける。二年という月日に換算されていない出会いの部分もある。それすらも全部二人の思い出なのだ。忘れるわけもない。


 一個一個が宝物のと言わんばかりに彼女は思い出しながら俺と確認していく。


 あの時はと――


 この時はと――


 目の前に出された宝物に俺は相槌を打つ。心から凄いという彼女との温度差に負けない様に懐かしい気持ちを思い浮かべ、騙そうと繰り返す。もう過去のものとなっていることに俺は気づきたくなかった。手に入れたものを無駄にすることが怖くて、気づかないふりを続けていたんだ。


 話を遮るように呼び出しがかかった。


『タカヒロ、携帯鳴ってるよ』

『あぁ……』


 携帯のディスプレイに映っていた呼び出し元は杉崎莉緒だった。


『わりぃ、サクヤ。すぐ終わらせるから』


 迷いながらも俺は電話に出た。もう邪魔をするなと告げたかった。踏み込んでくるなと境界線を張りたかった。


 それでも――


『隆弘……わたし振られちゃった』


 電話の甘えてくるような泣き声に俺は言葉を失くした。どこかでアイツが泣いてるのがわかって動揺している俺がイヤで仕方がない。


『圭吾に……ふらちゃったのぉおおお』


 声を上げて泣く馬鹿な女に振り回されるのがイヤなのに。俺はポケットにあるサクヤへのプレゼントを触り確認する。確かにあるんだ、ここに。俺の積み上げてきたものがあるんだ!


『タカヒロ……?』

『サクヤ……』


 俺の顔に出ていたのだろう。サクヤが悲しそうな顔で俺を見つめていた。いかないでと。今日は大事な日だから私の傍にいてと。迷う必要なんていないことはわかってる。いまスギリオの所に行っても酒に付き合わされるだけだともわかってる。


『サクヤ、俺ダメだわ……忘れてくれ』

『タカヒロ……』


 自分で言ってて悲しくなる。俺の事は忘れてくれなんて都合がいいように振り回している。でも、わかっちまってる。多分俺がスキなのはサクヤじゃない。


 サクヤは唇を噛んで涙をポロポロと落とした。上手く喋れる状態で無い癖にサクヤは声を震わせながらも


『タカヒロって、いつもクールぶっててさ……』


 ため込んでいたものをせめても俺にぶつけようとして、必死で、


『賢いようにみせてさ……隠しててさ……』


 体が言葉に反して弱弱しく震えている。


 俺の持ってる携帯から俺を呼ぶうるさい声が聞こえる、隆弘って何度も呼んでる。けどサクヤの言葉に俺は耳を傾け続けた。


『実は超バカだよね……』


 芯をついた言葉に俺はため息が出た。サクヤは良く俺の事を見てくれていた。なのに俺はサクヤを見ていなかった。こんなイイ女だったのに。俺の事を思って縋りつくこともせずに強がっているのに。


『どこにでも行けば』


 吐き捨てるような泣いてる彼女の最後の強がりを聞いて俺は金を置いて走り出した。店から出るとすぐに携帯に耳をあてて声をかける。


『いまどこにいんだよ、スギリオ!』

『渋谷……』


 鼻をすすりながら恋を失ったスギリオは弱弱しく居場所を告げる。


『いま横浜だからどっか店入って待ってろ!』

『ありがとう……隆弘が来てくれるの待ってる』


 しょんぼりした子供のような甘い声に俺はにやけてしまう。待ってるという一言。自分の名前を言って求める声に。それにこの走っている状況も、サクヤというイイ女を手ばした状況も、スギリオという馬鹿女を迎えに行くというのが当たり前になっていることも。


 『スギリオ』が俺の世界の中心だっていうふざけた現実すらも、


 愚かな俺は笑い飛ばしたくなる。


 何かがわかってしまったことを受け入れて、愚かな自分を受け入れて、


 俺は迎えに行く。


 世界一ダメで酒癖の悪い女の所に走っていく――



《つづく》

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