第235話 ピエロ過去編 —莉緒と圭吾、隆弘とさくや—

 俺が大学で再会した『スギリオ』は、初めて出会った時の『スギリオ』ではなく噂通りの『スギリオ』で、頭が悪そうで恋愛に生きるメスに成り下がっていた。恰好も軽そうな彼氏に合わせてなのか肩を出して若さを前面に売りに出しているような感じを受け、髪も伸ばしてパーマーをかけてカラーしてお水のようにすら見える。


 昔の面影が残っているのはその明るい性格と男子に負けない馬鹿力だけ。


『ねぇタカヒロ、私のはなし聞いてる?』

『おっ、わりぃ。ぼーっとしてた』


 拗ねた顔で頬を膨らます大学のベンチの横に座る黒髪の和風美人。すらっとした長い脚に凛とした顔つき。今という時代と逆行している様なスタイルの彼女が俺の異世界でのヒロインだった。名前は住之江さくや。


『最近タカヒロって、いつもぼぉーっとしてるよね』

『そうか?』

『そうだよ。私を置いてサークルばっかいくし』

『だから、それは無理やり連行されてだな』

『ハイハイ』


 付き合ってもうすぐ二年になる俺とサクヤ。大学に入ってお互い環境が変わってすれ違う日々も多くなっていた。俺はサークルの先輩たちもといい『スギリオ』に振り回される。飲み会があれば実家が近いから連行されたり、飲み会が終わったあとですら人の家で飲んで帰っていく。


『来週の二周年記念日はちゃんと開けておいてよね』

『わかってる』

『じゃあ、私午後からバイトだから』

『おう、また』


 サクヤがいなくなったベンチで俺はため息をつく。緑の隙間から差し込む光に目を細める。見通しが悪く影を浮き彫りするような景色。そこに大きな影が迷い込んで俺を覆い隠す。


『あれ、隆弘じゃん♪』

『スギリオ……』

『ちゃんと先輩をつけさない』

『はいはい、杉崎先輩』


 頭の悪そうな恋愛脳な女はつっけんどんな俺を覗き込むようにして笑顔を向けている。明るく染められた髪が光に照らされさらに煌めくようになって、俺の眼を惑わす。ヤツはスカートの裾を持ち上げてベンチに腰掛ける。


『よっこいしょ』

『何となりに座ってんすか?』

『何って、私ここでケイゴと待ち合わせだし』

『じゃあ、俺がどっか行きますよ』

『待ってよ』


 立ち上がる俺の袖をつまんでヤツは引き留める。そして都合のいい後輩に向ける笑顔を作って


『一人じゃ寂しいからそばに居なさいよ』


 何の気なしに言葉を吐く。


 俺はため息をついてイヤイヤながらもなぜかいつも『スギリオ』の言葉に従ってしまう。いつも突然現れて引っ掻き回して連れまわしてこの女は消えていく。


『隆弘ってホントクールぶってるよね』

『俺のことクールだと思ってんすか?』

『いや、ぶってるだから! クールではないのにクールぶってるのがウケるってことだから♪』

『杉﨑先輩も大概アタマ悪そうで尻軽そうですよね。ぶってないのがウケますけど。ホントウケますけどね』

『可愛くないなー』


 リップが塗られた唇をアヒルの様に尖らせていつも俺に言う言葉。男に可愛って言うのは誉め言葉じゃない。それは同等ではなく下に見ている様な印象を与える。だから俺は返す。


『俺は別に可愛さとか求めてないですから』

『そういうところがクールぶってるんだよね……隆弘は』


 くすくすと笑うスギリオに俺は口元を歪ませて微笑みを返す。俺とスギリオの空気を遮るようにそこに待ち人が到来する。


『おう待たせたな、リオ』

『ケイゴ、超遅いしー』


 手を上げていかにも頭が悪そうな男。それにメスの顔を浮かべる頭の悪そうな女。さっきまで俺に向けていてツラとは違う。どこまでも男に媚びた様な醜悪な面に嫌気がさす。


 勝手に幻想を押し付けちまってるのもわかってる。


 俺の知っている『スギリオ』は世界の中心だった。その中心が安易にブレてズレることがイヤだなんて、俺も大概頭が悪い。男にも負けない女。それが俺の知っている幼い時の『スギリオ』だったから。


 自己嫌悪を隠す様に笑い俺はベンチから立ち上がり退散することにした。


『圭吾先輩、ここ座って下さい』

『わりぃな、三嶋。リオの相手させて』


 世界の中心の横を明け渡す。けどそれは俺とは違う。


 振り回される俺とは違って、圭吾先輩はスギリオを振り回せる。


 二人は俺に手を振って別れを告げると見つめ合いながら頭の悪そうな会話に華を咲かせるのがわかる。背中側から聞こえる、今度の旅行どこ行くとか、あそこに遊びに行きたいとか。頭の悪いカップルの会話が耳障りで仕方がなかった。


 どこまでも『スギリオ』っていう女は付きまとってきた。


 下の店から響く母親の声。


『ちょっと隆弘! 杉崎ちゃん酔いつぶれちゃったみたいだから家まで送っていってあげて!』

『えー』


 俺はイヤそうな声を上げて不貞腐れながら階段を降りていく。するといつも通りスギリオが店のテーブルにぐでーんと幸せそうなツラで酒瓶を抱えて眠り込んでいた。その姿を前に俺は呆れる。深夜二時だぞ。


『何やってんだ、アンタはいつもいつも……』


 頬を赤らめ圭吾と彼氏の名を幸せそうに呼んで幸せそうな恋愛脳。ヤツは俺の実家が居酒屋だと知るなりことあるごとにココを利用するようになっていた。彼氏とデートした後に酒を飲みに来て、サークルの飲み会が終わった後でも飲みに来て。いつのまにか俺の母親と仲良くなっている始末。


『もう一杯……』

『閉店だ』


 スギリオの寝言に俺は強めに返して背中に乗せる運んでいく。スギリオの実家もさほど離れていない。徒歩で行けば五分圏内に位置している。だから酒好きなこいつは通い詰めてくる。タクシー代わりに俺を使えることも計算して。


 ホントいいように使われている。


『もっと酒との付き合い方考えたほうがいいですよ、杉崎先輩』

『たくわぁひろは……』


 酒臭い息。そこにまじる女のものの香水の匂い。耳にかかる吐息。俺の名前を甘えた様に呼ぶくすぐったいような声と夜の道。


『ほんと、くわぁいくにゃい』

『それを今の状態でも言うか……アンタも大概可愛くないですよ』

『アンタって、ダレの事だ!』

『イタタタ、首締まってるって!!』


 女狂戦士アマゾネスのバカ力で俺の首元を強く締めてくる酔っ払い。想像を超えるとんでもねぇ力。ブラックユーモラスに入るっていう偉人。そういうところは『スギリオ』は『スギリオ』のままだ。


『ちゃんと――』


 ヤツが声のトーンを下げて甘えてきたせいでもある。


『莉緒って呼んでよ、隆弘』


 たった一言に俺はドキッとした。俺は慌てて背中におぶさっているスギリオの方に振り返る。するとヤツはにへらと笑みを浮かべ。


『ちゃんとスギリオ先輩って呼べ』

『……』


 いつものスギリオに戻って俺をからかってくる。俺はまたため息をつかされる。何かを期待したような自分がいることに。このバカ女に何かを期待してしまったことに。俺はコイツにどういう風になって欲しいのかもわからない。コイツと俺はどうなりたいのかもわからない。


 そんな状態に嫌気がさしていた。


 俺は不愛想にいつものように皮肉を返す。


『こんな状態を圭吾先輩が見たら振られますよ、スギリオ先輩』

『やだー、圭吾とはずっと一緒にいるの!』


 子供の様に駄々をこね俺の背中で足をバタバタとする。酒を飲むと本当に手のかかるやつ。酒に飲まれている典型的なタイプ。酒を飲んじゃダメな癖に大好きという最悪なタイプ。


『圭吾で終わりなんだから……』


 どこまでも恋愛脳。


『私は二桁に突入する前に結婚したいの』


 付き合ってきた経験人数。圭吾先輩で九人目。


『もう負けヒロインはやなの……私だけを見ていてくれないとやなの……』


 酒の勢いを借りてポロポロと涙を零し俺の肩に寄りかかった。どこまでも弱弱しくて恋に憶病な女。スギリオはハーレム要員で負け組になった。選ばれなかったヒロインであり、取り残されたヒロイン。そのせいもあってか杉崎莉緒という女は愛を欲しがる。誰か男がいないと不安な体質になってしまったのかもしれない。


 それが『スギリオ』をダメにした。


『じゃあ、お酒は控えましょうね』

『それもやだー!』


 それで俺の前では女でいることをいつも止める。それがダメな女スギリオだ。



《つづく》

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