第229話 ピエロ過去編 —世界から忘れ去られた空白の一日—

 夜遅くに携帯の着信音が鳴り響く。老人は主を待ち鳴り続ける機械を手に取り、窓際にて月を眺めながら出た。


「どうされました、政玄様?」

トキにお願いしたいことがあるんだ』


 電話の声の主はただ淡々と喋った。それは秘書と別れてからのこと。時政宗と同じように空に浮かぶ月を見上げ同じように薄暗い部屋で携帯を片手にする。同じ景色を見てきた二人の目に浮かぶ月もまた同じもの。


『涼宮晴夫の暗殺を時にお願いするよ』

「晴夫のですか……」


 時政宗の顔に僅かに躊躇いの色が生まれた。晴夫の事は古くから知っている。あのゾンビパウダーの事件から。まさか数年後にその悪ガキと一緒に仕事をすることになるとは思いもしてなかった。


 それから彼に自分の全てを教えようとするぐらいに旧知の仲である。


 それゆえに老人の表情も曇る。月が雲によってかげるように覆っていく。


「目途はいつになりますか」


 晴夫の暗殺の時期を確認する時政宗に対して政玄はわずかにため息を入れて、


『すぐになるか、数年後になるか、それは彼が国内に戻ってき次第ということになる』


 答えた。明確な時期が決まる訳もない。涼宮晴夫の行動に基づいてのものだ。国内で暗殺すると決めた以上は国内に来るまで待たなければいけない。


「わかりました。準備はしておきます」


 時政宗は携帯を持ってない方の手を蛇の様に丸める。なまった感覚を取り戻す様に、老いて戦場を退いた体に鞭を入れる様に、それは強く握られた。


『まぁ時であれば私は心配はしてない。いつも通り頼むよ』

「かしこまりました……しかし期待に応えたいのは山々ですが、」


 時政宗の蛇をかたどった手が崩れていく。それは仕事に対しての迷いもあるが、なにより今回の仕事に対するプレッシャーに近いものなのかもしれない。


「晴夫が相手となると手を焼くかもしれません」


 良く知るからこそそれが一筋縄ではいかないことがわかる。いつも通りなどというレベルの話ではない。自身が現役を退いた身であり、涼宮晴夫という男の非凡さがわかるからこそ、時政宗は任務遂行の可能性の低さを依頼主に伝える。


『それならこちらで御庭番衆からサポートを付けるよ』

「ありがとうございます」


 淡々と事務的に仕事の依頼は全て終わった。だがお互いに電話を切らなかった。携帯に静寂が続こうとただぼんやりと夜空に侵食されていく月を眺めていた。光が影に飲まれていく。


 静寂を破るように老人は語る。


「政玄様、本当に晴夫を――」


 政玄の事も晴夫の事も良く知るからこそ言葉が淀む。彼が政玄の命令に逆らうことは一度もなかった。その理念はいつでも正しく国の事を第一に考えていた。時の横にいた政玄という男は誰よりも遥か未来を見据えていたように思えていた。


 その迷いを読んで、断ち切るように


『時、晴夫を生かしておくことはできない。それは決定事項だ』

「……はい」


 遮った。


 老人は静かに視線を下に落とし自分を卑下する。


 口に出そうとしたのは未練だ。優先すべきことは何かと履き違えている。感情などで未来は動かない。それは近くで見てきた。理想や子供のような夢だけでは国は変えられない。


 だからこそ今まで幾度もその手を血に染めてきたのではないかと。


 電話は時に正論を語る。迷うなと、やるべきことはなんだと。


『涼宮晴夫が第八研究所を潰してくれたおかげで計画に支障が出ている。それに涼宮晴夫は全部ではないが、少なくとも計画の一部を知ってしまったと考えるのが妥当だ。最悪のケースであれば――』


 それは鈴木政玄という男にとって大事な理念であり理想だ。その為に危険分子を取り除かなければならないと。


に関して何かを掴んだ可能性もあるかもしれない』

 

 鈴木政玄と時政宗だけがその一日を知っている。


 この世界には空白くうはく一日いちにちがある。


 誰の記憶にも残らずなかったことにされた一日が存在する。その日に起きた出来事がなんだったのかを誰もが知らない。誰も何も気づかずに同じ年の同じ月、同じ日を違う日の様に過ごしていることを世界中の者は気づいていない。


 だからこそ歴史的にその日は存在しなかった空白となっている。上書きされるようにして忘れ去られた日。その日に世界中が白い光に包まれる現象が起きたことすら誰もが忘れている、空白の一日。


『そうなると生かしおくわけにはおかない。だからこそ殺さなければならない。どんな手を使ったとしてもね』

「……わかりました」


 時政宗は小さい声で答えを返す。


 何も間違っていないと。鈴木政玄という男は間違えないと。理想や理念を貫くのに夢や情熱などでは到底届かない。


 だからこそ汚れ仕事を請け負う自分が政玄の傍にいた。


 この世に絶対的な正義など存在しない。あるのは正義の皮を被った悪魔だ。正しいと思いこませわからないように錯覚させ、緩やかに進行していく毒のようなもの。その毒は麻薬に近い。一時の夢を見させ徐々に徐々に思考力を奪っていく。


 民衆はいつの時代も愚かに英雄を理念を信じ込む。


 その築き上げたものの後ろでどれだけ多くの命が失われようとも、人は英雄と称賛する。死体の山が見えていても気づかない様に崇拝する。勝ち続けることこそが英雄の条件と言わんばかりに。


『それじゃあ、時頼んだよ』

「わかりました、政玄様」


 電話が切れ老人は下げていた視線を空に向ける。


 月は陰に隠れ世界から光がその姿を消す暗闇をただ見つめるように老人は佇む。



≪つづく≫

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