第226話 ピエロ過去編 —政府との会合二回目—

 私は前と同じホテルの隠された最上階に足を踏み入れる。


 火神の言う通りだ。決断を出すべき立場にいるのは私だ。私がブラックユーモラスとして目の前の男を相手に答えを出さなければならない。


「やあ、銀翔くん」

「お待たせ致しました、鈴木総理」


 男はソファーに座って待っていた。何も言わなくとも運ばれてくる飲み物。私には前回同様に水が置かれる。ただ、私は座って総理の顔を伺う。相手がどういった男なのか見定めるように。


「随分、今日は気合がはいってるんだね、この前とは顔つきが全く違うよ銀翔くん」


 相手はそれすらもわかっているかのように仮面のような笑みをうかべた。端正な姿は崩れない。謙遜しているかのように見えて余裕があるように見える。中身がまるでわからない箱のようだ。おそらくその箱を私が開くことはできないのだろう。箱には鍵がかかっている。


 その鍵を私では持っていないのだろう。ならば私も演じよう。


「今日は前回確認し忘れていたことがあったので」

「なんだい?」

「鈴木総理の言う通り何もわかっていませんでした、私は。あの日は動揺してしまって何一つ確認することができませんでしたから」


 初めての会合で私は彼の手のひらで愚かに狼狽えることしかできなかった。手札を切られていくのを驚いて見ていることしかなかった。今日はそうはいくまいと私は自分の手札を見せずに相手の手札を伺うことにした。


「第八研究所の件ですが、涼宮晴夫がやったという証拠は何かあるのでしょうか?」


 私は平然と問いかける。火神の調べでここまでの情報は入っている。それでも持ってる手札を自分から切ることをしない。愚かだと思われてるなら道化を演じよう。そして相手の手札をすべて開かせるまでだ。


「いや……そうくるとはね」


 少し上を向いて悲しげな表情を作り呆れている様を演じている。なぜそんな演技めいたことをするのかわからないと思っていた私の前に、


「とっくに分かっているはずだろう、銀翔君!」

「――っ!」


 ヤツの顔が近くに振り下ろされる。テーブルに手を着いて身を乗り出しまじまじと見つめてくる目は何もかもを見通していると言わんように幾つもの円を作っている。突飛な動きに動揺を表す様に私の喉が静かにゴクっとなった。


「総理、私は何も知りません」


 演じきろ。知らぬ存ぜぬを貫き通せ。分からないフリをしろ。悟られるな。私の手札を相手に見せてはいけない。ヤツは乗り出していた身を後ろに倒しソファーに座って体勢を整えた。


「そういう作戦か……わかったよ」

「曖昧な発言で私を試すのは止めて貰っても宜しいですか、総理」


 二回しか会ってないがこれがやり口だ。こうやってヤツは探りを入れている。自分が何もかも知っているようなフリをして相手の状態を暴いて自分の優位性を保とうとしている。相手を飲み込もうと口を蛇の様に大きく開けて飛び込むのを待っているなら、私は後ろに逃げるだけだ。


 逃げることに専念している私にヤツは告げた。


「私には分かっているんだ。君の所の火神君が第八研究所のことについて調べ回っていたこと。そして特異点である涼宮強の情報を得ていることは認識しているよ」


 わずかに私の眉間にしわが寄る。手札を隠そうとしていたのに後ろからすべてを覗かれていたような感覚。最初から鈴木総理こちらの動きを把握している。どうやってかも理解が及ばないが全てを知っているのか。


「君が知りたいことは火神君の報告書、そこに書いてあったことがぜーんぶ証明している。その通りだ」

「どうやって……火神の報告書を」

「第八研究所はゲートの研究をしていた。そして異世界のゲートを開く特異点の存在を見つけた」


 ヤツは口元を歪めた。何もかもわかっていてると。お前は私の手のひらの上から零れ落ちることはないと。


「それがたまたま涼宮晴夫の息子だっただけのことだ」


 観念しろと言ったようなセリフだ。お前が全てを知っているのなら出せる答えはひとつしかないと。そうするべきなんだと。それが正しいんだと。


「ふぅー……」


 天を見上げてため息をひとつついた。結局勝つことは無理そうだ。役者が違いすぎる。これ以上私が何か愚策を講じても全て看破してくるのが目に見えてる。もうすでに毒は頭の中に残されている。


『晴夫という男によってこれからどんな犠牲が出るかも分からないということと彼がトリプルSランクの犯罪者だという事実を』


 あの時に総理が言った言葉。この意味がどういうことなのかはブラックユーモラスならわかる。涼宮晴夫という超人が敵に回ってしまったら手に負えない人物だということも。あの人が本気を出せば下手な一国家ぐらいなら対等に戦えてしまうだろう。


 トリプルSランク――


 それはもう人類を止めた存在と言っても過言ではない。街一つぐらいなら一時間もしない内に破壊できるだろう。それだけの力を秘めている。


 最大のネックとなる問題はもう一つ存在する。


 それは――


 涼宮晴夫が人を殺したという事実。


 これが一番大きい。人を殺す覚悟を持たれてしまったらそれは災害と同じだ。止めることも出来ない。歩く大量殺戮兵器と同等の意味合いを持ってしまう。日本をどこから襲ってくるかもわからない人間サイズの核兵器に対応をするようなものだ。


 そしてブラックユーモラスは自警団だ。街の平和を、人の平和を、守る為に結成された部隊だ。それが天災を超える脅威を野放しにしておくことを許すのかと総理は説いているのだ。


 完全な理論による武装。逃がしはしないと後ろにも罠を張られている。


 打つ手はなしか……。


「鈴木総理」

「なんだい、銀翔くん?」


 ヤツは腹を決めた私にうれしそうな笑みを送った。答えは予想で来ていると言った感じか。私は正義に従う人間だ。そうあるべきだと生きてきた。だからこそ口にできることは私の本心に従うまでだ。


「涼宮晴夫の暗殺依頼についてですが」

「うん」


 ヤツは楽しそうに答えを待つ。思い通りの答えを待ちかねている。普通の人間であればヤツの望む答えを返すだろう。それが正しいのだから。間違いないのだから。涼宮晴夫を殺すことが正解なのだから。


「お断りします」

「……ふむ」


 予想外の答えだったのか、ヤツの眉が僅かばかりだが下がった。どうやら私は演じるのが苦手なようだ。総理とやりとりしていてこの手の駆け引きはうまくないと知らされた。


 だから、本心から私は答える。


「ブラックユーモラスは政府とは関係ありませんから、あくまで自警団です」


 これは涼宮晴夫の理念だ。あくまで立場はなのだ。国民の寄付によって活動しているのもそのためだ。政府予算も貰えるにはあるが、それがなければ活動が出来ないわけではない。大多数は多くの人の善意で出来ている団体なのだ。


「政府がどう行動しようと構いませんし、我々がどう行動しようと政府にも関係はありません。私達は政治的団体ではないので法で誰かを裁くのではなく、国民の平和を守るのが仕事ですから」


 本心だからこそ迷いなく言える。その言葉に総理は仮面を崩し目を細めた。おそらく辟易としているのだろう。恩人を殺すことなどできるわけがない。それに私と一緒に働く仲間達がそれを望むわけもない。私は正義の人間だ。


「もし涼宮晴夫を暗殺したいというならどうぞ政府で頑張って頂きたい」


 私は『悪よりの正義』に憧れたものだ。あの人ならこんな風な内容をもっと乱暴な言い方で言うだろう。


 だからあの人から受け継いだ理念を曲げるわけにはいかない。


 あの人の様に豪快に出来なくても私は私なりの正義を貫くだけだ。


 私は言い終わりソファーから立ち上がる。これ以上の話し合いは必要ないから。


「あっ、総理。気を付けてくださいね」


 わざと思い出したように私は語る。ただ忠告だけはしておこう。あの男を知っているからこそ言いたくなる。


「涼宮晴夫は間違いなく強いですよ。国を相手に出来るくらい」


 総理がソファーに持たれかかり小さくため息をついた。結論を言い終え帰ろうと廊下に進む私の前に一人のウェイトレスが返さないとばかりに立ちはだかった。水を渡しに運んできてくれた人物。


 私を見つめる顔はウェイトレスの格好で猫のような可愛らしい顔をしている。年は二十代で若い方だろう。両サイドの髪をリボンで格子状に巻いている。


 立ち止まっている私に声がかけられる。


「銀翔くん、話はわかったよ。忠告もありがたい」


 わかったということは決別は伝わったようだ。後ろから声を出す総理は女に向かってなのか私に向かってなのかわからない言葉を吐いた。


「最後に涼宮晴夫の暗殺に使えるかどうか、彼女の実力を見て欲しい」


 どうやら私の目の前に立ちはだかったのはそういう理由のようだ。ウェイトレスが殺気を漲らせて体に力を溜めている。どうやら仮想涼宮晴夫をトリプルSランクの私で試そうとしているようだ。


 構えから見るに中国拳法の使い手なのだろう。おそらく気功の使い手で獣人か。能力も未知数。確かに強そうな組み合わせだ。こんなことなら制服を装備してくるんだった。スーツでは防御力は期待できないな。


「銀翔くん、先にいっておくが小狼シャオランはダブルSランクの獣人だ」

「遅い忠告どうもですよ、総理」


 総理へ顔を向けた私がわずかに意識を逸らしたと同時に獣の脚力を踏み込む音がした。大地が震動するような音。体に振動が走る。スキを突く一撃。掌底を脇腹に撃ち込まれて足が浮く。宙に浮き体勢が整わない内に息もつかせぬ乱打がスーツに目掛けて遠慮なく撃ち込まれる。


「ハァアアアアアアアア!」


 連続攻撃の終わりに吹き飛ばすように鮮やかな回し蹴りを見舞う動き。確かに動きも悪くない。キレもある。一撃もそれなりに重い。私の体は飛ばされながら少しずつ減速していく。空気抵抗や重力といった自然の減速ではない。それは私のによるもの。急速にスピードを落としてなんとか端まで行く前に減速が終わったようだ。


 宙に浮いてるような態勢から軽々と足を着く私に、彼女が目を見開かせる前で


「何をした……」

「総理、確かにこの子はそれなりに強いとは思いますが」


 総理に答えを返す。私には彼女の攻撃が通っていない。総理に答えている間に片手で印を作り結界を結んでいた。スーツもボロボロにされると困るからスーツ全体に陰陽術式の結界を施している。自慢ではないが私の結界は一応この世に存在するすべての結界の中で一番固いのではと世間で評されている。


 『最強の盾』と異名を持つ呪力の結界だ。


「これで晴夫さんの相手をするには分が悪すぎます」


 その結界ですらあの人なら簡単に打ち破ってくる。


「あの人の暴力には彼女じゃ届かない。飲み込まれるのがオチです」

「うわぁああああああああああ!」


 私が総理と話しているのを遮るように彼女が咆哮して向かってきた。闘争心が剥き出しなのは獣人の血が濃いからから。せっかく可愛い顔をしているのに口から鋭利な牙が剥き出しになっている。


 戦う気ならしょうがない。


 私は彼女に向けて反撃を開始する。一撃目は突きだった。それを拳で撃ち落し、戻すのと同時に彼女の髪を掴み膝を顔面に見舞う。


 だが彼女の闘争本能は大したものだ。


 ひるまずにダメージの勢いそのままに体を旋回させ裏拳に転ずる。それを内側に入り込み肘を腕で抑え相手の回転を止める。止められた彼女の眼が驚き止まる間に、肘からスライドするように腕を動かし手を開いて鼻を拳打する。


 彼女の血が舞い飛ぶ。陰陽術で強化した拳が効いてるのだろう。


 でもスキは一瞬あればいい。ダブルSランクの時点で勝敗は見えている。


 そこからは彼女が最初にやったように掌底を脇腹に打ち込み相手の動きを止めてから乱打に入る。彼女の獣人で肉体が鋼の様に固い。それでも私は最強の盾でぶん殴っている。固さ勝負なら私に分がある。


 彼女が悲鳴をあげるのも必然だ。


 あとは終わりと言わんばかりに、私は彼女と同じように回し蹴りを放ち彼女を吹き飛ばす。彼女は長い廊下を吹き飛びエレベーターの扉を突き破って消えていった。


 少しやりすぎちゃったかな……


 ちょっと上げた足を下ろすのが躊躇いで遅くなったが地に着くと同時に総理へ結果を伝えるだけだ。


「私でこの有様じゃ、晴夫さんを倒すなんて夢のまた夢ですよ」


 私が悲しい結果を伝えると総理は笑いながら手を叩いていた。自分の部下がやられたらのに実に楽しそうだ。本当にこの人は読めない。


「ブラボー! いやーいい参考になったよ。涼宮晴夫がどれぐらい強いのかがよくわかった!」


 総理は満足げに頷いて窓を指さす。


「悪いがエレベーターは壊れたみたいだから、そこの窓を割って帰ってくれ」


 下の階まで降りるのは自力でということらしい。まぁ私が壊した結果に近いから彼のいうことはもっともだ。私は窓に近づき指で大きく円を描く。


「それでは総理、私はこれで失礼させて頂きます」

「私が思っていたより君は欲深かったよ。すまない君を見誤った」


 総理はとても嬉しそうな顔している。どうやら過激な夜が大変お気に召したようで仮面がとれている。こっちが本来の彼なのだろう。


 まぁかくいう私も幾分暴れられてすっきりしている。


 私は円の真ん中に二本指を窓へと突き刺し室内側に引っこ抜く。外側に落としたのでは下にいる人に被害が及ぶ可能性があるから。綺麗に切り取られた丸い円の窓を室内に放置して、サヨナラと残して、


 私は窓に開けた穴から帰宅する。



≪つづく≫

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