第221話 ピエロ過去編 —私が君の味方だ—

 私は彼に言われた通り仕事を残業してまで推し進めた。日付が変わる前には帰ると決めて、そこで一区切りをつけ溜まった仕事をそのままにした。自宅の扉を開けると真っ暗な廊下に光がさし込んでいた。それは彼の居場所だった。扉が不自然に開いていて、灯りがつけっぱなし。


 私は慌てて走った。


「櫻井くんッ!」


 彼がトイレの所で倒れていた。彼の体を強く揺さぶり何度も呼びかける。彼は小さい声でうなされる様にうぅと漏らして目をゆっくりと開けた。


「どうしたんだい!?」

「……なんでもない」


 なんでもないわけがない。フラフラして疲れ切っている。声に力がない。弱弱しく今にも倒れてしまいそうな気配。卵からかえったばかりの雛が弱っている姿に私という母鳥は心底心配をするだけだ。


 ——どうしたらいい……どうしたらッ!


 やっと彼が生きたいと願った矢先だったが故に動揺がひどかった。とりあえず、意識が朦朧としている彼を私はリビングのソファーに横にした。彼は目元を腕で覆い隠し横になっている。


 何かを隠しているように見えた私は、


「ちょっとどけるよ」


 彼の腕をどける。泣いたように腫れた目。赤く血管が浮かび上がり充血している。まだ救えてなどいなかったとわかった。途中なのだ。もし何もしなければ彼はまた引き戻されてしまうかもしれない。


「なんでもねぇから……!」


 取られた腕を元の位置に戻し泣きそうな震える声で彼は強がった。強がりとは違うかと私はため息をつく。彼は優しい。だからこそ迷惑をかけまいと私を気遣っている。だからこそこれ以上心配をされまいと強がっているだけだとわかる。


「ちょっと待ってて」


 私は彼をソファーに待たせて冷蔵庫から飲み物を取り出し電子レンジに入れた。そしてその温かい飲み物をテーブルの上に置いた。


「ホットミルク作ったからこっちにきて飲んで……落ち着くと思うから」


 彼は何も言わずにテーブルへと座ってホットミルクを口につけた。俯いて静かに飲んでいる。私はただ静かに見守っていた。落ち込んでいるように見える。ぶっきらぼうに不愛想にしていた昨日の彼とは違う。あれも彼なりの強がりだったのかもしれない。


 目に映る彼はとても弱弱しく見える。脅えているが隠そうとしている。セッキーが言ってたことを思い出す。


『コイツがいま死にたいと思っているなら生きたいと願うように変えるしかねぇ』


 私は今ここなのだ。櫻井くんが生きたいと思うようにしただけ。だけどそれだけじゃダメなんだ。彼の苦しみが無くなった訳じゃない。


『それにまずは、こいつが何を苦しんでいるのかを自分で吐き出させなきゃいけねぇ』


 私は知らなければいけない。彼の苦しみが何なのかを。彼が何をそんなに恐れているのかを。だから話をしなきゃいけない。彼の言葉を聞かなければいけない。彼の口からちゃんと何があったのかを聞かなければ、本当には救えない。


「櫻井くん、少し話をしよう」


 私がそういうと彼はカップをテーブルの上にゆっくりと置いた。私は何と言えばいいのだろう。無理やりではダメなんだと分かっている。彼が自分から喋らなければ意味がいないのだ。ゆっくりでいい。焦らないでいい。


 私は彼と自分に言い聞かせるように心の声に目を閉じた。深く飲み込んで目を開けて


「何があったの?」


 私は優しく聞く。私になりに慎重に慎重を期した言葉。脆く壊れやすいガラス玉のような彼に力を加えない様に。出来るだけそっと歩み寄るように。


「あっ……う」


 彼は口をまごまごさせて何かを伝えようと訴えかけた。私はそれをゆっくりと待つ。彼の目を真っすぐ優しく見て待つだけ。彼が手を伸ばしてくれることをじっとまつんだ。助けてと伸びてくる手を見逃さない様に。


「……っ」


 彼は言葉にしたくても出来ないもどかしさに口を噤んだ。怖いという様子は伝わってくる。助けて欲しいぐらいに何かが怖いのだろう。いったい何に怯えている……


 目が泳ぎ始めて混乱する彼に私は、


「ゆっくりでいい。自分のペースでいい。私はずっと待つから」


 優しく語り掛ける。彼が手を伸ばしやすいように。もどかしくても待つんだ。長い時間待ったからか焦ることはない。急ぐこともない。救われたいと願っているのがわかるから。


「怖いんだ……」


 彼は寝巻をぎゅっと掴んで言葉を絞り出した。涙が目からポロポロと溢れ零れ落ちていく。今すぐに抱きしめてあげたい。もういいと言いたくなるほどに悲痛に見える。


 ——でもダメだ……それをしたらダメだ。


「何が怖いの?」


 彼が動揺している時に大人の私が動揺を見せてはダメだ。堂々として優しくいなければいけない。いつもの弱い私を捨てなければ彼を救えない。言葉を途中で奪ってはいけないんだ。彼が何もかも吐き出せるように安心を与えなきゃいけない。


「黒い……影が俺を……」


 鼻水をすすり声を震わせて精一杯彼は心の内を出しているのが伝わってくる。


「殺そうと……するんだ」


 大粒の涙が彼の握っている手の甲にぶつかって弾けた。恐怖を思い起こして体が震えている。自分じゃどうすることも出来なくて泣いている。


「わかった」

「えっ……」


 万事OKと席を立ちあがった私を鼻水を垂らした彼は見上げた。何をするのかわからないのだろう。きょとんとしている。あれだけの言葉で何が出来るのかと疑っているのだろう。


「安心して私が君を絶対に殺させない。黒い影なんてやっつけてやるさ!」

「どうやんだよ……?」


 胸を叩く私に対して的確な質問だ。泣いてるのにやるな……確かにどうしようもないように思える。けど、やってやる。気合と根性でどうにかしてやる。彼を救うのに全力を注いでやる。


 能力のことを他言することは通常ない。知られるメリットなど何もないから。ブラックユーモラスにいる私にはむしろデメリットの方が大きくなる。


 けど彼を救う為なら躊躇いなどない。


「私は実はいうと陰陽師なんだ。そっちは得意分野だから」

「……」


 彼が何も返してこない。泣き顔のまま固まって静かにコクっと一回頷いた。これだけで信じて貰えたのだろうか。私は呪力を念波に変えて隠れているアレを呼び出す。そうすると家具の隙間から細い体を出して、トコトコと彼の元へ歩いていく。


 彼の元へと着くとそれは丁寧にお辞儀した。彼は不思議そうにそれにお辞儀を返す。


「これ……銀翔の能力なのか?」

「そうだよ。それは式神というんだ」

「これが……式神」


 なんとなく陰陽術というものを知っているのか彼は式神に納得を示した。晴夫さんとは大違いだな。あの人の場合は陰陽術すら知らなかったし。バカにするし。


「櫻井くんも知ってる通り、私はあのブラックユーモラスのリーダーだ。その式神が弱いと思うかい?」


 彼はすでに泣き止んでいた。頭を捻って悩みながら答えを模索している。考えがまとまったのか彼が口を開く。


「わかんない……」


 自信のない声だ。期待が薄いということなのかもしれない。手のひらサイズの式神。自分より小さくて紙というペラペラの存在に頼ることへの疑惑と私の肩書に対することの結果で悩んでいたのかもしれない。


 なら、実力を見してあげるのが一番かな。


 私は台所に行ってナイフを取り出す。ナイフと言ってもステーキとか食べるときに使うものだ。どこのご家庭にもあるような食上の銀ナイフ。


 ひょうきんに声を出して、


「それじゃあ、じっとしててね♪」

「へっ――!」


 私は彼に向けて投げた。彼の目ではその速度は捉えきれないのだろう。避ける気配もない。反応すら許さないほど早く投げたナイフはまっすぐ彼の頭部目掛けて進んでいく。脅威が近づくとどうなるのかの実験だ。


 それが彼に近づく前に神が宿りし依り代は敵対行動と認識し妨害行為に出た。


 彼が気づいたときには横の壁にナイフが刺さっている。


 目の前に浮かぶ白い紙を不思議そうな顔で見つめている。


 式神が彼にナイフが迫っているところを宙に飛び横に蹴り飛ばしたのだ。おそらく彼には早すぎて何が起きたかもわかっていないだろうが、ナイフが刺さった場所を見ている眼が驚いている。


 そんな彼に私は得意げに訴える。


「どうだい? 僕の式神は小さくても強いだろ?」

「……うん」


 私の能力が強いということを。まぁ、この程度の式神を生成するのは造作もない。それでも戦闘ランクはDランクぐらいあるだろう。ある程度の魔物であれば対等に戦える。


 けど、彼が戦っているものは形がない者だ。


「この式神が君を四六時中守るから大丈夫だよ」


 別に戦えなくてもいいのだ。彼が安心すればそれでいいんだ。そばに私がいることが伝わればいい。


「それでも式神がもしやられそうになったら僕に連絡が来るから、とんで駆け付けるよ」

「……うん」


 彼の肩の力が抜けて落ちた。緊張が和らいだのが伝わってくる。よかった。本当に気合と根性でどうにかなった。優しい笑みを保つのが疲れるけど。私が強くてよかった。


「こう見えてブラックユーモラスのリーダーだから、強いよ。僕は」

「うん」


 これ以上に強い者などないと思える肩書。初めてブラックユーモラスのリーダーでよかったと思えた。小さく頷く彼の表情が柔らかくなってる。味方がいると安心したのだろう。大丈夫、僕らは強い味方だ。


 けして、君を絶望に落とさせやしない。


「それじゃあ、今日は眠ろうか」


 私がわざとらしく欠伸をすると彼はコクっと頷いて寝室に歩いていく。その後を私も追って歩いてくる。ベッドの上に横になる彼が背後にいた私と目が合った。


「何しに来た?」

「寝に来たんだよ。一緒に眠ろうと思って」

「……」


 彼は顔を歪めてちょっとイヤそうな雰囲気を出しながら端っこに寄っていく。私が寝るためのスペースを開けてくれたのだろう。


 私はいつも通りに彼を抱きかかえて眠りにつく。



≪つづく≫

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