第216話 ピエロ過去編 —やはり持つべきものは親友だ―
櫻井はじめくんと出会ったのが真冬のことだった。それから時は何もできないまま経ち、季節は変わり目であることを主張するように春一番の強い風が冬の最後の悪足掻き後押しして、肌寒さを伝えてくる頃になった。私はコートの襟もとを左手でそっと上げ口元を隠す。右手はもう予約で埋まっていた。
「こっちだよ」
「……」
曲がり角で心配がないと優しく声をかける。私は久しぶりの休日に物言わぬ少年を外へと連れ出して出掛けることにしたのだ。コートを着させた茶髪の彼の手を私が引いて歩く姿は雑踏で周りの目を引いている。
何かひそひそと何か楽しそうに話をしている女子高生の集団。
視線が痛いし何を陰でコソコソ言われてるのだろう……パシャって音は写真でも撮られたのだろうか。
何がそんなに物珍しいのか……。
俯いて手を引かれ着いてくる彼が目立つのだろうか。それともそんな少年を無理やり連れだしている私に好奇の視線が注がれているのだろうか。
目的は明確であり悪戯に彼を引きずりまわしているわけではない。
一階建ての白い建物。その白は救いの白だ。看板に関口病院と白い余白に緑色の文字が書かれている。私は彼の手を引いて受付に向かい会釈をして通り過ぎる。受付の女の子も軽く会釈して特に何か記載を求めることも無く、私が行く後を目で追うだけでスルーである。
顔パスなのは私がここの常連となっているからだ。私が責任という重みに胃をやられ通い続けている関口病院。精神的にまいってる際もここで吐き出させてもらっている。
そういう私の場所。診察室を開けると小太りな加山雄三のようなグラサンをかけた白衣の男が笑顔で挨拶がわりに皮肉を言ってきた。
「おう、銀ちゃん。また胃薬貰いに来たのか?」
「いや、今日はちょっと違くて」
「あ……おう」
私がいつもとは違うことを申し訳なさそうに言うと男の先生は私の横の彼を見て言葉少なく動揺を見せていた。その中でも彼は無反応で何も答えない。どれだけ訝しげに見られようと動く気配すらない。
その少年の姿にわずかに目をパチクリさせた先生は私に問いかける。
「銀ちゃん……この子どこの子よ?」
「櫻井さんとこの……子かな」
「誰だよ、櫻井さんって……」
確かに誰だとなるだろう。風貌も私達二人が知っている誰にも似てないのだから。関口先生とは古い付き合いになる。それこそ病院に通う前から、彼が医者になる前からの付き合いだ。足立工業高校という悪の巣窟と言われるところで高校時代を一緒に過ごした悪友と言えばいいのだろうか。私は悪になどなったつもりはなかったのだが、あの二人といると自然とそういう扱いになったのはいうまでもない。
関口君は晴夫さんとオロチさんの関係者でもある。あと火神ともついでで知り合いだ。
旧友だからこそ頼れると思い意を決して彼をここまで連れだしたのだ。
「関口先生、ちょっと訳ありでね……」
「先生はやめろよ、銀ちゃん。昔と同じでセッキーでいいって」
セッキーと呼んでいたいのは晴夫さん達だ。私はずっと関口君と呼んでいた。彼なりの軽いジョークなのだろう。その関口君は私の発言と彼の状態を気にしない様に微苦笑を浮かべて、明るい声色で対応してくれている。
そしてスタスタとスリッパの音を鳴らして私の傍にいる櫻井君の元へと近づいて
「こんにちわ、ボク」
「……」
笑顔で挨拶をしたが彼は下を向いて何も返さなかった。恥ずかしがって私の後ろに隠れるでもなく、声そのものに反応を全く示していない。白衣の胸元からペンライトを取り出し彼の瞼を開いて光を当てて反応を探りだす。
「これは……瞳孔動いてるけど」
彼の眼球に直撃するようにペンライトの明るい光が差し込み、瞳孔は収縮をするが微動だに反応を示さない。診察が終わったのかため息をひとつついて、関口君はペンライトを胸ポケットにしまって席へと戻った。
「銀ちゃん、この子はどういう状態なんだ?」
首を傾げて呆れたように先生はいう。当然の反応である。私と彼は前に置かれている椅子に座って事情を説明する体制を整えた。なぜなら話が長くなることは目に見えていたから。
「彼は生きてはいるけど活動をやめていると言ったらいいのか……わざととかふりでもなくて、まるで心を完全に閉ざしているような感じなんだ」
「ソイツはまた……難儀だな」
困ったような顔するのも理解できた。いくらお医者さんと言っても状況だけで何が出来るのか判断するにも限界があるといった感じが伝わってくる。
「関口君、どうにかならないかな……?」
縋るように小さい声を出すとこほっと咳を入れ胸を張って腕組みをしながら私の問いに返してきた。
「どうにかしてやりたい気持ちもわかる。俺だってそうだ。出来ることなら今すぐこの子をどうにか治してやりてぇ。ただ本人がこの状態じゃできることもないってのが、正直なところだ」
「だよ……ね」
お手上げといった反応に私は肩をがくっと落とした。友人だからこそわかる。私と彼の間に社交辞令や医者と患者という立場以上にある信頼関係からの言葉は真実に違いない。だからこそ余計に落ち込む。
「銀ちゃんはこの子がどうしてこの状態になったのか、わかるか?」
「本人から聞いてないけど、おそらく異世界で人を殺したんだと思う。その罪の意識で心を閉ざしたんだと……」
私は続けて思うと小さく零した。全部が憶測であるから自信を持って胸や声を張れない。ただ相手が旧友だからこと弱弱しい泣き言も吐き出しやすいといったこともあった。神さま仏様良く知ったお医者様と言った気分。
「異世界での殺人による後遺症か……」
関口君は席を立ちあがり医学書を読み始めた。中々様になっている姿に思わず口元が綻ぶ。昔はそんなに頭がいいほうでなかったけど一念発起というか、半ば目標を高く掲げたともいうが、彼は持ち前のヤンキー根性で見事に医者までなった。昔の姿との違いはあるが人の為に真剣な眼つきをするところはなんら変わない。
彼は本をパタッと閉じた。私は期待の眼差しを向ける。
「精神的ストレスで起こる症状は多種多様だ。記憶を無くしたり、体に不調をきたしたり、それこそ腐るほど色んな事例がある」
「うんうん」
「だが、残念なことにコイツみたいなのはまったく事例がない」
「えっ……」
期待していた分だけ一段と肩ががくっと下がってしまった。
「とりあえず入院コースだな、こりゃ」
「入院はちょっと困る……」
「どうして?」
私が困惑しながら入院を断ると眉を顰めて問い返してくる。当たり前のことだ。彼の病気の事を本当に考えるならここで譲り渡すべきなのだろう。
「彼が自殺を図るかもしれないから……」
おそらく私の口から出たそれは詭弁だったのだろう――
「自殺……動かないのに?」
「一度自殺を図っているんだ……それに彼は私が見ていないところで動いている」
「はぁ、どういうこと?」
私は彼のコートを脱がして腕を捲って見せた。痛々しくて見るに堪えない傷跡はいつまで経っても消えない。
「なんだよ……これ」
「おそらく自分の腕が汚れて見えて掻きむしったんだと思う」
私も同じだったからわかる。自分の腕がどす黒く染まって見えて掻きむしるんだ。その穢れが罪が無くなるようにと自傷行為を繰り返す。自分のことが許せないから痛くてもそれでも何度でも掻きむしるんだ、終わりのない罰のように。
「動かないように見えて……一人でいるときに吐いたり自傷行為をしているんだ」
「だったら、尚更……病院に置いたほうが」
私が吐いてるのは詭弁でしかないのだ。上手くごまかそうと論理に合わないことをつらつら並べて、
「私には陰陽術の式神があるから彼を見てられる、どんなことがあっても彼を守れる!」
「銀ちゃん……」
本当の声を隠したがるんだ。本当はもっと早くに病院へ連れていくべきだった。彼を施設にあずけるべきだった。
それでもそうできなかったのは、
彼が泣きながら『殺してくれ』と私に願ったからだ。
私が殺した仲間達と同じように彼が私に『死という救い』を求めたからだ――
どうしようもないほど、あの時のことを思い出してしまって、
どうにもできないほど、悔やんで苦しんだ日々があったから、
誰一人として幼い私は救えなかったから、
大人の私の手で彼を救いたいと浅ましくも願ってしまっている。
「わかった、わかったから!」
関口君は手を振りもう話はいいと言わんばかりだった。
「銀ちゃんそんな泣きそうな悲しい顔をするなよ。もう言わねぇから」
言われて気づく。いつのまにか席を立ちあがって拳を握って顔の筋肉が歪んでいることに。どうしようもない自分勝手な発言がわかり私はゆっくり席に座る。贖罪に彼を使おうとしている自分が浅ましく醜い。苦悩を両手で顔を覆って隠す私に友は言葉をかけた。
「銀ちゃん、そこまで言うからには最後までちゃんと面倒見ろよ」
「関口君……」
「セッキーでいいって言ってんだろう」
笑って答えてくれたことに救われる。隠していた顔を上げ私がセッキーを見ると医者の顔で彼は治療について語りだした。
「心の病気って言うのは薬じゃ治らねぇ。どんな処方も意味がない」
「……?」
彼の言葉に首を傾げる私にさらに分かりやすく彼は言葉をかみ砕いた。
「精神薬なんてものはあくまで薄めるだけなんだ、苦しみを。感じなくするようにして誤魔化してるだけなんだ。だから根本的に解決するには、本人の心を変えるしかねぇ」
「うん」
「コイツがいま死にたいと思っているなら生きたいと願うように変えるしかねぇ」
「うん」
彼のいうことが分かり私は強く頷く。それが彼を救う道しるべだと頭に叩き込む。
「それにまずは、こいつが何を苦しんでいるのかを自分で吐き出させなきゃいけねぇ」
「う……ん」
それが一番の難題になることがわかり私の勢いは少し弱まった。わかっている。彼が吐き出せるようにならなくてはいけない。その心に溜まった膿を傷を、苦しみの全てを。
「まずはコイツをよく知ることだ。もっと今まで以上に注意深くみろ」
「えっ……」
「銀ちゃんが居ない時にコイツは動いてる。なんでそんなことをするのかだ。銀ちゃんに見られたくない理由が何かしらあるんだ。無意識だからこそそこに何かしらの答えが必ずある」
「そうか……」
「あとは――」
彼は口元をイヤらしくも上げ、笑いながら言葉を繋げた。
「気合と根性だ!」
相変わらずすぎて思わず笑ってしまった。それだけで本当にどうにかしてしまうのだから、この人たちは困る。それを私にも求めてくるのだから本当に困った人たちだ。
「ありがとう、関口君。わかったよ」
「だからセッキーだって……」
あだ名で呼ばない私に苦笑いする彼を見終え、櫻井君の手を引いて扉を目指す。私はそこでふと立ち止まった。
「あのセッキー言いづらいんだけど……」
「なんだ?」
始めに言わなきゃいけないことが一つ抜けていた。
「彼は保険証がないんだけど……診察料とか受付ってどうしたらいい?」
「いらねぇよ」
予想通りの答えが返ってきて思わずにやけてしまった。
「ありがとう。別の形で必ずかえさせてもらうよ」
やはり持つべきものは親友だ。私が道に迷った時に助けてくれる。
≪つづく≫
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