第217話 ピエロ過去編 —君が終わりを望むように、私も始まり望むだけだ―

 私は仕事を終えると席から立ち上がりすぐに制服を脱いでコートに手を掛ける。


「急がなきゃ」


 急いでいる時に限って来客というものはあるもので、


「あれ……銀翔さん。今日はもうお帰りですか?」

「杉崎さん……書類なら机の上に置いといて! あと今後はちょっと早くあがることになると思うから!!」

「わかりました……」


 歯切れの悪い声を出しながら彼女はコートを羽織っている私を観察するように訝しげに見ながら移動して机に報告書の束を置いた。まぁいつも遅くまで残業して残っているのが当たり前な私が早く帰るのが変なのだろう。十九時に仕事を上がるなんてことはほとんどない。


 365日あれば終電が過ぎても働いてることのほうが半分より多いのかもしれない。


 こういうのを社畜というのだろうか……けど、そもそもトップにされているのでどういう扱いなのだろう。仕事バカの方が的確か。


 そんなアホなことを考えながらも気持ちが急いでいる分コートの前のボタンを慌てて閉めていく私に、


「あの~、もし今度早く上がるようでしたら……一緒に食事でも」


 彼女が少し上目遣いで何かに願うように問いかけてきたが、そんなことをしている場合ではない。


「ごめん、早く帰ってやらなきゃいけないことがあるんだ!」

「……」


 私は彼女を置き去りにするように自室を後にする。早く帰らなきゃいけないという想いが先行している。少しでも長く、少しでも傍にいて、少しでも彼を早く助けたい。


 だからこそ私は急いで走っていく。


 人混みをかき分けるようにステップを踏みながら。息を切らしながら職場と同様の新宿区にあるタワーマンションを目指して走った。徒歩10分圏内だが、走ってしまえば三分程度でつく。本気を出せばふんはかからないだろうがそんなことを戦闘中でもない街中ですることはない。


 周りに被害が出たり、道路が傷んだりするから。


 ある程度の速度しかだせないのがヤキモキする。


 エレベーターが一つ一つ上がっていくのでさえ遅く感じる。


 跳躍して自分の階に上がったほうが早いのに!


 ドアノブに触れ結界を解除し、靴を脱ぎ散らかしても慌てて寝室へと向かう。


「起きて!」

「……」


 声を大きくしていうと彼は寝ていた布団から状態を起こして起き上がる。毎日見ている光景だが、この瞬間だけは驚きを隠せない。何も音を出さずにむくりと顔はうつ向いているが目は開いている。眠気眼を擦るでもなく、欠伸をするでもなく、ただ言われた通りに動くロボットのようだ。


「さぁ、お風呂にしよう!」

「……」


 私は彼の手を引いて浴室へと向かう。彼はふらふらとした足取りで引っ張られていく。その間も頭の角度は下を向いたままなのが徹底している。俺の意思じゃないと言わんばかりだ。だけども、それも見慣れた光景になってしまえば大したことはない。そういうものだと思ってしまえば違和感すらなくなっている。


 彼の服を脱がせ自分の服も脱ぎ――


「じゃあ、頭を洗うから座って!」


 私は気合を入れて声を上げる。彼はお風呂用の小さい椅子に座って頭をうな垂れる。いつもの姿勢でよろしい。そうしてくれると頭が洗いやすいのだ。若干目に入らないか心配でシャンプーハットを購入したのはつい最近の事。


「櫻井くん、どこかかゆいところはないかい?」

「……」


 私は楽し気に会話を投げかけるがお決まりの無視である。ただそれでも私は鼻歌を歌いながら彼の頭を洗っていく、めげることはない。関口くん改めセッキーに言われたからだ。


『あとは気合と根性だ!』


 私には似つかわしくない言葉。それでも彼を救えるのなら私は喜んで演じよう。進んで気合と根性を見せてやる。それは彼の辛さがわかるから。そして彼という人間の事が少しだけわかるから、こんなになるまで苦しむということがどういうことか。


『銀坊、お前はバカみたいに優しいヤツだから』


 あのふざけた人が私にくれた言葉。きっと後悔したのだろう。きっと深く自分を貶めているのんだろう。きっと許されないと思っているのだろう。こんなになるまで自分を責め抜いてまで謝罪しているのだろう。


「さあ、流すよ!」


 彼の頭の泡をシャワーで洗い落としていく。やってしまったことは消えないの過去かもしれない。過去は変えられないかもしれない。償いはどれほどしても死んだ人間には届かないかもしれない。


 懺悔をひた繰り返しても何も変わらないことを実体験で良く知っている。自分が生きてるべきではないと攻め続けてしまうんだろう。ずっと死にたいと思うのだろう。


「さっぱりしたかい?」


 笑顔を作って問いかけるが彼は俯いたままだ。


「次は湯船につかろうか」


 彼の体を持って私は湯船に入れて、自分の体を洗いながす。


「じゃあ、一緒に入らしてもらうね」


 そして、狭い湯船に二人で浸かり向かい合う。彼の前で私は笑顔で見守る。大丈夫と伝るように、知ってるからというように優しく見守るように彼を包み込むように。


「温かくて気持ちいいね。お風呂は好きかい?」


 答えは返ってこない。意思がないのだ。気力がないのだ。答えがないのだ。生き続ける為の体力も心も気合も根性も夢も、希望もないのだ。自分に生きてる価値がないと思って、自分に生きてる意味はないと悟って、生きる理由がないと諦めてしまったとしても


「私は好きだよ、お風呂」


 このお湯の様に彼を温めてあげられる存在になりたい。その凍てついた心を溶かしてあげられる救いに私はなりたい。


 笑顔を崩さずに私は笑顔のまま口元を上げて彼の頬を掴み、目を合わせる。良く見えるように両頬を掌で掴みうつ向いていた顔を上げさせて目と目が合うように持ち起こして、光はないが綺麗な目をじっと見つめる。


 喋りかける、彼への挑戦状を。


「返答がなくったって諦めない。反応がなくたって落ち込みやしない。君がどれだけ絶望に染まろうが逃がしはしない。私が絶対に君を死なせないし、どんな手を使ってでも救って見せる」


 ただ彼へと思いを告げるように優しく語り続ける。


「落ち込みやすく弱音を吐きやすい私だけど、実はこう見えても意外と頑固なんだ。だから根競べをしよう。どっちがより頑固かの証明だ。君が頑なに死を望もうとも、私が頑なに君を生かし続けて見せる」

 

 私は頑固で意外とわがままだ。自分本意だと分かっている。彼を救いたい理由なんてものは贖罪で復讐だ。殺してと願われて殺すことでしか救えなかった幼く弱い自分に対しての決別だ。


「簡単に私に勝てると思わない方がいいよ。櫻井くんも知ってる通り私はあのブラックユーモラスの現リーダーだ。それに私には陰陽術がある」

 

 あのとき手に入れた力は殺すためのものじゃない。あのとき弱くて救えなかった私はあの人達のおかげで強くなった。本当に強い者しか着れない黒い制服を身に纏えるほどに。この力も強くなった。日本中の人達を守れるほどに。


 私は挑発的な笑顔を見せ、無反応の彼に知らしめる。


「四六時中君を守ってやる。四六時中君の動きをみてやる。一緒に入れる間は四六時中君にべったり張り付いてやる。覚悟しておくといい」

 

 昨日病院に行ってやるべきことがわかったから気力が充実している。これからの道筋が見えたからわかった。私はやる気に満ち溢れている。彼という人間をよく見ることだ。彼という死にたい人間を知ることだ。


「君が君を殺したいと傷つけるのなら、それを私がやめさせてやる」


 絶対に死なせないと力強く彼に宣戦布告を告げる。私が救いたいと思ってしまったのだからしょうがない。私が彼の無邪気に笑っている顔をみたいと思ったのだからしょうがない。私が君に生きて欲しいと思うのだからしょうがないことなんだ。


「君が終わりを望むように、私も始まりを望むだけだ」


 彼が絶望を願おうとも私が希望を願おう。君が死んでもいい人間と思い込んでいるなら、私が違うと思い込もう。こんなになるまで傷つける君が死んでいい人間な訳がない。罪悪感で身をボロボロにして心を閉ざした君が悪い人なわけがない。


 そうなるほどに優しい人間なんだと私が知っているよ、


「櫻井はじめくん」


 君のことを――


 食事を終え、私はソファーでなく寝室で一緒の布団で眠ることにした。彼を抱きかかえると心が安らいでいく。人のぬくもりを感じる。彼が生きていると鼓動を感じる。心地よさからかその小さい体を優しく包むように私は抱きしめる。


「おやすみ」 

 

 そういうと彼は目を静かに閉じる。抵抗もなくただじっとしている。言われるがままに動くだけ。けどそれでも今は構わない。疲れたのなら休めばいい。苦しかったのなら忘れればいい。


 外の世界が辛かったのなら殻に閉じこもればいい。


 君という卵を私がずっと温め続けるから。


 母鳥の様にいつかその殻を破って出てくるのを見守るようにそばにいるから。君が生きたいと思ったときに殻を割っておいで。その時に私は初めて君の動いている顔を見るのだろう。


 その時に君はどんな顔をして出てくるのか、楽しみにするよ。

 

 その時に私はどんな顔をして迎えるのかを、楽しみに待つよ。



≪つづく≫ 

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