第213話 ピエロ過去編 ー初めての政府との会合ー

 私が部屋を開けるといつも通り暗かった。日中に電気をつけた形跡もなく、私以外にもう一人がそこで生活してるとは思えないぐらい変わりようが何もない。


「また……食べてないのか」


 机にコンビニ弁当が袋に包まれたまま残っている。彼が来てからもう三週間が過ぎようとしていた。私が寝室を覗きに行くと彼は布団に包まっている。待つつもりでいたが幾分長いこともあり、私は行動を起こすことにした。


「起きて」

「……」


 彼を起こして問いかけるが何も返事はない。ただ下を俯いて動かない。体をよく見るとシャツと間が開いている。もとから大きかったせいもあるが、やせ細りすぎて骨と皮に近い体は出来るだけ接触を許さないように衣服を遠ざけていた。腕に広がるひっかき傷がかさぶたとなって、いくつものおびただしい赤い線を体に刻んでいる。一部は化膿して膿が湧いていた。


 体からボロボロの皮膚が粉を吹いていた。髪もふけが出てきており、清潔感がない。私は彼の体を洗うためにとりあえず浴室に連れていった。


「脱がすよ」

「……」


 彼の体にある衣服を無理やりはぎ取った。まるで抵抗がなく着せ替え人形でもしているかのような感覚。細い体をすり抜けるようになんなく衣服は取れいていく。そこでわかる、彼の肉体がどうなっていたのかを。


 アバラが浮き彫りになって内臓の部分だけがわずかに浮き上がっている。爪は伸びっぱなしで至る所に異世界での傷跡が残っていた。切られて出来たような傷、鞭のようなもので叩かれたようなものや人の歯型状の傷跡が残っている。人間にやられたようなものばかりだった。


 何も知らない私はなんとなくそこで察しがついた。


 彼は異世界で魔物ではなく人と戦ってきたのだろうと。


 無理やりお風呂場の椅子に座らせてシャワーで彼の体を流していく。私に身を任せるようにして何もしない。反応がまったくない。体を触られてもびくりともせず、表情の変化すらない。ただ無機質に頭を下げている。私はそれがイヤで少し強めに彼の頭を泡立てるようにシャンプーで洗った。


 一通り洗い終わり体を拭いて食卓に着かせる。胃が普通のものを受け付けないのかもしれないと思い、彼にレトルトの味噌汁を作ってテーブルに置いた。汁物なら多少体調が悪くても飲めるかと思った。


「冷める前に食べな」

「……」


 私が言葉をかけるが相変わらず何も反応が返ってこない。まるで眠っているかのように何に対しても興味を示さない。飢餓することもないようにただ何かをじっと待つようにして動かない。


 このまま何もせずに待っていれば死ぬだけだ。


 私は席を立ちあがり冷蔵庫へと向かう。栄養補給用に買っておいた飲むゼリーを探して彼の元に持っていく。なんでもいいから食べさせなきゃいけない。動かない少年の口に私はそれをぶっさした。


「食べなさい」

「……」


 私が強く握るとゼリーが少年の口内に流れ込むが反応はいぜんない。成すがままで為されるがままの状態を貫いてくる。意固地にゼリーを流し込み眉を顰める私の目がわずかな希望を見つけた。


 ——動いた!


 あったのだ。確かにわずかだが反応があった。ゴクッと鳴った音がした。喉が動いている。彼の体に栄養が飲み込まれていくのがわかる。思わず手に力が入ってしまう。ぶりゅっと激しく押し出されるゼリー飲料。


「ケホッ、ケホッ――」

「ごめん、ごめん!」


 私は慌てて彼が吐き出したゼリー飲料を近くにあった布巾で片づけた。そして気づいて目を見張り彼をみた。


 ——えづいた?


 彼から初めて顕著な反応が出されたことに。物言わぬ生気が抜けたような彼だったが、体は確実に生きている。肉体は生きようと抗っている。まだ彼は死んでいない。それだけで大きな収穫の様に思えて他ならなかった。


 私は彼をベッドに戻し、ソファーで明日以降の方針固める。


「無理やり食べさせればいけるのかも」


 今、思えばなんて未熟なやり方だったのだろうと思える。けどその時の私はそれが大発見のように感じて他ならなかった。


 翌日――


 薬局で大量に箱買いしたゼリー飲料を持って家に帰ってきた。出来るだけ栄養価の高そうなパッケージのものを選んだつもりだ。部屋は依然として暗いまま。昨日と同じように彼を起こしてお風呂に入れてからゼリー飲料を飲ませる。まるで車にガソリンをいれるかの如く私は彼の口に無理やり食料を流し込ませた。


 咽ないように加減をしながらゆっくりと。


 一本飲み終わらせ布団に寝かしつける。あとは式神の命令にこれを染み込ませるだけ。呪力を人型の和紙に送り命令を送る。寝ている彼にゼリー飲料を飲ませるといった簡単でひとつだけの命令。


 人型はぴょんと身を起こして家具の隙間に隠れていった。見つかれば彼が怖がってしまう可能性があるのでそこらへんは私なりに配慮したつもりだ。


 まぁ、いまの時代にこれが見つかったところで何かの異能力で済むかもしれないが、霊的な現象を怖がる人もいまだに多い。どれだけ異能なものが現れようと心霊現象やお化け屋敷と言った人間の恐怖はいまだに残っている。例えるならハイテク時代であろうがアナログの製品も必ず生き残ると言ったものと変わらないのかもしれない。


「晴夫さんは随分ビビッてったっけ……くく」


 ソファーに横になり昔を思い出して思わず笑ってしまった。


 あの人と来たら『陰陽術おんみょうじゅつ』の事を、


 温尿筒おんにょうづつだぁ? チン〇みたいな卑猥な名前しやがって!! 温かい尿出すだけなら、そんなもん俺様のチン〇でも出来るわ!


 とか馬鹿にしてた癖に、いざ式神を初めて見るなり、


 紙がああ、紙があああ歩いてやがるぅ!!


 と鉄骨の柱をよじ登って猿の様に逃げていったのだから。あまりの傑作ぶりなそのビビりように思わず私が吹き出して理不尽に殴られたっけ。あの人は人の顔を遠慮なく殴る習性があるので漏れなく左頬を殴られたのは過去の事。


「それにしても、政府が晴夫さんの件でって……イヤな予感しかしないな」




 

 そのイヤな予感すぐに現実のものとなった。


 政府との会合の日が訪れ、私はブラックユーモラスの黒い制服ではなくスーツを着てホテルに案内された。エレベーターに乗ると案内の人がカギを入れて回す。向かうフロアのランプはどこにもなかったのに扉がしまった。どこまでも上に上がっていく。それは見えるフロア数の上限についても動き続けていた。


「銀翔様着きました。どうぞごゆるりと」

「ありがとう」


 案内の人と別れ歩き出すと都庁から見える消しと変わらないように夜の灯りが下に映し出される特別な最上階のラウンジ。装飾が豪華絢爛であり何か騒がしい感じを受けたが、対照的に人が見当たらずに誰もいないような静けさのなかジャズの音楽だけが流れている。通路を前に進んでいくとそこに丸型のソファーが机を囲むように置かれていた。


「よく来てくれたね」

「貴方は――」


 私は目を見張った。政府の者と聞いていたがそんな重要な人物がその場に現れるとは思いもしなかった。虚をつかれ私は相手の名前を声に出すだけしかできなかった。


「鈴木総理……」

「多忙なところ申し訳ないね、銀翔くん。とりあえず、そこに座ってくれたまえ」

「はい」


 まさかの相手に動揺を受け挨拶も不完全なまま相手の意図に沿って私は対面の席についた。これから何の話が切り出されるかもわからないまま、総理の思惑に嵌っていくことにすら気づかずに。


「まず何を飲む。なんでも望むものを用意しよう」

「水で結構です」

「君は噂通り欲があまりない人間のようだね」

「そういうことではなく、これから話を聞くのにお酒を飲むわけにもいきませんから」


 相手の雰囲気に飲まれないように自分を保とうとするが、何か見透かされているような総理の眼に嫌悪感を覚える。まるで格下相手と言わんばかりの余裕に似た作り顔にあまり怒らない私でも何かをかき乱された。保とうとした時点で鈴木総理の空気に犯されていることに気づくべきだった。


 総理の話を前に身構える私の元に水が運ばれ、彼がワイン一口だけ口に含みグラスを置いた。それは話が始まる合図だったのかもしれない。


「さっそくだが、本題に入ろう。君は涼宮晴夫が失踪したことについてどこまで知っているのかな」

「どういう意味の質問か意図をわかりかねます」


 淡々と語る総理に強めの言葉で返していた。私の警戒心が極度に高まっていた証拠だ。性格的に事を荒げることは好きではない。


 しかし、鈴木総理を実際に前にしたら底知れない感覚が私を揺さぶってくる。それは戦闘的な強さではない。人間的な強さと言えばいいのかもわからない。まるで生きた人間とは違うものと話している様な錯覚。


「分かりづらくてすまない」


 総理の表情は穏やかに感じるのに仮面のように見える。その言葉は普通なのにどす黒く何か含みがあるように錯覚する。


「涼宮晴夫が何をしたか、わかっているかと言った方がわかりやすいかな」


 私は本能的に直感的に危うさを感じていた。


 噂で聞く人物とは違う。対峙した印象が報道されている人物と比べ物にならない。


 鈴木政玄という男は平成最大の総理として担ぎ上げられている。彼は言わば日本始まって以来のリーダー的象徴であり正義な存在だった。政治家として潔白であり間違ったことを言わないからこそ人気は衰えることを知らなかった。おまけに彼の政策は一度として失敗をしたことがない。


 この二千年以降就任してから一度たりとも彼が公約を達成しなかったことはない。


 その揺らぎない事実が相対して別の印象になる。この男は失敗をしたことがないのではない、敗北したことがないのだ。全てをねじ伏せるような威圧が仮面の奥に隠されているような気がして他ならない。


 なぜ、そう感じたのかは私自身も理解できていなかった。


 その空気に飲まれつつあることにもっと早く気付くべきだった――


 私は表情を強張らせ威圧を返す。飲まれている空気に対抗するように眼を強く睨みつけ、相手を威嚇する。


「何をおっしゃりたいのか要領を得ないのですが、総理」


 だが、それすらも


「悪かった。そうか、君は何も知らないのか」


 軽くいなされる。淡々と作り笑いを浮かべ姿勢を崩さずにこちらを見つめ返す政玄という男に思わず表情が崩れた。何を知っているのか。そして今までの質問が何を聞き出すためのものだったのかを私は何も知らなかった。無知であることを相手に引き出され悟らせるだけの結果となったことに何も気づかずにいた。


「涼宮晴夫がなぜ国外に、まずはそこから話をするべきだったね」

「逃げた……」


 相手は手札にあるカードを一枚だけ見せびらかすように私に差し出した。そこから想像しろと。総理大臣という法治国家である日本のトップがいう逃げたという意味を考えろと。


「晴夫さんが何かをしたということですか……それも国内にいられないほどの」

「二年前の事件だ。ちょうど涼宮晴夫がブラックユーモラスをやめる前の時にある研究所で悲惨な事故があった」


 それは記憶に新しいこともあり私の中ですぐに結びついた。


「国立第八研究所……!」


 全てが彼の手のひらの上だったのだろう。わずか一枚のカードで私は完全に踊らされていることも知らずに彼の前で狼狽え踊るしかなかった。完全に話の主導権は政玄という男の手元にあった。なぜなら私は何も知らずにヤツは全てを知っていたのだから。


「その通りだ。国立第八研究所は表向きは事故として処理されているが、事実は違う」


 ヤツの一枚目の手札ですら、


「あれは涼宮晴夫という男の仕業だ」

「そんなバカなッ!」


 私は鵜呑みにできなかった。


 突拍子もない話だった。思わず席を立ちあがり否定をする私をなだめる様に首相はまぁまぁ座りなさいと手で伝えてくる。着席するが動揺に頭が混乱する。あの男を知っているが故に信じられなかった。ふざけた男だ。圧倒的なまでに暴力的な男だ。行動がわからないという点では私が出会った中で一番なのは間違いない。


 しかし、涼宮晴夫という男は意味もなく暴れることはなかった。


 だからこそ、皆があの男の背中に憧れたのだ。直観的行動でありながら、逸脱した行動でありながら、完全な悪に手を染めることはなかった。


 あの事故では研究員が全員死亡している。そんなことをやる男ではない。


「嘘だと思って貰っても構わない。けど政府としては彼を第一級秘匿犯罪者として今後取り扱う方針が決定している」

「第一級秘匿犯罪者……?」


 二枚目のカードが切られた。聞いたことも無いが言葉からなんとなく意味は理解できていた。


「彼はあまりに有名になりすぎた……世界改変後に現れた初めての英雄だ」


 これ以上喋らせてはいけない。カードを切らせてはいけないと頭でわかっていても、口から遮る言葉は出てこなかった。総理の述べた事実が自分の知っている何かと繋がっている様な気がしてしょうがないことで頭を落ち着けることができなかった。


 涼宮晴夫の行動理由を誰も知らなかった。ずっと傍らにいた親友のオロチさんでさえ知らなかったのだ。あの人がなぜいきなりブラックユーモラスを退団したのかも謎だった。突然の失踪、国外への逃亡。


 そして、脱退する前に会ったあの人が似つかわしくない思いつめた顔をしていたのが印象深かったから、尚更私の中で分からなくなっていた。


「だからこそ、彼を公で裁いた時の影響を鑑みて、政府は国民に分からないように極秘で――」


 一緒にいた時間があまりに長すぎたから、その事実が受け止められなくて。


「涼宮晴夫を死刑にすることが決まった」


 次の総理の一言に頭が真っ白になった。茫然自失の私に向けて政玄は表情を保ったまま淡々と語る。


「ただ、涼宮晴夫は君達も良く知る通りで強い。日本で数少ないトリプルSランクの男だ」


 ——晴夫さんが……殺される。


「涼宮晴夫の暗殺を出来ればブラックユーモラスにお願いしたい」


 ——私達が晴夫さんをッ!


「お断りします!」


 席を立ちあがり声を荒げた。それはあまりに感情的な反応だったのかもしれない。ただ私はあの人に救われた、あの男に憧れた。その男を殺すことに加担するなど出来るわけもない。ブラックユーモラスのトップではなく銀翔衛という一人の男として怒りを露わにして返すことしか、政玄という男を相手に出来なかった。


 私という人間が丸裸にされたところでようやく仮面が崩れ相手の口角がわずかに緩むのを見た。


「君たちの関係を軽く見過ぎていた。私が悪かったよ。だが、すぐに答えを出さないで欲しい。よーく考えて欲しいんだ。晴夫という男によってこれからどんな犠牲が出るかも分からないということと彼がトリプルSランクの犯罪者だという事実を」

「……っ」


 あの人が分からないという現実と私があの人を何も知らないという事実を突き付けられて、反論の言葉も出てこなかった。終始一方的な話を聞かされただけだった。私は何一つ出来ずに全てが鈴木政玄の思惑の運びとなった。


「では、覚悟が決まったらここに連絡を欲しい」


 連絡先をテーブルに置き私の肩を軽く叩いて男は去っていった。私は何もできずに、事実を受け止めることも出来ずに、ソファーにもたれ掛り天井を仰ぎ見ることしかできずに一回目の会合は終わりを迎えた。



≪つづく≫

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