第184話 少女は穢れない

 王国から外れた小さな村。そこは城から遠く広大な草原と小さな家があるだけの村。


「お母様、今日のご飯を取ってまいりましたわ!」


 12歳になった金髪の少女は容姿からかけ離れた継ぎはぎの薄汚れた服を血で汚し、手に持ったウサギをベッドに横たわる母に見せた。今夜の夕食である。母は病気に伏しながらも彼女に微笑みを送った。



 彼女が奴隷の烙印を押された日――


 焼き印による肌への重度の炎症と激痛に気を失う彼女を城から抱きかかえて運ぶものがいた。雨が降るレンガ道を息を切らして少女を布にくるみ、ひとけを気にして駆け抜けていく。


 少女の眼がわずかに開いた。


 ——誰……?


 顔は見えない。雨が降り薄暗い城下町を必死な形相で駆け抜けていく。フードで隠された顔が暗闇で見えない。痛みが少女の視界を邪魔する。瞳を開けているのも疲れる。


 ——イタイ……


 食事は朝食べたっきり。腹部に刻まれた剥奪の烙印がじりじりと痛みを発する。焼き切れた肌に血が浮かび上がり、彼女をくるめている布を湿らせる。


 ——イタイよ……


「ごめん……な……」


 謝る声が聞こえる。冷たい雨の中に温かいものが混じって彼女の頬を伝う。朦朧と混濁する意識を包むような温かさだった。王に見放された疲れ果てた幼き姫はその僅か温かさに身を預けるように眠りにつく。


 男は走る。懺悔しながらも――


 その少女を守り抜くために――

 

 男は地下へと潜っていく。王国にある地下水路。それは下水道。そこに僅かなランプで待ち構えるものがいた。男はフードを取り外してランプの主に近づいてく。


「王妃様……お待たせいたしました」

「ミカ!」


 母は傷ついて眠る少女を抱き上げた。愛おしそうに大事に、強く強く泣きながら抱きしめた。布を血の色に染める我が子を。自分の罪が彼女を悲惨なまでに苦しめていることを分かりながらも。


 男は辺りを気にする。時間がないことがわかっている。見つかればどうなるかもわかっている。自分を含めて三人が。ポケットから布袋を我が子を抱える王妃に差し出す。


「僅かばかりしかなくて……申し訳ありません」

「いいえ、ありがとう」


 王妃は布袋を受け取る。その中には金貨がいっぱいに敷き詰められていた。それは男の全財産。貯金からすべてを投げ出しかけ集めた金。それを使えば、一般的な母と娘が五年は暮らしていけるであろう賃金。


 男は静かに金髪の少女の頬を撫でる。我が子を愛でるように。


「どうか幸せになっておくれ――」


 男の眼が優しさに溢れる。思いが溢れ出た。


「ミカ……」


 男の顔が上に跳ね上がる。どたどたと街中が騒がしくなっている気配。姫がいなくなったことに気づかれてしまったのだろう。男は急いで王妃に指示を出した。


「イケッ!」


 王妃は静かに頷き、男を背に走り出す。何の罪もない少女を抱きか掛え。


 それは二人が犯した一夜の過ちだった。


 たった一度の過ちが――


 関係のない幼い命を巻き込んでしまった。


 王妃がしばらく走ると小舟が用意されていた。小舟の中には大きい積み荷と毛布が掛けられている。男が用意したもの。毛布の間に身を隠す様に少女と二人身を屈める。ランプの灯を消し、静かに小舟を固定しているロープを外す。


 下水の匂いなど感じられないほどの緊張を持ちながら王妃は息を殺した。舟がどこへ向かうかも知らずに身を預けるように。城下町の水路へ抜けると声が聞こえる。


「姫を探せ!」「小さな子だ、そう遠くはへいけないはずだ!」「目印は何かないのか!?」「金髪の幼な子!」「服装は!?」「それはわからん!」


 10歳の子を探すために城の兵士たちが殺気を出して喚ている。カチャカチャと鎧が音を鳴らす。


「ただ――」


 王妃は息を殺した。目を瞑り気配を隠そうとした。


「腹に奴隷の烙印が入ってるぞ!!」


 王妃の瞑っていた眼が開き我が子に向けて見開かれた。そのような仕打ちを受けているとは思わなかった。愛する我が子に奴隷の称号が付けられているとは。自分の犯した罪が彼女という人間の尊厳を奪うとは。


「探せ、探せ!!」


 男達の声に王女は唇を噛みしめる。泣いてはいけない。泣いては気づかれてしまう。自分の犯した罪の大きさに負けるわけにはいかない。その手に抱きかかえる少女のためにもと。


 願った。心の中で強く願った。抱きかかえる少女を守りたいと。


 ——神さま、どうか私にどんな罰を与えてもいい……だから


 心で叫ぶように、声にならないものが溢れる涙で少女の頬に落ちた。


 ——この子だけはどうかお助け下さい。ミカだけは……!


 彼女が幸せになれますようにと。




 それから遠くへ逃げた。城から出来るだけ遠ざけるように我が子を連れて。外れの町まで。そして、彼女に罰が下ったのだ。病に伏した。立ち上がることももう出来ない。


「お母様、早く良くなるように栄養をたくさん取りませんとね」


 良くなどならない。死が迫っていることを知っている。僅か二年だったが彼女の人生でもっとも色濃く残酷な二年だった。その少女の傍にいることが。


 ミカクロスフォードは鍋に切ったウサギの肉と野菜を入れていく。そして、木の枝を取り出した。


「ファイア」


 優雅に振られるみすぼらしい木の枝に導かれるように鍋の下に火が灯る。


 彼女は魔法を使えるようになった。遅咲きの才能ではない。少女はいまだに現実を受け入れていないだけだった。自分が魔法の名家であるクロスフォード家の血を受け継ぐものだと。


『お母様、きっと……お父様も私が魔法の才に目覚めれば』


 魔法が使えないから、魔法の才能がないから


『また一緒に暮らせますわ。きっとあの悪い魔女に騙されただけなのですよ!』


 捨てられてしまったのだと。


 現実を見ぬ振りをして過ごす。それが母に苦痛を与えるともわからずに。伝えられなかった、事実をずっと。


 母の知らぬところで努力した。才能でなくてはいけないから。見られてはいけないから。必死になっているところをけして見せてはいけない。


 玉藻の前でミキフォリオが彼女を賞賛した言葉。


『自分の理想に届くようにがむしゃらになりふり構わずやっちゃうやつ』


 理想に届くようにと。クロスフォード家の名に恥じぬようにと、奪われた少女は努力をした。季節と共に彼女は杖を何度も振るう。雨の日も雪の日も、母に気づかれぬように。


「お母様できましたわ、さぁお食べになって下さい」


 大きな緑の葉を鍋掴みの代わりにして鍋を持ち運び、母のもとへと近づいていった。ベッド近くにある母の前の机に置き木のスプーンですくってそれを冷ます。


「お母様、口を開けてください」


 彼女が口に運ぶがぽろっと零れてしまった。ベッドを汚してしまい、慌ててミカクロスフォードは布巾を取りに行く。


「申し訳ございません、お母様! すぐに拭きますね!」

 

 もう食べる力も入らない。母は死期を悟る。最後に伝えなければいけない。この盲目の少女に。幸せな生活を壊した自分をまだ母と呼ぶ優しい金髪の少女に。


「ミカ……大事な話があるの……」


 最後の命の力かもしれない。言葉を発した。それはひさびさに聞くの母の声だった。ミカクロスフォードは嬉しそうにすぐさま母のもとへ駆け寄る。


「なんですの、お母様!? なんなりとお申し付けください!!」

「ミカ……」


 母は最期の力を振り絞る。布団一枚を動かすのにも腕が限界を迎えている。震える手が少しでも愛する娘に触れたいと頬を触った。


「ごめんなさい……」

「お母様……何を謝ってるんですの……」


 母の目から雫が零れた。愛してるが故に苦しい。自分の罪を神は許さない。我が子だけでも幸せになって欲しいと願ったのに、それでも苦しい生活をしいる。城で着ていた綺麗なドレスなどではなく、継ぎはぎのボロ布。髪はセットしているがところどころ痛んでいる。指は家事と魔法の杖をふるい続けることによってひび割れを起こしている。


「貴方は……違うの……クロスフォードではない」

「……」


 伝えるのが遅くなってしまった。罪から逃げ続けていたから。その少女を傍で愛してしまったから。


「クロスフォードではなく、貴方の父親は……」

「お母様!」


 だが、母の懺悔を娘は遮る。


「いえ――」


 母の名を呼ぶ。




「アリス・クロスフォード王妃!」

「……」



 どうして、名を呼ばれるのかもわからない。だがミカクロスフォードの目が譲らないと語り掛けている。貴方はクロスフォードであると。そして王妃であると。


 その娘である自分は――


「貴方の娘である、私はミカクロスフォードであります!」

「……」


 名を捨てることはしないと。その誇りを失うことはないと。どれだけ貧相な生活をしようとも彼女は気高さを失わない。着るものがみすぼらしくても手を抜かない。痛んだ髪であろうとちゃんとセットする。


 少女は気品を失わない。高貴さを失わない。幼い年月に年を重ねようとも生まれながらの貴族であると。


 その娘の想いに母は頬を緩めた。


「ミカクロスフォード……最後に伝えておきます」


 その穢れなき魂の強さを認めるからこそ。


「貴方が私の――」


 嘆くことしかできなかった逃走生活の二年だった。だがそれから救われた気になった。その少女が幸せであることを願った。立派に生きていって欲しいと願った。


 その願いは――


「誇りです」


 叶っていたのだ。自分の犯した罪では穢れない輝きを持って生まれている娘だと。


 それが母の最期の言葉となった。



≪つづく≫

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