第103話 1993年火神恭弥の過去 —俺の人生は俺が決めるッ!―

 春と言えば出会いの季節――。


 新たな出会いは終わりを見せることはない。


「晴夫ひゃん! なんであんなに殴リュんですか!?」


 顔面がボコボコに腫れあがった火神と一緒に、


「お前が俺様に立てつく習性が治ってないからだ」


 晴夫とオロチは晴夫の家を目指して歩いていた。


「まぁ一年もなかなか歯応えがあってよかったが、俺達の敵じゃねぇな、晴夫」

「当たり前だ。ついこの間までピカピカピカチュウの輩に負けるわけがねぇ!」

「と言いながら、火神のヘッドバットでダウンしてたじゃねえの?」

「アレは油断したんだ!」

「いやいや、お前から殴りかかっておいてカウンター喰らったんだから油断も何もねぇだろう」

「くっ……ウルゥウウウ!」

「なんで僕を睨むんですか!?」


 あの後、二年と一年の抗争は晴夫とオロチの圧倒的なまでの暴力により二年生の圧勝で幕を閉じたのだ。もはや一年どもは紙細工の様に次々とやられ続け、人間ピラミッドのように積み上げられたのはいうまでもない。


 けして、一年生が弱いということではない。


 晴夫とオロチの二人が異常すぎるのである。


「それにしても火神がまさか足立工業高校に来るとはな。想いもしなかったぞ」

「大方、勉強大好きな振りしてバカなんだろう。何度言っても俺様に立てつく学習能力の低さからにじみ出ているバカさは隠し切れない」 

「晴夫さんと一緒にしないでください!」

「……そういうところだ……火神」

「またかッ!」

「待てコラ、火神!」

「また始まったか……」


 追いかけっこをする二人見ながらオロチは小さくため息をついたが、


 その表情は懐かしさを込めた笑みをだった。






 火神が足立工業高校への入学するための条件だったのは、


 第一志望をトップ合格すること。


 火神の中での第一志望は足立工業高校だったが、


 決してそれで親を納得させたわけではない。


 彼は実力を示すことで自分のレールを勝ち取った。


『恭弥ちゃん……合否結果が届いてるわよ!』

『見せて!』


 母親から分厚い茶封筒を受け取りはさみで上を切り取っていく。


 封筒が厚いことで合格していることは凡そ予測できた。問題はそこからである。中に何か他のものにない書類があるかどうかである。テーブルの上に茶封筒からひとつひとつ中身を置いていく。


『これじゃない……これでもない……』

『恭弥ちゃん、合格って書いてあるわよ! 合格って! やったわね!』

『それじゃダメなんだ!』


 合格通知見つけた母親が喜ぶのを置き去りにして必死に目を、手を、動かして確認していく。合格通知書、学校のパンフレット、入学金の振り込み用紙。結果が伴わなければ意味がない。


 だからこそ、火神は焦っていた。


 自己採点でも問題はなかった。だが結果が確定されたものではない。


 幾人もの中のトップであることを証明するための証跡が欲しい。


『あった!』

『恭弥ちゃん……すごいわ! 特待生なんて、すごい、スゴイ!』


 ハンカチを片手に涙ぐむ母親など目にも入らない。


『やったわね……恭弥ちゃんあんなに頑張ったんですものね……』


 特待生の申請書。そこに書かれた数字。発行されたナンバーで順位がわかる。


 あいうえお順ではなく、それは合計点数が一番上のものから発行されていく。


 そこに刻まれた、


『ヨシ!!』


 という数字が何よりの彼の証である。


 結果を前に紙をつまむ指に力が入るが折れないように気を付けて震えている。


 残った手で強く、力強く、拳を作り振り下ろした。


 興奮した状態から呼吸を落ち着かせていく火神。


 まだ全てが終わったわけではない。


 この証が在って始めて勝負の土俵に上がれることを彼は理解していた。


 その勝負は時を待たずにすぐにやってきた。


 ホテルの最上階のレストランが彼の決戦の舞台である。


 いくつもの高級料理が並べられるテーブルの向かいに、


『恭弥、関東随一の難関校に特待生で合格したようだな』


 相手が笑みを浮かべて称賛を贈る。


『父さんも鼻が高いぞ。恭弥、よくやった』

『父さん、約束は……覚えてる?』

『トップで合格するというやつだよな』

『そうだよ……』


 火神はスーツのポケットからその証を取り出した。


『お前、こんなところまでそんなものを持ってきてたのか。まったく』


 父親は息子が出した特待生の申込用紙を鼻で笑う。


 勘違いをしていたから。それが合格の喜びを表した行動だと。


 彼の目が鋭くなっていることにも、


 決意がみなぎっていることにすらも気づかずに。


『お父さん、ここの数字を見て欲しいんだ』

『1しかないが……それがなんだ?』

『あそこの高校の特待生の申請書にある発行ナンバーは、取得点数順で決まるんだ』

『点数順……ということは!?』


 父親もことの凄さにようやく気付いた。


 そこで火神は一息深呼吸をする。


 ようやく相手を舞台に立たせるまでに至った。


 その為に勉学に全てを捧げて晴夫とオロチにも合わずに取り組んできた。ここからが正念場だと火神は直感で理解している。静かに胸を二回叩き話を切り出した。


 ――ココに従えと。


『父さん、僕は約束通りトップ合格をした……』

『あぁ……お前はスゴイよ、恭弥』

『父さんは僕との約束を覚えてる?』

『覚えてるよ、お願いを聞いて欲しいってやつだろう』


 父はまだ勝負の場にいることに気づいていない。


 むしろ、気づいていないというより自覚をしていない。


 自分の息子の要求に対して高を括っている。


 言われたとおりに自分のいうレールを沿って歩く程度の息子だと。


『僕の願いは――――』


 ニヤついている父親に対して火神は神妙な面持ちで構える。


 彼の本題を切り出す時である。


 それはいままでの関係からは発生しなかった事柄。


 それでもここまで執念を燃やして取り組めたのもそれがあったからだ。


『行きたい高校があるからそこに行くよ』


 ――恐れを捨てろ……迷いを払え……心に従え


『……何を言っているんだ、恭弥……』


 明らかに空気が張り詰めた。


 志望校を決めたのはそもそもが父親だ。


 いいなりの傀儡が反乱を起こそうとしている。


 そんなことを許すわけがない。


 交渉というものであればビジネスの中でわかっている。如何に優位性を保つかということ。ましてやそれが以前の火神が相手であれば赤子の手を捻るようなもの。静かに威圧を送ればいい。


 そうすれば息子は何も言えずに黙り込むとわかっている。


 鋭い眼つきは父親譲りであり、その似た眼光が自分を睨みつける。


 だが、火神は以前とは違う。


 どれだけ睨まれようとも凄まれようとも引く気はない。


 額に銃口を突き付けられたことに比べれば、


 視線などどうということはないと心を保つ。


『行く高校は僕が決めると言ったんだ』

『お前……何を言っているのかわかっているのかっ?』


 今日は火神の合格祝いであり、母親も同席をしている。


『ちょ、ちょっと、二人とも…………!』


 にらみ合う親子の間で話についていけずにおどおどすることしかできない。


 それほどに二人の気迫がぶつかりあっている。


『まぁ、約束は約束だ……で、どこの高校へ行く気だ?』

『足立工業高校』


 わずかばかりの譲歩を見せたフリだった。


 どこが出てこようと、


 自分が選んだ学校を理詰めで話せば丸め込めると思っていた。


『……恭弥、ふざけるのもそこまでにしとけ。いい加減にしないと父さんもキレるぞ………』


 だが、こともあろうに出てきたのは耳にしたことすらないような学校名。


 これには頭が沸騰するような怒りを覚える。暴挙も暴挙。


『ふざけてない。もう入学手続きも済ませてきたから……』

『何を言っているんだ! 入学手続きと金はどうした!?』

『貯金を使えば大した額じゃないよ。二十万もいかない金額なら僕でも払える。おまけに特待生制度もあるから学費もかかることはないと思うよ。お金の面で父さんたちに頼ることはない』


 父の目が見開く。息子の言い分に唖然とする他ない。


 バカげている。どれだけの努力をしてトップ合格を果たしたのか。


 そのすべてを水泡に帰すようなバカげた行動。


 理論も理屈もない。単なるわがままとしかいいようがない。


 しかし、火神はこれを提示できたことでどこか吹っ切れている。


 目的を伝えることに成功している。


 さらに金銭的援助による後ろめたさも全て自分の力で解決した。


 何一つ媚びることなどない。


 自分の心のままに動くために彼は努力してきた。何物にも縛られぬ背中を追いかけるために、必死にやってきた。高校の入学手続きから制服の手配まで中学三年生でありながら親の力を借りずに貫き通した計画。


『何を考えて、誰の許可を得てそんなことをしている、恭弥ッ!!』


 テーブルに当たりながらも力強く立ち上がり息子の胸倉を強く掴んだ。


 怒声が静かなレストランに響き渡り、


 揺れるテーブルの上で食器が悲鳴を立てる。


『…………』


 それでも火神恭弥は動じない。


 なぜなら予めこうなることは予測できていた。父親が激昂することなど。


 そして、勝負だということも。


 ――絶対に引かないッ!!


『父さん……約束は約束だ………』


 ここで引いてはいけないということも、火神恭弥はわかっている。


『僕がトップ合格をしたら願いをひとつ聞いてくれると言った約束だ!』

『こんなふざけた願いがあるかッ! 何を考えてお前はこんなことをしている!!』

『二人とも……ヤメテ! 何をやっているの!』


 母親が周りの痛い視線を感じ取り止めに入るも


『お前は――』


『母さんは――』



『『黙ってろ!』』


 二人からの怒号に遮られる。テーブルに顔をうずめ泣き出す他ない。


 テーブルをはさみ立ち上がりにらみ合う親子に全ての視線が集中している。


『恭弥、今なら……まだ許してやる。考えを改めなさい………ッ』

『許される必要なんてないし、改めるつもりもない』

『駄々をこねるのもいい加減にしろよ……恭弥ッ!!』

『駄々をこねているのはどっちだよッ!』


 お互い一歩も譲る気も無い。


 だが、ようやくお互いが同じ土俵に乗って勝負をしている。


 ここまで引かずに来た火神が掴んだ勝負の場。


 いままで父に対して不戦敗を繰り返してきた。


 従い、決められ、飼われるように生きてきた。


 あの二人と出会うまでは――。


『父さんがもし約束を破るというなら僕が言いつけを守る必要もない!』


 心のままに抗う。何者にも従わない。


『貴方との約束は意味がないものだから!』


 吠えて暴れまわる。その背中を見てきたから、


『僕は父さんの思い通りにはならない!』


 その背中に憧れて追い続けたいと思っているのだから。


『アンタは僕に言った! 成功するものは失敗しないと!』


 その心を否定することを自分が許さない。


 何度となく押し殺して息を殺した。


『だったら、僕がここで貴方に負けるのは僕にとって失敗だ!』


 やりがいもなく敷かれたレールを歩くことに息疲れて溺れかけた。


『もし、ここで貴方に負けたら成功者になれないッ!!』


 口調は粗さが目立つ。それは獣の声に近く荒れ狂う。


 敷かれたレールの先にあるゴールが見えていたとしても、


 それが歩きづらい荒野であるとしても、構わない。


 行先を見失ったのではない。


『アンタの敷いたレールは確かに間違いがないように見えていたよ……』


 目指すべき場所を自分で決めたのだから、引くわけにはいかない。




『けど、それはおもしろくない道だッ!』




 あの男達は言った。面白ければそれでいいと。


 今を生きている男達は確かに言った。


『アンタの人生じゃない! 俺の人生なんだ!』


 どこへでも行けると――。


『俺の人生はアンタに決めて貰う必要はない――』


 ただ心のままに生きていけと――






『俺の人生は俺が決めるッ!』




 言葉を挟ませない熱の籠った言葉に表情を変えずに胸倉を掴んで睨みつける。


 それに睨み返す男。


 視線がぶつかり合ったままお互いに譲らぬ意志を目に込めて相手に送る。


 それにしびれを先に切らしたのは、


『わかった、俺の負けだ……』


 そっと掴んでいた胸倉を離し




『お前の勝ちだ――――恭弥』




 席にゆっくりと着いた。


『父さん……』


『とりあえず、すぐに店を出るぞ』


 父は何事もなかったように鞄を手に持ち、


 店の外へと母親の腕を掴んで出ていった。


 興奮状態から解放された火神だったがまだ勝ったという感覚が、


 追いついていない。


 父親の態度があまりに素っ気ないのがわからない。


 家族そろってホテルを出てタクシーを捕まえて助手席に母親を乗せるが、


『西新井栄町1丁目の――まで』

『は……ハイ』


 しくしく泣いてるせいで運転手は何事かと言わんばかりに目を細めていた。


 後部座席に座る父親と火神。


 火神としては勝利を得たあとだが、どこか居心地が悪い。


 父が何を考えているのかがまったく読めない。


 だが、ここで弱さを見せることは勝利を揺るがしかねないと思い、


 顔を合わせないようにして下を向いていた。


『ふん……ふっ、ふふ』


 緊迫した空気の中、その耳に届く小さな笑い声。


 それは自分の横から聞こえてくる。思わず顔を上げて父親を見た。


 窓の外を眺めながらどこか笑っている。


『まさかな……こんなことになるなんてな…………』

『………………』

『恭弥』


 何を考えているかわからない父の笑っている顔を見て火神は問いかける。


『なに……?』

『オマエ、変わったな』

『えっ』

『まさか息子にあんな啖呵を切られる日が来るとはな……父さん、ビックリしたよ』

『父さん……?』


 父が何を言っているのかわからないがそれはけして威圧ではないということだけは柔和な雰囲気から感じ取れる。どう処理していいのか火神の想定にはない展開だった。


『お前と俺は違う。確かにお前の人生だ』

『…………』


 自分の想像していた、今まで知っていた、父親とは違うように見える。


 自分を認めてくれたということは理解できたが、


『お前が思う通り好きにやってみろ』

『父さん……っ』


 ここまで優しい表情の父の顔を今までみたことがなかった。


 それは息子の成長を喜ぶ父の顔。


 変えようと必死にもがき苦しんでぶつかったからこそ、


 引き出せた初めて見る父の表情に涙がこみ上げる。


『頑張るよ……頑張るからっ』

『恭弥、あれだけ威勢のいいこと言ったんだ。男だったら』


 頭を優しく撫でられ揺れる瞳から雫が零れ落ちた。


『やりきらないと恰好つかないからな!』


 父の期待が、優しさが、変われたことが嬉しかったから。


 自然とそれは溢れだした。


 父が自分を一人の男として認めてくれたことが何より嬉しかったから。


 泣いてしまった。



 

 そして――


 今、現在に至る。


「おう、着いた着いた」

「久しぶりです……」


 懐かしの場所に目を輝かせて火神は立っていた。


 ――あぁ…………懐かしいなー。


 自分が立っていたいと思える場所にいま立っている。


 ――やっと……帰ってきた。


 思い出の場所である自動車整備工場跡地に。


「夏以来です……オロチさん、晴夫さん! お邪魔しまーす!!」

「テメェ、だから言ってんだろう! 晴夫様とオロチだって!!」

「相も変わらずちっちゃいねぇー、晴夫は……」

「おかえりなさい」


 火神達を出迎える声。火神はきょとんとする。


 ――だれ…………?


 聞き覚えの無い声。それは男の声色。


「おう、ただいま。そういえば火神はコイツに会うのは初めてか」

「……誰ですか?」

「火神がいなくなった後だったな、そういえば」


 仲良さそうに晴夫とオロチがその男の肩に手を回してこちらを向いてくる。


 ――えっ……僕がいない間に?


 火神の中で湧き上がる嫌悪に近い感情。


「いやー、コイツおもしれぇんだよ。なんせ俺様と同じで住所不定、出生不明」

「おまけに喧嘩つえぇし。俺らがあった時、いきなり五体一でぼこぼこにしてたからな」

「あれは、その不可抗力でッ!」

「……………」


 ――なんだ……コイツ?


 慌てる男を前に火神の表情が歪んでいく。


「何恥ずかしがってんだよ、俺らの仲だろ?」

「ちょっと、晴夫さん、オロチさん!」

「謙遜するなよー、お前が強いのは知ってるから」


 自分の知らぬ間に立っていたいと思う場所に異物が紛れ込んでいる。


 必死に場所を勝ち取ろうと勉強している間に、


 ――コソ泥ッ!?


 トンビがあげをかっさらうようにそれはソコに入り込んでいた。


「ちなみにコイツは俺といまここに一緒に住んでるから」

「どうした、火神? 挨拶しろよ」


 ――住んでるゥウウウッ!?


 確実に芽生えた対抗心。それは嫉妬だった。


 気の弱そうな男がいつの間にか、


 自分の立ち位置に割り込んでいることに、


 怒りの感情を露わにしてその男の手を


「火神恭弥だ!」


 力いっぱい握り睨みつけて挨拶をかます。


「よろしく、どうぞッ!!」


 春が新しい出会いを運んできた。


 ――くぬぬぬぬぬぬぬぬッ!


 その男とは運命的な出会いだった。


 ――くぬぬぬぬぬぬぬぬッ!


 これから長い付き合いとなる、その男と。


「あっ……どうも――」


 ――ぜんぜん………痛くなそうッ!?!


 男は火神の渾身の力で握られながらも平然として挨拶を返す。


 涼し気な顔で好青年は返す。




銀翔衛ぎんしょうまもるです――どうぞ、よろしく」




 銀髪の優男――後のブラックユーモラスのNo.1である。



「火神くん」



≪つづく≫

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