第101話 1993年火神恭弥の過去 —二人だけの秘密―
「火神君……あのあと大丈夫だった?」
「うん、大丈夫だよ」
あれから二日が経った。
塾の自習室で一日置いて再開した心配する南に火神は何事もなかったように隣の机に座り鞄から勉強道具を出し始める。南は少し頬膨らませご立腹といった感じだがそれに気づかず平然とする。
一日休んだことで余計な心配を膨らませていた南だけに、
「心配して損した……」
そんな火神の反応が気に食わない。
「ん?」
「なんでもない!」
自分の心に気づかぬ鈍い火神に怒って見せる南。
だが、火神はそれに微笑んでいつも通り学習を開始する。
あれ以来妙に何かスッキリしていた。悩んでいたことが全て解決し、
やることが決まったからである。
そんな火神を横目にチラチラと見ながら南も同じように学習に取り組むがあの後どうなったのかがとても気になる。晴夫と牛窪のタイマンの行方を知らない。さぞやすごかったのだろうとか、不良の世界ってやつにちょっと憧れがあるものの火神は気づいてくれない。
――火神くぅーん!
段々見る目も睨みに近いものを表していたが、
――気づいてよッ!!
当の本人はどこ吹く風と言わんばかりに集中していた。
「ここにこれを代入して……そうか。こうやって解けばいいのか」
「……」
「ここに補助線を引いてAとDの面積を出して……それからBを引けばいいと」
「……はぁ~」
火神の周りに目もくれない集中力に南もとなりで集中して取り組むことにした。
今の火神に何をしても無駄だと諦めたからだ。
それでも時折、様子を伺うように火神の真剣な表情を横で見ては少し笑みを浮かべて学習に戻る。それは様子を伺っているものではなく、どこか雛鳥を見守る母鳥ような目に近かった。
少しづつ変わり始める火神を応援するようなそんなものだった。
「火神くん、もう八時だよ。帰ろう」
「あっ、うん」
夜になり一緒に返ろうと促したのにまたもや素っ気ない反応である。
この前の時とは大きな違いを感じつつも提案に乗ってくれているのだから怒りきれずにどこかやるせない。まるでこの間のテンパっていた人物とは同一人物とは思えない変わりようである。
姿形は何も変わっていないのに。どこか落ち着きと余裕を感じさせる。
――火神くん………変わったな。
母鳥としてはいつの間にか子供がすり替わっているような感覚である。
一日で我が子は大きく変わってしまったなどと思いながら、
天井を向いて考えてる南に、
「さぁ行こう」
「あっ、うん!」
微笑みながら優しく催促する火神であった。
ヤリチンオロチ先生が見たらさぞやたまげていたことであろう。
どう見ても火神じゃないと。
それは節々に出る、
夜道を二人で歩きながらもいつの間にか車道側に立つ火神。
意識的に車道側を歩いているが、それはあの夜に南が車道側に立っていて連れ去られたことを意識してのこと。女性を守るためという紳士的な行いとしては一緒だがモテるためにやっているわけでもないのにモテテクを使うチェリボーイ。
火神と並列に歩きながら、
「あの後は結局どうなったの?」
南は胸の内にあったのもを少しずつ吐き出していく。
「晴夫さんが勝ったよ。強かったなー、晴夫さん」
「どんな風にして勝ったの!?」
ようやく本題を聞きだせることに高鳴る南の鼓動。
うれしそうな顔をして横を歩く火神の方に下から顔をのぞかせている。
可愛らしい仕草だが、
それに気づかず火神は空を見上げ思い出しながらあの夜ことを語り始めた。
「色々あったんだけど……ドラム缶を殴りつけてソレを相手にぶつけた感じかな」
「ドラム缶をぶつけたのね!」
「そうそう、なんか滅茶苦茶重たそうなやつ!!」
「あー、すごい!!」
想像上では両手でウェイトリフティングのようにドラム缶を掲げて投げつける姿を浮かべて南は興奮を隠し切れない。まるでプロレスみたいな決着に胸を躍らせている。
実際は違うのだが特に火神がそれに気づくことも無い。
あくまで南の妄想なのだから――。
「ああ、いいなー、私も見たかったな!」
「えっ……」
ここでようやく鈍い火神も気づき始めた。
「もしかして……南さんって不良が好きなの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど! いや……そうでもあるんだけど……なんていうか!」
慌てふためきながらあーでもないこーでもないという南の姿を訝しげな眼で見つめながら火神はじっと答えを待っていた。ちょっと恥ずかしそうにしながらも南は火神に打ち分けることにした。
「あの……ほかの人にはナイショだよ。火神君だから言うんだからねッ!」
「ハ、ハイ!」
南の強い言い方にきお付けをして答えを待つ火神。
ここまで
南の変貌にペースをかき乱されて、
元のへなちょこ火神ちゃんに戻ってしまった。
「私はこう見えて……実は……ね」
「実は……なに?」
火神の脳裏に浮かぶ南が出すであろう色々な選択肢。
①実は私もこう見えて不良なの!
②実は私も不良になりたいの……
③実は不良の人と付き合いたいと思ってるの。悪い人ってなんかかっこいいじゃん!
④実はオロチさんのこと……私好きになっちゃったの。
はぐっ!
④まで考えたところで火神の胸が激痛を発する。
苦しそうに胸を押さえる。④のダメージがデカすぎる。
あの一瞬のやりとりですら女の子を手玉にしてしまいそうなフェロモンがオロチにはある。南に惚れているだけに火神ちゃんの胸はチクチクと針が心臓を刺しているような感覚である。
「笑わないで聞いてね……」
「笑わないよ……ぜったい」
④だった場合に笑えるわけがない。
おそらく見えない透明な血を吐血するだろう。答えを出し渋り頬染めていく南の姿に火神の直感が告げる。これはきっと④だと。間違いなく恋バナの予感である。
「ワイルドな感じの……ね」
「――!」
ワイルドと言ったらヤリチン先生しかいない!!
僕はあなたのせいで告白もしてにないのに、
二回も失恋するんですね、オロチさんぁあああ!!
心の中でオロチを非難し叫ぶ火神に南はようやく話を切り出した。
「漫画が好きなの!」
「へっ……」
南の突然の答えに戸惑いを見せる火神。
それとは対称的に好きな物を語る様に南のテンションは上がっていく。
「ビーバップハイスクールとか、ろくでなしブルースとか! 今日から俺はとかもすごっく面白いんだよ!!」
「あっ……うん」
「だよね……そういう反応だよね……女が不良漫画好きなんて……ね」
今となっては当たり前の様に思えるが、
この当時に女子が男性向けの漫画など読んでいることがめずらしく、
さらに言えば不良漫画を読んでる女子など希少種の他ない。
だからこそ、南はそれを他人に隠していたのだ。
だが、火神に打ち明けてみたところ鳩が豆鉄砲でも喰らったような反応の悪さに肩を落とすほかない。火神はというと④を予想していただけに虚をつかれ軽く頭に入っていない。まんが、まんが、まんが?と脳内で何度繰り返してもすんなり入ってこない。
「火神くんだったら……わかってくれそうだなと思ったんだけど……」
「わかるとは言えないけど……別にいいんじゃないかな? 女の子が不良漫画好きでも……何かダメなの?」
「そうだよね! 好きなものは好きなんだもんね、仕方がないよね!!」
「うん……そうだと……思うけど」
「あー、火神君ならきっとわかってくれると思ってた!」
「なんで?」
「だって火神君も不良の癖にアイドル好きでしょ♪」
「えっ……?」
南の会話にイマイチついてけてない火神ちゃん。
だが、これが火神ちゃんの平常運転である。
人との会話がうまくかみ合わないのはよくあること。
アイドル好きという部分はあっているが、不良という部分ではNoである。
しかし、晴夫とオロチと一緒に過ごしている時間はアイドルの事をすっかり忘れていた。興味が他のものに移ってしまった。遠くのアイドルより身近なアイドルである。それはアイドルとは程遠い二人だが、火神にとってはそっちのほうに興味が移ったという他ない。
南からすれば持ってる情報だけで考えている。
不良グループと絡みながらも火神の財布の中にアイドルのテレホンカードが入っている。それを知っているが故に火神と近しいものを感じていた。不良が清純派アイドルにうつつを抜かすなんてダサいことこの上ないと思っている。
南からしてみれば二人とも幼いこともあるが、
人に隠したくなるような趣味をお互いに抱えている、
禁忌を犯している仲間という意識。
「もう知ってるんだからね♪」
「あ……うん。そう、アイドルも好きだよ」
「私達同志だね!」
初めて秘密を共有できた南はうれしくて満面の笑みで火神の両手を握った。それがチェリボーイにトドメの一撃となる。もはや洗脳されるのに近い。出てくる言葉は鼻の穴を膨らました男の
「同志だよ……僕たち、同志!」
「そう、われらは同志!」
オウム返し。
何かもがどうでもよくなってしまうほどの幸福感。
――南……さん!!
好きな子にぎゅっと両手を握られて天にも昇る気持ちである。
なんと軽くチョロいチェリーさん。
恋愛経験が少ないが故に簡単に負けてしまう。
しかし、負けて満足チェリーボーイ。
南も同志を得られて満足した様子である。誰にも打ち明けられなかった秘密を共有できる相手を見つけた彼女も天にも昇る気持ちである。笑顔で見つめ合う二人だが、ふとした瞬間に南は気づく。
「あっ、ごめん!」
「えっ……」
自分が無意識に火神の手を両手でぎゅっと握っていたことに。
咄嗟に慌てて離され悲しい気持ちを味わう火神。
何か汚いものからそそくさと手を跳ねのけた様にも感じられる。恋愛に置いて若干卑屈なのはオロチのせいであるかもしれない。気まずい空気の中、歩きながら南が空気を変えようと話題を変えた。
「そういえば、火神くん高校はどこにいくの?」
「それは――」
火神の答えを聞いて南は驚いた表情を浮かべた。
火神は驚く南に照れくさそうに笑いながら頭を掻いている。
「そうなんだ……」
びっくりされるのも無理はないことを知っているから。
「うん、もう決めたから」
「うん、うん」
南は火神の答えに縦に二回頷いた。火神に迷いがないと感じたからそれは火神にとっての大事な決断なのだから、同志としてすることはひとつだった。
「頑張ってね、私は応援してるよ!」
「南さんに応援されるなら頑張るよ」
後押しをしてあげるだけ。
同志がまっすぐ歩けるように背中をそっと押してあげること。
「火神くんが私を驚かせたから、私も火神君を驚かすよー!」
「なに?」
「私ね、漫画家になりたいの! で、いつか日本最高峰の不良漫画を描くのが私の夢!」
突拍子もないカミングアウトである。火神にとって今日知る南はいままでの南とは全然別物である。けど、南という少女に惹かれる気持ちは変わらない。ちょっと変わっているがとても愛らしく愛おしい。
「漫画の練習してたら、成績落ちちゃって………てへへ」
「そうだったんだ………」
同じ時期に同じように成績を落とした同志。
「火神君も、これから頑張ってね! 期待しているから!」
「頑張るよ!」
それは少年が初めて知る恋だった。
――南さんが…………好きだ。
だからこそ、少年は好きな子に返す。
「南さんも頑張ってね、僕は南さんの夢を応援してるよ」
火神と南は二人だけの秘密を共有し、
「火神君が応援してくれるなら私も頑張るよ♪」
これからの時を過ごしていく二人で過ごしていく――
自分たちの夢に向けて。
≪つづく≫
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