第98話 1993年火神恭弥の過去 —何百回で無理なら何千回、何万回繰り返しゃできるかもしれないだろ?―

 体が勢いよく夜の空へと投げられる感覚に支配される。


 抵抗も何も意味がなくて、


 風が下から勢いよく僕を試す様に噴き上げてくる。


 死の恐怖で自然と――目を瞑った。


 なんと短い人生だったのだろう。


 たかだか十五年生きて終わる人生。勉強しかしてこなかった。


 勉強の苦しさを飲み込んで、


 勉強の苦しさに溺れて、


 耐えて耐えて耐えて耐えて、


 いつか幸せになれるって思い込んで、




 けど、そのいつかは、きっと、もう来なくて――


『このミカンが、お前だ。これからどうなるかよく見てろ』


 グシャっと重圧に耐えきれずに潰れたミカンがボクだ。


 成すがままに投げられ風に負けて、


 目的地へ着地できずに耐えられず潰れてしまう。


 あー、どっちにしろいつか終わる人生だ……。


 いつか、潰れしまう未来だったんだ。


 なら、別にそれが早まろうがどうってことないか――。


 諦め半ばでやる気のない心の声で辞世の句を読み上げる。


 あー、さよなら人生。


 あー、さよならボク。


 ごめんよ、母さん、ごめんね、父さん。


 さよなら言えぬ、僕の青春どこいった? 





「「――――カガミ」」




 僕を呼ぶ声がする。


 その声はどこかにやけている。


 その声の持ち主二人のせいで僕は死ぬんだ。


 道連れにして、やったのになんで楽しそうな声をしているんだろう。


 本当にこの二人と出会ってから碌なことがない。


 すぐに殴られるし、いつもイタズラをしてくるし、


 からかって遊んでくるし。


 やられぱなっしっていうのも癪だから最後に巻き込んでみたけど怒ってないかな。まぁ僕も巻き込まれて散々ひどい目にあっているのだからお互い様か。


「「オイッ――――」」


 うるさいな……


 死ぬ最後ぐらい僕の好きにさせてよ。


 本当勝手だよ、アンタらは。


 好き勝手生きてきて満足してんだろう。


 心から笑って好き放題暴れて、やりたくないことから逃げて、


 また笑う。そんな人達だろう、あんた達は。


 知ってる――


 ボクは知ってるよ――


 羨ましいと思えたんだ。


 教室の机で苦しそうに勉強する僕とは違ってふざけているのに全然僕より幸せそうにする貴方たちが。勉強しないと大変なことになるって分かっているのに。道を間違っていると分かっているのになんでそんなに満足そうに笑うんだよ。


 ズルいだろう、そんなの……


 どうして、毎日くだらないことでそんなに笑っているんだよ……。


 アレ――?


 走馬灯の一種のようなものだろうか。


 ――どうして……?


 ふいに思い浮かんだのは二人といる自分だった。


 ――笑っている?


 まるで自分を上空から眺めるようにして見ている。


 二人と一緒にいるもう一人の僕の姿が見える。


 ――あんな顔して笑っていたんだ……


 晴夫さんにヘッドロックを決められている。


 それを見てオロチさんが少しにやけていて、


 ――笑えていたんだ…………。


 晴夫さんもどこか笑っている。


 そして僕もどこか痛がりながらも口元を緩めて――


 ――僕はあんな顔で笑えていたんだ…… 。


 笑っている。




「「オイ、火神!」」



 二人の僕を呼ぶ声に反応してゆっくり風に抵抗して瞼を開けていく。


 広がっていく視界。


 見える――


 吹きすさぶ風に髪を押さえながら僕の前で二人の不良は笑っている。


 恐怖など何も感じさせずに気持ちよさそうに笑っている。


 まるで、ついてこいと言ってるように――。


 前を行く背中に自然と手を伸ばしていた。


 ――二人に…………


 届けと願いながら。


 ――届け!!


 何物にも縛られない暴力の塊を掴めと。


「「見ろよ」」


 目が開ききる。ただ感動する声が自分の喉を揺らす。


「おわぁあ――」


 三人しか居ない夜空の中に大きく広がる明かり。


 星明りが見劣りするほどに、


 一番大きく全てを包み込むような優しい光を発する。


『もしさ、俺がこの右手を閉じたら――』


 ――届け……届けっ。


 引き寄せられるように手を伸ばす。


 ――届け……届けっ。


 届けと願いながら。


 二人の背中を追い越すように手をめいいっぱい広げて。


 ――届け……届けっ。


 死の恐怖など生きてきた後悔など忘れて、


 ――届け……届けっ!!


 ただ真っすぐにそこにあるものを掴もうと願い右手を暗闇に突き出した。


『月を掴めると思うか?』

『思わないっすよ』


 常識では無理だとしても、普通では無理だとしも、


 願わずにはいられなかった。


『何百回やっても無理ですよ』

『何百回で無理なら何千回、何万回繰り返しゃできるかもしれないだろ?』


 ――その一回がくるかもしれない……。


 この瞬間しかないと思えたから。


 どこかの暴力しかない男が言った言葉にそそのかされたのかもしれない。


 ――届いてくれ………届いてッ!


 それでも、掴むなら今しかないと本能が言っている。


 ——今なら、届くかもしれないからッ!!


 ただただ、届けと強く願えと――。





「届っけェエエエエエエエエエエエエエエ!!」




 手を限界まで伸ばしながら気づいたら叫んでいた。


 あの月を掴めば何かが変わる気がして、


 これからが変わる気がして、願いが叶うような気がして、


 一生懸命に手を伸ばし続けた。


 ――落ちる………っ。


 体は重力に引っ張られて下に落ちていく。


 目を閉じずにその目標に向かって届かぬ思いを、


 ――お願いだ………よ。


 力に手を伸ばし続けたまま僕はプールに落ちた。


 ――届い…………て。


 叩きつけられる体の痛みなど感じない。


 ただ月を掴みたいと願うことに夢中だったから。


 明かりがただよう水面が上に見える世界で僕は静かに、そっと両手を閉じる。


 零さないように、崩さないように、無くさないように。



◆ ◆ ◆ ◆



「ぷはッ!!」

「いってぇえええ!」

「足がぁあああ!」

「見てください、晴夫さん、オロチさん!!」


 痛がる二人を呼びながら火神は両手を閉じたまま二人のところに歩いていった。プールの中で軽くなった重力を感じながら飛びながら水をかき分けて近づいていく。


「掴めましたよ……掴めたんです!」


 何やら興奮したようにびしょびしょに濡れている火神が二人に叫ぶ。


「「なんだ……?」」



 二人が訝し気にしているところに、


「出来たんです……僕にも出来たんです………っ」


 火神は大事そうに閉じていた両手を広げる。


 ソレを見せるために――。


「おぉー、火神……」


 晴夫はその綺麗なものを見て声を漏らし、


 火神を優しい目で見つめた。


 それは火神が見つけた答えなのだろうと。


「やりゃ出来んじゃねぇか。無理じゃなかったろう」


 あの時の自分に対する答えなのだと。


 だからこそ、やっと掴めたなと弟を愛でる兄のように優しい眼で見つめて、


 火神を称える。


「ハイ!」


 晴夫は瞬時に理解したが、


「………………」


 オロチは置いてけぼりになりながらも火神の両手を見つめる。


 ――これが………どうした?


 分からないけど、火神があまりにいい笑顔していたから、


 ――まぁ、いっか。綺麗なもんだし。


 それが何か大事なことなのだと理解しながら、見つめる。


 火神の両手に掬われた水に浮かび上がる――


 綺麗な満月を。


 両手にいっぱいに広がる満たされた月を、


 三人はただ優しく見つめていた。



≪つづく≫

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