第99話 1993年火神恭弥の過去 —成功するものは―

 それは彼が生まれてきて初めての事だった――


「こんな時間まで何をやってたの! 恭弥ちゃん!!」

「友達と遊んでたんだ………」


 夜通し騒いで朝に玄関を開けたら母親が飛んで出てきた。


「友達って何を言ってるの!? 朝までどこをほっつき歩いてたの!!」

「……」


 息子の姿を見るや怒声を浴びせかける。


 とこどころ乾ききっていない服と寝不足気味の目。


 中学生でおまけに有名進学校に通う真面目な息子が、


 見違えるような姿で帰ってきた。


「中学生が朝帰りなんて聞いたことないわよ! 一体何をしていたの!?」

「……」


 母親は烈火のごとく怒り狂いガミガミまくしたてる。


 それを聞いてる火神はと言えば昨日からの疲れがどっと出て、


 左耳から右耳へ通り抜けている。


 テンションが上がっている最中は気づかなかったがココに来て疲労がピークを越していた。火神が生きてきた中で一番の疲労だった。何を言われようと動じる様子もない。


 ただただ疲れに飲まれていきふらふらとしながら立ってるのがやっとである。


「何か答えなさい!!」

「ねむい……」

「ふざけないでッ!!」


 怒りが爆発すると同時に頬を平手で打たれパンと乾いた音がなった。


 母親がはっと気づいたがもう後の祭りである。


 息子を殴るなんてことはいままで一度もなかった。


 よくできたいうことを聞く息子。


 怒る機会など勉強の成績が落ちたとき以外にない。それでも彼が反抗することは一度としてなかった。だがその目が睨みつけている、自分を。


 見たことも無いような、反抗的な眼差しで――


 その威圧に負け一歩下がる母の横を何事もなかったように、火神は通り抜けてリビングに向かいそして受話器を取る。母親は気を取り直して慌ててリビングへと追いかけた。


「ちょっと、どこにかけてるの!」

「父さんのところ」

「な、なにをするつもりなの!」

「母さん、ちょっと黙ってて!!」


 父親に電話すると聞き気が気でなかったが突然の怒声に母親は尻もちをついた。


 いままで声を荒らげることなど一度としてなかった。


 反抗的な目をすることも無かった。


 自分に従順だった者が威圧をかけてくる。


 朝帰りだけでもパニック状態に近いのに追い打ちをかける息子の反抗に、もはや怖気おじけづいて座り込み涙を浮かべている。コール音が鳴り響く室内で火神はその時が来るまで静かに目を瞑った。


『はい、火神ですが』

「父さん、恭弥です」


 火神が朝早くに電話したところは父の職場だった。


『なんだ、恭弥か。どうした、そっちはまだ朝早いだろ?』

「ちょっと話したいことがあって」

『話って、なんだ?』


 母親はその言葉にゴクッと喉をならした。


 自分が頬を叩いたことを告げ口でもするのではなかろうかと。


 何よりも夫の反応を気にする妻としては気が気ではない。


 出来れば受話器を奪い取ってしまいたいが、


 今日の息子はどこか雰囲気が違う。


 今までの知っている息子とは何かが違う。


 目つきが鋭くなっているように感じる。


 国外にいる父親はそんなことなど知らずいつもと変わらない息子に接するように電話越しで会話を交わしている。その相手が小さな決意を胸にしていることも知らずに。


「もし、僕が第一志望で全合格者の中で一番の点数を取ったら、お願いをひとつ聞いて欲しいんだ」

『一番だと……?』


 息子は勝負事を好む性格でないと知ってるが故に疑問が生じた。


「うん、トップ合格」

『トップ合格か……』

 

 父親は言葉を溜めた。


 まさかの息子の口からトップなどという言葉がすらりと迷いも無く出てくるとは思いもしなかった。だからこそ受話器の向こうで口元を歪めこみ上げる笑みを押し殺す。


『あぁ、わかった』


 父親が出す答えは決まっていた。


『約束しよう。もしトップで合格したらお前のお願いをなんでも聞いてやる』

「ありがとう」


 父親としては息子のお願いなど大したものではないと思っている。彼がするお願いを想像することすら到底無理だった。何か高価で手が届かないような欲しいものがあってそれをねだられるぐらいにしか思っていない。


 お金に余裕などいくらでもある親からすれば、


 息子の成長と比べれば安いもの。


 それが跡継ぎであるなら、ひとしお感慨深いもの。


「そういえば、成功するものはって父さん前にタクシーで言ってたよね」

『あぁ、そんな話をしたな』


 つい最近の出来事だけに、


 二人とも鮮明に覚えている。あの夜タクシーで交わした言葉を。


「父さんは失敗しない人間が成功をする。成功しないものは、必ずどこかで失敗をしているって言ったけどさ」

『あぁ、そうだ。成功するものは失敗などしない』


 知っている、あの男達がいるということを。


 父親の言葉は絶対ではないということを。


『僕はそれ以外もあると思う」

『それ以外?』


 父に対して意見を息子が述べるなどこれもまためずらしいことである。


 思わず聞き返してしまうほどに。それは初めての事だった。


「失敗しているのに、失敗していることに気づかないままで」


 火神は知っている。レールから外れ失敗の道を歩んでいるのにもかかわらず気持ちよさそうに笑う男達を。失敗していると見ればわかっても彼ら自身はまるで気づいていない。


「成功した者も、」


 けどその背中は頼もしく見えた。


 あの男達は何かを感じさせるものがある。期待できる何かがある。


「失敗していない成功者になるよ」


 その二人が成功しないもので終わるなど考えられなかった。


 自分が憧れている男達を。


『おもしろいことを言うな、恭弥。なんかいつものお前らしくないなー、少し頼もしくなったんじゃないか?』

「命がけの夜を超えたからかな………」



 受話器の向こうで父が盛大に笑っている声が聞こえた。


『命がけって、お前――クク』


 冗談に取られているということは分かっている。


 ただ火神は静かに笑みを浮かべる。


 それは忘れもしない非日常。


 彼が生きてきた人生で一番必死に叫んで喚いて暴れまわって、

 

 そして――


 笑った、夜だったのだから。


「じゃあね、お父さん」

『次に会える時を楽しみにしてるよ、恭弥♪』


 受話器をそっと戻して、


 火神は尻もちをついたままの母親を見下ろした。


「母さん、叩いてくれてありがとう。おかげで目が覚めたよ」

「恭弥ちゃん……」


 電話での会話は聞こえていた。トップ合格を取ると宣言する息子。


 そして、自分が叱ったことにより


「恭弥ちゃんッ!!」


 それが功を奏したのだと思い、感極まってしまう。


 雨降って地固まる。自分が息子を導いたと思い込んでいる。


 火神の目にも水が溜まっているが、感極まってとかそういうものではない。


 ――眠い…………。


「母さん、疲れてるからちょっと寝てくるね…………」

「勉強は明日から頑張りなさい。今日は塾にお休みって連絡入れておくから、ぐっすり休んで!!」

「ありがとう……」


 勘違いする母親と父親を他所に彼の想いは静かに決まっていた。



 疲れ切った体でベッドに倒れ込み、胸を二階叩いた。


「ココに」


 その場所は晴夫とオロチ、二人に叩かれた場所。


「従うよ…………」


 その熱を抱え込んだまま彼は眠りについた。


≪つづく≫

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