第87話 1993年火神恭弥の過去 —死神との邂逅―

「おっせぇなー、晴夫のやつ」


 足立警察署の玄関先でオロチは人を待っていた。


 辺りは薄暗く街灯の下でタバコをふかして缶コーヒー灰皿がわりにする。


 夏の虫が熱と光に吸い寄せられるように、


 周りに飛び回って影をちらつかせていた。


 警察署のドアが開き、警官と市民が言い合いをしている。


「次こそとっ捕まえてやるからな! 覚悟しとけよ、涼宮!!」

「うるせぇッ! 冤罪かましといてその言い草はおかしいだろう!?」


 警官に中指を立て歩いてくる不貞腐れた晴夫。


「二度と来るか、こんな豚箱!!」


 晴夫が近づくとオロチはタバコを缶コーヒーにこすり付け、


 立ち上がって近づいていった。


「とうとうお前も捕まっちまったっか」

「…………っ」


 ニヤニヤとするオロチに対して晴夫は不満そうな顔を返す。


「ところで、晴夫、いったいどんな悪事を働いたんだ?」

「捕まってねぇし」

「どうしたどうした、そんな不機嫌な顔して?」


 何か落ち込んでいる晴夫の肩にオロチは軽いノリで腕を回す。


「よほど間抜けな捕まりかたでもしたのか?」

「オロチ、一応友達として忠告しておく」


 晴夫は歩みを止め捕まった時のことを思い出し、鼻から息を吸い込んだ。


 納得がいかないといったような雰囲気をオロチも感じ取り、


「なんだよ……?」


 おちゃらけた態度をやめ肩から腕をどけて歩みを止める。



「白髪の殺人鬼に気を付けろ――」



「はぁ? 何言ってんだ?」


 真剣に聞こうとしたからこそそのフレーズにオロチは呆れた態度を見せる。


 だが、晴夫の表情はいつになく真剣に物語っている。


 それを踏まえてオロチは言葉を続けた。


「なんだよ……足立区で連続殺人なんて聞いてねぇぞ?」

「そういう意味じゃねぇ」

「じゃあ、どういう意味なんだ?」


 晴夫は先程の警察所に眼を向けた。そこに全ての答えがあると。


「警察に人殺しが紛れ込んでる。それもかなりヤバ目のヤツが」

「おいおい、マジで何言ってんだよ、晴夫?」


 悔しそうに見つめる目線にオロチも警察署を見るがすぐに晴夫に向き直る。


「警察に殺人鬼がいるっていうのか? お前、おかしいぞ……本当アタマ大丈夫か?」

「冗談みたいな話かもしれないことはわかってる。オロチ、もし白髪の警官に会ったら抵抗するな。イイか、ゼッタイだ!! あれは普通じゃねぇ……生まれて初めて勝てねぇと思った………っ」


 晴夫という男は俺様至上主義。


 オロチはソイツが悔しそうにしているのが不気味でしょうがない。


「お前がそこまでいうってことは……本当にヤバいのかもな……」

「あぁ、あんなアブねぇ感じのやつには初めて会った……」


 思い起こす記憶が晴夫の表情を歪ませる。


「それに始める前から負けたと思ったのも初めてだった――」


 それにつられオロチも話半分ではあるが真剣にその言葉を受け取った。


 晴夫がいう――『白髪警官の殺人鬼』。


 警察にしょっ引かれた理由は最近ヤクザの仲介をとある未成年の不良グループがしているらしいという理由だった。少なからず晴夫達も足立工業高校をまとめ上げ、さらには学校外のメンバーも交えている足立区ではそれなりの大所帯の不良グループである。


 だからこそ、警察の標的となった。


『涼宮晴夫だな?』


 それは夕方前の出来事だった。警察三人が晴夫を囲んだ。


『だったら、なんだ? 俺様に何の用だよ?』

『ちょっと署まで来てもらおうか?』

『来いって言われていくほど人間出来てねぇよ……じゃあな!』


 走って逃走する晴夫を追いかける警察官たち。


『まっ、待て!』


 だが晴夫はいままで一度も警察につかまったことがない。


 それは野生の勘での回避もあるのだが、


 何よりその逃げっぷりは人間業ではなかった。


 垂直にそびえる3メートル近い高いへいを前に指を使って器用にトカゲのように登っていく。晴夫の握力は尋常ではない。林檎を握りつぶすなど当たり前の芸当。


 指二本で成人男性を投げ飛ばすほどの指の力。


 クライミングに必要な握力と身体バランスを備えているがゆえにその動きは野生そのものである。それには思わず警官たちも舌を巻き言葉を漏らす。


『森のゴリラみたいなやつだ……』


『誰がゴリラじゃいッ!』


 塀の上にしゃがんで中指を下に向かって突き立てながら、


 ——さてと、どこに逃げるかなっと。


 逃走経路を探すように首を辺りに回す晴夫。塀が他の家と繋がっている部分が多く公道を使うより早道になる経路がいくつもある。これで警察の追っ手をけるとしめしめと思った晴夫に届く声。


『人より握力が強いのか――』


 右腕を誰かに握られる感覚。


 ——なん…っ――


 その声は塀の上、自分の頭上の上から降り注ぐように聞こえた。


 ——さみぃ……!


 晴夫の背筋にぞくりと走る寒気。


 慌てて頭を上に向ける。


 ——殺される


 だが頭上には何もない。あるはずがない。


 真上を向き無防備な喉を、


 ゴクッと鳴らすと動いた筋肉に、


 何かがぶつかった。


『大人しく署まで付き合ってくれるかね』


 頸動脈に突き立てられる二本指の爪。


 ——なんだ、コレ。


 その時、涼宮晴夫は初めて恐怖を覚えた。


 ——コイツ……


 何よりも自分が強いと信じて疑わなかった彼の生涯で出会った規格外の男。


 ——ありえねぇ…………っ。


 見た目は明らかに弱い。弱さを纏っている。


 ——ジジィなんて、


 白髪が頭の七割を占めていて老いを感じさせている。


 ——とんでもねぇッ!?!


 だが、晴夫の直感が告げた。これは弱さを装っていると。


『アンタ……何者なにもんだ……っ』


 声をかけられるまで気配すら感じなかった。


 最初見た時に見逃していたのかすらもわからない。


 だが命を握られている感覚に早鐘を打つ鼓動。


『警官と言ったら信じてくれるかい?』


 僅かな沈黙をうむ。


 —―アレと一緒とか冗談キツイぜ……。


 下で騒ぐ輩と同等であるわけがないゆえに言葉を詰まらせる。


 ――警官じゃねぇだろ………ッ。


 だが勝てないと理解して頬を冷や汗が伝おうとも虚勢を張ることを忘れない。


『人殺しの………間違いじゃないのか?』

『中々に肝が据わってる』

『そりゃどうも………』

『先程の問いに当たらずとも遠からずだ』

 

 晴夫はその答えを聞き確信を持つ。


 人を殺したことがある鬼の気配っていうのはこういうものかと。


 そこからは成すがままに警察署に同行し事情聴取を受けて今に至る。


 だからこそオロチに警告を促した。


 敵に回してはいけない鬼がいると。


 その殺人鬼との出会いは――


 晴夫の人生にとって大きな分岐点となる。



「ったく、やっと捕まえたのに……涼宮は本当ふざけてる。住民票も無ければ戸籍情報も無いなんて」


 玄関で晴夫と言い合いをした警官と白髪の警官は話しながら署内の廊下を歩いていく。


「目が鋭いやつだったな……この時代にあんな目を出来るガキがいるとは」


 会話がどこか噛み合わない空気の中、何かを懐かしむように白髪の警官は天井を見上げながら歩いていく。


「まぁ、戸籍情報はこっちで作って置くしかなさそうっすね。次しょっぴいた時にちゃんと前科をつけてやらなきゃいけないですからね」

「あれを捕まえるのは骨が折れる」

「その時はまたお願いしますよ」


 白髪まじりの警官に向かって年下の警官は頭を下げながら彼の名を唱えた。


「――とき警視正けいしせい殿どの


 名前を呼ばれた男は静かに口元を緩めた。






 一方、家に向かって歩いていくオロチと晴夫のところにマスク姿で黒いパーカをきた男が一人待ち構えていた。風貌もわからぬ異様な格好をした男を前にオロチと晴夫が目を見合わせる。


「お前らが、足立工業あだこうのオロチと晴夫か?」


 挑発的な態度で晴夫の前にガニ股歩きで近づいてくるマスク野郎。


「もし、かわいい後輩を助けたかったら――」

「うるせぇ!」

「オバッ!!」


 マスクの上から突き破るように右こぶしを繰り出した晴夫。


 その威力で体が宙に浮き横に合ったドラム缶に頭を打ち付け気を失うマスクマン。じわじわと白いマスクが血の色に染まっていった。


 だが、その姿を気にせずオロチは晴夫に語り掛ける。


「おまッ!? このバカ、今なんか言いかけてだろう! 最後まで聞けよッ!!」

「いや、何かイラっとしたのもあるんだが……明らかに悪い奴の空気だったから殴っておいた。俺の勘もコイツは良くないやつと告げていたし」

「そうじゃなくて! コイツ、後輩がどうとか言ってなかったか!?」

「こう……はい!?」


 二人で慌てて失神して伸びているマスク野郎のところに駆け寄っていった。


「オイ、てめぇ何失神してんだ! 起きろ! 後輩って誰のことだッ!?」


 晴夫が両肩を掴んで大きく揺さぶり起こそうと働きかける。


「そんなじゃあ、起きねぇだろう! 代われ、晴夫!」

「おう!」

「寝てんじゃねぇえよ、オラ! 早く起きろやッ、コラ! お前はどこの誰だ、テメェッ!?」

「うわ……」

 

 失神している相手を叩き起こそうとするオロチの過激な行為にちょっと引く晴夫。自分に殴られ失神している男の腹に目掛けて連続でキックを放っている。


「おい……オロチ。多分、それじゃあ起きないっていうか……死ぬんじゃねぇか」

「どうすんだよ、晴夫!?」

「どうっすっか……」


 手がかりを見事に葬った二人は途方に暮れた。


 その後輩が火神を指しているとは二人が気づくのはまだ先の話である。




≪つづく≫

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