第88話 1993年火神恭弥の過去 —異常者との邂逅―

 足立署内の大会議室を使用して捜査が行われていた。


 ホワイトボードには薬物とヤクザの写真が貼られ、


足立工業あだこうの取り調べはどうでした?」

「収穫なし。涼宮を絞ってみたが何も情報が出てこない」


 関係図のその下にいくつかのステッカーが貼られていた。


「からっきしだ。薬を見せても反応をしやしなかった。あれが演技だったらアイツは最優秀主演男優賞ものだ」

「そうすっか、じゃあこれはとりあえず、ポイで」


 ホワイトボードから足立工業高校の校章が剥がされ端に追いやられる。


 ホワイトボードに残されたステッカーを、


 時正宗ときまさむねは腰を曲げて眺めている。


「時警視正殿、どうぞお座りください! 捜査はこちらでしときますので!!」


 慌てて椅子を引いてこまねく警官。


 相手は警視正とあらば未来の警視長まであり得る器、いち署員としては腰を低くして対応する他ない。上の階級から4つ目にあたり大規模な警察署の署長になることも可能な役職である。


 出された椅子に腰かけながらも写真を眺めていき薬の写真で手が止まった。


 指でトントンと何度も叩きつけるようにして、


 写真上のその白い粉を触り込み考え込んでいた。


 時の集中を妨げるようにその横で、


「おーい、捜査資料が抜けてるぞ!!」「すみません!」「交代しますよ」「あぁー疲れたわ……」「お疲れ様です」「これからストームスパイダ―の捜査にいくぞ」「ハイ、先輩!」


 足立区の署長が声を荒らげて課員にすぐにお茶を出すよう指示を出し、


「早く、警視正殿にお茶をださんかッ!!」「スミマセン!」


 出世を目論みながら手をモミモミして時におべっかを使い始めた。


「それにしてもわざわざ……本庁お勤めの警視正殿がたかだかマル暴の薬事件に参加されるなんて、大変お疲れでしょう?」

「仕事なので別に疲れはしませんよ」

「そうですか、随分実直な方ですな~」


 真剣に写真を見ている時におべっかを使う署長。

 

「これは未来の警視総監も夢ではないですな。この事件を解決して手柄をあげちゃいますよ。その暁にはぜひね……ね!」


 片目をウィンクしながら時にアピールするが写真の薬を叩きつけ目を凝らし続けていた。署長の出世アピールなどどうでもよく、時が動かなければいけない理由がこの薬にはあった。


 ――ゾンビパウダーか………。


 写真に写る薬は『ゾンビパウダー』と名付けられていた。


 ゾンビパウダーは飲めば三日不眠不休で動き続けられるといった代物で覚せい剤の一種である。その代償は高くつき薬が切れれば動くことすらままらない。


 そして、それは寿命を削りとっていく――。


 常用的に薬を服用しなければ呂律すら回らない状態の廃人となる。


 三年も服用すれば脳がスポンジのように溶かされ生命活動が終わる。


 一度飲めば、命を貪るその代償から薬に――




 屍人ゾンビと名付けられた薬物。




 もちろん法的にも認められる代物ではないが、時にとって問題は、


 この薬が巷に出回っていること。


 この薬の存在が世に出てしまうことが問題だった。


「足立工業を抜かすとなると、残りの不良グループはストームスパイダー、ヘルシング、がしゃ髑髏のどれかってことになりますね……」

「あぁ、そうだな。どれもおかしな名前しか残ってねぇな」


 それを流通させている未成年グループを突き止めようと、


「なんで不良ってわけのわかんないチーム名を好むんすかね?」

「知るか、そんなこと」


 警察は慌ただしく動き回っていた。







「お~い、お目覚めかい~?」


 髪の毛を鷲掴みにされ挑発するような声が火神の耳に突き刺さる。


 ――どこだ……っ。


 ぼやけた視界で辺りを見回して行く。いくつものコンテナが置かれた場所。壁は錆が蔓延していて手入れが行き届いていない。そこに見える黒いパーカを着たマスクの集団。


 ――なんだ……コイツら…………。


 朦朧としながらも手を動かそうとしたが後ろ手に縄で拘束されている。


 ――動けない……。


 次第に頭が働きだし状況が整理でき始めた。攫われてここまで連れてこられている。場所はどこかわからない。何かの目的での誘拐なのか、もしくは愉快犯なのか。

 

確かめる術など持ち合わせていない。


「ん、うんっ――――!」


 何かで口を塞がれながらも自分に呼びかける声が耳に届く。


「南さん!」

「大人しくしてろって――」


 一人の男が火神に対して叫んでいる南に近づき腕を振り上げた。


「言っただろうがッ!」


 女子であることもお構いなしに顔に裏拳をかます男。


 ――南さんに何をッ!!


 その口元は隠れていてもニヤニヤと笑っている様子が、


 火神には手にとってわかった。


 だからこそ、頭にきた。


「お前ら、何してんだよッ!」

「おいおい……何って……わかんねぇの?」


 バカにした態度を前面に火神の方へ歩み寄ってくる男。


「――――やめろ」


 一人の男の声が当りに響き、それと同時に南へ暴力をふるった男は、


 立ち止まった。


「大事な人質だ。あまり手荒な真似はするな」


 コンテナの上に座り見下ろすようにして火神に視線を向けている。


「すいません、リーダー」


 マスク野郎たちのボス的存在。


 ――コイツが今回の主犯……。


 その会話の内容で火神は思考を進めた。


 ――人質ってことは……僕が狙いか。


 声を震わせながらその男に質問を投げかける。


「身代金が欲しいのか……いくら欲しいんだよ!?」

「いくらだと思~う?」


 バカにしたような質問に取り巻きの男達はクスクスと中傷するような声を響かせる。火神の中で今すべきことの答えは出ていた。すぐにでもそれだけはどうにかしなければならないと思っていた。


「いくらでもやるから、その女の子だけは解放しろ!」


 笑われようとも構わずに交渉を進める。


「すぐにだ! お金なら用意するから!」

「まじか、いくらでもか……」


 男は答えを考えるようにして溜めて火神をじらし始めた。


「じゃあ――」


 ――数百万ぐらいならどうにか出来る。


 早くしてくれと願う火神に対してその男は思いついた金額を提示する。




「一兆円かな」



 火神をバカにしたような答えとどわっと湧くマスク軍団。



「はぁ?」

「一兆円だーよー♪」


 火神の予想は自分を人質に、


 父への身代金を目的にしていると踏んだ交渉だったが、


 思惑は大きく外れていた。奴らの狙いは火神ではない。


「じゃあ……何の為にこんなことを………」

「おぉ、かわいそうに……そうか、そうか」


 リーダー格の男はコンテナから飛び降りスタスタと近寄りながら、


「知らないしわからないのか……そうだな」


 オーバーな演技を見せて火神を憐れむように言葉を並べる。


「一方的に可愛がられてだけだもんな……」

「何を言って……」

「かわいそうに、かわいそうに。大きな声で呼んでみろよ」


 滑稽な様を絵に描いたように演じる男に火神は言葉を失った。


「正義のヒーローが来てくれるかもしれないぜ? ホラ、大きな声でさぁ!」


 その顔の近くで黒服のパーカーから金髪をちらりと覗かせながら男は続ける。


「さぁ呼んでみろよ、アイツらを!」

「誰を……?」

「はぁ――――?」


 滑稽な様が無くなり呆れたような瞳で髪の毛を鷲掴みにされ顔を凝視された。


「そこはさ…………」


 男は煮え切らない火神の反応に眉を顰めて問いただす。


「晴夫さんオロチさん、助けて下さいだろ?」

「えっ……」

「ちっ、失敗かこりゃ!」

「イッ―――!」


 火神の態度に興味が失せた様に髪を掴んでいた手を乱暴に離し、

 

 男はもと座っていた場所に戻るようにして歩き出した。


「あーそういうことか、通りで来ないわけだ!」


 何かを納得したように呟きながら目的が外れたように、


「マジかよ………ハズレかよ………チッ」


 肩を落として残念そうに歩いてく。


「お前、単なる財布だったのか……通りで待っても待っても!」


 男は地面を何度も何度も苛立たしそうに蹴りつける。


「来ないってことなのね~んッ!」

「……………」


 オーバーリアクションを見せおちゃらけた態度見せるリーダーの姿でこいつらの狙いが晴夫達であることを理解した。自分を餌に二人を呼び出して何かをしようとしている。そして、それが失敗していると事実があるということも同時に察した。


 ――来るわけない……あの二人にとって……っ。


 火神は落胆した。


 ――そりゃそうだよな……僕なんて価値も無いし……。


 少しだけ期待を持ちたかった。


 自分を面白いと認めてくれたことが価値があったと。

 

 自分に何も価値がないという事実に、


 ——都合のいい話だ……自分から関係を絶ち切っておいて


 訳もわからずひどく傷つく自分がいることに気づいてしまった。


 ――こういう時だけ助けて欲しいなんて……


 笑顔で手を振った晴夫の姿を思い出しながら、


 ――僕はずうずうしいやつだ……。


 自分が父に言われるがままに二人との関係を断ち切った罪悪感に襲われた。


 膝を地につき顔に激しく両手をパチンと叩きつける


「オーマイ、ゴッド!」


 リーダと自己嫌悪で肩を落とす火神。


「お前ら………どうしたい?」


 目的が叶わないと知ったリーダーは周りの男達に方針を確認する。狂人を演じるリーダーを前に男達は静かに口を噤む。わかっているから。


 この男はイカレていると。


「そうだ、ロシアンルーレットなんてどうだー!?」


 思いついたように狂人は立ち上がった。


 いいことを思いついたとばかりに目元に笑みを浮かべ、


 火神のほうに立ち寄っていく。


「俺とロシアンルーレットして勝ったら帰してやるよ」

「えっ……」


 後ろ手を縛られたままの火神にイヤらしい笑みを浮かべ


「知らないのロシアンルーレット?」


 自分の胸元を漁りだす。


「これだよ、コレ」


 火神の目が見開く。初めて目にする生の武器。思いのほか小さいがそれは存在するだけで相手に命の危険があることを知らせる。



 手慣れたように銃に弾丸をひとつだけ詰めて男は、


「最高にスリルがあるゲームなんだ――」


 火神のこめかみに銃口を突き付ける。


「これで天国にいっちまうぐらいスゲェ快感を覚えるよ」


 目の前で狂ったように嗤う男を前に火神は震えた。


「当たっても外れてもどっちでも天国だ! 最高だろ!」


 初めて体験する命の危険に体を震わせて歯を鳴らした。


「ううんッ!!」


 横で叫ぶ声がする。手を縛られながらも床をはいずるようにして殴られた部分が赤く剥がれあがりながらも、抵抗する女性の声が。それに反応し、先程まで僥倖ぎょうこうの笑みを浮かべていた態度とは打って変って、男が冷めた侮蔑の視線に切り替わった。


「やるよ……!」


 それに気づいた火神は即座に口にした。


「だから、僕が勝ったら彼女を解放して欲しい!!」

「ううううんッ!」


 火神を後押ししたのは南の健気な姿だった。


 こんな状況であろうとわが身より自分を心配してくれるその姿が火神を突き動かした。それをダメだと言わんばかりにさけぶ南。そして最高の瞬間と言わんばかりに笑みを浮かべるリーダ。


「じゃあ、さっそくやろうか!」

「いいよ……手を動かせないから君が引き金を引いてくれ」


 ――ダメだよ、火神君!!


「んんんんん!!」


 自殺行為を必死に止めようと南が声を荒げるが二人は見つめあって、聞こうとしない。これから始まるイカれたゲームに臨む覚悟が出来ている。男は楽しそうに目を輝かせて引き金に手を掛ける。


「それじゃ……一発だ」


 目を瞑る火神の横でカチッとなるトリガー音。


 周りのマスク野郎どもも息をのんでその光景を見届けた。静かに目を開いていく火神。そこに映る金髪パーカ―マスクの恍惚の目。何がそこまで奴を興奮させているのか理解に及ばない。誰もがそれを理解できない。


「次は君のば――!?」

「二発目」


 また火神の横でかちりと音がなった。


 突然の奇行にこれでもかと目を見開く火神。


 ——ロシアンルーレットじゃないのかッ!?


 男は笑って構えている。


「二発目もダメか………」


 思惑が外れ火神は焦る。通常のルールであればお互いに一発ずつ打ち合いをしていくのがロシアンルーレット。それがなぜか連続で自分に引き金を引かれている。


「――三発目」


 またカチッとなる。


 その瞬間に周りのマスクマンも目を逸らした。これでは一方的な虐殺。六回引かれたら必ず死ぬ。残りあと三回で必死確定。先程の決意が揺らぎ冷や汗たらし、


 ――殺される………っ。


 歯を鳴らし死の恐怖を訴える火神を前に、


「お前さ、運いいのな♪ すげぇよ、すげぇ!」


 男は満足しきった笑みを浮かべた。


「2分の1で生き残っちゃったじゃーん!!」

「あっ……あ」


 死の恐怖に息をあらげる火神に対して男は立ち上がった。


「ハァ、ハァ………堪んねぇなァ…………」


 金髪も息を切らしているが火神とは全く別の理由である。


 興奮を味わいすぎての息切れ。狂人の極みである。


「なぁ、なぁ! お前らあと何発でいっちゃうと思う?」


 男は楽しそうに仲間たちに呼びかけるが反応は返ってこない。


 それに、あちゃーと声を漏らし金髪はフラフラと歩きまわる。


「どうした? テンション低いぞ、お前ら……もっと熱くなろうぜ?」

「ひぃッ!」


 男は近くにいた仲間をとっつ構え銃口をこめかみに付けた。

 

 突然、標的にされた者は情けない悲鳴を上げて膝を揺らす。


 ――こいつ……イカレてる!


 火神が知っている不良とは違う。あの二人とは別物である。


 人間味も温かさもないはるかに狂った変人。


 命をなんとも思ってない態度にふざけた人格。


 ――異常者として一級品である。


「そうか……ちょっと余興が足りねぇか」


 男は静かに南へと視線を移した。


「お前ら、エロいのが好きだもんな?」


 何かを思いついたように南へと近づいていく異常者。


「そっか、そっか」


 不良相手に強気だった南ですらその狂人っぷりに恐怖で体を揺らし逃げようと必死に這いずり回る。しかし、歩くスピードと床の上を芋虫の様に動いているのでは速度が違う。南の長い髪の毛を掴み、男はニタニタと嗤った。


「じゃあ、こういうのはどうだ? 下着の色当てゲームってのは」


 銃口を静かに胸元へと近づけていく服のボタンを飛ばしていく。


「さぁて、本日の色はなーにいーろでしょうか?」


 誰もが恐怖で動けない中、一人だけ動き出していた。


『ここに従えよ』


 いつぞやのその男の言葉がはっきりとわかる。止まっていてはいけない。本能がそういい自分を突き動かす。衝動にまかせて動く。勝算や打算もなく戦略も戦力もない。それでも構わずに突き進めと。


「やめろぉおおお!」

 

 手を縛られようとも足が動けば問題ない。


「おぉっ――!?」


 足だけを動かし南を笑いものにしようとする男へ渾身の体当たりをかました。男は衝撃で南から離れるように吹っ飛んでいった。一緒にもつれるようにして倒れた体を火神はすぐに起き上がらせた。


『女を落としたいなら、堂々としてろ。キョドるな』


 惚れた女を前にした時に思い出されるのはオロチ先生の言葉の数々。


『チャンスと思ったらガンガン押していけ!』


「この子に手をだすなぁあああ!」


 恐怖などなかった。そうしなければいけないと自然と体が動いていた。


 何度も南は自分を助けようとしてくれた。

 

 連れ攫われる直前も攫われた後も。


 暴力を受けようが立ち向かっていった。


「このクソガキッ、なに牛窪うしくぼさんに手出してんだッ!」


 リーダーをやられた仲間は火神に殴りかかる。


 腕は動かない状態で頭を衝撃が襲う。


 防御もままならない中、攻撃を受けて火神は足を踏ん張り堪える。


「痛くねェ……」


 日々殴られてきた相手を思い出し耐え抜く。


「あん!」


 叫びながらも鋭い眼つきで殴ってきた男を睨み返す。


「痛くねぇぞ! 晴夫さんの攻撃に比べたらこんなん屁でもねぇ!!」


 その眼光は父親譲りで鋭く相手を威嚇し気合で相手を威圧する。


「なんだよっ……」


 あまりの圧力に男は一歩後ろに後ずさった。


「どうした……かかってこいよッ!」


 今までの火神からは想像もできない程の気合が出ていた。


 危機的状況で興奮状態に近いということも相まっていつもとは違う火神。


 南を守らなければいけないという使命が彼を強く男にしていた。


「あいてて……」


 だが、反撃ムードは一気に冷める――


「頭いったー……」


 異常者の声が響き渡る。


 静かにその男は拳銃を片手にフラフラと歩いてきて拳銃を上に振り上げた。


「いったいんですけどッ!」


 拳銃の柄で思いっきり火神の頭を殴りつけた。


 だが火神は威圧は変わらない。


 流血して顔を赤に染めようともするどく睨みつける。


「あぁー、ウゼェ…………」


 しかし、それは異常者には無効だった。


「なんなんだよ……その目はイラつくなぁ~」


 銃口を火神の額に当て男は殺意の芽を出す。


「お前さ、一片死んでみるか――」



≪つづく≫

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