第86話 1993年火神恭弥の過去 —それは突然に―

「あのやろう~……いい度胸してやがる。全力で手を振った俺様を手を振り返さずにそっぽ向いてシカトした挙句に姿も見せんとわ! どうしてくれようかッ!?」

「お前に殴られそうだから怖くて来れないんじゃねぇか?」


 あの日以来、火神は晴夫とオロチの前に現れず二週間が過ぎようとしていた。


「……マジか……アッチから殴りに来られるのが理想だったが、じゃあコッチから殴り込みに出向くしかねぇのか」

「出向くって言っても、晴夫。オマエ火神の家がどこだか知ってるのか?」

「タクシーはあっちの方角に行った」

「それだけで辿り着けたらお前は天才だ。富士の樹海に行っても生き残れるぞ」


 晴夫は指をさした方角を眺めてしかめっ面を浮かべる。


 果てしなく遠いようにすら感じるアッチという距離。


 見ていない所でタクシーが途中で曲がってたら、


 どうしようとか少し考えていた。


「ほっといてやれよ、晴夫」

「ほっとけって……意外と薄情だな、オロチ」


 いつも通りの二人の会話のやりとり。


「別に来たきゃ来る、来たくなきゃ来ない。去る者追わず来るもの拒まず」

「オマエ……女もそんな感じで扱ってるのか?」

「馬鹿! 女は選ぶわ!! ブスは何も言わずにサヨナラだ」

「お前……ちょう冷徹じぇねぇか」


 長く過ごしてきたからこそ違和感もなくお互いスラスラと出てくる。


「オロチ、今頃気づいたがよーく考えると」

「なんだ?」


 だが、過ごした時間に狂いも生じていた――。


「俺達って、火神の事なんも知らねぇのな」

「……自分から話す奴じゃなかったからな」

「ガリ勉で羽振りがいい」

「挙動不審で晴夫に立てつく馬鹿。けど俺に憧れるかわいいやつだった。あとムッツリだな」

「それ以外は家は知らねぇし、どういう友達いるのかもしらねぇし」

「童貞ってことは分かってる。しかし、好きな女がいるのかも知らねぇな」


 思い起こせばナゼか一緒にいたような存在。


 空気的な感じで気づいたらそこにあったような感覚が二人を襲う。


 空気と言っても何で出来てるかも知らない二人。


 そういった感じで火神という存在を思い浮かべていた。


 夏にずっと一緒にいたからこそ、


 その空気感の無さに狂いが生じている。


 その狂いの原因は――


「火神、お前成績落ちてきてるぞ!」


 親に言われたレールの上を走り続けようともがいていた。


「は……い」

「これじゃあ、お前の志望校にも受からないぞ。他のやつも夏は勉強に力を入れてくる時期だ。アドバンテージなんてあってないようなものだからな、もっと気合いれろ!!」


 塾の講師から叱咤される火神。塾の中間模試にて成績が下がり、


 合格率がC判定まで落ち込んでいた。


 夏という時間は誰にでも平等である。


 さらに言えば部活が終わり高校受験の為の勉学に励むものが増えてくる。その競争は激化を増し、ずっと勉強に励んでいた火神のアドバンテージは埋められ、越されていった。


「失礼しました……」


 元気ない声で講師室の扉を開けて外に出ていく。向かう先は自習室。


 父の言葉が繰り返される。失敗してはいけない。


 成功するものはみな失敗などしない。


 一度たりとも道を外せば戻ってこれない人生のレール。


 あと何年これを繰り返していけばいいのか。この苦しさを耐え過ごせば楽になれるのか。そんなことばかりを考えていた。


「火神君も成績落ちちゃったんだね」


 自習室で勉強している火神に声を掛ける女子。


みなみさん……?」


 通う学校は違うが同じく難関校への受験を目指す塾でのクラスメートだった。メガネをかけておっとりしているが、育ちの良さが感じられる。容姿はそこそこといったところだった。


 隣の机に座り勉強道具を取り出しながら喋りかけてきた。


「私も中間模試だめで……もう時間もないのにね」

「そうだね……受験まであと半年しかないしね」


 二人で焦りを共有して机にかじりつくように向かっていく。


 自習室にあるのはエアコンではなく扇風機一台。気休め程度に室内の空気をかき回すが、夏の熱気が二人の体を湿らせていく。むしむしする室内に響くカリカリというシャーペンの音とページを捲る紙の音。額から出る汗がノートを滲ませながらも続けていく。


 一刻として気を休めてはならない。将来がかかっているのだから。


 真剣にならざる得ない二人。会話は無く、


 ボソボソと参考書に書いてある文字を頭に詰め込むように口に出すばかり。


「うぅ~ん」

「……」


 南が伸びをしたが火神は無反応でやり過ごす。


 南はその姿を見つめて時計に目をやった。


 時刻は夜の八時を回っている。


 夜になり辺りは暗く幾分と涼しくなっていた。


「ねぇ、火神くん」

「う……うん!?」


 集中していたところに話しかけられ二度見するようにして手を止める火神。


「もう八時だよ。もしよかったら駅まで一緒に帰らない?」

「えっ!? いや……その……えっ? えっ?」


 いきなり女子に帰ろうと提案されてコミ障っぷりを遺憾なく発揮するムッツリ童貞。その姿に南は手で口元を静かに隠すようにして笑う。


「ごめんね、そんなに焦るとは思わなかった」

「いや……うん……ごめん」

「で、どうする、火神君?」


 火神は時計に目をやり時間を確認してから、


 ——八時か……。


「一緒に帰るよ」


 頷いた。


「よかった、夜遅くで駅まで歩くの怖かったから」


 手を合わせて笑う南の姿にドキッとするチェリーボーイ。


「ボディガードよろしくね、火神君」


 オロチからの女性に対するいくつかのアドバイスを脳内に再生させた。


『女を落としたいなら、堂々としてろ。キョドるな』


 ―—そうか、堂々と男らしく!


 無駄に欲を出していくムッツリ中学生。


 ——ココは男らしく!!


 机の上のものを鞄にワイルドに投げ入れようとしたが、


 案の定慣れないことはするものでもなく、


 ——カッコわるい…………やっちゃった!


 鞄に入らずに脇から床に叩きつけられる参考書とノート。


 その姿に目を丸くする南の前で火神は顔を真っ赤にしていた。


「あはははは――」


 ―—ダメだ……僕には無理だよ。


 笑われたことでショックを受けた火神は床の参考書を拾い始める。


 ——オロチさん、一生童貞です……。


 そこにもう一つの手が現れた。


 細くて白い腕に男とは違う華奢な感じの指先。


 顔をあげると彼女の顔が間近にある。


「うわっ!」

「はい、ノート」


 ソレは南の手だった。


「笑っちゃってごめんね。悪気はないんだけど………面白くって」

「…………っ」

「火神君って、結構おもしろいんだね」


 顔を横に傾け髪を揺らす彼女の笑顔と言葉に胸が騒めいた。


 ——いい人だな……南さん。


 男らしさを見せるどころか南のお茶目な一面にイチコロになりかける容易い童貞。伊達にチェリーではコミ障ではない。ちょっとした優しさや仕草で簡単にもぎ取られるサクランボーイである。


 ——何、これッ? 


 夜道を並び歩いてくが内心穏やかではない。


 ——僕、女の子と一緒に歩いてるの!? 何をどうすればいいの!!


『女は押しに弱い。チャンスと思ったらガンガン押していけ!』


 そこに登場する脳内ヤリチン先生ことオロチ。


『躊躇するな! 弱さを見せたら簡単に振られる。男はドガっとしてろ!!』


 ――ハイ、オロチ先生!


 脳内の会話に没頭する火神は横でチラチラと南に見られていることに気づいていない。そして先制パンチが打ち出される。


「火神君、何ひとりでウンウン頷いてるの?」

「いや! あの……オロチさんと会話をしてて!!」

「オロチさん……?」


 誰の事と言わんばかりに首を横にする南の反応で墓穴を掘ったことを自覚する火神。またしてもアドバイスは無意味なものとなった。


「イヤ、オロチさんていうのは!」


 必死でエラーを挽回しようとするが、


「すごくモテる人で!! なんっていうか、尊敬してるんだけど――」


 出てくる言葉は暴投の連続である。


 慌てふためいて鞄を持ちながらも手をバタバタと泳がせている火神の話を理解してあげようと努力する南だったが、その滑稽な姿にまた口角を緩めてしまう。


「火神くん、落ち着いてって。なに言ってるかわかんないよ、くく」

「あ、うん……ごめん」

「別に怒ってるわけじゃないから、そんなに謝らないで」

「…………」

 

 ——笑ってるとかわいいな……南さん。


 車が後ろを走り抜けていく国道を背にする南の笑顔に火神のハートは鷲掴みにされたように息苦しくなった。もはや簡単に惚れてしまっている。チョロい男である。


「わたし、火神くんに聞きたいことがあったんだ」

「えっ、何!?」


 ――まさか、両想い?!


 高鳴る童貞の鼓動。


 想像では次のセリフは『好きな人いるの?』となっていた。


 答えはイエス。貴方がスキです、南さん!。


 脳内での予行演習がばっちりなのは学習能力の高さ故にだろうが、


 実践ではまったく活きないボーイ。文字通り錯乱している。


「結構有名な不良の人たちと一緒にいるって噂があったけど、本当?」

「えっ………」


 想定外の質問に言葉が出てこない。


 そして、有名というところに疑問があるが、


 自分が知っている不良と言えばあの二人しかいない。


 ——晴夫さんと……オロチさんのことか。


 自分の非日常。思い出したのが、


 二人の笑顔だったから会うことをやめた後悔が胸を締め付ける。



「もう会えないんだけど……本当だよ」


 悲し気な表情をする火神に心配そうに尋ねる南。


「えっ、会えないの?」


 火神は悲しみを消しきれていない作り笑顔向けて言葉を続けた。


「そうなんだ……僕とあの人達じゃ住む世界が違いすぎたんだ」

「世界って大げさだよ、火神くん――うぐっっ!!」

「はぁーい、二名様ご案内~♪」

 

 突然、南を口を手で拭い車に押し込んいくマスクをした輩たち。


 ——南さんッ!?


「イヤ、離し――ウゥン!」


 必死に暴れて抵抗しようとする南だったが、

 

 男性数名に取り押さられて大した効果を発揮していないかった。


「南さん! お前ら離せよッ!! 何なんだよッ!!」


 そこへ火神が助けようと男達の中へ行くが、


「およっと」

「ガッ――!」


 もやしっ子の抵抗は空しくも鳩尾への膝蹴り一発で終わってしまった。


 地面を転げまわるようにして痛みを訴える火神を前に、


 男達はマスク越しでもわかるようにニヤニヤとした表情を浮かべる。


「はーい、はーい。無駄に抵抗しないー」

「ガハッ」

「大人しくしてればすぐ終わるから」


 火神も捕まえられ、


「どうなるかは分からないけどーねー♪」


 別の車に乗せられていく姿を見た南は,


「イテッ! この――」


 口を押える手に噛みついた。


「火神君!!」

「大人しくしてろって言ってんだろうがぁッ!」


 叫ぶ南の横顔に手を噛まれた男の拳が撃ち込まれる。


 後部座席で横になったような体勢の南に男は、


「次、もし抵抗したら」


 ナイフを取り出し頬っぺたを数度叩きつけ威嚇をする。


「綺麗な顔に傷が付いちゃうから覚悟しとけよッ!」


 そして、火神と南を乗せた二台の車はどこかへと姿を消していった――



≪つづく≫

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