第85話 1993年火神恭弥の過去 —日常と非日常の選択―

「オロチさん、晴夫さん。明日はココに来れません」

「おい、お前は何度言ったらわかる? 来れないとかはどうでもいいんだ。むしろ勝手にお前は上がり込んできているよな。それよりもだ! 俺はそういうのを何度も言うのはイヤなんだ。一回でわかってくれないかなー?」

「別に構わねぇよ。それよりなんだ? 女とデートでもすんのか?」

「いや……別にそういうもんじゃないっすけど」

「オイ……俺の話を飛ばしてるよな……お前ら?」

「家庭の事情ってやつです」

「そっか、お前も大変だな、火神」

「無視するなよ……お前ら」

「それじゃあ、今日は帰ります!」

「おう、またな火神!」

「おい、ちょっとまてぇい!」


 逃げ帰ろうとする火神の腕を掴み晴夫が止めた。


「相変わらず、器がちっさいな……晴夫は」

「ちげぇだろう!」

「なんなんすっか!? 晴夫さん!! もう家に帰らないと時間がヤバいんです!!」


 腕時計をペシペシ叩き焦りを表に出す、


 火神にゆっくりと近づいていき、


 晴夫は頭を後ろに引いて


「この礼儀知らずが!!」

「イッタァア!!」


 火神の頭にヘッドバットをかます。


「貴様、家主にお邪魔しましたの一言も無しに帰る気か!」

「お邪魔でした……」

「何か違くないか?」


 火神は晴夫に聞こえないようにボソッと呟く。


「晴夫さんが……」

「反省するなら猿でも出来る!!」

「ガァッ!」


 二度目のヘッドバットがさく裂した。


「アタマが……頭が……」


 火神が地べたにのたうち回る姿を怒りの眼差しで見下ろす野生児。


「一度で分からんお前の頭が悪い!」

「痛い!」

「痛いのは俺の心だ!」

「お邪魔しました!!」

「それでいい!」


 火神はバックを取り走って距離を開けていく。


 ――ホント、いつもあの人はッ!!


 昨日の夜はちょっと評価が変わりそうだったのに振り出しである。


 ――クソ、覚えとけよ!!

 

 痛みを発する頭を片手で抑えながら逃げていく様を、


「ふん!」


 両腕を腕組みして晴夫は睨みつけていると


 ――距離は取った!!


 火神が立ち止まって、



「この暴力ゴリラ!!」



 暴言を叫んだ火神を、



「火神……この野郎ぉおおおおおお!」


 

 走って追いかけてく晴夫の後ろ姿に、


 やれやれといった感じでオロチは両手を宙に上げた。





 すぐにその日はやってきた。


 火神にとっての日常が――。

 

 ホテルの高層階にあるレストランで正装をして待ち構える母親と火神。


 その男はネクタイを少し緩めるようにして席に着いた。


「恭弥、勉強はしっかり進んでいるか?」

「ハイ」


 火神は身を正して目を俯けた。遺伝的なものである。


 強い眼つきを持つ男の威圧的な眼光に目を見て答えられなかった。


 それに助け舟を出す様に母親が口を開いた。


「最近熱心に自習室に残って夜遅くまで勉強をしているのよ」

「それは感心だな。で志望校への合格判定はどれぐらいなんだ?」

「それは――」

「それはもちろんA判定よ」


 火神が答えようと口を開いたが母親が息子の言葉を遮るように先に喋りだした。


「ついこの間までB判定だったのに、自習の成果かメキメキと学力を伸ばしているの、恭弥ちゃん」

「それはいいことだな」

「えぇ、私もしっかりサポートしているわ」

「………………」


 そのやり取りで火神は察した。自分が喋るべきではないと。


 ――静かにしてよう……母さんが言いたいことを言わせなきゃ。


 母親の言っていることは間違いではない。


 ――僕が喋る必要はないから……。


 晴夫とオロチと過ごしている時間に反比例するように学力は上がっていた。いい意味で二人との時間が息抜きになっていた事実。


「恭弥、いま努力しない者はあとでも努力できない。ダメな人間になりたくなければ人よりも勉強をしろ。お前らの年代は学力がステータスだ。それ以外のものはクソの役にも立たない」

「大丈夫よ、恭弥ちゃんには私がしっかり着いていますから。安心して任せて下さい」


 そして、母親がなぜ自分の言葉を遮ってまで、


 喋ったのかということが胸を締め付ける。


 ――私がいればか…………。


 火神には母親が言いたいことが分かる。


 学力が上がったのも全て自分のおかげであり、息子が良い中学に行けているのも自分の手柄であると父親に媚びるようにしてアピールをしている。自分の存在価値を魅せつけるためのブランド品を身に纏い、息子すらも彼女を引き立たせる前菜でしかないのだと。


 だからこそ喋ってはいけないと思った。


 ――息苦しいな…………。


 静かに頷くだけが自分の役割であると認識した。


 ――息を飲み込まなきゃ………。


 その事実に胸がうずく――


 ——なんだろう……痛い?


 二人が叩いた場所が何かを訴えかける。




『無駄に頭使わずにさ、ここに従えよ』

『見つかるといいな。お前だけの夢ってやつがさ』




 自分という存在が何の為に生まれた来たのか。息苦しい。


 気づいたときには持たされていたもの。裕福な生活があるとしても、自分を出すことはなく必要とされるのは跡取りとしてふさわしい息子だという役割。


 食事をしながら談笑する両親の横で、


 息苦しい日常を呼吸をやめてやり過ごすことが苦しい。晴夫とオロチといる場所が非日常であり、今いる場所がずっと続く日常だという事実が生き苦しい。


「恭弥、この世で成功する人間は数少ない」


 帰りの車中で後部座席の隣に座る父親は自慢げに語る。


「何故だか分かるか?」

「……わかりません」

「失敗しない人間が成功をするからだ。成功しないものは、必ずどこかで失敗をしている。成功の方程式があるのにそこから転げ落ちてしまう」


 成功の方程式はイヤと言うほど聞かされてきた。

  

 呪文のように父から母から言われ続けてきた。


「学歴社会だというのに、訳も分からないゴミの様なステータスを持って無理やり突破しようとして痛い目をみる。条件が明示されている以上それにそうのがビジネスだ。お前は失敗するなよ、恭弥?」

「ハ……イ」


 だから、逆らわない。


 それしか、自分に道がないのだから。


「こんな話をしてれば、ほら見ろ。あれが人生の敗北者だ――」


 心底イヤそうに父親が指をさす窓越しに見える、喧嘩している風景。


「えっ――」


 そこに数多くの不良を相手に暴れまわる姿が一人。


「ああいうのは社会のゴミだ。近づかないことだ、恭弥」


 ——アレは……あの人は………。


 父親の説く真理を聞きながらもその一人に視線が奪われていた。


「敗北者と一緒にいれば必ず敗北者になる。世の中はそう出来ている」


 非日常的な風景。交わってはいけない日常と非日常の存在。


 その視線が互いに交差する。


「ん……ありゃ」


 ――晴夫さん!


「火神……か?」


 喧嘩を他所にして晴夫はタクシーに向かって大きく手を振る。


「おぉーい、かぁがぁみぃ!」

「なんだ……気持ち悪いやつだ」

「えっ……」

「そう思わないか、恭弥?」

「それは……」


 その問いに言葉が詰まった。


 自分を見て手を振る笑顔の晴夫に対して父親の嫌悪する反応に挟まれた状況。窓の外に見える大きく手を振る笑顔の知り合い。だが、その景色は移動している車中からすぐに姿を消した。


「あぁなりたくなかったら、しっかり勉強をすることだ」


 窓の外を呆然と眺める息子に父は語り掛ける。


「あれこそが、人生の底辺だ」

「ハ……イ」


 彼が取った選択は日常に対する返答だった。選んだ答えに自分の胸が痛もうとも、息苦しくてもそれでも日常を選択せざるえない。横には父という自分の人生を決める存在がいると理解している。



 その日を境に火神は――


 


 晴夫とオロチの元に顔を出さなくなった。




≪つづく≫

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