第62話 バレンタイン大作戦! —サイコ野郎の罠を掻い潜れ—

「うわ……」


 銀翔が都庁の自室へ戻ると山の様に袋詰めされたチョコレートが置かれていた。


 さらに言えばそれは机に収まりきらずに、


「踏まない様に……気を付けなきゃ…………」


 端の床までどっさりと溢れかえっている。


 それを丁寧に足を上げて掻い潜って自席に付く。


「こんなに食べきれないし……どうしよう」


 優しく品行方正でおまけに女の影も見えない。


 ブラックユーモラスの現隊長であり、外見は整っている。


 清廉潔白を絵にかいたような童貞。


 欠点という欠点が一切ない男。


 ただ奥手というわけでもない。


「どれもこれも義理だろうけど……」


 恋というものをこの年になっても知らないだけだった。


「義理が多すぎて別の仕事が増えていく。お返しどうしよう……」


 その中に数多くの本命が含まれているとも気づかない、鈍感さ。


 正に悟りの境地に近い。


 自分への自信のなさの表れでもあるが、一番の問題は晴夫とオロチのせいである。あの二人の尻拭いや振り回されていた時間が彼に恋愛のひとつも考えさせる余裕を与えなかったのが、彼を奇跡の童貞とした最大の要因である。


 静かに自室のドアが開いていく。


「銀翔さん、失礼いた――!」


 20代ぐらいのスーツ姿のメガネをかけた知的な女性は、


 部屋の様子に驚きの色を現した。


 部屋いっぱいに埋め尽くすチョコの山、チョコの壁。


「ごめん、ちょっといっぱいで。どうしたの、杉崎さん?」

「また、大変オモテになることですね………」

「全部どうせ義理だよ」

「……………」


 メガネの奥の瞳がイヤそうな感じを仏に送る。


 なぜ気づかないと言わんばかりに。


「銀翔さん、この件ですが」

「この件って」


 チョコを掻い潜り渡された書類に目をやる銀翔。


 一瞬で読み取り杉崎の顔を見返した。


「こんなこともあるんだね……」

「まぁ、まだ世界が変わってから20年も経ってないですから。何が起きるかはまだまだわかりませんよ」

「はぁ……どうしよう」

「新しい候補者の選定をお願いいたします」


 日に日に問題と仕事は増えていく。


 恋愛どころではない。


 しかし、杉崎はポケットから静かに――


「これ、一応チョコですから…………」


 チョコレートを取り出し銀翔に差し出した。


「今日はバレンタインデーですから」

「ありがとう」


 銀翔は微笑んでそれを受け取る。そして思いだされる櫻井の言葉。


『チョコ貰った娘をデートに誘うぐらいしてください!!』


 少しだけ悩む。別に何の気もない。


 だが何かしなければいけないのかもと雑念が混じっていた。


 そこに杉崎が頬を赤らめ追い打ちをかけた。


「も、もしよろしければ、今日の仕事終わりに食事など、いかがですか!」


 クールビューティーな杉崎の照れながらのお誘い。


 女性からすれば自分から男を誘うなど恥ずかしい気持ちでいっぱいである。


 だがバレンタインというものが、彼女たちを後押しするのだろう。


「ごめん、今日は仕事が終わりそうにないや」


 だが、真人間の仏は仕事優先である。


「……そうですか」


 だからこその童貞。鉄壁の童貞。


 仏の由来はそういうところからも来ているとは本人は知らない。


「失礼いたしました……」


 残念そうに部屋をあとにする女性の姿にも気づかない、


「ありがとね、杉崎さん」


 無心の心。


「はぁ、仕事が終わらないよー」


 彼の童貞生活はまだまだ続く――




◆ ◆ ◆ ◆



 俺は銀翔さんとの会合を終え一人街を散策して歩く。


 学校に戻ろうものなら、


 あのカルト美咲教団が俺を殺しに来るのが目に見えているからだ。


「たまにはのんびり過ごすのもいいか」


 昼食を片手に外をぶらぶら歩いていく。


 新宿から駒沢まで歩いていけない距離でもない。


 繁華街を抜けて、交通量の多い通りを信号を待って歩き出す。


「どこもかしこも一色だな………」


 ところどころでカップルらしき大学生たちが見える。


 授業をさぼってデートしているようだ。


 街のいたるところにバレンタインと看板や旗が掲げられお祭り騒ぎといった感じ。新宿から渋谷を経由して駒沢に戻るというルートが失敗だったかもしれない。


 別にチョコを貰ったことがないわけではない。


 自慢ではないが、小学生の時はたくさん貰っていた。


 それこそ紙袋に包んで持ち帰るくらいには。


 隣のクラスの女子とか話したことがない子からも貰った記憶はある。人生にはモテ期というものが三回あるらしい。多分、その一回目が小学生の時に来たのだろう。


「だが、今となっては無縁も無縁だな……」


 中学校はいけていなかった。銀翔さんの家にずっと住んでいた。


 家事手伝いをしながら、勉強も独学で進めていった。


 あの異世界での生活が――


 俺を蝕んでいたのが原因でもあるのだが……。


 それにしても、あの時は時間がいっぱいあった。


 勉強もトレーニングも存分に出来る時間が。


 今となってはそれが遠い昔のように感じる。


 家に返ればレポート作成やいま取り組んでいるブログサイトの作成。さらにトレーニング。新しい陰陽術の開発及び呪符の作成。やることがありすぎてキリがない。


「あー、昔に戻りたい……」


 まだ高校2年生だというのに俺は、


 オヤジのようにポツリと雑踏の中でつぶやいた。


 歩き続けていたらいつの間にか駒沢付近まで来ていたようだ。


 当りが見慣れた景色に染まっていく。とりあえず自宅に戻ることにした。まだまだやることはたくさんある。せっかくの時間を無駄にする必要もないから。あと学校の制服でうろつくのが目立つということもあったからだ。


「さて、今日もやりますか」


 俺は部屋に戻って着替えを済ませて、パソコンを立ち上げる。


 俺の仕事の開始である。


 コーヒーを片手にパソコンのキーボードに打ち込んでいく。静かな部屋に響く打音。カチカチカタカタというリズム。静寂の時間が流れるのが心地いい。


 仕事自体も嫌いではない。


 やるべきことがあるというのは生活にメリハリをもたらす。


 特に俺の場合、何かをしていないと落ち着かないタイプだから、


 なおさら、それが安らぎに近いものになっていた。


 俺は小腹が空いたので冷蔵庫を開けに行った。


「あ……なんもないじゃん……」


 冷蔵庫にあるのは調味料とプロテインのみ。


 あまり何かを買うこともないのだが、


 休日っぽい一日だったせいか、俺は少し欲を出した。


「何か買いに行くか」


 呑気な俺はその時に――


 俺を必死に探し回っている子がいるとは思いもしなかった。




◆ ◆ ◆ ◆



「美咲、またお出かけ?」

「ちょっと行ってくるね、昴ちゃん!」

「あんなやつ……やめとけばいいのに……」


 親友がポツリと呟いた悪態を無視して、私は意気込んで教室を後にした。


 あれから休み時間の度に廊下で待ち伏せて人に見つからない様にこっそり覗いていたが先輩は全然現れてくれない。お手洗いとか行かないアイドルのような生活。

 

 もしかして、先輩は現役アイドルなのだろうか。


「どうしよう……渡すチャンスが減っていく」


 もう午後の授業に突入してしまう。


 お昼休みくらい出て来てもいいものなのに。


 一向に姿を見せてくれない。


 ここまで来ると最終手段に出るしかない。


「出来ればこの手は使いたくなかったけど……」


 私が持ってきた袋の中にはチョコレートが二つ入っていた。


 一つは先輩用。


 そして、もう一つはサイコマン用。


 教室内で渡すのはさけたかった。あまりバレンタインっぽくないし、


 それになんとなく義理っぽくなってしまうから。


 だって、このチョコレートは本命なのだから。


「しょうがない……」


 私は隠れるのをやめて兄の教室に歩き出した。


 その間に脳内シュミレーションをする。


 ――兄に渡してそれから先輩にもさりげなく渡す。これ先輩のチョコですって。なんかイメージと違うけどしょうがないか。サイコ野郎の目をくらましてからじゃないと危険すぎる。餌で釣る他ない。



 残念な気持ちが私を襲った。


 ――もっと二人きりで甘酸っぱく渡したかった。テレビとかで見るバレンタインって、もっとなんか甘酸っぱくてお互いドキドキして恥ずかしがりながら渡す、奥ゆかしいものなのに。


 私は恋愛に幻想的なイメージを抱いている。


 少女漫画とか恋愛もののドラマとか好きで良く見ている。


 私にとって恋愛とはサイコ野郎共に禁じられたもの。


 だからこそ、その危険な誘惑が私を魅惑していた。


 人はやっちゃいけないとわかっているものに、


 惹かれてしまう生き物なのだから。


 教室に入るとお兄ちゃんの机の近くにいっぱい人が集まっていた。


 その中で玉藻ちゃんが一番最初に声を掛けてくれた。


「あれ美咲ちゃん、どうしたの?」

「イヤ、チョコを渡しに来たんです」

「強ちゃん、チョコだって」

「美咲ちゃん! お兄ちゃんにチョコレートくれるの!?」


 驚く兄に呆れるほかない。


 毎年催促してくるくせに……なにを言っているのか。


「お兄ちゃんには、毎年あげてるでしょ」

「死ぬまで貰いたい! 美咲ちゃんからのチョコだけは!!」

「ハイ、ハイ」

「強ちゃん、私のは!」

 

 コイツは本気で言ってる。死ぬまでチョコ上げる兄妹なんていないだろう。


 どんだけブラコンにしたてあげたいんだ、私を。


 一刻も早くコイツから解放されたい。


 私は兄にチョコレートを渡して、視線を回した。


「あれ……櫻井先輩は?」

「アイツなら今日学校をサボってるよ」

「えっ!?」


 ――な、先輩は今学校にいないの!?


 ――サイコ野郎にチョコを上げ損した、一生の不覚!!



 その横でさっき会った体育会系の先輩が呟いたのを、


「はは~ん、これはそういうことか……」

「どうした、ミキ?」

「クロさん、これは恋の匂いがしますよ」


 私は驚きのあまり聞き逃していた。

 


≪つづく≫

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