第61話 君が心躍る方に真っすぐと進んでいって欲しい

 今日はバレンタインデー。


 これは年に一回しかない貴重なイベント。


 恋する憶病な女の子が一歩前に進むために必要な行事。


 神が作ってくれた女の子へのチャンスの日。


 否が応でも女の子なら意識をしてしまう、


 渡す相手がいるなら尚更です!


 1時限目の授業が終わり、


 私は鞄からラッピングされたチョコを取り出し、


「あわわわわ――!!」


 赤い髪の子に近づいていった。


「昴ちゃん!」

「ひぃッ!」


 バレンタインに意気込む私にひどく怯えた様子の昴ちゃん。


 席から落ちて床に手を付けて怯えている。


 なぜ、こんなに体を震わせているのだろう?


 確かにもう真冬で寒いけど……。


「ハイ、これチョコレートです!」

「えっ? 私に?」

「そうだよ。友チョコだよ」

「美咲の手作り……?」

「そうだよ」

「わぁー! ありがたや、ありがたや!」


 チョコの箱を手に持って掲げるようにして大げさに涙を流している。


「美咲が帰ってきた……うぅううう」


 そんなにチョコレート好きだったのか。


 親友の事だしこれからは覚えておこう!


 けど、これでチョコレートを渡す予行演習も出来た。


 私が渡したい相手など一人しかいない。


 その人の事を思って前日から兄に隠れてコソコソとチョコレートを作っていったのは云うまでもない。あの兄に見つかったらどんな目にあうか見当もつかないし、全身全霊で邪魔しに来るのが目に見えている。


 あのサイコ野郎に見つからずに――


 どうにか、先輩にチョコレートを届けたい!


「出発っ!」


 私は決意を胸に先輩へのチョコレートを持って廊下に出た。


 まず始めに考えるのはどこで渡すかっていうこと。


 教室に行けば一番早いのだが、そこにはサイコマンがいる。


 一発アウトになってしまう。


 だと、したら――


 私は兄の教室が見える廊下の端で先輩が出てくるのを待ち構えていた。


 まるでやってることはストーカーチックだけど、


 今日だけは許されるはず。


 だって、バレンタインだから! 


「先輩、はやく出てこないかな……」


 私は廊下で入り乱れる生徒を目を凝らして見つめる。


「落ち着け、落ち着けっ」


 待っているだけで心臓が高鳴っていく。


 いままでこんなイベントとは無縁だったが故に緊張感が違う。


 私にとっては今日がバレンタインの初体験のようなものなのだから。


 チョコを入れた袋に目を落としながら、心配が過った。


 ――どうしよう……結構甘めに作っちゃたけど、もしかしたら先輩ビター派かな。それともケーキとかの方が良かったかな。パンとかよく食べてるし生地を使ったもの方が良かったかな……。


 後先考えずに私は通常のチョコレートを作ってしまった。

 

 色々な形に湯煎したチョコを流し込み型どって、


 星型のものや山型のもの、パウダーをかけた丸型、


 それと、ハート型なんかも……


 勢いあまって作ってしまった。


「あぁ……やりすぎたかな……どうしよう、どうしよう!」


 私は小さくその場で地団駄を踏んだ。


 ――嫌われたらどうしよう! チョコ以外にクッキーも焼いて入れたけどなんか作りすぎたかも! あー、調子に乗りすぎたかもしれない!! どうしよう、どうしよう!!


「あれ、涼宮の妹さんじゃん」

「えっ!?」


 私は突然声を掛けられビックリした。


「どうしたの、こんなところで?」


 体育会系のとても綺麗な先輩。


 背も高くておねいさんっていうよりは、


 姉御って感じなハキハキした印象を受ける人。


 けど、どこで会った人かもわからない!


「もしかして、涼宮を探しているの? 呼んできてあげようか?」


 ――ヤメテ、サイコマンには会いたくないのッ!?


「ち、ちがうんです! あの、その~」

「うん? もしかして彼氏さんが二年生とか?」


 慌ててキョドっている私に優しく語りかけてくれる先輩。


 ――けど、彼氏って……


 頭に浮かぶのは先輩の顔。

 

 それに応じて私の顔は急激に熱を帯びていき、鼓動がバクバクしていく。




「な、なな、なんでもないんですぅうううう!」


「あっ、ちょっと!」


 恥ずかしさのあまり私は走って自分の教室に逃げ帰っていった。


 ――ダメだ、経験の無さが、男性に対する耐性が、皆無すぎてどうしたらいいのかわからない!! なんで、あんなに世の中のカップルは堂々と平然としていられるのか理解ができないよぉおお!





「ハーイ、タクト君。私のチョコだよ」

「ありがとう、恵」


 私が泣きながら教室に返ると平然とカップルたちがイチャついてた。


「あーん、してくれよ」

「しょうがないな………ハイ、あーん♪」


 この人たちは羞恥心というものをどこかに置き去りにしてきたのだろうか。


「お前のように甘いチョコレートだぜ☆」

「タクト君……わたし、溶けちゃいそうだよ!」


 丸めて投げ捨てゴミ回収でもされていったのだろうか。


 チョコを渡すだけで限界に近い私の小さな心臓の非力さと、

 

 恥ずかしがりやな心が恨めしい。


 私もあんな風に生まれてきたかった!


 自分の机に返り収穫ゼロ希望ゼロにうなだれて突っ伏した。


「ダメだ……バレンタインなのに……」


 私が憂鬱な気持ちのまま授業を聞いていると、




「アイツはどんだけ、学校を舐めているんだぁアアアアアアアアアアアア!」




「―――――っ!」


 学校内に怒号が響き渡った。


 聞き慣れたその声は山田先生のものだというのはすぐにわかった。


 お兄ちゃんのクラスで何かがあったらしい。


 そして、授業が終わったのちに私は学校の復旧作業に駆り出されることとなった。誰かがバレンタインだというのに学校内で戦闘騒ぎを起こしたらしい。




 乙女の日なのに迷惑な人がいたものだ。




◆ ◆ ◆ ◆




「銀翔さん、お待たせしました」

「ハジメ、何もこんな日に仕事しなくてもいいのに」

「いや、今月忙しかったんで前月のレポートを渡せてなかったから」


 俺は新宿の喫茶店に来ていた。


 あのカルト教団を休み時間に相手にすることの対応としては、


 相手にしないことが一番である。


 故に俺は学校をさぼって、


 暇になった時間を有効に使い銀翔さんにレポートを渡しに新宿に来たのだ。


「いつになくぶ厚いね……」


 テーブルを挟んで対面の席に座り、俺はレポートを手渡した。


「今回は力作ですからね! 一月は色々ありましたから!」

「いや……読む方も結構大変なんだよ。それに今月は魔物が多いし、他の仕事も立て込んでて」

「なら、忙しい銀翔さんの為に口頭で要約した内容を伝えますよ」


 俺は忙しい銀翔さんに今月と先月にあったことを説明していた。


 強の土下座事件、教室での変化や美川先生の事件、


 そして、オッパイ事件のことなど諸々を口頭で伝えっていった。


「本当に色々あったんだね。通りで魔物も増えるわけだ……」

「特にオッパイ事件当りがヤバイ気がしますね!」

「……イタズラ電話かと思ってたよ」 


 報告を終えたところで銀翔さんは溜息をひとつ入れ、


 真剣な目で俺を見つめてきた。


「なんすか?」

「ところで今日は平日だけど、学校はどうしたの?」

「さぼってきました」

「ハジメ、ちゃんと学校には行かないとダメだよ!」


 アカン……銀翔さんのおとうさんスイッチが入ってしまった。


 この人は絶望していた俺を拾って育ていたせいか、


「ハジメは、ただでさえ中学校にも行ってないんだから!」


 俺に対してやたらと過保護な癖が抜けきっていない。


「ちゃんと社会に出てしっかり学ばないとだめだよ!」


 というか、いつまでも子供扱いをする。


「せっかく、マカダミアにも入れたんだし!」

「いや、勉強では一応学年トップですよ……俺」

「そういうことを言ってるんじゃない!」


 大人げも無くプンプンしている。


 この人に怒られるのは俺的に困る。


 だって、この人は俺の命の恩人と言っても過言ではない人。


 俺を絶望から救ってくれた人なのだから。


「すいません」


 俺は頭を下げて心にもないが謝罪を口にした。


「まったく! そろそろ進路決定の時期だと思うけど、どう考えてるの?」


 お父さん兼お母さんみたいな人に訂正しなければならない。


 父性も母性も強い。


「進路はあんま考えてないというか、俺の仕事はコレなんで」


 イヤそうな表情を前面に押し出して呆れたように、


「コレをずっと続けていくつもりなの?」


 銀翔さんが問いかけてきた。


「はい」


 それに俺は平然と想いを口にすた。


「ハジメ、別にコレは無理にハジメがやらなくてもいい仕事なんだ……他に頼もうと思えばいくらでも手はある」

「けど、銀翔さん。コレは俺がやるって決めて始めた仕事です。だからコレを誰かに譲る気も無いし、渡す気も俺は無いっすよ」

「なっ……」


 俺の真剣な答えに銀翔さんは先の言葉を失くした。


 けど俺が言ったことは事実である。


 強の監視は俺が銀翔さんにお願いをして勝ち取った仕事。当初の目的とは違うが、これは俺が望んで続けていきたいと思ってるものだから、譲る気はまったくと言っていい程なかった。


「本当に変なところで強情なんだから……ハジメは」

「前のロボットみたいな俺よりはいいでしょ?」

「はぁ~」


 今日はよくため息をつかさせてしまう。


 ただでさえ心労が多い人だし、


 心配症で優しい人だから心が痛んでしまう。


 悪気がないだけにどう対処しようもないのが悩みどころだ。


「ハジメは自分の事を蔑ろにしすぎだよ………」


 気を取り直して銀翔さんはまた俺に問いかけてきた。


「僕としては、もっとちゃんと自分の人生を考えて欲しい。君がどれほどの努力をしてきたか僕は知っている。君がどれほど努力できる人間かも僕は知っている。そして君がなんでも出来るってことも。どんなことがあっても乗り越えられる強さを持っているってことも……」

「……………」


 返す言葉が思いつかない。あまりに真剣に率直に語る言葉に嘘が見えない。


 元からこの人は嘘をつく人ではないと知っている。


 この人も触れると綺麗な本音を鳴らす人だと俺だから知っている。


 だからこそ、


 その人が俺をしっかり見ていてくれて認めてくれていることが苦しくて切ない。


「だからこそ、ちゃんと考えて欲しいんだ……」


 俺に諭す様に優しく恩人は俺に語り掛けてくる。


 多分、言葉にするなら愛というものだろう。それが胸を締め付けてくる。


「君の人生を、君が君らしく生きられる人生を……君が幸せに生きられる生き方を見つけて欲しいと僕は思ってる。誰よりも君に幸せになって欲しいと僕は願っているんだから」

「ハ……イ」


 どう返したらいいかもわからない、


 重さも形もないが、


 ソコにハッキリ感じるものに俺は静かに顔を伏せた。


「まだ、今はいい。すぐに答えを出さなくても。ハジメは子供なんだから」


 いつまでたっても、俺はこの人の前じゃ弱い。


「ただ本当にやりたいことが見つかった時はそっちに行って欲しい」


 あまりに綺麗なことをいう人だから。


「君が心躍る方に真っすぐと進んでいって欲しい。約束だからね」


 俺は顔を上げ微笑みを作って銀翔さんを見返す。


「わ……かりました」


 一生この人に頭が上がらないままになりそうだ。


 本当に優しい人。心から尊敬できる人。


 まるで兄貴みたいな存在であり、もうひとつの親みたいな人。


 それが俺にとっての銀翔衛という人間。


 そして――


 俺の仕事の全てを知っている人。


 だからこそ、仕事をやめさせたいと思っているのだろう。


 この仕事には条件がある。ひとつだけ定められた重たい条件。


 もし、涼宮強が世界にとって危険だと判断できた場合は――




 俺はアイツを殺さなきゃいけない。




 それが、きっと気がかりになっているのだろう。


「銀翔さん、約束しますよ。俺が幸せになれる生き方を見つけます」


 俺の答えに満足した様子で銀翔さんはいつもの優しい笑みを浮かべた。


「なら、よかった」


 俺が幸せになれる生き方なんていうのは決まってる。


 世界を変えること。


 涼宮強という俺の友達が笑顔で迷いなく暮らしていけるようにしてやること。だからこそ、俺はこの仕事を続けていきたいと思っているし、思えている。


 口にはこっぱずかしくて出せないけど、


 この時の俺は本気でそう思っていた。


「あのさ……」


 銀翔さんが突如モジモジしだして、何か言いにくそうしている。


「もし、ハジメがよかったらだけどさ……」


 ――なんだ?


「また僕と一緒に暮らさない?」

「えっ?」


 突然の誘いに俺は困惑した。俺は一回逃げいている。


 この人との生活がイヤだったわけではない。


 この人に嫌われることが怖かった。


 あの時、俺は涼宮強を殺すことしか考えていない危険な状態だった。それをこの人に知られたくなくて、『拒絶』されたくなくて、怖くて、仕事をする建前で一人の生活を始めた。


 けど、今は状況が違っている。


 あの時とは――。


「それについては、」


 大晦日のあの日に強は『拒絶』の壁を越えて、


 一歩を踏み出した。


 その姿を思い出しながら俺は銀翔さんに答えを返した。


「ちょっと考えさせてください」

「わかったよ」

「ただ銀翔さん!」

「なに?」

「俺なんかに構うより早く彼女を作ったほうがいいですよ! せっかく気を使って俺が出ていってるのに女の影も一つもない! モテるんですから!!」

「いや……あんまりそっちに疎くて……」


 ちゃかしながら答えを返す俺に銀翔さんは苦笑いを返す。


「せっかくのバレンタインなんすから!」


 そっぽを向いて逃げる銀翔さん。


「チョコ貰ったをデートに誘うぐらいしてください!!」

「……気が向いたらね」


 まったくこの人は……こんな調子でいつまでも彼女を作ろうとしない。


 オスとしての機能が死んでると言っても過言ではない!


「じゃあ、報告を期待しています!」

「………………」


 唇を尖らせて黙る銀翔さんを尻目に俺は喫茶店を後にした。


 ただ、本当に銀翔さんの事を心配している。


 銀翔衛 40歳 独身。


 そして、モテるのに――


 童貞である。本当に心配だ。



≪つづく≫

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る