8.デットエンドの『沈黙』は90%から成り立っている……

第22話 毎年恒例ではなくなった花火大会

 その日はとても憂鬱だった。


 大好きな夏休みだったけど、


 大嫌いになりそうなぐらいで、


 こんな日が無くなればいいと


 俺の気持ちは沈んでいた。


「だぁぁぁ……めんどくせぇ」


 夕暮れ時オレは私服に着替えひとり支度を始める。美咲ちゃんを玉藻の家に迎えに行かなければならないから。女子二人で準備があるからと美咲ちゃんは先に出ていった。その美咲ちゃんから玉藻の家まで迎えに来いと連絡があったからだ。


「なにやってんだ……おれは」


 笑いあって楽しくて大切な思い出があるからこそ、


 この日が大好きだったからこそ――


 胸が苦しくって、心が切なくなって、イヤになる。


「行きたくねぇ……」


 毎年あった。一年ごとに必ず訪れていたイベント。俺の夏休み唯一の出かける日。もう毎年恒例ではないか……正しくは去年はなかったイベント。けど、それまでは毎年のようにあったイベント。


 俺たち三人にとって、当たり前の時間。


 ずっと俺たちにあった恒例行事――二子玉川の花火大会。


「ああぁ……くそ」


 薄手のシャツに手を通すがうまくつっかえて通らない。シャツが身体の成長に追いつかず追い越されているせいだと思う。もどかしい思いを苛立ちに変えて抜け道を探して腕を強く動かし袖に無理やり通す。


 収まる形がないものを無理矢理に取り繕う。


「お前もめんどくせぇのかよ……ったく」


 それが俺と同じように思えた。どうして無理にいつも通りを貫こうとしているのか。変わってしまったものを、形が合わなくなったものを、力づくで元通りにして、窮屈になっている感じが俺にそっくりだ。


 変わらなきゃいけないのに、前と同じようにと。


「あぁ、だる……」


 シャツに何とか腕を通して階段を下りて玄関にいく。靴箱からスニーカーを取り出して俺は靴ひもを結び直す。ずっと体が重く感じる。


 ――なんで花火大会に行くんだ……俺は。


 やめとけばいいとどこかで分かっていても仕方なく行かなきゃいけない。


「なにやってんだ……まったく」


 反発すればするほどに、『なぜ』という想いが強くなっていく。


 俺は何やってんだろうと思いながらも靴を履き終える。できれば家で寝ていたい。


 寝ていれば寝ている間だけは何も感じなくなるから。


 嫌な気持ちは時間に押され、心情につられて


 ――おもてぇな……


 いつもより重たく感じる玄関を開けて外に出た。


「…………っっ」


 目に入るのはオレンジ色に染まった風景。そこには俺の気持ちを表すみたいにおぼろげな夕日が見える。いつも終わりの時間が特別なこの日だけは始まりに変わる。


 憂鬱な気持ちを抱えながらその夕日に向かって歩き出す。


 玉藻の家に向かって歩き出す。


 玉藻の家は豪邸と呼ぶに相応しい。


 庭がデカくて植栽の手入れを職人がして、


 門が高くてデカくて中にはSPの黒服が何人もいる。


 政治色が強い家。


 普通の家庭ではないことを匂わせるにはその外観だけで十分な家だ。


 俺の背丈を遥かに越す、西洋風のリッパな門構えのチャイムを1回だけ押す。


『強ちゃん、いま出るね♪』


 楽しそうないつも通りの声。毎年となんなら変わらない。


 ――相変わらずだな……玉藻は


 玉藻の何も変わらない気の抜けた陽気な声が俺の憂鬱を加速させる。気持ちを締め付けてくる。玉藻といたくない。傍にいるのが苦痛に感じる時がある。ここ最近は特にだった。


 ――いっしょにいると疲れるんだ


 玉藻が笑うたびに何かに心がひきづられる。楽しそうにしているのを見るとイラっとする。悪気がないことも分かっているからこそ、通じないものに蓋をしていかなきゃいけないことが苦痛で仕方がない。


 ――なんで夏休みまでコイツと一緒にいなきゃいけないんだ。


 顔を下げていた俺の前で門が自動で開閉していく。


「おまたせ、お兄ちゃん♪」

「美咲ちゃん……」


 ――なに仕様なの……っ!?


 美咲ちゃんが出てきて俺の憂鬱は一瞬で吹き飛ぶ。俺の前に現れた美咲ちゃんはいつもとは違う美咲ちゃんだった。嬉しそうな笑顔を見れて嬉しいのもあるし、


 なにより


「よく似合ってるよ、美咲ちゃん! 最高だ、マジエンジェル!!」


 花火大会に合わせて、浴衣を着ていたから。


「エヘヘ、ありがとう」


 白い浴衣にかわいらしいピンクの花が刺繍ししゅうが施されている。赤い鼻緒の下駄を履いた美咲ちゃんが俺の目の前で照れて笑いながら、浴衣をせつけるように、袖をつまんで全身見せびらかす様にクルクル回りだす、どう?とダンスを踊るように。


「ちょー、かわいい……っっ」


 ――我が妹は至高なりッッ。


 俺はしみじみ美咲ちゃんの成長を噛みしめる。日本人としての和服の着こなしも一流だ。コレを見れるなら待ったかいもあるというものだ。なによりも憂鬱な気持ちが消え失せていた。


「きょうちゃん……」


 ――ん……?


 いつもの間の抜けた声だったが、少し静かめのトーン。陽気ではなくどこか落ち着いたような声色だったから何かを忘れてしまった。いつもとのギャップに俺は自然と目をそちらに向けてしまった。


「きょうちゃん」


 いつもは無視するのに――


「どうかな……?」


 無視したかったのに――


「……っっ」


 ――どうって……っっ


 静かに問われ俺の口が小さく空いたまま呼吸を忘れた。いつもと違う姿に目を奪われた。それ以外にうまく言葉で表現できなかった。視線が張り付いたように、固定されたように、動かなくなって。


 玉藻に止まってしまっていた。


 大人っぽく感じられる紺に近い青の浴衣。白い綺麗な牡丹の刺繍が施されていた。少し照れたように耳元をそっと手で押さえてこっちに微笑む姿に俺は止まっていた。少し照れくさそうにこっちを見てくる視線に俺は答えをだせない。

 

「お兄ちゃん、玉藻ちゃんに見とれ過ぎじゃな~い?」

「いや!? ちが!?」


 固まる俺に美咲ちゃんがニヤニヤして声をかけてきたのでビクっとした。


「きょうちゃん?」


 心臓がうるさく音を上げる。美咲ちゃんのにやついた瞳と玉藻の不思議そうな視線で何か見られてはいけない姿を見られたようで俺は焦って、口で何かを言おうと脳みそを高速で働かせる。


「ち、違う、まま、」


 ――けして、玉藻が浴衣用に髪型を変えてるからとかそういうことではない。うなじが少し見えるとか、耳元の髪をかき上げてる姿がちょっと大人っぽく見えるとか、そういうたぐいでもない!


「毎年見てたわこんなん!!」


 玉藻は玉藻だと言いたかったのに言葉がチグハグで毎年など見ていないのに、俺はしどろもどろに変な返答を返してしまった。けど訂正する余裕などなかった俺は言葉を無理矢理つなげる。


「いつも通りだ、いつも通ォり!」

「強ちゃん……」


 焦る俺に対して玉藻はしみじみと何かを感じるようにして、


 すこし言葉を止めてから、


「そうだね」


 いつも通りににへらと笑って見せて、


「いつも通り♪」


 切り替えた様にいつもの笑顔を俺に向けた。


 それに俺は耐えられずすぐさまそっぽを向いて、


「とっとと行くぞ。べらんめぇ、ちくしょう! こちとら、東京生まれ東京育ちのちゃきちゃきの江戸っ子だい!!」

「江戸っ子って、なに言ってるのお兄ちゃん?」

「ふふふ、へんなの♪」


 素早く身をひるがえして、その場から逃げ出す様に駅へ向かい歩き出す。


「強ちゃんに着いて行こう、美咲ちゃん!」

「おねいちゃんはお兄ちゃんにあまあますぎです……」


 玉藻と美咲ちゃんから逃げるように俺は先陣をきっていく。周りの景色など気にすることもなく、ただ感覚で覚えている駅の方に向かってただ一人歩いていく。


 ――動揺するこの気持ちは美咲ちゃんの笑顔でテンションが上がってしまったからで、俺の頬が熱を帯びて赤いのは夕日によるUVが肌にしみこんで色がかわって……


 頭の中がごちゃごちゃして考えが何一つまとまらず、


 ――それから、それから、それからそれから!!


 結論をを求めて俺は歩きを速めて


 ――とりあえず、ピエロがいないせいだ!


 ピエロのせいだという結論に落ち着く。何かにつけて理由を探して自分の荒れる気持ちをどうにか落ち着けさせようと。そこから離れる理由を出来るだけいっぱい探して焦る俺は先頭を歩き続けた。


 ――何を焦ったんだ、俺は……。


 3人は従来のフォーメーションを崩すように――いつも通りを壊す様に。


 玉藻を見ないように先頭を歩いていたい。見たくない。見てしまって、何かを自覚したくないように。それに気づかないように俺は後ろを振り返ることを絶対にしなかった。


 ――早くこんな時間終わっちまえばいいんだ……。


 と心の中でぼやきながら。


 焦る気持ちと憂鬱な気持ちが俺を板挟みにしていくから。






 騒がしい駅につくと、


「ねぇ……あの人」「ちょっと良くない?」「浴衣すごい似合ってる」「モデルかなぁ?」「身長高いし、スタイルいいし」「どうするうちらで声をかける?」「彼女まちでしょ」


 櫻井が何故かピエロに相応しくない恰好をして待っていた。


「やば、ちょーかっこいい!」「なんかあのクール感じいいよね……」


 ――無駄に人目を引いてやがる……しかも、アイツも浴衣か。


 ピエロが柱にもたれ掛かり男性用の浴衣を着て、両手を組む姿に歩く人たちは視線を向けて息を漏らしていた。確かにどこか様になっている。袖と袖の間で両手を隠し巾着袋をぶら下げている格好も。


 ――まぁ俺には劣るが櫻井は黙ってればイケメンだから。


 どこか静かなその立ち振る舞いはジュノンボーイみたいな感じを受ける。


 ――しかし、似合わない。


 なんとなく別のベクトルへの力を感じた俺は、


「どうして、お前は今日お祭り仕様なんだ?」

「俺には仕事があるからな!!」


 ――仕事ってピエロぎょうの方だよな?


 本来のピエロに戻すべく近寄って話しかけた。喋ればいつもの櫻井だ。イケメンと騒がれているやつとは思えないアホさ。周りの視線など気にせずにノリノリだ。


「オロチも言ってたが無職だろう、お前は……」

「違う大仕事がある! この世を変えちまうような、俺にしかできない仕事だ!!」


 ――世界を変えるだとッ!?


 俺は櫻井の言葉に心が震え憂鬱が吹き飛ぶ。


 ――そうだ。お前にしかできない大仕事がある。


「お~い、なんか反応を返せ」


 ――それは世界中の人を笑わせるピエロという崇高な職業。


「無視するな、キョウ」


 ――それがお前の仕事だ!!


「心で会話しないでくれ、オマエの考えなど俺にはわからん」


 ――ただ浴衣を着ているのは新しい芸の一環なのだろうか……


「頭使うふりをするのやめろ、似合わんぞ。というか、あっちもこっちも」


 ――ピエロキャラは日々進化しているからな。


「まただ……どいつこいつも幸せそうだ。ちっ」


 ピエロは駅に流れ込むカップルを見渡し嫌悪の表情を浮かべて、


「俺がぶち壊してやるから覚悟しとけよ……」


 しゃべり続ける。いつも喋りまくる。それが櫻井。どこかの子悪党のようなセリフを自然体で出してくる。それが櫻井。先ほどまでの女子の評価はなんだったのかと思われるほどの櫻井だ。


「お兄ちゃん……このピエロが一緒なんて私は聞いてない」


 さっそくの反応だ。これ普通の女子の反応。


「大丈夫だよ。コイツのしつけは終わったから」


 美咲ちゃんが苦虫を噛み潰したような顔して不安を顔に表していた。この前の客いじりのせいだ。まったく。やはり調教しておいてよかった。しばらくは大丈夫だろうと思う。


 プールでの俺の一撃で恐怖が体に刻まれたはずだ。


「ちょっと、妹に触っていい?」

「終わってない!?」


 櫻井が唐突に美咲ちゃんの頭に手を伸ばし、美咲ちゃんが全力で防御態勢をとった。ダメだった、失念していた。コイツには恐怖が効かないんだった。


「変態のままですぅ!!」

「仲良しなんだね。美咲ちゃんと櫻井くんは♪」

「おねいちゃん、勘違い!!」

「仲良しだよ、ぼくたち」

「やめろ、ピエロ!! 死ね!!」


 今回は玉藻の意見に賛成。美咲ちゃんがこんなに慌てふためくのは中々ない。これは心を許してきている前兆なのだろうか……妹が毒舌を吐くのは仲がいい証拠だと俺は思っているから。


 だって、お兄ちゃんにも毒吐く時あるから!


拒絶きょぜつが好物です♪」


 但し、このピエロはいつでも変態フルスロットなのを忘れていた。


「櫻井……お前は」


 発言と本気の顔がそれを俺にさとした。


「俺の妹の半径30メートル後ろから着いて来い」

「それは、もはや一緒に行動してねぇだろう!!」


 なんという素早いツッコミ。キレキレである。


「まぁ、どうせ俺は」


 櫻井はツッコミ終えると表情を変えて意味深に捨て台詞を吐く。


「大仕事でちょっと抜けるけどな」


 ――何をするつもりだ、こいつは? 無職の癖に。


「無職が粋がってほざきおる」

「兄妹揃って、辛辣だな!?」


 なんか意味深な言葉を出しながら決め顔をする愚かなピエロである。


 櫻井の仕事内容が少し気になりつつも俺たちは、


 駒沢大学駅から東急田園都市線の電車に乗って移動を開始する。


 宣言通りに櫻井だけは車両を一個分離した位置に配置した。


 二子玉に到着したときには辺りは薄暗くなり夕日に変わって交代だと言わんばかりに我が顔で月が姿を現していた。駅から人が溢れている。多くの人が年1回の花火を見ようとワイワイと騒いでいる。


「おーい、待ってくれ」


 俺たちは人混みに負けないように櫻井という新規メンバー加入によりフォーメーションを3-1に変えはぐれないように固まって歩き始める。


「おい、俺を置いてくな!」


 ただ、櫻井は30メートルも離れていたので、


「お前ら、無視するなよッ!」


 人混みに紛れ姿と気配は途中から空気とかしていた。


「安いよ、安いよ!」「飲み物にホットドッグもありまぁあす!」「焼き鳥いかがっすかっぁああ!」「おい、ちょっと待て!? 置いてかない――!?」


 花火会場に向かう途中の道では、コンビニ店の前で店員が躍起やっきになってドリンクやファーストフードを売っている。それぞれが今日荒稼ぎをしようと必死に叫びながら、かすれた声で呼び込みを続ける。今を一所懸命に過ごしている。


 喉が枯れてかすれた声になってまで、必死にやることないだろうに。


「強ちゃん、いっぱいお店あるね♪」

「当たり前だろう。祭りなんだから」

「あっちに焼きそばあるよ」


 玉藻は熱気に当てられ無邪気にはしゃいでいた。玉藻はあちこち指をさして俺に話しかけて来る。あっちの方がおいしそうとか。こっちがおいしそうとか。


 ……どれでもいいだろう。


 俺は唇を噛みしめる。この空気についていけない。


 俺は普通じゃないから。周りと同じように出来ないから。


 誰もが笑っているのに俺は……唇を噛むことしかできない。それに比べて玉藻がはしゃぎ楽しそうに、俺の名を呼び、自然に服をちょこちょこ引っ張るたびに嫌悪感が走る。


 ――やめろよ……そういうのはダメだろう、普通……


 俺の落ち込む気持ちと同様に夜は深さを増していき、


 ――息苦しい……


 湿った蒸し暑さが息苦しく、俺の憂鬱を増大させていく。



≪つづく≫

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