生きる事

今回は死生観の「生」について私が感じる事。


「死」については孤独であり、結果である、と。


ならば、「生」は。


一つは結果に対する、過程である。


「生」が「死」の反対であるならば、結果の反対である過程が「生」になる様に思うのです。


そして命あるものは全て「生」という過程を経て、「死」という結果へ向かう。


また「死」という結果は、あらゆる命にとって同様であるが、「生」という過程は、それぞれが、それぞれに違っていたりもする。


そうなんだよね。


過程に正解はない。


或いは、全てが正解である。


勿論、時には間違えてしまう事もあるだろう。


でも、それは過程にしか過ぎないんだよね。


「生」は結果ではない。


だから、間違えてもいい。


間違えながら、成長をしていく。


間違えて、反省をして、修正をする。


間違える事で、理解を深めてもいく。


間違えたら、罪を償う為に罰を受ける。


時には、その罰によって「生」を否定する事もあるが、それは仕方がない。


人間社会は法によって秩序が保たれている。


その法により「死」を課せられるのなら、従わざるを得ない。


そして、だからこそ、法で裁けない命を人が裁いてはならないと、私は思う。


どんなに加害者が憎かろうとも、「生」による更正と贖罪の機会を奪ってはならない。


人は間違いをしてしまう生き物である。


その間違いを問えるのは法だけだと思うんだ。


そして、それも含めて命は全て許容される。


何故なら、「生」は過程にしか過ぎないから。


善人だって居ていい。


悪人だって居ていい。


男性だって居ていい。


女性だって居ていい。


大人だって居ていい。


子供だって居ていい。


それらに当て嵌まらない者も居ていい。


法を破った者だけが、法によって裁かれる。


悪人が悪事を働くとは限らない。


善人が悪事を働かないとも限らない。


どの様な者であれ、罪を犯した者が罰を受ける。


過程においては善人が悪事を働く事だってあるんだよね。


だから変な話、過程で間違える事は間違いではないのだ。


何を言っているのか、よく分からなくなるけどね(笑)


とにかく「生」は過程であるので、どの様な命であっても許容されるべきと思うのです。


多数派であっても、少数派であっても、同じ「生」なんだよね。


そして、それが次に繋がる。


「生」は可能性。


命ある限り、0にはならないという事。


限り無く0に近くとも、「生」ある限り、0にはならない。


その可能性を信じられない事もあるでしょう。


かく言う私も日々、葛藤をしていたりもする。


それでも、一つの現実として、今、「生」があるのであれば、その可能性が0になる事はない。


以前の私は、今、こうしてまた、ネットでの活動が出来るなんて信じられなかった。


その時は、その可能性が0だと思い込んでいたんだよね。


それでも死なずにいたから、今、実現しているのです。


今、こうしてネットに復帰が出来た事で、以前の私が勝手に思い込んでいた事に気付く事も出来た。


可能性は0ではなかったという事になる。


そして、それは私だけではないだろう。


私以外の全ての者にも、当て嵌める事が出来るのではなかろうか。


「生」ある限り、可能性が0になる事は無いし、諦めない限りは、その可能性を作り出す事だって出来るのかもしれない。


そして、その様な様々な命、様々な可能性が、我々の可能性を更に拡げてくれるのではないか。


色々な命に可能性がある。


その一つ一つは小さな可能性かもしれない。


でも、その色々な命にある、それぞれの可能性。


その、それぞれの可能性が我々の選択肢を拡げてくれる。


1人だったら、1人分の可能性しかない。


10人になれば、10人分の可能性になる。


勿論、選択肢が増える事は、いい事ばかりではない。


選択肢が増える事で、最善の選択肢に辿り着く確率は下げてしまう事は考えられる。


ただ、10人だったら、10人の中に当たりがあるとは限らない。


20人になれば、その中に当たりを含む確率を上げる事が出来る。


もっと増やせば、もっとより良い当たりを含む事だって出来るのかもしれない。


そして、現実には、そうやって無制限に可能性を追求する事は出来ないだろう。


何処かで線引きをして、現実的な選択をしなければならなくもなる。


でも、ネットは無制限に可能性を追求する事が出来る様に思うのです。


寧ろ、ネットは、それをするのに便利なツールでもあると思う。


だから私は発信をしている。


可能性を追求する為の発信を。


そして発信をする事で、私は「生」を感じている様に思う。


私にどの様な可能性があるのか。


正直、まだ何も分かっていない。


何の可能性も無いのかもしれない。


でも、それは実際に死ぬまで、はっきりする事は無いのだ。


「生」ある限りは、可能性が0になる事はない。


そして、その僅かかもしれない可能性で、何かの役に立つ事が出来たら。


そんな風に思いながら、日々、一生懸命に書いている。


今はそれが楽しいし、幸福にも思う。


本当に私は生きているんだなぁ。


今の私にとっては発信をする事が生きる事でもある。

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