4‐8

***



「先生、フランツ・リストです。入ってもよろしいですか?」


不意に響いたノックの音に、フレデリック・ショパンはしぶしぶピアノを弾く手を止めた。残響が戸惑いのように揺らいで、消える。


(ちぇっ、相変わらず空気の読めない……)


神経質にブロンドのふわふわした髪の毛をいじりながら、ショパンは不機嫌そうな足取りで自分専用の研究室のドアを開けた。


「お忙しいところ、失礼します」


にっこりと柔和な笑みが浮かぶその顔に、内心でまた舌打ちをした。こいつの貼り付けたような笑顔には、いつも苛立ちを覚えさせられる。


「……なに? ご存じのとおり、忙しいんだけど」


「すみません、すぐにおわりますので」


「あっそ。で?」


目も合わせようともせず、自分の爪を眺めるショパン。それを気にする様子もなく、リストは後ろ手を組んだ背筋をすっと伸ばしさわやかな声で言葉をつづけた。


「実は、先生に相談がありまして……」


「相談? 君が?」


ふん、とショパンは鼻で笑った。

リストが自分のことを疎ましく思っているのはよくわかっている。だからというわけでもないが、ショパンにとってもフランツ・リストという生徒は気に食わない存在だった。

専攻しているピアノの腕も確かだし、目上の者に対する態度も礼儀正しい。しかし、慇懃な態度で他リューリスや現ヴィルトーに媚を売りながらも、その目の奥にはかすかな蔑みが常にちらついていることに、彼は気づいていた。

自分に自信のない者よりは、自信のある者のほうがずっと好ましい。しかしリストが纏う自信には、どこか独りよがりな、不快なものを感じていた。


「なるほどね。じゃ、さっさと話してくれるかな。時間ないんだよね、僕」


「ええ、大丈夫です。すぐに終わりますから」


ゆらり、とリストの身体が動く。

流れるような自然な動作で、後ろ手に隠し持っていた鉄パイプを素早く振りかぶった。


「……すぐにね」


突如向けられた鋭い殺意に、一瞬言葉を失うショパン。リストの顔には変わらず、優雅な笑みが貼り付いていた。



「お、まえっ……!」


その温度差はぞくりと背筋を震わせ、束の間ショパンの身体の自由を奪った。



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