4-2
「カール? 入るよ?」
何度呼んでも気づく気配のないカールに痺れを切らし、ルイはドアノブを捻ってそっと中を覗いた。
むわっ、と篭った空気と室内に満ちた音が、隙間からこぼれ落ちる。
部屋の中心には一心不乱にバイオリンを弾くカールがいて、ルイは再度声をかけようと口を開いた。
そして、言葉を失った。
無機質。
今の彼の表情を形容するなら、その言葉が一番ふさわしい。
練習は好きでなくとも、バイオリンはこよなく愛しているカール。
だからいつだって楽器を弾いているときはきらきらと瞳を輝かせ、その喜びを全身で享受し表現をする。
心のない演奏など、彼にとっては何よりも許せないものであった。
はずなのに。
この無機質な顔はなんだ。
心なんてどこにも感じられない。まるで機械だ。
あまりにも普段と違いすぎる光景に首筋のあたりがぞわりと逆立つのを感じながら、カールの弓と指の動きを目で追った。
そして気が付いた。
―――これ、曲じゃない。
カールが弾いているのは、その中でも一番の基本である『ドレミファソラシド』を基準とした、全30調のスケール。
それもそれぞれ分散和音や
スケール練習は基礎を身につけるには最適の方法であり、ヴィルトー志願者達はその道を避けて通ることは出来ないとされている。
だがその練習法はあまりに単調であり、しかも地獄のように長い。
カールが最も嫌い、また絶対に手をつけない練習法のはずだった。
「カールってば!!」
異様な空気から逃れたくて、ルイはとうとう弓を持った彼の腕を強引につかんだ。
瞬間、思いもよらぬ強さで振り払われ、カールはきっとこちらを睨んだ。
激しく、乱暴な眼差しだった。
しかしルイの姿を認めると、ふっと夢から覚めたような様子でカールはゆっくりと瞬きをし、微笑んだ。
「ああ、ルイか……どうしたんだよ。ノックもしないで入ってくるなんてお前らしくないじゃないか」
ごめん、としどろもどろに詫びながら、再びカールの様子を伺う。
肩から楽器を下ろした彼は、いつもの彼とさして変わらぬように見えた。
「ハンナさんが、ご飯って……」
「え、もうそんな時間? まじかよ……どうりで腹が減るはずだな」
はは、と笑いながら楽器を片付け始めたカールの背中を、ルイは疑心とともに見つめる。
なにかがおかしい。
ここにいる友人は、本当にカール・ツェルニーなのだろうか。
そんな突拍子もない疑問が頭に浮かんだ。
(それに、あの目……)
カールと友人になってからもう5年が経つが、あのような凶暴な顔を見たのは初めてだ。
バイオリンを演奏する手を止められたのが気に食わなかったのかとも思ったが、そんな場面は今までに何度もある。
今回に限って、なぜ。
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