第6話 魔王城の騒ぎ


 魔王城は魔王族の自宅であると同時に、魔王国政府の中枢でもある。膨大な量の種類に振り分けられた、超絶的な量を誇る資料と書類の数々は、何十枚も事務員が模写して、地下にある広大な資料保管室と書類保管室で管理している。


 その事務作業の頂点に立つ者こそ、魔王の子供である、王位継承権第一位の第一魔王子クロヴィスである。


 「さて諸君、仕事の時間だぞ。報告書類だけで山脈になりそうな量だ、気を引き締めて掛かれよ」

 「ず、随分凄い事に…!!」


 事務員のゴブリン達が資料の量に腰を抜かしそうになるか、本当に腰を抜かして立てなくなってしまう程、クロヴィスの持って来た書類の量が膨大である。


 普段は紙束をトレーに乗せて両手で抱えるのが常であるが、今日は訳が違う。クロヴィスが引き攣れるクロヴィス船団の船員達が台車を押して、物凄い量の書類を事務室に運んで来たのだ。


 キュラキュラと言う車輪の音から、条件反射的にコーヒーでも運ばれて来たのかと思って振り返ったオークが、人並外れた巨躯を「何じゃこりゃあ」と捻る。


 「クロヴィス様、この量は何なんです!?」


 オークは巨体を生かして大量の書類を運ぶ役目を持っており、序に警備員として強力な腕力に期待されている種族である。その力強さから船団にも数人のオークが採用されており、魔王国全体で見てもポピュラーな種族であるのだが、そんな彼からしても異常な量らしい。


 「ああ、例の調査に関する報告書類とは、そう云う事ですか」


 他のオークが伝統的な鎧を着込んでいるのに対し、部屋の奥に居るオークだけは、魔族の様に正装しており、サラリーマンの様な井出達で事務仕事を始めた。


 それを見たクロヴィスも自分の席について、最優先の書類を片っ端から処理し始める。やる事と言えば箇条書きの報告内容を文章化し、魔王とその家臣に正式に発表できる形に仕上げる事で、やっている事は会社に勤めているジンと殆ど変わりがない。


 相違点はジンはパソコン、クロヴィス達は手作業である所だ。それに鉛筆であれば消しゴムも使えるのだが、クロヴィスが使うのは羽ペンであり、質の悪い練り消しの塊の様な物でゴシゴシ擦って誤魔化すのが限度で、紙の質が悪い事もあって集中力が必要になる。


 だが、それが普通になっていれば苦労とも思わない。パソコン作業が楽である事を知らないクロヴィスは、辛いとも思わずミスもせずに羽ペンを持つ手を動かしながら判子を押す必要があるのか、無いのかを瞬時に判断しながら作業する。



 事務員達は資料の処理作業を通じて、クロヴィス船団が調べた事を徐々に把握していく。魔王国周辺海域に於ける海底の地質変化を知った。鉱石が表面に露出したり地形変動が発生して居たり、大凡地上で起きている不思議な現象と同じ事が発生しているので、オークやゴブリン達も状況が詳しく知りたくなって来た。


 昼食休憩の時間になると、頭が四つあるコォーペと言う鳥の肉を使った『コォーペ鶏肉のキャベツ巻き』と言う、魔王国で一番食される伝統料理を食べながらゴブリン達がクロヴィス船団の報告書の事で喋っていた。


 城内には幾つか食堂がある。事務職や警備隊が使用する一般食堂では、やいやい騒ぎながら食い散らかし、上級食堂では貴族や騎士が静かに食事しており、魔王族が使う特級食堂ではクロヴィスや魔王を筆頭に、会議めいた会話をしながら料理を食べている。


 一般食堂の収容人数は小柄なゴブリンでは500人規模、大柄なオークでも300人は収容できる。魔王城は広い上、政府機関なので仕事が多く、沢山の事務員の為に魔王城は五つの一般食堂を有しているが、それでも3回交代制で食事しないと全員は収まらない。


 上級食堂は二か所、収容人数は320人。殆どが上級魔族である為、大きさも人間やエルフと大差ないので、種族毎の収容人数の変動が一般食堂より少ない為、2回交代制で食事に対応している。


 特級食堂は一つだけだが、これは警備上の問題である。魔王族に手を出す不届き者が現れた時、即座に対応する為に防衛対象を一か所に纏めておく作戦である。


 普段出入りに使用する扉も南北にしかないが、緊急事態が発生すれば西側の滑り台で脱出する。この滑り台は先代魔王の時代に現れた、魔王国所属の異邦者によって齎された知恵である。


 この知恵を出した二名の異邦者は、片方が常識人で、もう片方がぶっ飛んだ阿保のクレイジー野郎だと相方に言われていた。事実、先代魔王に連れられていた当時の魔王も、父親である先代と一緒に引き攣った苦笑で「凄いね」と一言いうのが限界だった。


 その阿保異邦者の入れ知恵により、当初は真面だった筈の滑り台が傾斜70度で初速を稼いで大ジャンプすると言う、脱出なのか罰ゲームなのか良く分からない滑り台になってしまい、水中訓練用のプールに落ちる様に緻密な計算をしたお陰で怪我こそしない設計になった。


 とは言え、無茶な設計に納得できなかった者は多く、一度人間の大連合軍が各国の勇者と一緒に魔王国に進軍した時は、まだ王位を継承していなかった若かりし当時の父親が、絶叫しながら幼子のクロヴィスを抱えて滑り台を利用したので、その有用性が実証されてしまった事は、当時の貴族と魔王族の頭を悩ませる物だった。


 これでは罰を与えられないし、それ以前に褒美を出さないと。そうやって頭を抱えて会議に数か月を費やした結果、二人の異邦者に侯爵と伯爵の家から娘を宛がい、下の世界に嫁となった女を連れて帰ったのを見送って、漸く魔王族は一安心出来た。


 先代魔王、つまりクロヴィスの祖父は疲れ果てて王位継承宣言をした後、隠居。クロヴィスが船団を率いる直前に眠りについたので、クロヴィスは幼き頃の不確かな記憶を頼りに、当時の文献を探して状況を把握する事に勤しんだ。


 クロヴィス船団の活躍と同時期、文献を読み漁っていた事は王位継承の儀式で魔王になった彼の父も把握していたが、それ以外にクロヴィスの行動を知る者は意外と少なく、表立って活躍する船団の輝かしい功績の裏に隠れる事となった。


 だが元々隠す必要はない。クーデターを狙っている訳ではなかったクロヴィスの行動を知る者は、その性格も知っている。信頼されているクロヴィスは特に警戒されずに文献を読めた。


 文献を読んで状況を知ったクロヴィスは「異邦者は危険」と判断し、異邦者に頼ろうとする世界の傾向に疑問を感じていた。その疑問を父親である魔王に打ち明けた時は魔王も同じ考えだった様で「うむ」と同意した。


 滑り台を利用した魔王と配下の者、護衛の騎士を合わせて滑り台の利用者は30人近く居り、使った本人も空を飛んでいる訳でもないのに、異様に長い滞空時間を体験したのだ。それに魔王族は飛行能力を持ってはいるが、鳥やドラゴンには見劣りする為、飛行速度はかなり遅い。


 そんな彼らが自分では出した事のない、レシプロ戦闘機さながらのスピードで大空を突っ切っていく感覚、それは恐怖でしかなかった。嫌々ジェットコースターに乗り込んだ小心者が如く「うわああああああああ!!」と大絶叫した当時の魔王の顔はクロヴィスも覚えている程、強烈な印象があった。


 配下の者の多くは戦に出ない文官ばかりなのだが、武官である筈の騎士ですら想像以上のスピードに恐れ戦き、最後の方は押し寄せる勇者達から逃げる為に、仕方がないと腹を括って脱出する者と、嫌だ嫌だと泣きながら異邦者に蹴り落とされる者で大半を占め、異邦者達の強烈な魔法により勇者を吹き飛ばし、その隙に異邦者も脱出した。


 文献によればクレイジーな方は状況を楽しんでいたが、真面な方の異邦者は相方の背中にしがみ付いて泣き叫んでいたらしい。


 そんな滅茶苦茶な異邦者がやって来るかも知れない、と父親である魔王に進言すると魔王も「あれは懲り懲りだ。先代が良く考えずに採用したら、とんでもない体験をする事になった」と顔色の悪い状態で遠くを見つめていた。



 今日の食堂は三種類全部の食堂でクロヴィス船団の調査任務の話題になっていた。


 「なあ、クロヴィス様達は一体何を調べて来たんだ?」

 「報告書類は上がったんだろ、教えてくれよ」

 「うーん、作業し出したばかりだから何とも。何か大陸中で起こってる異常現象に関連するらしいけど、俺達に回ってきた仕事は食料や燃料の消費量、各物資の補給や関連事項に於ける請求金額の計算だしな」


 一般食堂で食事するゴブリンやオーク達は基本的に物資をどれだけ消費したのかを計算したり、船の傷み具合から修理の費用と期間を推定する仕事ばかりで、任務内容に直結する情報は書類を整理している間に盗み見た、断片的に目撃した構図や文章だけである。


 「強いて言えば物資の消費具合からして、他国の軍と戦ったり偵察したり、って感じではないかなぁ。砲弾だって最初から自衛程度にしか積んでないし、弾薬の補給項目については『補給注文』じゃなくて『弾薬返還』だし」


 何かしら戦いがあったなら、一発以上は消費する筈である。その場合、使用した数の砲弾を魔王城の弾薬庫に補充する様に要求する。それが『補給注文』である。


 尤も、クロヴィス船団の場合は第一魔王子クロヴィスから直接『弾薬管理部門』に要請している訳であって、普通の船団は何発消費しようが、報告書すら出さずに勝手に残りの弾薬を弾薬庫に運び込んでいる。


 この力仕事でさえ、普通の船団なら船員が行う。だがクロヴィス船団は船員が数名参加して弾薬管理部門の職員と、弾薬補給額について話し合うだけだ。力仕事は弾薬庫の職員が担当する。


 クロヴィス船団のメンバーの中に、オークやオーガの様な力自慢の種族が極端に少なく、飛行能力を持った悪魔族が優先されるのも、この辺りが関係している。確かに力自慢の種族なら、筋力を戦闘力に転化出来るだろうが、悪魔族には強烈なトラップ魔法がある上、オークの様な鬼人族の脳筋ぶりと比較すると、知的で機動力があり攻撃手段も豊富に持つ悪魔族は、魔王国を代表するクロヴィス船団には理想の船員だ。


 悪魔族が採用されているのも、男も女も優れた容姿であり、言ってみればアイドル部隊としての側面を持つクロヴィス船団には、非常に有り難い存在である。


 そんなクロヴィス船団の悪魔族も使用する食堂は上級食堂で、やはりと言うべきか1番隊や2番隊の様な船団を代表する看板チームの隊長達は、周囲を貴族の令嬢や各地の将軍に囲まれて、非常に困っていた。


 「ハルマート様、此度はどの様な怪物を退治されたのです!?」

 「だーかーらー、調査任務だってば。一発も撃ってないって」

 「おお、やっぱり悪魔族の魔法で倒したんですね!」

 「駄目だこりゃ」


 どう足掻いても「華麗に戦い、醜くて恐ろしく強い化け物を退治した」事になるのは変えようがないらしく、彼女の思考回路に1番隊の隊長ハルマートは溜息交じりに困り果てていた。


 「諦めた方が良い。魔獣族は話を聞かないぞ」

 「そうは言っても、この配置だぞ…」


 宴会ではないので立ち歩く訳にもいかない、とハルマートが向かいの席の令嬢の輝く瞳に溜息をプレゼントする。どうせなら疲労感も一緒にプレゼントしたい所だ、と上の空になりつつ食事を続ける。


 仲間の船員が声を掛けてくれるので、精神ダメージは軽減されている。だからと言って魔獣族の話の聞かなさは項垂れたくなる物があり、困った種族である。


 この種族が魔王国の人口の半分強である事を考えると、気落ちしてしまうのが歴史と言う物で、彼らは優秀な職人や戦士を輩出する一方、話を聞かないが為に前線の急激な戦況の変化に対応できずに、納品する武器を間違える事が多く、魔獣族の兵士は突撃と撤退しか分からない、と言いながら勝てる戦を放棄せざる得なかった、現場の司令官が涙目になる事も少なくない。


 更に魔獣族には『大衆の話題には非常に敏感』である事と『勘違いし易い』と言う非常に困った特徴がある。


 (どうせクロヴィス船団なんて大物を引っ張り出すんだから、任務だって過激な戦いを繰り広げるに違いない…って考えなんだろうな)


 だとしたら間違っているのか、間違っていないのかは判断し辛い。クロヴィス船団と言う『国の看板』である凄腕部隊に簡単な任務を任せる事は、ハルマートも疑問に感じていた事だ。


 如何に彼が魔王に篤き忠誠を誓おうと、任務自体が不自然であれば首を傾げたくなる訳で、ずっと考えながら仕事をしていたと言うのが、正直な話である。


 尤も、ハルマートが信頼しているクロヴィスも「うーん」と唸る様な不思議な任務うらしいし、大陸全土に出現している「廃都市と関連しているらしい」とはクロヴィスが教えてくれたので、ハルマートも軍人として変な事に首を突っ込む事はしなかった。



 結局、クロヴィス船団の船員も言われた事をやっただけで、命令の真意は殆どの人が理解していない訳だ。だからこそ、黙りはしているがハルマートも「変な任務」程度には疑問視している。


 誰よりも任務を理解している立場のクロヴィスも、任務内容が疑問なのかは分かり難いとしても、その全貌を把握している訳ではないのは、様子を見る限り確定だろうとは思うが、そうだとして「その先を予想する」のは、余りにも困難であると感じている。


 兎に角「良く分からない任務」の一言に尽きるし、それ以外表現できない。強いて言えば変わり種の任務ではあるが、それにしたって海底の露出しただけの鉱石を探し出すだけで、採掘する訳でもない。


 それ自体は普通だ。探す段階では何処にあるのか良く分からないので、航続距離を稼ぐ必要性を考えれば、採掘用の機材を積んで船の負担を増やすのは、危機予測の観点から危険である。


 だが、後で採掘しに行く訳ではなさそうだし、そうだとしたら、そもそもクロヴィス船団なんてビッグネームを指名せずに、普通の船団で良い筈だ。調査内容に関しても箝口令と言う程強烈ではないが「一応黙ってくれ」とクロヴィスが言って居るのだから、彼の立場を考えれば「言い方はお願いだが事実上の命令」と考えるのが自然。


 「一応言っておくぞ、ご令嬢方。黙れと言われている上、俺達も任務の真意は理解しかねる。不思議な仕事だったんでな。事の真相、考え…それを知りたいなら魔王陛下にお尋ねした方が、その…手っ取り早くはある」


 「取り合うかは知らん」と言いながら食事を終えたハルマートが、ナプキンで口元を拭きながら席を離れるのを、質問攻めしたくて堪らない、と顔に書いてある貴族の令嬢達をポカーンとさせてしまう言葉だった。


 彼女達は恋愛、或いはそれに準ずる話題と気軽さを前提にしていた。一方のクロヴィス船団の船員は、ハルマートを含めて「言えない事は言えない」と仕事優先の思考回路で結論を出している。


 その食い違いは令嬢達を戸惑わせてしまう物だったが、だと分かっていてもハルマートには上手く説明出来る程、話術の才能が無い。


 結局、その場は変な空気で終わってしまうのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る