4話

 扉の向こうで私の話を聞く女は、どのような表情をしていることだろうか。


 そうだ、私は犠牲者であって、スナッフマンではない。

 しかし彼女は私のことをスナッフマンだと思ったに違いない。


 否、そう思わせるように、ここまで行動をしてきた。


 女のことは以前から知っていた。近所のマンションに恋人と暮らす二十代のフリーターで、休日には二人で嬉々として出かけるのを、駅までの道中にある私のアパートからよく見かけていた。


 彼女が働いている三駅隣の駅ビルにあるコンビニには、足繁く通いもした。働きぶりも人当たりもよく、きっと、誰からも好かれる女性なのだろうと思えた。年齢に囚われず笑みを振りまく姿に、私も、好感を抱いていたのは間違いない。


 擦りガラス越しの彼女は今、こちらに背を向けている状態で、顔は見えない。

 手の中の包丁の切先に人さし指を押し当てながら、いつから、痛みを感じなくなっただろうかと考えている。


「犠牲者、って、どういうことですか」


 唐突の拉致。そして襲撃に問わず、彼女は冷静だった。この場において、扉一枚挟んでいるとは言え、彼女はきちんと思考を行い、あまつさえ敬語まで扱えている。上等だった。


「スナッフマンの投稿した動画を見たことは?」

「ないです」

「酷いものだよ」目を瞑ると今にもその光景が蘇る。


「動画は唐突に始まる。畳の部屋に転がった若い女性。ちょうど、君と同じような感じだった。手足は縛られていない。部屋の四隅に据えられた蝋燭がゆらゆらとその女性の顔を映す。


 起き上がった女性はわけもわからないまま叫び声を上げた。短い悲鳴だった。それでも殺人鬼に知らしめるには十分な声量だった。ドスドスと踏み鳴らすように階段を上がる音。開く襖。彼女は立ち上がることさえ出来ない。殺人鬼の姿は映らない。笑い声さえ上げやしない。ただ、薄闇の中に、ぼんやりと、人影が在るのがわかる程度だ。そうして彼は女性に近付いていく。畳が軋む音。這いずる女性。鈍く光る包丁が女性の足を切りつける。ジワリと血がにじむのが見える。殺人鬼は女性の襟首を掴んで無理やり立たせると、抱きしめるようにして身体を寄せ、恐らく何かを呟くと、彼女を部屋の外へ押し出した。


 そこからは出口のない家の中を逃げ回り、隠れる女性を、舐めまわすようにして追いかけ、致命傷にならないよう嬲る望洋とした殺人鬼の様が、あらゆるカットで流される。


 最後にはカメラの前に女性の首を突き出し、喉を締めた。カエルのように呻く女性の顔が、徐々に徐々に青ざめていく。泡を吹き、目を剥き、舌が飛び出て、やがて静かになる。


 実に三十分。ずっとそういった映像が流される。一度さえ、まともに殺人鬼の姿は映らない」


 女はぐっと喉を鳴らしてから一度黙ったが、ややあってから、

「模倣犯……、ではないんですよね」

 漏らすような小さな声で訊ねてきた。

「残念だけど、少し違う」

「少なからず本物ではなくて良かったと、今は少し思ってます」


 言葉の中に安堵はなく、緊張だけが滲んでいる。懐柔する気かはともかく、隙を窺っている気配があった。

 ただ、

「本物でなくとも、私は君を殺すよ。私のために」


 そのための舞台、そして配役なのだ。


「犠牲者、というのはどういうことなんですか」気を逸らすつもりか、彼女は繰り返しそう聞いてきた。「今までに出回っている殺人ビデオは一本。未だスナッフマンが捕まったと言う話も聞かない。襲われて、逃げおおせた、というわけではないんですよね。それに、こんな真似事までしてる。どういうことなんですか」


「今の君なら」研ぎ澄まされた神経ならば、「わかるのではないだろうか」

 ポタリ、一滴、血が落ちる。


「女性の、知り合い……、恋人?」

「その通り」その血を包丁で突き刺した。「彼女は私の恋人だった」

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