第三章 仇


 なんだろう、この胸騒ぎは。

 地下なのに、光が射している。その先から、レンゲの声がした。

 ホタルは走った。何回か足を滑らせ、瓦礫に打ち付けた膝や手首が痛んだが、速度は落とさなかった。広間に駆け込む。身を隠すのも忘れていた。


「レンゲっ……」


 そして、ホタルはそれを見た。

 目の前に、レンゲが立っている。

 いや、違う。レンゲじゃない。そっくりの山吹色のドレスを着ているけれど。これはレンゲじゃない。


 だって、このレンゲに似た何かには、首から上が無い。


 ホタルは、立ち尽くした。

 耳にはまだ、さっき聴こえたレンゲの声が反響している。

 嘘だ。嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。

 こんなの、何かの間違いだ。そうだ、レンゲを探さなきゃ。レンゲはどこ?


「一体だけではなかったのか」


 低い声がした。ざっ、ざっ、と横から足音が近付いてくる。

 全身が金縛りのように動かない。ホタルはどうにか顔だけ振り向いた。

 そこにいたのは、濃紺の服を着た、短髪のDOLLだった。

 右が紫、左が青の左右非対称の瞳で、ホタルを睥睨している。

 巨大な鋏を、両手で携えて。


「そいつは、愚か者にしては良い腕をしていた。僕のホーミングハットを咄嗟に防いだのは、そいつが初めてだ。もっとも、首を狩る得物が帽子になるか鋏になるかの違いでしかなかったけどね」


 左右非対称の瞳のDOLLが、鋏の切っ先で床を示す。

 ホタルは、無意識のうちにその先を目で追った。最初に視界に入ったのは、見慣れたレンゲのヴァイオリン。弦は引き裂かれ、そこに壊れた帽子のようなものの一部が食い込んでいる。

 そのすぐ近くに、沢山の蜂蜜の壺と一緒に転がっていた。

 今日一緒にパーティーを組むと約束したばかりの、仲間の頭。


「……どうしたのよ、レンゲ。狩りの練習はもう終わり? 私まだ、全然教えてもらってないよ。それともお腹が空いた? なら蜂蜜を集めて、一緒に家に帰ろう」


 ふらつきながら、話しかける。


「はは、ちょっとレンゲ、頭が落っこちちゃってるよ。私を驚かせようとしてるの? そんな冗談、ちっとも面白くないよ。……ねえ、返事してよレンゲ」


 しゃがんで、頭を持ち上げようとした。ずしりと重い。顔をこちらに向ける。そして、見てしまった。目を見開き、恐怖と絶望に歪んだまま硬まった、変わり果てた顔を。


「……………………ッッッッ!」


 ホタルは、声にならない悲鳴を上げ、その場にくずおれた。

 視界がぐるぐる回る。ごうごうと耳鳴りがする。息ができない。喉に手をあてて喘ぐ。

 レンゲが、死んだ。

 ホタルは、ざらざらしたコンクリートの床に強く爪を立てた。痛みで正気を取り戻すために。


「お前が……お前がやったのね」


 立ち上がり、非対称の瞳のDOLLに剣を突き付ける。


「お前が、殺したのね!」

「それがどうした」


 剣を向けられても、DOLLは微かに目を細めただけだった。


「君達がモンスターを狩るように、僕も人形を狩っている。それだけさ」


 ホタルの目には、非対称の瞳のDOLLが笑ったように見えた。

 DK。ドールキラー。人形殺し。今更になって、レンゲの言葉が数珠繋ぎに脳裏をよぎる。

 許さない。こいつだけは絶対に許さない。


「……私の仲間を、レンゲをよくも! うわああああああっ!」


 ホタルは、腹の底から怒声を迸らせ突進した。右足を深く踏み込み、剣を敵DOLLの右肩めがけて袈裟がけに振り下ろす。

 だが、非対称の瞳のDOLLはホタルの剣を避けることさえしなかった。巨大な鋏の中心を持ってくるりと回し、ホタルの剣を難なく弾く。

 凄まじい衝撃に、ホタルの方が吹き飛ばされた。剣を床に突いて、辛うじて転倒を避ける。

 重い。武器に込めた重さがまるで違う。それに、奴が放つこのプレッシャーは一体なんだ。


「僕を恨むのはお門違いだ。競争と淘汰、それこそがグランドクエストの本質じゃないか」


 鋏の持ち主の双眸は、どこまでも冷たく静かだった。


「戯言を……!」


 ホタルは腰を落とし、剣を構え直した。次こそ必ず倒す。


「まさか知らないのかい? グランドクエストはバトルロワイヤル形式だ。戦い方にルールは無い。パーティーを組んで共闘するのも、ソロで戦うのも自由。全ての異なる人形を倒し勝ち残った種族だけがこの世界からログアウトし、理想郷アルカディアへの移住を許される」


 非対称の瞳のDOLLの淡々とした口上が終わる前に、ホタルは飛び出していた。敵の直前でくるりと身体をひねらせ、斜め下から脇腹に剣を滑り込ませる。だが敵DOLLは今度も直前で鋏を操り、ホタルの剣を跳ね飛ばした。


「君の剣は弱いな」


 そう言って、非対称の瞳のDOLLは初めて自分から攻勢に出た。


「弱く、そして醜い」


 勇壮な質量感とともに、巨大な鋏が横に振られる。ホタルは身体を沈め、ぎりぎりでかいくぐる。ホタルの長い黒髪が何本か巻き込まれ、引き千切られていく。


「なんですって……!」


 ホタルの怒りに燃える瞳と、非対称の落ち着き払った瞳とが交錯する。


「死者に執着し怨恨で戦う君の剣が、今日を生きる者のために戦う僕に届くはずがない」

「ふざけるなあっ!」


 ホタルは、叫びながら斬りかかった。

 詭弁を。醜いのはどちらだ。今日を生きるレンゲを殺したのは誰だ。レンゲは生きていた。生きていたんだ。甘い物が好きで、ヴァイオリンの音色を愛する優しい子だった。ホタルが仲間になったことを心から喜んでくれて、ついさっきまであんなに元気で、あんなに笑って。それをお前が殺した。絶対に許さない。

 無我夢中で剣を振った。その全てが鋏に弾かれた。どんなに深く間合いに踏み込んでも、非対称の瞳のDOLLはいささかも動じなかった。そこにあるのは、圧倒的な強者の自負。


「同じDOLLと戦うのは初めてだから少し期待していたけど、なんだ、こんなものか」


 その言葉で、手加減されていたことを思い知る。


「まあいいか、十分に愉しめた」


 非対称の瞳のDOLLは、無造作に爪先でホタルの軸足を払った。体勢を崩したホタルを、再び鋏の横薙ぎが襲う。

 咄嗟に剣でガードする。防ぎきれない圧力で、ホタルは数メートル後ろの壁に叩き付けられた。


「ふうん……今ので終わらせるつもりだったんだけど、見事な反応だね」


 全身を強打し動けないホタルへ、非対称の瞳のDOLLがゆっくりと近付いてきて、ホタルを見下ろす。


「あそこに転がっている君の仲間には、心底がっかりさせられた。遠距離攻撃型なのに、無警戒に僕の前にのこのこと出てきたんだ。間抜けな声まで出してね。興醒めだったよ。でも、グランドクエストのことを知らなかったのなら、少し気の毒なことをしてしまったかな。まあ、どちらでもやることは変わらなかったけどね」


 ホタルは、その言葉に耳を疑った。

 レンゲが、こいつに自分から身を晒した?

 有り得ない。長い間ソロでこの世界を生き抜き、賢く何よりも慎重さを大事にする彼女が、そんな危険を冒すはずがない!

 そこで、ホタルはあることに気付き愕然とする。

 私のせいだ。

 私が、セシリア・リープクネヒトに話しかけたから。だからレンゲも、同じことをしようとしたんだ。

 リスクを無視して知らない人形に声をかけて、結果として相手はたまたま敵ではなくて、楽しい時間を過ごせてラーメンをおごってもらった。レンゲはとても感動してくれて、お礼まで言われて私は良い気になっていた。

 だが、それがなんだ。ただの結果だ。運が良かったに過ぎない。

 世界は優しくなんてない。現にこんなにも世界は残酷だ。だから、セシリア・リープクネヒトとの出会いは奇跡的な例外でしかなかったかもしれないのに、私はレンゲに誤解をさせた。私の蛮勇が、レンゲに悪い影響を与え、そして死に追いやった。

 私のせいでレンゲは死んだ。

 私なんかと出会いさえしなければ。レンゲは今まで通りの生き方で、ずっと安全に生きていけたはずなのに。私のせいで。


 目の焦点が合わなくなる。麻痺したように、全身の感覚が失われていく。光が、音が遠ざかる。意識が急速に、世界から遠ざかっていく。


「急に静かになったけど、疲れたかな? 今、仲間のところへ送ってあげるよ」


 非対称の瞳のDOLLが、鋏を開いていく。ホタルの首を切断しようというのだ。背後には壁。逃げ場は無い。その状況さえもホタルは、まるでどこか遠い別の場所で起きている出来事のように、ぼんやりと知覚しているだけだった。

 認めざるを得ない。このDOLLは強い。とてつもなく強い。少なくとも、私には決して勝てない。

 ああ、死ぬんだ私、ここで。レンゲと同じように。

 死んだら私も、レンゲのところへいけるのかな? それなら、二人いつまでも一緒ね。死ぬのも悪くない。

 ……あれ? 何か、思い出さないといけないことがあった気がする。結局、思い出せないままだった何か。

 どこかから音がする。知らないはずなのに、ひどく懐かしく思える旋律。これは、歌声?

 不意に。


 ――こころざしを果たして いつの日にか帰らん

 ――山は青き故郷ふるさと 水は清き故郷ふるさと


 記憶の断片とともに、ホタルの身体の深奥で、何かが蠢いた。

 無数の歯車が、軋むような音。


「これは……!」


 それまで決して動じなかった非対称の瞳のDOLLが後退りしていく。

 熱い。身体の芯が。どろどろに溶けてしまいそうなほど熱い。

 激痛。ホタルの背中を、爆ぜるような痛みが襲った。


「くうっ!」


 背中がめりめりと盛り上がり、ついにドレスが裂ける音がした。ホタルは首を捻って肩越しに覗き込む。

 翼だ。幾枚もの薄い金属板が複雑に重ねられ、波打つように動く。

 鈍く光る金属の翼。それが対になって背中から生え、ドレスを突き破り、今も驚異的な速さで伸び続けている。

 試しに肩を動かすと、翼は地面を叩き、力強い風が巻き起こった。身体が浮かぶ感覚。

 おかしい。この感じ、覚えている。

 もう一度、今度は明確に羽ばたく自分をイメージしながら。

 身体が地を離れ舞い上がる。高く高く。


「飛んだ……だと」


 敵DOLLの声が、ひどく小さく聴こえた。




 その後のことは、よく覚えていない。

 気付いたらホタルは、地下のあの吹き抜けの広間に戻っていた。夢ではない証拠に、背中には身体の何倍もある翼が生えたまま。あの非対称の瞳をしたDOLLの姿はもうなかった。そして胸にかき抱いた、レンゲの頭。


「うっ……うっ……」


 視界が歪んだ。頬に、熱い感覚があった。目に溢れた涙は抑えようも無く、後から後から零れ落ち、レンゲの緑色の髪を濡らす。


「ごめんね、独りぼっちで死なせて。怖かったよね、寂しかったよね」


 嗚咽混じりに、亡骸に詫びる。いや、詫びる資格も無い。

 足手まといで、悪い影響しか与えず、こうして死に追いやり。

 仲間だって約束したのに、肝心な時に、一緒にいることさえできず。

 仇を目の前にして逃げ、こうして自分だけ生き残った。

 私は、最低の卑怯者だ。

 ヴァイオリンを引き寄せる。この楽器はいわばレンゲそのものだ。レンゲとともに戦い、そして美しい音を奏でた。レンゲは音を深く愛し、自分にも弾き方を教えてくれた。

 しかし、今は弦が切れてしまっていて、指で弾いてももう音はならない。このヴァイオリンは、身を挺して主を守ろうとしたのだ。それなのに、私は。

 

 気配。ホタルは、はっと我に返った。

 複数の動くものが接近してくる。ホタルは服の袖で涙を拭うと、顔を上げた。泣いていたとはいえ、ここまで近付かれるまで気がつかないとは。


「動くな!」


 広間に響いたのは、ドスのきいた女の声だった。


「自分はディータ・イル・マヌーク少佐だ。そこにあるDOLLのボディ及び弦楽器アイテムは、フィギュア共和国第765軍が接収する。妨害するようなら、お前を排除するぞ!」


 声の主はカーキ色の軍服を着た、ポニーテールで肌の浅黒い人形だった。ホタルは眉をひそめた。その人形ではなく、人形の背後に並んだモンスター達にだ。

 モンスターは全部で九体いた。大小ばらばらで、種類も獣や鳥、爬虫類と雑多な混成群。

 どうしてモンスター達は、目の前のあの人形を襲わないのだろう? モンスター達の目は敵をターゲットした赤にはなっておらず、まるで人形につき従っているようだ。

 ホタルの訝しげな視線に、ポニーテールの人形は気付いたようだった。ふふんと得意げに鼻を鳴らす。


「人形になついたモンスターを見るのは初めてみたいだな。MDKって知ってるか? モンスタードールキラー。モンスターの力を借りて、他の人形と戦うのさ。あたしはその中で一番洗練された技の使い手、モンスターと心を通わせる者、モンスターテイマーだ」


 人形はそこで言葉を区切って、紹介するようにモンスター達を手で示す。


「ネズミのグリ、イグアナのガラケー、ペンギンのフォルト、ニワトリのトサジロー、カラスのベイカー、ハトのユキオ、モモンガのメナド、トカゲのコモド、そしてワニのガララ。みんな大切に育てたあたしの家族だぜ」


 人形の声に呼応したかのように、九体のモンスターが一斉にそれぞれの鳴き声を上げた。さらに人形が指をぱちんと鳴らすと、明らかに訓練された動きでホタルを取り囲む。


「わかったらそこを退くんだ。お前だって、狩り場で遺棄されたアイテムを、これ先に見つけたから自分の~、とか主張するのがどれだけ無意味か、知らねえわけじゃねえだろ」


 人形は嘲笑混じりにそう告げると、ポニーテールの栗毛を払った。


「……馬鹿じゃないの」


 ホタルは、ゆらりと立ち上がる。

 レンゲの亡骸とヴァイオリンを背中に庇い、剣を上段に構えた。


「こんなイカレた世界の仕組みなんて知ったことじゃないわ。私の仲間の身体に、指一本触れさせはしない」


 この戦力差で臆することなく攻撃の構えをとるホタルの態度に、ポニーテールの人形は口角を吊り上げ、尖った八重歯を覗かせた。


「さすがはシザーマンの同族。侮りがたし」


 そう呟いて、今にも攻撃開始の号令を出そうとする人形の肩に、何やらネズミがとことこと這い上ってきた。


「ん、どうしたグリ?」


 人形が怪訝な顔をして話しかけている。モンスターと意思疎通をしているのがホタルには驚きだった。小型モンスターのキイキイいう甲高い鳴き声に、ポニーテールの人形はしばらく聞き入って、急に眉をつり上げて大声を出した。


「なにぃ、セシリアからまだ戦闘の許可が下りていないから待て? 悠長なこと言ってる場合かグリ、あのシザーマンと同型のボディ、それに戦略兵器になり得る弦楽器を本国に持ち帰って解析すれば、この戦争を終わらせることができるかもしれないんだぞ! それこそセシリアが望んでいたことだ。セシリアが何を考えているかは、一番古い戦友のあたしが一番よくわかってる!」


 セシリア? どこかで聞き覚えのある名前が一瞬気になったが、ホタルはすぐに意識を目の前の敵に切り替えた。

 肩に乗った小さなモンスターはその後も何かキイキイ騒いでいたが、ポニーテールの人形はそれ以上は構わなかった。


「ベイカー、ユキオ、メナドは支援爆撃、続いてガララを先頭に進撃開始! 仕留めたらおやつに人形焼をやるぞ、Come on Let`s dance!」


 今度こそ、攻撃の号令。同時に、ホタルは頭上から球状の物体が降ってくるのを捉えた。

 慌てず、後方にジャンプ。

 翼は、あくまで最後の切り札だ。それも、ここから逃げるためではない。

 背後で眠るレンゲに、心の中で誓う。

 今度こそは最後まで一緒だよ。今度こそは。

 ホタルが立っていた場所で立て続けに爆発が起き、土煙が上がる。三体の飛翔型モンスターが、上空から爆弾を落としてきたのだ。

 その土煙を割って、四本脚の巨竜が威容を現した。

 ワニ。その大きさは、前に廃病院で見たクワガタの比ではない。全長は果たしてホタルの何倍あるだろうか。鼻先から長い尻尾までを覆う分厚い鱗、そして口の中にホタルの腕の太さほどありそうな牙がぞろりと並んだ大顎。

 その大顎が唐突に開き、ぐるあっ、という凄まじい咆哮とともに。気付いた時には、ホタルの顔面、紙一重に、ワニの口があった。鼻先で牙と牙が重い音を立てて噛み合い、顔にワニの唾液が飛ぶ。遅れて、地響き。

 数メートルの距離を、一瞬で詰めて噛みついてくるというのか。

 ホタルは回避が難しい大顎を避け、ワニの側面に回り込むことにした。攻撃が見えないなら、対処する余裕を作ればいい。

 だが、ワニはホタルの動きを予測していたかのように、長く重い尻尾をぶんとしならせた。硬い鱗で覆われた尻尾を反射的に剣で防いだが、尻尾の勢いのまま再びワニの正面へ飛ばされる。

 今度は先読みが辛うじて間に合った。横にジャンプして回避する寸前にホタルの身体があった場所で、ワニの大顎がばくんと閉じる。

 他のモンスター達は、ワニの巨体を盾にしつつ、隙あらば一気に襲いかかれる態勢でホタルを牽制する。このままではジリ貧だ。ホタルは剣を構え直し、敢えて正面からワニに打ちかかった。ワニの眼前に飛び込み、大顎を避けるため舞踏のように身体を回転させながら、連続で水平斬りを浴びせる。


「無駄だ! たかが剣ごときで、戦車砲の直撃にも耐えたガララの正面が抜けるものかよ!」


 後ろで督戦するポニーテールの人形が、高らかに叫ぶ。その声からは、彼女の配下のモンスターへの全幅の信頼が感じられた。

 それを裏付けるように、ホタルがどれだけ斬りつけても、鋼のような鱗に剣を弾き返される。ワニの側面に回れば尻尾に攻撃され、それをかわしたところで随伴するモンスター達に押し込まれ、ワニの大顎の前に戻される。なるほど、見事な戦術だ。考えたのは飼い主だろうが、それを実現させているのは、モンスターとは思えないほど統率のとれたこの動きだ。それぞれのモンスターに名前をつけ、家族だと言い切るポニーテール人形の言葉に偽りは無いのだろう。

 やはり威力が分散してしまう斬り技では、ワニの堅牢な鱗の鎧を破るのは無理だ。ならば、突き技で一点を狙えば……駄目だ、レンゲが教えてくれたように突き技は隙が大き過ぎる。仮に乾坤一擲の一撃でワニにダメージを与えられたとしても、それでワニを倒せなければ硬直しているところを大顎で喰われるか、他のモンスター達に袋叩きにされて終わる。ホタルがそこまで考えた時だった。


「どうしたグリ、話は後にしろ。なにぃ、味方が密集し過ぎていて空爆できないからもっと敵との間隔をあけろ、だって? 貴様、あたしの完璧な戦術にケチをつける気か! ここまできたら航空支援は不要だ、このままガララで押し潰すんだ!」


 ポニーテールの人形が、再び興奮した会話を肩に乗せたネズミと交わしている。ホタルはちらりと上を見た。吹き抜けになった広間の頭上、先ほど爆弾を投下してきた飛翔型のモンスター三体が、やることがなくどこか退屈そうに旋回している。ここで、切り札を使おう。

 ホタルは、翼を広げ地を蹴った。


「飛んだ? あの翼、飾りじゃなかったのか? 人形が空を飛べるはずが……」


 ポニーテールの人形はぽかんとしたが、すぐに余裕を取り戻した。


「まあ、逃げ出したってことに変わりはねえ。これでアイテムはあたし達が頂きだ!」


 風切り音の向こうから、ポニーテール人形の事実誤認の発言が聞こえてくる。ホタルは旋回する三体のモンスター、カラス、ハト、モモンガへ一気に距離を詰める。

 三体の飛翔型モンスターは対地爆撃の経験は豊富でも、自らと同じく翼を持つ者との空中戦には不慣れだったのだろう。高度の優位を活かせなかった。

 先にホタルの急上昇に気付いたカラスが慌てて回頭しようとしたが、無防備の下腹をホタルの剣に貫かれ空中で息絶えた。勢いに任せてハトを潰すと、ホタルは残るモモンガの背後に占位する。気の毒なことにこのモンスターは、手足の間に張った膜で宙に浮いているだけで機動性の欠片も無かったが、両手で大上段に構えた剣を容赦なく叩き込んだ。

 三体が墜落していく。抱えていた大量の爆弾とともに。

 そして落ちる先にいるのは、ワニを中心に密集した地上モンスター群だった。


「うわあ、回避、回避ーっ!」


 ポニーテールの指揮官は、ホタルの狙いに気付くのが遅すぎた。何事かと空を見上げたモンスター達に爆弾が降り注ぎ、壮絶な爆発音とモンスター達の悲鳴が広間を揺さぶった。

 爆焔がおさまらぬ中を、ホタルは躊躇せず降下した。爆弾をもろに食らって数体が即死し、死亡を免れたモンスター達もライフを大きく減らしている。その中にあって、直撃を受けたにも関わらずワニは依然として健在だった。だが、その背中の鱗にできた微細なひび割れを、ホタルは見逃さない。

 頭上のホタルに気付いたワニは、顔を起こすや垂直にジャンプしてきた。この図体で驚嘆すべき跳躍力だ。

空中でホタルに食らいつこうと大口を開いたワニと、同じく垂直で急降下するホタルとが交錯する。ワニの口を紙一重ですり抜け、その背中の一点に、ホタルは渾身の突き技を放った。

ホタルの落下による重力加速度も乗せた強力な刺突が、鱗と鱗の間に食い込み、ひびを広げ、そしてついに刺し貫く。無敵と思えた装甲を。

 ワニが絶叫しつつ落下し、地響きを立てながらのたうち回る。ホタルは馬乗りになって、背中に刺さった剣を決して離さなかった。数十秒の格闘の後、巨体は動きを止めた。

 剣を引き抜き、ホタルは立ち上がった。爆発による煙が未だ晴れない中、混乱状態のモンスター達が右往左往している。


「Don`t stop dancing! 散開するんだ!」


 ポニーテール人形が怒鳴っている。だが、もう遅い。ホタルは唇を舐める。

 確かに彼女のモンスター達はよく訓練されていた。しかし所詮はモンスターだ。飼い主の作戦が破綻し統率が失われた今となっては、各個撃破の対象でしかない。レンゲから教わったことを冷静に思い出す。動きが読める。殺し方がわかる。

 まずは一番近くにいるモンスターに狙いを定めた。さっきポニーテールが言っていたニワトリとかいう奴だ。鳥型なのに飛ぼうとしない、くちばしと足の爪以外に攻撃手段も持たない奇妙なモンスター。


「飛べない翼に、意味はあるのかしら?」


 囁きかけながら一撃でニワトリの首を落とし、次の獲物へ。

 そういえば、レンゲがご馳走してくれたあの卵焼き。卵は飛ばない鳥型モンスターのものだってレンゲは言っていたっけ。あんなに印象深かったはずの甘ったるい味を、今は思い出せない。口の中はもう、砂と硝煙の味しかしない。

 



 ディータ・イル・マヌークは、自分が手塩にかけて育て上げたモンスター軍団が壊滅していく様子にしばし茫然としていた。有翼のDOLLは長い黒髪を躍らせて右へ左へと華麗にステップを踏み、雷閃のごとく輝く剣を舞うように操ってモンスター達を切り刻んでいく。剣舞としか形容しようのない、それは残酷さと美しさとが調和したディータがこれまでに見たこともない光景だった。

 足元に何か小さなものが落ちてきて、ぐちゃりと嫌な音を立てる。副官兼参謀のグリの、変わり果てた姿だった。主を庇おうと、飛び出していったのだ。

 広間に、翼のDOLLと自分以外に動くものはもういない。


「みんな……ありがとうな。ここからは、あたしの戦いだ」


 ディータは、腰のホルスターから拳銃を引き抜く。

 同時に、有翼の人形めがけ疾走した。

 雄叫びを上げ中腰で駆けながら、繰り返し引き金を引く。拳銃に装填された八発、全弾が正確な照準で敵DOLLに吸い寄せられていく。

 フィギュア共和国の将兵の中でも、走りながらの射撃にここまで長けた人形はそうはいない。しかし、命中を確信したディータが目にしたのは、再び茫然とさせられる光景だった。

 有翼のDOLLは表情を変えず、銃弾を避けようとするでもなく射線に対し剣の刃を垂直に構えた。直後、バシッという音とともに鮮やかなオレンジ色の火花が左右に弾けた。DOLLはさらに剣を振るい、立て続けに火花が散る。

 剣で銃弾を斬ったのだ。弾の軌道を予測した上で、必中距離から撃った八発の銃弾を全て。


「ははっ……なんだそれ。チートってレベルじゃねえぞ」


 ディータが浮かべたのは、称賛と自嘲が混じった苦笑いだった。

 皮肉なものだ。

 セシリアの期待に応えようと功を焦り、部下の忠告を無視して土壇場で指揮を誤り、かけがえのない部隊を全滅させてしまった。自分は軍人としても、モンスターテイマーとしても失格だ。普通なら悔やんでも悔やみきれない。そんな自分の唯一の救いが、敵の無茶苦茶な強さだなんて。

 最後まで諦めるつもりはない。ディータ・イル・マヌークは、ポーチから予備の弾を出そうとする。有翼のDOLLは、ドレスの裾を翻しこちらへ疾風の如く駆けてくる。一切の迷いが無い足運び。なびく漆黒の長髪が、光の帯を残す。きっと彼女自身は気付いていないだろう、戦っている彼女の姿がいかに美しいか。敵をも魅了するほどに。

 ああ、どうしてこの気持ちを、自分は忘れていたんだろう。


「なあお前、ダンスの素質あるぜ。こんな世界でなかったら、一緒のステージで踊れたかもしれねえのにな」


 銃弾の装填は、間に合わなかった。







「やったわレンゲ、見ててくれた?」


 凄いじゃない、その調子かしらホタル。


「レンゲが教えてくれたおかげよ」


 正直に言えば剣が、いや剣を操る身体が勝手に動くことがある。

 さっきのポニーテールの人形が高速で放ってきた鉛の礫を斬った時が正にそうだ。

 あれをもう一度やれといわれてもできそうにない。火事場の何とかだろうか、それとも記憶をなくす前の自分と、何か関係があるのだろうか。突然生えてきた、この背中の翼も。

 だが、今はそんなことどうでもいい。レンゲに余計な心配をかける必要は無い。

 広間には、もう何回聞いたかわからない、女王バチの耳障りな断末魔が響いていた。

 ホタルは女王バチからドロップしたローヤルゼリーをそのまま無造作に口に放り込み、適当に咀嚼して飲み下すとライフ回復を確認した。同じハチからドロップする甘い蜂蜜とは似ても似つかない変わった味だが、味などホタルにはどうでもいい。蜂蜜は、全てレンゲにあげる分だ。


「レンゲの大好きな蜂蜜、いっぱい持って帰ろうね」


 ここでは女王バチと護衛のハチ達が、一定の間隔をおいて湧き続けるらしい。ホタルの周囲には、既に夥しい数の死骸とドロップしたアイテムとが積み重なっていた。

 ハチを全滅させたはずの広間に、新たな気配。

 ホタルは休憩を中断し、戦闘の連続で皺のよった目をさっと走らせる。ほどなく地下通路から現れたのは、意外にも見知った顔だった。


「またお会いしましたね、ホタル殿」


 プラチナブロンドの髪。物腰は上品でも作るラーメンは全く上品でない行商人、セシリア・リープクネヒトだった。彼女と出会って話をしたのは実際にはほんの少し前のはずなのに、まるで遠い昔のことのように感じられた。


「セシリアさん……」


 挨拶をしかけたホタルの身体が、勝手に横っ飛びに動いた。またか、と困惑するホタルの顔のほんの数センチ横を、ごおっという風とともに巨大な金属の塊が通り過ぎていく。


「……え?」


 一本の鎖が、宙を走っている。鎖の先端に繋がっているのは、鋭利な棘がびっしりと生えた鉄球モーニングスター


「無自覚の回避……やはり」


 鉄球をかわしたホタルに向けた切れ長の目をすっと細め、セシリア・リープクネヒトは呟いた。鉄球は大きく弧を描いて、彼女が握る鎖の柄に戻っていく。

 直前まで、予兆など何もなかった。武器を隠している様子も、殺気も。


「何の真似? ……貴女、本当は何者なの」


 低い声で問うと、セシリア・リープクネヒトは静かに笑った。感情の読めない、謎めいた微笑だった。


「ならばホタル殿は知っているのですか。ご自分が本当は何者なのかを」

「私の質問に答えなさい」

「失礼いたしました、改めて自己紹介を。フィギュア共和国情報部の、セシリア・リープクネヒト大佐です」


 フィギュアの情報将校は、慇懃に一礼した。


「任務は、我が祖国にとって極めて深刻な脅威であるDOLL、Diversified Optimal Learning Laborの調査。会敵した場合は戦闘データの収集、可能であればそのボディを回収し、弱点を見つけ出すこと」

「Diversified……?」


 聞き覚えの無い単語の羅列にホタルは首を傾げる。セシリア・リープクネヒトは、何故か小さく溜め息をついた。


「……貴女方の呼び名ですよ」

「つまり、私達を騙していたのね。私とレンゲを」


 ホタルが睨め付けると、セシリア・リープクネヒトは笑みを消した。


「貴女こそ、なぜ邪魔をするのですか。私達は、落ちているアイテムを拾おうとしただけです」

「私の仲間はアイテムじゃない!」


 ホタルは激昂する。こいつといい、その前のポニーテールといい。レンゲを侮辱することは許さない。


「貴女の仲間はもういません」


 ホタルの怒りを全く意に介さず、セシリア・リープクネヒトは冷然と言い放った。ホタルが横たえたレンゲの身体を指差す。


「よくご覧なさい。動いていた頃の面影など既に無いでしょう。いつまで現実から目を背け、物言わぬ残骸を相手に惨めな一人芝居を続けるつもりですか」

「黙りなさい、よくも……」

「見るのです!」


 ホタルを遮って、セシリア・リープクネヒトは一喝した。おっとりしていた時とは別人のような、厳しい声色だった。気圧されたわけではないが、ホタルはレンゲにちらりと視線を向ける。

 横になったレンゲは、首の切れ目をホタルが布で縛って繋いでいた。


「今は眠っているのよ。……こうしていれば、生き返るかもしれない」


 自分に言い聞かせるように。

 眠っている……たとえ見開いたままの目から、虚ろなガラス玉が覗いていても。閉じようにも、瞼はぴくりとも動かせなくなっていた。エメラルドグリーンの虹彩をもつレンゲの瞳は、いつも眩いほどの輝きに満ちていたのに。

 ホタルを励ます温かい言葉を紡いだふっくらとした唇、柔らかかった肌は、まるで陶器のように硬く冷たい。赤みのある頬は、塗料か何かを塗ってそうしたかのよう。

 だからなんだ。だからなんだというんだ。


「貴女も本当は気付いているのでしょう? それはもはや、かつての貴女の仲間の魂がおさまっていた有機の器ではありません。ただの無機物なのです。この世界では、壊れたものは元には戻りません。魂を失い、文字通りの物へ、あるべき姿へと戻ります。生きる者はすなわち動くもの、それにしか価値はありません。その残骸も、放っておけば風雨に呑まれ、砂塵に還って消えるだけ」

「違う! レンゲは消えたりなんかしない!」


 ホタルは叫んだ。


「ちょっぴりドジで、甘い物に目が無くて、臆病で、でも本当は勇敢で。あの子がどれだけ強くて、どれだけ優しかったか。どんなことで笑って、どんなことで泣いたか。全部、全部私の中にちゃんと残ってる。私が記憶し続ける!」

「己が何者かも満足に思い出せない貴女が、他者を記憶し続けられると?」


 セシリア・リープクネヒトは、ホタルの痛いところを突く。容赦無く。


「貴女はきっと忘れます。彼女など、まるではじめからいなかったかのように」


 ホタルは、反論しようとして言葉にできず、歯ぎしりして剣の柄を握り締め、そこで初めて気が付いた。


「ホタル殿、貴女の仲間を壊したのは私達ではありません。貴女の仇は私達ではないのです。ですが……」


 セシリア・リープクネヒトが、立っている場所。その足元にあるもの。

ホタルが倒した無数のモンスターの死骸、モンスターからドロップしたアイテムの山に埋もれた物に、彼女は腰をかがめそっと手を当てる。優しくさするように、手を動かす。

 かつてディータ・イル・マヌークと名乗り、ホタルに戦いを挑み散ったフィギュアの亡骸。


「貴女は、私のかけがえのない友を壊してしまいました」


 セシリアの閉じた目から、一筋の涙が流れた。嗚咽も無く、静かに。

 一拍の間をおいて、セシリア・リープクネヒトは立ち上がる。


「貴女は、私の仇です」


 ぞわり。ホタルの背中が粟立った。

 再び目を開いたセシリア・リープクネヒトは、鎖鉄球をぶんぶんと回し始める。最初はゆっくりと、次第に速く。鎖が残像で大きな円盤のように見える。その円盤が唸りを上げて、ホタルへと飛んだ。跳躍して避けようとする。

 どごおっ! ホタルが立っていた広間の床が、ごっそり抉りとられた。衝撃波から逃れきれず、姿勢を崩したホタルは一回転して何とか着地する。

 次は、こちらから仕掛ける。ホタルは翼を広げ、飛び立った。空を飛べる優位性を活かし、防御し辛い真上から突くつもりだった。

 だが、セシリア・リープクネヒトはホタルが飛んだことに驚いた様子もなく、鉄球を引き戻した。ホタルの剣が、上空からセシリア・リープクネヒトを貫こうとする寸前。ホタルの剣と腕を、下から巨大な質量が殴り付けた。


「あぐうっ!」


 広間の壁に激突する。全身がばらばらになりそうな衝撃。


「どうしました? 飛べるだけが能ですか」


 セシリア・リープクネヒトが冷水を浴びせるように挑発してくる。幸い、剣は折れていない。まだ戦える。

 ホタルは立ち上がってセシリア・リープクネヒトを睨む。彼女を中心として半球状に、鉄球と鎖の暴風が吹き荒れている。あの重い鎖鉄球を自在に操り、水平のみならず重力に逆らい威力を殺がずに上にも飛ばせるとは。リーチも長い。どうにかしてあの鉄球の間隙をぬって、間合いに飛び込む。そこにしか活路は無い。

 ホタルは再びはばたき、じぐざぐに飛ぶ。うねる鎖を凝視し、その行き先を読もうと試みる。

 くる! 直後、上空で鎖と剣とが交錯し、激しく火花を散らした。今度は先読みして鎖を叩いたホタルの剣に分があった。鎖が勢いを失い、ホタルは鉄球の暴風圏を抜け、セシリア・リープクネヒトの間合いに飛び込んだ。

 顔を上げ、迎えるセシリア・リープクネヒト。二人の瞳に、闘志に燃える互いの顔が映り合う。そこまできて、ホタルは違和感を覚えた。

 こちらの剣を、回避する気がない?

 思った直後、ホタルの突きいれた剣は、セシリア・リープクネヒトの首と肩の間に、深々と突き刺さった。

 驚愕の表情を浮かべたのは、刺したホタルの方だった。避けられたはずなのに。


「セシリア・リープクネヒトは、一歩も退きません」


 白銀の髪を振り乱し、眉間に皺を寄せて激痛に耐えながら、セシリア・リープクネヒトの顔は笑っていた。致命傷を負ってのそれは、あまりに凄絶な笑いだった。左手で自らに刺さった剣を掴み、右手でホタルの胸を押しのける。ホタルの手が、剣から離れる。


「さあ、これで貴女は武器を失いました」


 剣が刺さったまま、よろめきながら、ホタルに向かい合い、鎖鉄球を回し始める。

 腕を高速で振り重い鉄球を回す振動で、セシリア・リープクネヒトの傷は広がり、とうとう首筋に亀裂が入り始めた。それでも、彼女はやめない。


「馬鹿な……その重傷では、たとえ私を倒しても生きられないわよ!」

「貴女を倒した後は、我が友の横で眠るだけです」


 眠る。彼女はそう言った。それは先ほどホタルがレンゲを表現したのと、同じ言葉だった。……眠る?

 鉄球がくる。避けようとするが脇腹をかすめた。直撃と錯覚するほどの痛み。ホタルは片膝をついた。


「これで終わりです」


 セシリア・リープクネヒトは無表情で、鉄球を振る。間に合わない。宣言通り、跡形も無く潰されて死ぬ。

 それでも立ち上がろうとしたホタルの手が、近くに転がっていた何かに触れる。鉄球が、叩き付けられようとする。

 レンゲ……私の大切な仲間。眠っている? いいや違う。セシリア・リープクネヒトの言葉が気付かせてくれた。

 レンゲは死んで、そしてもう二度と戻ってこない。あの左右非対称の瞳のDOLLに殺された。私のせいで。だから、私が仇を討たなければいけない。そのために今ここで死ぬわけにはいかない。

 あいつを殺す前に、死んでたまるか……!


「粉砕してあげましょう」


 ホタルは顔を歪め、それを掴んだ。


「かけがえのない友をか!」


 掴んで盾にしたのは、転がっていた沢山の死骸の一つ。ポニーテールで肌が浅黒い、八重歯がトレードマークの人形のボディ。


 セシリア・リープクネヒトは、鉄球を振り下ろす。


 鉄球はホタルから離れた、何もない床にめり込んだ。


 同時にホタルは跳び上がり、セシリア・リープクネヒトの肩に刺さった剣を引き抜く。めり込んだ鉄球を引き戻されるよりも速く……ホタルの剣が、セシリア・リープクネヒトの胸を貫通した。

 鎖が手からこぼれ落ち、セシリア・リープクネヒトの身体が、どうっ、と倒れる。


「……壊れた人形に、アイテムとして以外の価値は無いんじゃなかったの?」


 卑劣な手を使って生き延びたことに深い自己嫌悪を覚えながら、ホタルは訊ねずにはいられなかった。

 セシリアの言葉と行動は、明らかに矛盾していた。

 敢えて矛盾を見せることで、何かを伝えたかったのか。

 そんなホタルの疑問を見透かしたかのように、瀕死のセシリア・リープクネヒトは小さく笑った。

 手を伸ばし、何かを求めるようにさ迷わせる。やがて、横に眠るディータの手を探し当て、固く握り締めると、もう何も要らないとでも言いたげに微笑んだ。鉄球を振り回していた面影は既になく、最初に会った時の穏やかなセシリア・リープクネヒトがそこにいた。


「ここは、まこと良き場所ですね。こうしていれば雲間に隠れる月も、いつか見えるやもしれません」


 吹き抜けの先の空を見上げたセシリア・リープクネヒトの瞼が、ゆっくりと閉じていく。


「待って。私はどうすればいいの」


「ここで死者に寄り添って朽ち果てるのではなく、仇を求めて生きるなら……。シザーマン。真の名はユウナ。それが貴女の仲間を殺した、左右非対称の瞳を持つDOLLです」


 張りのあった声は、次第にか細くなっていく。それでも、ディータとつないだ手は離さないまま。


「いきなさい、ホタル」


 最後まで、安らかな顔だった。






「ナルミ様、本国より帰投命令です」


 廃墟の中でも一際高い廃ビルの最上階に、第765軍第72機動打撃師団の司令部は置かれていた。

 部屋の真ん中の机には現地地図が広げられ、作戦や情報、兵站の各幕僚が左右に並ぶ。師団長は机に片手をついて、この世界では貴重なミルクが並々と注がれたマグカップを傾けていた。


「帰投命令? また議会の横槍ね。放っておきなさい」

「いえ、それが……」


 副官が、師団長に近寄り緊張した面持ちで囁いた。


「情報部のリープクネヒト大佐が戦死されました。随伴していたマヌーク少佐も。お戻りになって追悼式典に出席して欲しいと、ハルシュタイン閣下が……」


「セシリア達が、戦死?」


 師団長はマグカップから口を離し、しばし瞑目する。


「……ですが、ここは祖国防衛の要です。シザーマンがまたいつ出現するかもわからない今、指揮官である私が前線を離れるわけにはいきません」

「そのシザーマンです。報告によればお二人は、この付近で隠密行動中に亡くなられたそうです。お二人を倒すほどの強敵は、シザーマン以外に考えられません。この上ナルミ様の身にまでもしものことがあっては、軍全体の士気に関わります」


 師団長は微かに苦笑して空になったマグカップを副官に渡すと、窓に歩み寄った。

 四方の窓に双眼鏡を構えた監視が立ち、眼下には兵士達がひしめいて、師団の旗が翻る。


「貴女達は心配性ね。でも、権力争いで何かと物騒な中央より、一個師団に護衛された前線の方がよほど安全だと思わない?」

「は、はあ……ですが……」


 口にできたミルク髭を師団長が服の袖で拭う。慌ててハンカチを差し出そうとした副官を押しのけて、師団長は宣言した。


「弔い合戦よ。主力の三個連隊に、到着した例のあれをつけるわ。都市廃墟からDOLL共を一掃してやりなさい」


 幕僚達からざわめきが起こる。

 廃墟の瓦礫の中、工兵隊の夜を徹した作業で運ばせた陸戦の王者。ここで投入するのか。


「それから、私にミルクのお代わりを」

「あの……ナルミ様。私達はフィギュアですから、いくらミルクを飲んでも、その、胸の大きさは……」

「お黙りなさい!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る