第18話 襲いかかる市民税
市民税、町民税、村民税。日本で暮らしている限りは払わなくてはならない、魔物のような存在である。そんな市民税だが、会社勤めの人は勝手に給料から引かれているため、あんまり気にしていない人も多いだろう。しかし、会社を辞めた今、無情にもそれが襲いかかって来るのである。
***
「14万!?」
うそやろ? こんな地方都市の税金が14万って……ぼったくりやろこれ! はぁ~~……アホくさ……。と国民年金の時と全く一緒の事を思ったが、前々回の国民年金の納付猶予。更に健康保険の割引と場数を踏んだ事によって、どうせこれも全額払わなくても済むのでは無いかと考えていた。だってそうだろ? 俺は無職であり、障害者。自分では認めたくないが、社会的には守られるべき弱い存在だ。世間の常識がそうなっているのだから、その制度をフル活用して何が悪いのだろうか。俺は鼻歌まじりでいつもの通い慣れた区役所への道を歩いて行った。
「あのー、市民税の件なのですけど、どこの受付に行けばよろしいのでしょうか?」
と俺は区役所の案内係の人に聞く。
「あ、それでしたら、階段を登った先の2階になりますね」
との説明を受けたので、俺はお礼を言った後階段を使って、2階へと向かった。
2階の空気は独特だった。なんか他の人全員ピリピリしている……?
上手く言葉にできないのだが、1階は病院の待合室のようなゆったりとした時間が流れていたのに対し、2階の空気は、休憩時間にトイレから教室に帰ってきたら、俺の机をあんまり仲良くないクラスメイトが椅子代わりに座っていたかのような居心地の悪さを感じた。
けれどこんな所で怯んではいられない。俺には14万がかかっているのだ。少しでも安く、あわよくば免除をしてもらいたい。まぁ、市役所の人は国民年金とか健康保険証の時も優しかったし、今回も何とかしてくれるのでは無いかと根拠の無い自信を持って、2階の受付の人に聞く。
「すみません、市民税の件なのですけど、どちらに行けばよろしいですか?」
「あ、はい、でしたらこちらになります」
と案内されたのは部屋の端っこのブース。そして、係の人が来るのでもうしばらく待って欲しいとの事だった。
しばらくすると奥から今まで一度も笑った事が無いのではないかと疑ってしまう位、無愛想な女性がやってきた。歳は40代位だろうか? 俺は少し嫌な予感がしたので、
「こんにちはー……」
と挨拶から入ってみた。そう、挨拶は大事。って小学校の先生に習った気がする。
「……要件は?」
おい、挨拶返さないのかよ。仮にも公務員だろ? と若干不機嫌になりかけるが、もしかしたら小さな声だったので聞こえなかっただけかもしれない。と思い直し、要件を伝える。
「市民税の減免? 免除? について教えて頂きたいのですけど、なにか減免される条件とかありますかね?」
「ないです」
即答である。いや、俺の聞き間違いだったのかもしれない。もう一度聞いてみよう。
「ありますかね?」
「ないです」
またしても即答である。表情を一切変えずに。
「はい?」
「ないです」
いや、無いじゃなくてさ、それ以外のことを喋れよ。
「他の県ではあったりするらしいのですけど、この県では無いのですか?」
と少し頭を使っての質問。子供がよくやる「○○ちゃんの家ではやってるよ」という手法である。ちなみに他の県でやってるというのは軽くネットで調べた情報なので、信憑性は低いが、なにかしら情報が得られればそれで良し。
「ないです」
即答である。つーか、その言葉しか喋れんのかお前は!
「どうやっても無理なんですか?」
「無理です」
やっと違う言葉を喋ったが、明らかにこの人対応がおかしい。俺がいう言葉をかたくなに否定してくる。普通なら否定するにしても、「あー、申し訳ないのですが、市民税の減免は一般的には認められてないんですよねー」みたいなフレンドリーな断り方をするのが筋なのでは無いだろうか? そういう断り方はこの無愛想には期待していないが、もっとこう……なんか……言い方というか、断り方ってあるでしょ? それなのに只々、かたくなに否定する所がかなり怪しく感じられる。
「何か隠してないですか?」
しまった。少しイライラしていたが為に、思った事をそのまま口に出しちまった……。
「はい?」
うん知ってた。そういう反応になるよね。いきなりこんな質問をされたら……。ごめんね。今の質問は全面的に俺が悪かった。
しばらくの間、沈黙が続く。その間にも俺は苛立ちを抑えつつ、どうにかして情報を聞き出せないかと考えていたのだが、薄々気がついていた。ここで押し問答を繰り返しても事態が全く変わらないという事を。
その答えに気がついた俺は適当に「分かりました」という返事をして、あくまでも戦略として一時撤退する事にした。この苛立ちが忘却される前に。
***
「くっそ! 探しにくいホームページだ!」
俺は音の速さで帰宅した後、光の速さでPCを起動し、市のホームページを閲覧する。恐らくどこかに条例について書いてあると思うのだが、市条例が一向に見つからない。あまりの苛立ちに発せられたのが上記の言葉である。
学生時代に俺は校則の穴を突いて正式にバイクの免許を取った。それと同じ要領で今回も減免できると思ったのだが、まさか校則にあたる市条例を隠すとは……。中々手強い相手だ……。
結局市民税に関する条例を見つけることが出来たのは探し始めて30分経った頃だった。
市民税の減免についてはこう書いてあった。
(1) 生活保護法の規定による保護を受ける者
(2) 学生及び生徒(独立の生計を営む場合を除く。)
(3) 公益社団法人又は公益財団法人
(4) 当該年において所得が皆無になつた者又はこれに準ずる者
(5) 前各号に掲げる者のほか、特別の事由がある者
取り敢えず1と2と3は論外だ。俺には全く関係ない。しかし、4番。これならば当てはまるのでないか? 現に俺は無職である。故に所得は皆無である。まさに俺のためにあるような法だ。俺は早速電話で区役所に問い合わせて見ることにした。
「あ、もしもし。すみません、市民税の条例のことでお聞きしたいのですが、よろしいですか?」
「はい、どうぞ」
声の主は先程の無愛想と同じ性別だが、声のトーンが全く違った事にホッとした。無愛想はドブを沸騰させたような声だったが、こちらは風鈴を鳴らしたような可愛い天使の声だった。なぜ無愛想では無いことにホッとしたのかというと、無愛想だった場合、何かを質問した際に即答で「ダメです」とか「無いです」みたいな感じで断られそうな気がしたからだ。
「市民税には減免という制度がありますよね?」
「はい、あります」
「その条の4番目、『当該年において所得が皆無になつた者又はこれに準ずる者』とありますが、これは私が無職だった場合適応されるのでしょうか?」
「うーん……」
電話口の相手は悩み始めた。これはもしかして知られたくない事だったので、どうやってごまかそうか悩んでいるのだろうか?
「そうですねー。この条例を適用しようと思ったら、まず、預金通帳を提出してもらうことになります」
「預金通帳? 何でです?」
全く意味が分からない。預金通帳にお金があったらそこからむしりとろうと言うのだろうか?
「預金通帳に残高が無いことをこちらで確認させていただくので……」
なるほど……。結構調べてくるんだな……。しかし大丈夫だ。そんなもの残金を全て引き出した後に渡せばいい。
「また、家も拝見させて頂きます」
「家!?」
俺が住んでいる賃貸の中まで来るというのか!? どれだけ市民税を回収したいんだこの組織は……。
「そうですねー、どのような暮らしをしているのかとかチェックさせて頂きます」
やばい、これはヤバイ。そんなことをされたら、俺のPCが売られてしまう。ゲームの山も売られてしまう。それだけはなんとしても避けなくては……。
「それは……ちょっと厳しいですねぇ……」
「そうですか。他に質問はありませんか?」
他にって……。俺にはどうやっても市民税を回避する手段は残っていないのだろうか……。
「そうですねぇ……。どうにかして減免する手段は無いのですかねぇ……」
苦し紛れの質問。電話の相手が先程の無愛想では無かったので、どうにかして答えてくれないだろうかと、わらにでもすがるように質問した。
「基本的には無いですねー」
と電話口の相手は笑いながら答える。
「市民税というのは昨年度の収入で計算していますから、昨年度の収入が入った時点でこちらでは「取っておいてあるもの」として認識しています。なので、よほどの事が無いと、減免は難しいですねー」
そうか……。そうなのか……。バイクの免許を抜け穴をついて取るのとは訳が違うんだな……。
「もしも、今現在手元にお金が無いのであれば、分納という手段もありますよ」
うん、分納は知ってる。市民税に関しては一括だろうが分納だろうが値段は変わらないから、どちらでもいいというのは知ってる。でも違うんだ。俺は市民税を払いたくは無いんだ……。あぁ言いたい。市民税を払いたくないからどうにかして誤魔化したいという本音を電話の相手に伝えたい。だけどそんなことを言ってしまったら、結果は火を見るよりも明らかな訳で……。
これはもう無理なのかな? と諦めかけた時、視界の隅にとある物が目に入った。そうか……これがあれば……もしかして!
「あ、はい。分納は知ってます。それともう一つ質問よろしいですか?」
「あ、はい? どうぞ……?」
いきなり声のトーンが変わった俺に電話口の相手は驚いているが、そんなことを気にしている余裕はない。
「5つ目の『前各号に掲げる者のほか、特別の事由がある者』とありますが、そこに精 神 障 害 者 は含まれますか?」
そう、俺は無職&精神障害者なのだ。無職で割引が出来ないのなら、精神障害者という別の部分から開拓していけばいいだけの事。なぜそれに先程まで気が付かなかったのか。
「あ、それなら含まれますよ。お名前と生年月日をよろしいですか?」
と聞かれたまま名前と生年月日を告げる。「少々待って下さいね」の一言と共に電話は保留状態の音楽がなり、何かを調べていることを伺わせる。
しばらくすると音楽が終わり、作業が終わったことを暗に伝えられる。
「そうですね。こちらで計算した所、25000円程の減免が出来るということがわかりましたので、振込用紙を減免後の料金にするため、新しく再発行しますのでまたいらして下さい」
「はい、分かりました」
至って冷静な返答をするように心がけたが、思いの外自分の思考通りに物事が進んだため、顔はとろけ、心はピョンピョンしていた。もしかしたら、声にもその状態が現れていたのかもしれない。
「それと……この障害者手帳いつ頃取られました?」
「えーっと、昨年の11月位だったと思いますけど……」
確かその辺りだったんじゃないかと思いだして答えた。読者の中には障害者手帳が手元にあるのだから、その場で見ればいいじゃないか。という意見もあるかもしれないが、ちょうど発行日の所にICカードを挟んでおり、見ることが出来なかったのだ。なぜ、こんな所にICカードを挟んでいるのかは20話で説明しよう。
「それでしたら、昨年分の市民税も確定申告したらどうですか? 最大5年まで遡って申請できますから」
「あ、そうなのですか。でしたら、申請してみます」
声が天使なだけでは無く、内面も天使だ……。やっぱり市役所の人は親切な人が多いな。きっとあの無愛想がイレギュラーだったのだろう。
俺は質問に答えて貰ったお礼と近日中に手続きをしに区役所へ行くことを述べて電話を切った。税なんて何とかなるもんだな、と思いながら。
***
次の日、俺は区役所の2階へ来ていた。あの無愛想に仕返しをするためだ。
そう、俺はかなり執念深い。貰った恩はすぐに忘れるが、貰った嫌がらせはかなりの期間覚えており、その間ずっとモヤモヤした感情と戦わなくてはならないのだ。なので、俺はあの無愛想に仕返しをしなければならないのだ。絶対に。
いや……でも仕返しというのもおかしな話だな。もしも昨日の受付が電話の天使ちゃんだったなら、俺はその場で納得して市民税を全額払っていただろう。しかし、対応してくれたのが無愛想だった為、障害者手帳で減免出来ることに気がついたのだ。その点は感謝しなければならない。うん、まぁ貰った恩はすぐに忘れるんだけどね。とにかく、俺は無愛想に現実を教えてあげなければならないのだ。
俺は無愛想が来客の対応をしておらず、暇そうなタイミングで突撃した。
「すみません、市民税の件できたんですけど……」
と2階の受付の人に聞く。そして部屋の端っこのブースに案内され、しばらくしたら係の人が来る旨を伝えられる。ここまでは計算通りだ。
そして、俺の計算はスーパーコンピューター京のように正しい答えをはじき出し、見事に無愛想が俺の対応をしに来た。恐らくその時の俺の顔は無愛想とは真逆のたるんだ笑顔をしていただろう。
「すみません、市民税を減免してもらいに来たんですけど……」
と言葉を最後まで言わずに尻すぼみのように言う。どうせだめです。無理です。とすぐに否定されると思ったからだ。もしも否定してきたらドヤ顔で市条例について語ってやる。
「……………………………………………」
あれ? 今日は否定しないのね、珍しい。だったら最後まで言うまでだ。
「えーっと、市民税の減免ついて書かれている条の第5号『前各号に掲げる者のほか、特別の事由がある者』の特別な理由、精神障害者で減免をしてもらいたいのですが、よろしいですか?」
と聞くと同時に俺は障害者手帳と振り込み用紙を提出する。その後、無愛想は小さく「……はい」と返事をした後、俺の提出した物を手に取って、バックヤード部分に入っていった。舌打ちは残念ながら聞こえなかった。
しばらくすると、別の人が俺の所にやってきた。
「あのーすみません」
声からして、あの電話口の天使ちゃんだと分かった。顔は……天使からは程遠かったが。
「申し訳ないのですが、第1期分※1 の減額はできないんです」
「できない?」
「そうなんです。振り込みの期日が近くて出来るのが2期からになりますがよろしいですか?」
よろしいですか? って聞かれても駄目って言ってもどうにもならないんだろ? じゃあOKっていうしか無いじゃん……。
「あ、でも確定申告に行けば戻ってくるんで大丈夫ですよ」
あ、そうなんだ。じゃあ……
「はい、大丈夫です」
「でしたら、2期以降の振込用紙は回収させて頂きます。後日郵送で2期以降の用紙はお送りしますので、お振込みをよろしくお願いいたします」
と言い、俺に1期の振り込み用紙と障害者手帳を渡してくる。俺は手短にお礼を述べて、区役所を後にしようとしたら、
「あ、確定申告に行かれる際には印鑑と通帳、もしくは口座番号の控えを持って行った方がいいですよ。過払い金はそちらに振り込まれますので」
との忠告。いや本当、顔は天使じゃなかったけど、内面と声は本当に天使。顔まで天使だったら、血迷って連絡先を渡していたかも分からんね。
「あ、ありがとうございます。でしたら忘れないように持って行きますね」
と謝礼を伝え、区役所を後にした。
※1 第1期:簡単にいうと春の分。分割払いの場合、4つの期に分けられており、1が春、2が夏、3が秋、4が冬となっている。俺は無くしそう&忘れそうだったので、一括払い安定である。
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