第7話 1分間スピーチの罠
「はぁ……移動……ですか……」
そう、俺が担当していたアナログの図面がデジタル化しているかチェックすると云う仕事はもう残り僅かとなっていた。これが終わったら次は何の仕事をするのか。もしかしたら、前の仕事に戻れるのでは無いのか。そう考えていたのだが、どうやら現実は違うようで……。
「そう。今やってる仕事も、もう少ししか残っていないでしょ? 次に何ができるか人事の方と部長で話し合ったら、別の部署でのお手伝いをして貰う事になって」
とマネージャー。
「ちなみにどんな仕事を?」
「やってもやらなくてもいいんだけれど、図面上のスポット溶接の個数を数えて貰おうと思って」
やってもやらなくてもいい。その言葉にすこしだけやる気が削がれたのも事実。さて、ここで軽くスポット溶接について説明しておこう。
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スポット溶接とは
溶接といえば、火花みたいなのを散らしながら、鉄と鉄がくっついていく。そう考えている方も多いだろう。残念ながらそれはアーク溶接であり、スポット溶接ではない。
ではスポット溶接とはどういうものなのか、簡単に説明すると上のアーク溶接が線でくっつけるものだとすれば、こちらは点でくっつける。少し詳しく説明すると、くっつけたい薄い鋼材を上下で挟んで電気を流す。その時に発生した抵抗熱で鋼材を溶かし、溶接する方法である。想像しにくかったらホッチキスみたいなもの。と認識しておけばこの話の中では不都合は無い。(詳しい人から色々と突っ込まれそうですが、この例えしか思いつきませんでしたゴメンナサイ!)
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「それと……」
と話を続けるマネージャー。
「発達障害者支援センターって知ってる?」
「いえ、知らないですけど……」
発達障害者支援センター? 聞いたことは無いが、俺みたいな発達障害者を支援してくれる所なのだろうか?
「発達障害がある人を支援してくれる場所だって、人事の人が紹介してくれたのだけれど、そこに行ってみたらどう?」
「あ、はい、分かりました。でしたら明日の土曜日にでも行ってみます」
と素直なアピール。いや、こんなアピールでクビにならないのなら大きいものだ。
「それと、毎朝なんか話してるけど、何してるの?」
何って、主任考案のコミュニケーション能力向上レッスンだけど……。マネージャーに報告行っていないのかな?
「毎朝、1分間位のスピーチをすることでコミュニケーション能力の向上を図れるのでは無いかと主任が言ったので、それを実行しています」
と、俺が発案していない事をアピールし、俺はやらされている立場だという事をそこはかとなく伝える。正直、かなりノリノリでやってはいるが、俺の立場はギリギリなのだ。主任をかばう余裕は無い。
「それでラーメン?」
「はい、ラーメンです」
一瞬何がラーメンなのか分からなかったが、肯定した瞬間に思い出した。次の日のネタが思いつかなかった時、ベトナムから来た派遣の人に「何か知りたい事は無いですか?」と聞いたら「安くて美味しい食べ物」って言われたので、つけ麺の事について話したんだった。
「就業中にラーメンの事について話すのは感心できないよ」
「はぁ……すみません」
と取り敢えず謝っておく。実際俺は悪い事はしたとは思っていない。
「それに真下さんがスピーチを始めてから、皆の業務にも少し支障が出てるんだけど?」
はぁ? 1分間やそこらで支障がでるものなのか? 確かに同じチームの人には支障が出てるかもしれないが、それは主任とメンバーも納得してるし、それについてとやかく言われる筋合いは無いのでは……と思ってしまう。
「それはどういう意味でしょうか?」
と色々言いたい事はあるのだが、シンプルにこの言葉だけで返す。その質問に大きくため息を付いた後、マネージャーはこう続けた。
「気づいて無いのかもしれないけど、真下さんが喋る時、他のチームの人が皆、真下さんに注目してるのよ」
「つまり、皆が私のスピーチを聞いているので、朝のミーティングに支障が出ている、と?」
いや、そんな事知らないよ。当人に直接注意しろ。と言いたいが、その言葉をぐっと堪える。
「もし、そうならば本当に申し訳ありません。来週からは少し声を絞って発表するようにします」
と言い、頭を下げる。申し訳ないとは思っているが、やめはしない。主任がせっかく俺のコミュニケーション能力向上の為に準備してくれた場なのだ。マネージャーが直々に止めないかぎりは自発的に止めるつもりは一切ない。
「そう……だけど言ってなかったけ? 移動するのは来週の月曜日からだって」
「来週!?」
初耳だ。来週って言っても、今は金曜日の終業時間間近だから今すぐ準備しないと。というかチェックもまだ全部終わった訳じゃ無いのに……。
「じゃあ、今から準備して行かないといけないじゃないですか!?」
「そう、だから今から部長に案内して貰って」
と部長に丸投げするマネージャー。
「あ、よろしくお願いします」
と形だけの挨拶をして部長の指示に従って身支度をし、移動を開始するのだった。
ちなみに後日、他のチームの人にどうして俺のスピーチを聴いていたのかを聞けるタイミングがあったので、聴いてみた所、
・毎日ネタがよくあるなぁと感心しながらチームで話したら、聞くのがチームの日課になっていた。
・同じチームメンバーのリーダーが聴いてたからつい流れで。
・毎朝の楽しみとして普通にミーティングそっちのけで聴いてた。
との事。本当に迷惑をかけてすみませんでしたァ!!
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