君に届け

橘亜理沙

第1話



命って何?行きるって何?人間って何?…

「はぁ…」

今日もまたである。

布団に入ると毎晩のように自分の中から聞こえてくるこの声。

…静まりかえった部屋がいっそう虚しさを… あっ申し遅れたが私は都内の出版社に勤務している26歳のサラリーマンである。

私はこの26年間彼女というものがいない。

誤解されるといけないので言っておくが決して人を好きにならないわけでもない。

しかしこのぱっとしない容姿のせいかいまいち自分に自信がない。


学生時代からそうだった。

彼女に限った事ではなく人付き合いが得意な方ではなかった。

成績は良かったが特に目立つわけでなく、イジメられてはいないが特に名を挙げれる親友がいたわけでもなかった。

クラスメートといえばテスト前になるとノートを貸して、あとは学級委員の推薦の時声をかけられるぐらいの付き合いだった。

親に期待され、自分が何をしたらいいのかもわからず頑張っていい高校、いい大学に入り、世間では一応知らない人がいない程度の会社には就職した。

仕事にやりがいがないわけではない。

給料に不満があるわけでもない。

死ぬ程彼女が欲しいというわけでもない。

だが毎晩もう一人の自分、そう、あの質問を投げ掛けてくるアイツが顔を出す。


そんな時だった。ふとつけたテレビの中である男が言っていた。「人間は自信を持つこと、つまり誰かに必要とされていると感じる事や、何でもいいから打ち込める事を見つけることで生きる楽しさを知る、生きたいと…」

ポチッ!そこで消した。「ふんっ!精神カウンセラーかなんか知らねぇけどお前に何がわかるんだよっ!」

そう叫びおもいきり壁を殴った。ドンッ!と音をたてて写真たてが落ちた。

「ふぅーっ」 ひと息ついた。再び静けさが部屋を支配する。怒ってはみたもののよく考えるとそうなのかもしれない。


いつか母が言っていた事を思い出した。

「和典はねぇ、ちっちゃい頃はねぇ、みんなを和ませる力があったの。

みんなが和君遊ぼう、遊ぼうって来てくれてたのよ。あんた寂しがりやでねぇ、誰かそばにいないと気がすまないのよ。お母さん洗濯物ひとつ干すのも大変だったんだから。」

嬉しそうにそう言い、まだ湯気のたっているお茶をすすり、微笑んでいた。

その時は恥ずかしさもあり、「小さい頃の話なんてどうでもいいだろ」

と相手にしなかったがよく考えると確かにそうだ。こんなことを言うのは恥ずかしいが自分は寂しがりやだ。何かに触れていたい、人と接していたい。

心の中ではそう思っているのだ、でもそれを行動表したり、ましてや言える程、器用ではない。

 でも少しだけ前向きになった気がする。時計はもう12時をまわっている。

「寝るかっ」 そう呟くと目をつむった。 いつもより早く目が覚めた。グッとコーヒーを飲み、会社に向かった。

いつもより15分早いバスに乗った。

時計に何度目をやってもやはり早いものは早い。でも悪い気はしなかった。

「ピンポーン」いつもより一駅前で降りることにした。この辺を歩いたことは、あまりないかもしれない。何かすがすがしい気分だった。


朝礼も終わり、パソコンに向かう。

「はい、どうぞ」 恵がお茶を持ってきた。

 恵はすっとした顔立ちにくりくりのはっきりした目、栗色の長い髪が良く似合う

わが社のアイドルだ。

「先輩、今日歩いてましたよね?どうしたんですかぁ?」

きょとんとした表情で覗き込む。

いやぁ、少し早く家を出てしまってね」

軽く微笑み返した。心臓の音が恵に聞こえたかと思うほど脈打った。

言うまでもないが、影ながら私も恵ファンの一人だ。

  今日自分はひとつの決意をしていた。人生初の試みである。

「ねぇ、おいしい焼き鳥見つけたんだけど行かないかなぁ?」思ったよりすらっと言えた。

「すいません。今日用事があるので」

「いやいやっ、気にしなくていいよっ」必死で平静を装おった。

恵はペコリとおじぎをし、立ち去った。期待していたわけではないが、やはり少し辛い。

やはり少しだけ出てきていた前向きさが音をたててつぶれた。

 ふと秀樹のヒソヒソ声が聞こえた。 「恵、今日7時半なっ」

恵は表情を変えず、さりげなくお茶を置きながら、秀樹にだけ聞こえる声でボソッと

「はい」と答え、立ち去った。遠くで聞こえる「部長お茶でぇす」という恵の声を聞きながら呆然とした

秀樹は背も高く、顔立ちも女性なら心を奪われても当然の甘いマスクを持っている。

 確かに、恵と秀樹……美男美女のお似合いカップルだ。

逆立ちしたって秀樹にはかなわない。その後の事はよく覚えていない。

それなりに仕事をこなしたのだろう(笑)

仕事の帰り一人でラーメンを食べた。冷たい体にスープがしみる。


早めに布団に入った。またあの声が聞こえてくる………

 私は何て弱い人間なんだっ!!泣きながら眠った。

ここまで自分で自分が誰かを好きになっているのを自覚したのは初めてだった。

 今までは自分には無理だ…と、そう相手より自分が先にたっていた。




でも今度は違う。自分には無理。そんな事関係ないっ!

 恵が好きだっ! 心から好きだっ! 

世界中で誰にも負けない程恵を愛している!

 だがこの思いは伝わらない。


鏡を眺めた。 顔…これによって人の人生はどのぐらい変わるだろうか。

 自分の顔が秀樹の顔だったら…母を恨んだ。



半年後……「おはようございます」今日もまた一日が始まった。

 恵の置くお茶にもいつしか氷が入っている。

季節は冬から夏へ変わったが自分は相変わらず変わっていない。

自分は弱い人間だ。自分の顔を恨みながら生きている。

 でもこの半年間少し成長した。

今まで時々思っていた生きる意味なんて…死にたいという気持ちはなくなってきた。

 2ヶ月前課長から言われた一言。

「今度の新人作家のデビュー作うちの会社から出せるかもしれん。

そうなったら和典君、君にこのプロジェクトを任せるよ。

このプロジェクト、この会社に君は必要だ!」

 何とも言えないこの気持ち。ふとよみがえるあの男の一言。


「人は誰かに必要とされていると感じることで生きる楽しさを知る」

そんな事どうでもよかった。


布団に入るともうひとりの自分の声はまだ聞こえる事もあるが今まで以上に

仕事が楽しくなっている事は確かだ。


そういうわけで」この2ヶ月間また少し自分の弱さが消えていた。


「お茶です。」 恵の声

「先輩そのネクタイいいですねっ」

お茶を置きながら意味ありげに微笑む恵。

「ありがとう」軽く答えた。

 正直褒められた嬉しさより、秀樹という男がいながら他の男をその気にさせるような発言をする恵に対して、何とも言えない気持ちがこみ上げ切なさが溢れた。


その気がないのなら冷たくしてほしい!ほっておいてほしい!

その気持ちのほうが強かった。

チャイムがなり昼休みだ。

最近はセルフうどんなんてお店が出てきた。サラリーマンの強い味方だ。

安くても味は悪くないし、野菜や肉も乗せてバランスもいい。 独り暮らしはこういうところで栄養を取らな…などと考えつつ、ざるうどんと芋の天ぷらを取り、ソースをかけていると後ろから

「先輩一人ですか?」聞きなれた声。…恵と向かいあって座った。

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