水の夢 - 11 -
それから俊樹は学校が終わるとすぐに瑞貴のもとを訪れ、門限ぎりぎりまで病室で過ごした。
看護師が訪れた時にはベッドの下に隠れてやり過ごしていたつもりだった。けれど今考えてみれば見逃してくれていたのかも知れない。
瑞貴は俊樹が来るまでは本を読んで過ごしているようだった。興味を惹かれて読みかけの本を見せてもらうこともあったが、どの本も英字ばかりで読めた試しがなかった。
俊樹がどうでもいい、日常の話をすると瑞貴はよく笑った。笑ってくれると嬉しくて、いろいろな話をした。
「俊樹くん、今日は何月何日?」
「え……」
通い出して、初めて聞かれた。その疑問が当たり前に知っているはずの内容で、疑問を覚える。
「最近、俊樹くんが来てくれるようになって今が冬だと云うことと、二週間経ったことはわかるのだけれど」
「今日は十二月二十五日。あ、明日の午後から冬休みなんだ」
「そう……もう四ヶ月……」
どこか遠くを見つめる瞳は硝子玉のようで、俊樹は云い様のない不安を感じた。
「瑞貴!」
「ん……?」
思わず大きな声で名前を呼ぶと瑞貴は優しく不思議な色合いの瞳に、俊樹を映した。
急に、怖くなった。瑞貴が、ここに来る時に降っていた雪のように消えてなくなってしまいそうで。
ぎゅっと、存在を確かめるために腰に抱きつく。瑞貴は驚きの声を上げたが、離れたくなかった。
薄く、淡い熱を持つ身体。腕を一杯に伸ばせば、反対の手に触れてしまう。
こんなに痩せてしまって。哀しくて、どうしようもなくて。俊樹は声を殺して泣いた。
「俊樹くん……来年は最上級生なのに、こんなに泣き虫でいいのかな」
細い指先が髪を梳いて、鈴の音のように笑う。まだ気の早い話だが、どうしても埋められない生きた長さを感じてしまい、俊樹は首を振った。
「……まだ、だし」
「え……?」
不安げな声で問い返した瑞貴に首を振って、たぶん勘違いしているであろうことを否定する。
「早く、大人になりたい」
「俊樹くん……」
誤解が解けて安堵したかと思えば淋しげな声で、瑞貴は俊樹の名を呼んだ。手許に視線を落として、何かを考えているようだった。考え事をしている時、彼女は決まって無表情になるか、淋しげな顔をしているからだ。
「瑞貴」
少し強めの声で名前を呼ぶ。瑞貴はゆっくりと顔を上げた。微かな笑みを浮かべて首を傾ける。何でも聞き入れるといった優しげな雰囲気に、俊樹は重い口を開いた。
「俺、瑞貴と同じ歳になりたい」
その言葉に瑞貴は眼を見張って驚いている様子だった。それでも構わずに続ける。
「もっと、早く生まれたかった」
俊也と同じか、それか一つ下でも構わない。ただ、瑞貴よりも大人になりたかった。
いつも俊也が羨ましかった。瑞貴と対等でいられる俊也が、独占できる彼が。
恐ろしくて、今まで眼を背けていた感情がある。実の兄が亡くなったと云うのに、涙はひとしずくもこぼれなかった。それどころか、喜びさえ感じたのだ。
これで、瑞貴のことを独り占めできる。幼さゆえの残酷さだろうか。親戚や近所の人たちにはつらいはずなのに笑っていて偉いと褒められた。しかし実際のところ腹の内に秘められていたのは、こんな感情だった。
だから瑞貴は消えてしまったのだと思った。こんなにもおぞましい感情を、隠し持っていたから。
そう反省したはずなのに、瑞貴と再会して、こうして自分だけを見てくれることに、また暗い愉悦を覚えている。
これは、天罰なのですか。呪い、敬い、そして祈り、感謝した信じてもいない神に問うてみたところで。結局答えなどわからないままだと云うことを、まだ幼い俊樹は知らなかった。
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