夢幻の人 - 11 -
俊樹は眼の前の空欄が眩しい日誌を睨みつけていた。
空のごみ箱を持って教室に入ってきた友也が、俊樹の手許の日誌を見て乾いた笑いをこぼす。
「あんた、何笑ってんのよ」
耳聡く聞きつけた水那は友也を睨めつけた。怯えた様子で彼は俊樹の手からシャープペンシルを奪い取るようにして持ち、すらすらと空欄を埋めていく。
自分の手からシャープペンシルがなくなったことさえ気がつかずに、今日も飽きることなく瑞貴のことを考え続けていた俊樹は勝手に埋まっていく空欄を何の疑問も感じずに視界に入れていた。
それから友也のおかげで無事に日直の仕事を終えた俊樹は、日誌を片手に職員室へ歩き出す。その後ろを幼なじみ二人も歩いていたが、水那はどこか落ち着かない様子だった。
「失礼しまーす」
ノックもせずに扉を開けて中に入り、不在だった河島の机の上に日誌を置く。そして退室の挨拶はないままに扉を閉めた。
そして、当たり前のようにその先にある保健室へ足を向けた俊樹に、水那が堪え切れない様子で声をかける。
「俊樹、今日は行かない方がいいんじゃない?」
「……なんで?」
水那の提案に俊樹は不信感を隠さずに言葉を返した。それでも水那は俊樹の腕を引いて昇降口へ向かおうとする。
「先友也と帰っていいよ」
水那に掴まれた腕を自分の方へ引くと、簡単に拘束は解かれた。
しばらく黙って俊樹を睨んでいた水那。段々とその表情を泣きそうに歪めて駆け出した彼女を、友也は慌てた様子で追い掛けていった。
この場に残った俊樹は水那の様子がおかしかったことを気にかけつつも二人の背中を見送って、保健室へ歩き出す。
今までは誰も寄りつかなかった場所に、瑞貴が着任してからは行くようになった。それは俊樹だけではなく全体的にだ。
しかし俊樹は数日前に気まずい雰囲気を作ってしまい、それ以来なかなかここに立ち寄ることができなかった。
だが、いつまで瑞貴とここで会えるのかわからないことに気がつき、顔だけでも見られればと俊樹は身を硬くしつつも見慣れ始めた扉の前に立つ。
ここではきちんとノックをして、瑞貴の言葉を待った。ところが、返事は待てども一向に返ってこない。
「センセー? いないの?」
再びノックをして、室内にいるであろう瑞貴に声をかけた。おかしいと思って扉の脇に掛かっている在室状況を見れば、在室していることになっているのだ。
「……! ……に、…………だよ!」
すると、返ってきたのは瑞貴の声でも、ましてや入室を認める声でもなく、あきらかに慌てた様子の男子生徒の声だった。
俊樹の脳裏を嫌な考えが過る。扉を開けてみようとするものの中から鍵がかかっているようで不可能だった。
職員室に戻って合鍵を借りると云う一般的な解決法は冷静さを失った俊樹の頭に浮かばず、力任せに扉を引く。
普段与えられない想定外の力に木製の扉はみしみしと軋んだ悲鳴を上げて、引き手部分の周囲は次第にその形を変えていく。
同時に聞こえる男子生徒たちの愉悦に歪む声。俊樹は怒りでおかしくなりそうだったが、それを燃料に力を込める。そして、ばぎっと無実の被害者は断末魔を上げて、壊れた。
さらに蹴りを加えられて弱っていた部分を攻撃された被害者は、なす術もなく加害者を前に形をなくす。
俊樹の足は迷うことなく前に寝かせてもらったベッドへ向かった。
そして最悪の形で探していた人の姿と、その人を押えつけている関係のない生徒二人を視界に入れた俊樹の身体は、怒りに震える。
「お、まえ椎名……?」
瑞貴を組み敷いていた生徒が顔を上げて情けなく震えた声で名前を呼んだ。
その言葉に反応したのか、瑞貴はいつもより虚ろに透き通った瞳を揺らす。俊樹がその様を視界に入れると、冷ややかさを纏ってより眼光は切れ味を増した。
「失せろ、下衆が」
低く、怒りが滲ませた声が空気を震わせる。ただただ許せず、憎しみが滾々と流れ出して止められなかった。
自分を、そして瑞貴を深く傷つけただろう記憶は、俊樹の網膜に未だ鮮明に残されている。ここに瑞貴がいるから押えつけられていられる憎悪は、彼の中で荒れ狂っていた。
そんな俊樹の威圧感に気圧された生徒は、慌てて瑞貴を押えつけていた手を離してベッドを飛び降り、そのままの足で一目散に逃げ出す。
次いで組み敷いていた主犯格らしい生徒も、名残惜しそうに瑞貴を一瞥したあとベッドを降りて、俊樹に恨み言のような舌打ちを残して出て行った。
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