七話

「………」

 頭は真っ白になっていた。目の前で起こった事を理解するのに、時間が掛かってしまった。

「何が……?」

 ハッと短い息を吐き出した典晶は、美穂子と理亜が消えた窓に近寄ろうとしたが、止められた。イナリが厳しい表情をして、典晶の手を掴んでいた。

「ちょっとちょっと! 嘘でしょう? こんな事で二人が死んじゃったら、私が那由多に殺されちゃうわよ!」

 血相を変えたハロが、文字通り飛ぶようにして窓に近寄った。そして、二人が消えた落下地点を覗き込んだ。

「死んだ……? 美穂子が?」

 ハロの言葉が明確な形となって典晶の頭に響き渡る。漸く、目の前で展開された出来事が線で結ばれ、一つの絶望的な像を生み出した。

「………」

 ハロは難しい表情で振り返った。

「逃がした……」

 ハロは吐き捨てるように言うと、典晶に向かって頷いた。

「美穂子ちゃんと理亜ちゃんを助けに行くわよ、典晶君。凶霊の気配は、まだ近い」

「助けに……?」

 典晶はヘナヘナとその場に腰を下ろした。ハロが何を言っているのか分からない。二人は、あそこから落ちて死んだのではないのか。それとも、生きているのだろうか。

「ハロさん、二人は……? 生きてるのか?」

 文也がふらつく足取りで窓に歩み寄る。彼もショックだったのだろう。ただ、典晶よりも気丈な彼は、気力を振り絞って現状を理解することに努めていた。

「ええ……、凶霊は死んでいないわよ。きっと、もっと劇的な方法で死ぬつもりね」

 廊下が騒がしくなってきた。騒ぎを聞きつけ、看護師達が駆けてくるのだろう。切羽詰まった話し声で理解できた。

 不愉快そうに鼻を鳴らしたハロは両手を広げると、胸の前で大きな柏手を打った。その音が波紋となり、周囲に広がっていく。周囲から音が消え、破壊された窓ガラスや飛散したカーテン、シーツなどが巻き戻しの映像を見ているかのように元に戻っていく。

「とりあえず、時間は作っておいた方が良いわね」

 元に戻る室内を尻目に、ハロは一人廊下に出た。そして、もう一度柏手を打った。

 喧騒が消え、足跡が病室の前から遠ざかっていく。

「典晶、立てるか? とりあえず、美穂子も理亜も無事なようだ……」

 顔面蒼白のイナリは、口元に笑みを浮かべていた。

「うん……」

「だったら、まだ助けられる」

「うん……」

 頷いた典晶は、イナリに支えられるようにして立ち上がった。その時、ポケットのスマホが震えた。通知表示は、那由多のものだった。

「……はい……」

『もしもし? 俺だ? 状況は?』

「状況はって……! 状況は最悪です……! 美穂子が、さらわれました! 凶霊にさらわれたんです! 那由多さん、何処で何をやっているですか!」

 涙が溢れてきた。美穂子がまだ生きているという安心感もあるだろうが、約束通り来てくれなかった那由多への怒りが大きかった。

『ごめん……。 こっちも色々と用事があって。 もう一つ用事を済ませたら、すぐにそっちに向かう』

 次の言葉が言えなかった。那由多に怒っても仕方のない事だ。今回の件は無理矢理彼に頼んだのだ。ハロがこうして来てくれただけでも、本当は感謝しないといけないはずだ。

『典晶君、まずはアマノイワドに向かってくれ。八意に頼んで、一つのアプリをスマホに入れておいてくれ。俺が行くまで、それで何とか凌いでくれ』

「八意に? アマノイワドに行ってるほどの時間は……」

『問題ない。時間ならまだあるよ。大丈夫だ、俺を信じて』

「……はい……」

『良し。その意気だ。俺が行くまで、よろしく頼むよ』

「そんな無責任な……俺には、那由多さんやイナリみたいな力は……」

『力ならあるじゃないか。典晶君、君の一番の力は、その優しさだ。優しさは、時には一番の武器にも、行動力にもなる。訓練や勉強で身につく類いのものじゃない。さあ、アマノイワドに行って。八意には連絡してあるからさ』

「はい。分かりました。那由多さんが来るまで、何とかしてみます」

『俺も地獄に行って、すぐに行くから』

「地獄に?」

『凶霊を殺さず人から離すには、それなりの悪魔との契約が必要でね。そいつと契約してくる。じゃあ、そっちはとりあえず任せる。ハロを手足のように使ってくれて構わないから。騒ぎが起きそうだったら、ハロの力で幻術でも見せておけば、数時間は平気なはずだ。もし、典晶君達の身が危なくなったら、ハロを盾にしてくれ。無駄にデカイ胸はクッション程度の役にしか立たないけどな』

「聞こえてるわよ! 那由多!」

 ハロがベーッと舌を出す。通話口で那由多は笑って、通話が終了した。

「那由多さん、どうしろって?」

「アマノイワドに行って、八意からアプリをもらえって。そして、那由多さんが来るまで、凶霊を頼むって……」

「そういうことなら、急いでアマノイワドに行こう」

 何かを感じ取っているのだろうか、イナリは西の方を見て目を細めた。

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