五話

「どういうこと?」


「玲奈に意志があるように思えるか?」


 イナリの声に、文也が前髪を弄りながら首を傾げる。


「昨日話した限りじゃ、あるように思えたけどな」


 典晶も頷く。晴海にしても玲奈にしても、表情にこそ感情の起伏はないが、会話もちゃんと成り立つし、意思の疎通も取れていた。


「残念ながら、幽霊となった玲奈に意識らしい意識は無い。以前に話しただろう、幽霊とは強い想いを残して死んだ魂のことだと。彼らにあるのは、その想いだけだ。偶々、典晶達は幽霊の想いに触れる質問、会話をしていたから話が成り立っていただけだ」


「そんな……」


「見てみろ」


 唖然とする典晶にイナリは顎をしゃくる。徐々に近づいてくる玲奈。彼女の何がおかしいというのか。


「死んでまでも泳ぎ続ける。彼女は死んでから三年間、何の疑問も持たずにずっと泳ぎ続けてきた。彼女の口から出るのは、先輩である赤木信二の事だけだ。玲奈には信二に自分の泳ぎを見て貰うという想いしか存在しない。玲奈の場合は、このプールと呼ばれる場所に強い思い入れがあった。だから、此処を動くわけにはいかない。死ぬ直前まで行ってきたことを永遠と繰り返す」


「じゃあ、玲奈たちは人形だとでも言うのか?」


 玲奈に聞こえないように声を潜める。イナリの言葉が本当だとするならば、その事にどれだけの意味があるのか分からない。


「その通りだ」


「録画したテレビ番組のように、終わることなくずっとリプレイを繰り返しているのか」


「それじゃ、余りにも可哀想だ」


「そうだな。こうしている間にも、玲奈の想いは蓄積されていく。そうすれば、いずれ凶霊となり暴れ出す。凶霊となったら、自らの想いからも解放され自由自在に暴れ回ることができる」


「この学校を彷徨っているっていう、黒井真琴の凶霊みたいにか?」


イナリは頷く。泳ぎ終わった玲奈が水面から顔を覗かせる。玲奈はキョロキョロと辺りを見渡す。


「赤木先輩は?」


 典晶は溜息をつきながら、事の子細を説明した。


 イナリの言った事は本当なのだろうか。玲奈は典晶の説明を真剣な表情で聞いていた。時折、こちらに質問をしてくるその姿は、生きている人間と何ら変わらない。


「だから、何か玲奈さんが此処にいるという証明になる物がいるんだけど」


 辺りを見渡すが、玲奈の遺品があるわけもない。玲奈の家に行けば、遺品くらいは残っているだろうが、それが彼女の存在を示す事には繋がらない。


「物は何もない。先輩と共通の物も私は持っていない」


 玲奈が水面に視線を落とす。


 典晶と文也は肩を落とした。


「今の私にあるのは思い出だけ。先輩との記憶だけ」


「二人にしか分からないエピソードはないのか?」


 イナリが口を挟む。玲奈は少し考えるように目を閉じる。程なくすると、信二がレギュラーを取った時のエピソードがあると言った。


「どんなエピソードなんですか?」


 筆まめな文也がポケットからメモ帳とペンを取り出す。


「先輩は背泳ぎの選手だった。夏の大会でレギュラーに成れるか成れないかの瀬戸際で、先輩と残って夜遅くまで練習していたんです。帰り道、先輩から洋楽が好きだって教えて貰って。私は先輩が好きだった音楽、マルダというバンドのアルバムを全部買って学校の行き帰りに聴いていたの」


「分かりました」


 文也は頷く。


「後は、俺のしゃべり次第だな。まかせて玲奈さん。必ず信二先輩を連れてくるから」


「ありがとう」


 玲奈はニコリと微笑んだ。再び泳ぎ始めようとした玲奈を典晶は呼び止めた。不思議そうに玲奈は振り返る。


「玲奈さん、生きているとき、何が好きでしたか? 食べ物でも動物でも、ブランドでも何でも良いんだけど」


 試さずにはいられなかった。典晶には玲奈の意識がないとは信じられなかった。だから、こうして質問をしてしまった。隣でイナリが小さく溜息をついた。


「………」


 玲奈は何も答えない。ただ、ぼうっと感情の宿らない眼差しをこちらに向けてくるだけだった。何も言わずに、玲奈は泳ぎ始めた。室内プールに、寂しい水の音が響き渡る。


 パンッとイナリが手を叩くと、プールから沸き立っていた光が終息した。これまで見えていた玲奈の姿が光と共に消えた。

「行こう」


 イナリに促され、典晶はプールを後にした。

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