六話

「………」


 典晶は五度目の寝返りを打った。


「眠れないのか?」


 窓の下に座り、夜空を見上げるイナリが振り返った。銀色に輝く髪はシルクのように艶やかで張りがあり、毛先には空の星が写り込んだように光の粒が瞬いている。


「ああ」


 カチカチと時を刻む時計の針は、十二時を過ぎたところだった。


「添い寝をしようか?」


「止めろって! お前がいるから寝られないんだよ!」


 典晶は夏掛けを蹴り上げて上体を起こす。浴衣を着たイナリは、人間の姿に慣れるという名目で、こうしてずっと窓の下に座り月光を浴び続けている。本人はそれで良いかもしれないが、典晶にとっては地獄だ。手を伸ばせば届く距離に絶世の美女が座っているのだ。神の眷属とは言え、健全な高校にとってこれは拷問以外の何物でもない。彼女を意識するなと言う方が無理だろう。


「何故だ? もう二日も一緒に寝ているではないか」


「それはイナリが狐だったからだよ」


「典晶はおかしな事を言うな。狐の姿も今の姿も、私に違いはないのだぞ?」


「それは分かっているけどさ。その、人間っていうのは、やっぱりビジュアルが大事でもあるんだよ。特に、イナリの場合はビジュアルってレベルじゃなくて、存在そのものが変わるわけだからさ」


「そんな物なのか?」


「そんな物なんだよ」


 再び横になった典晶はイナリを見つめる。イナリも見上げていた星空から典晶へと視線を移す。


「今日、イナリがプールで使っていた神通力だけどさ、あれって、やっぱり人間じゃつかえないのか?」


「いいや、人の中にも神通力を扱える者がいる。義父である典成殿は神通力を使いこなせるようだな」


「え? 親父が?」


 典晶は眉を寄せる。典成が神通力を使った所を、今まで一度も見た事が無い。


「彼は中々の使い手だな。歌蝶母様は言うまでもなく神通力を使える」


「……で、俺は? 神通力の素養はあるのか? 両親が使えるんだから、まさか使えないなんて事は……」


 言って典晶は後悔した。期待の込めた眼差しでイナリを見たが、イナリはその眼差しから逃れるようにフイッと視線を外してしまった。答えはイナリの態度から見て取れた。


「すまない、典晶。典晶からは、神通力の素養は針の先ほども見あたらない」


「……両親のダメなとこだけを寄せ集めてできたのが俺かよ……」


 典晶は布団に突っ伏した。これだけ特異な環境に置かれているというのに、その中心にいる本人は全くの無力。これでは、ソウルビジョンを使ったとしても、イナリに頼るところは大きいだろう。


「なあ、学校には凶霊がいるんだろう? やっぱり、イナリじゃどうにもならないのか?」


 玲奈を見て、やはり霊は成仏させるべきだと思う。ああやって、ただ一途な想いに縛られてこの世に止まり続けるのは、あまりに可愛そうだった。もし、凶霊となった黒井を助けることができるのなら、助けてやりたい。


「やっぱり、イナリじゃどうにもならないか?」


「私が全力で祝詞を唱えたとして、一時的に散らすのが精一杯だ。もし、凶霊が力をつけてしまったら、今の私の神通力では太刀打ちができない。放っておくのが最善だが、あそこが典晶達の生活空間である以上、放置しておく訳にもいかないだろうな。凶霊は時間が経てば経つほどその力を増す。どうにかするのなら、早いほうが良い」


「那由多さんか」


 典晶は那由多を思い出す。一度、彼に連絡をしてみようか。だが、一つ気がかりなのは、那由多がこちらに来てくれたとしても、本当に凶霊をどうにかできるのだろうか。もし那由多まで巻き込んで怪我をさせてしまったらと思うと、簡単に連絡を取れなかった。


「那由多さんでどうにかできるかな?」


 思わず心配事を吐露してしまった。その言葉を聞き、イナリはクスリと笑う。


「彼が問題なのは、凶霊の強弱ではない。時間と人間世界での法の問題だろう」


「そうは言っていたけどさ……強力なんだろう、凶霊って? 那由多さんに万が一があったら、俺は責任取れないし」


「そんな事を心配しているのか? 那由多は強いよ。『神の加護』を受けたアイツが負けるわけがない。私らの世界では常識だ」


 風に風鈴がチリンと鳴った。イナリは気持ちよさそうに目を細める。


「デヴァナガライ、って言ったっけ?」


「ああ。那由多は詳しく語らなかったが、奴は使役した悪魔や神々をその身に纏い戦う。奴が普段相手にしているのは、神や悪魔だ。凶霊なぞ相手にならんよ。相談してみろ。悔しいが、凶霊に関しては私よりも那由多の方が典晶の力になれるだろう」


「ん、そうする。……おやすみ、イナリ」


「ああ、おやすみ、典晶」

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