三話

 放課後、典晶と文也は高天原駅から電車に乗り、隣の千野田市を訪れた。


 典晶達の住む智成市とは違い、こちらの千野田市は山も大きな河川もない、比較的平坦で開けた場所にあった。その為か、市内には大きな商業ビルがいくつもあり、近代的な建築物が天を抜くように建っていた。


 電車からバスに乗り換え、十分ほどで大学に到着した。典晶は初めて訪れたキャンパスの広さに圧倒されながらも、校門の前で出てくる大学生を物色していた。


 典晶と文也の手には一枚の紙が握られていた。紙には目的の人物である赤木信二の卒業写真がプリントされている。


 水泳部のイメージピッタリの、小麦色の肌によく似合う短髪。少し幼さの残る顔には、満面の笑みが浮かんでいる。これは三年前の写真だ。当時高校生だった信二も、今は大学三年生。気をつけなければ、見落とす可能性があった。


 プリントを眺めていると、肩から提げたバッグからイナリが顔を覗かせた。


「そこにいろよ。ヘタに飛び出すと轢かれちゃうからな」


 イナリはコクリと頷く。バッグから顔を出した状態で、立ち並ぶビル群を珍しそうに見上げていた。


 車で出てくる大学生を覗き込みながら信二を待っていると、不意に文也が声を上げた。文也が顎で示す先には、長い髪を金色に染めた青年が歩いていた。ダブダブのシャツに、黒いズボンの裾はだらしなく、アスファルトを擦ってボロボロになっている。


 だいぶ容姿は変わっているが、目元と口元は写真にある信二そのままだ。校門から出た所で、典晶と文也は背後から信二に近づいた。


「すいません、赤木信二さんですか?」


 信二は「はぁ?」と不機嫌な声を上げて振り返った。典晶達の制服を見て、不機嫌そうな表情は不思議そうな表情へと変化した。


「俺の後輩か? 何か用か?」


 足を止めずに尋ねる信二の斜め後ろを、典晶と文也は付いていく。


「赤木先輩にお願いがあって」


「お願い? まさか水泳部のコーチか? 悪いけど、水泳はもう止めたんだ。当たるなら他の奴に当たってくれよ」


「そうじゃなくて、実は、中西玲奈さんからお願いされて」


 玲奈の名を口にした途端、信二の足は止まった。写真で見た笑顔からは想像も付かない、鬼のような形相でこちらを振り返る。


「お前、何で玲奈のことを……」


「玲奈さんからお願いされたんです」


「いい加減な事をぬかすんじゃない!」


 信二の手が伸び、典晶の胸ぐらを掴み上げる。首元が圧迫され、呼吸がままならなくなる。


「オイ、アンタ! 何をするんだ!」


 文也が信二に詰め寄ろうとするが、それよりも先に信二の手に白い物が飛びついた。


「うわ! なんだコイツ!」


 イナリだった。イナリは信二の手に噛みつき、離そうとしない。信二は突然のことに軽いパニックになり、思い切り手を振ってイナリを振り払った。壁に叩きつけられそうになったイナリは、クルリと体を回転させ、壁を蹴り地面に着地した。


「お前のペットか……!」


 信二は手を押さえ、イナリに噛まれた傷口を見る。手にはイナリの犬歯が突き刺さった後がハッキリと見て取れた。


 信二は興奮しているようで、血走った目でこちらを睨み付けている。憎々しくイナリを見下ろした信二は、舌打ちを残して背を向けた。


「先輩、待って下さい!」


 典晶が呼び止めるが信二は足早に去って行く。


「追うぞ!」


 文也が後を追う。典晶もイナリを抱え上げて信二の後を追った。


「待って下さい、先輩!」


 信二の前に回り込んだ典晶。だが、信二は「退け!」と凄味を効かせて典晶の横をすり抜けていく。


「玲奈さんが先輩に会いたがってるんだ!」


「お前等、俺を馬鹿にしているのか? 玲奈は三年前に死んだ! 学校のプールで、たった一人でな!」


 典晶の肩を力一杯突き飛ばした信二は、「付いてくるな!」と吐き捨てると、近くの喫茶店に入っていった。


 胸に抱いたイナリが心配そうに鳴く。典晶はイナリを撫でながら起き上がった。


「大丈夫か?」


「ああ、こうなることは予想はしていたけど。一筋縄じゃ行かないな」


 どんな人であれ、死んだ人の話を持ち出されては余り良い気がしないだろう。それも、玲奈の死因は少し特別だ。玲奈が信二に会いたがっているという事は、二人は何かしら特別な関係にあったと考えるのが妥当だろう。死んだ玲奈の名を出され、玲奈の死を侮辱されたと思っても不思議ではない。


「玲奈さんが会いたがってると言っても、はいそうですか、って信じてくれるとは最初から思ってないけどさ」


 典晶の言っていることが真実であれ、ありのままを伝えて説得するのは無理がある。やはり何か策を講じなければいけないだろう。一昨日、晴海の願いを叶えた切欠は彼女の残した櫛だ。それと同じような物を提示する必要があるかも知れない。


「……もう一度プールに忍び込んで、玲奈さんに話を聞くしかないかな」


 信二の消えていった喫茶店を見てみるが、信二の姿は見あたらない。不思議に思って探していると、カウンターの置くからエプロンを着けた信二が出てきた。先ほどまでのだらしない格好とは違い、長い金髪を後ろで一つに纏め、ワイシャツとスラックスを身につけた姿は、年相応の落ち着きを持った大学生だった。彼は歩道に立つこちらをチラリと一瞬見たが、完全に無視を決め込んで接客を始めた。


「此処がバイト先か。次からは大学の前で待ち伏せしなくても済んだな」


「ああ。一旦学校に戻って、先輩が信じてくれそうな物を玲奈さんから聞きだそう」


「行ったり来たり、まるでRPGのお使いだな」


 文也がウンザリとした調子で呟く。


「次からは、色々な情報とかを事前に詳しく仕入れておこうぜ」


「だな……」


 典晶と文也は駅へ向かうバスに乗り込み、天安川高校へ向かった。

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