二話

 典晶と文也は、三人と一匹と向かい合う様に座布団の上に正座した。大人三人の間に張り詰める重い空気は、自然と典晶の気を引き締めた。


「え~っと……」


 最初に口を開いたのは典成だ。典成は額に玉のような汗を浮かべ、横に座る歌蝶と、その向こうにいる宇迦の様子を伺う。


「その、なんだ……」


 言い淀む典成を、訝しそうに典晶は見つめる。普段からパッとしない父親だと思っているが、こうして歌蝶と並んでいる所を見ると、月とすっぽんほどに差がある。どうして二人がくっついたのか本当に疑問に思う。歌蝶の美しさなら男も選り取り見取りだったはずだ。話に聞くと、結婚を熱望したのは典成ではなく歌蝶だというのだから、男女の仲というのは不思議だ。


 中々本題に入らない典成をジロリと睨み付けた歌蝶は、コホンと咳払いをすると典晶を見つめた。スッと細められる眼差しに、典晶は激しく嫌な予感を感じる。歌蝶が目を細めるときは、決まってろくなお願いをされないのだ。


「典晶、宇迦さんは知っていますね?」


 歌蝶は隣に座る宇迦を示す。


「はい……」


 小さい頃は遊んで貰った記憶がある。ただ、ここ数年は姿を見ていなかった為、広間に来るまで宇迦の名前は疎か存在さえ忘れていた。


「なら話が早いです。宇迦さんの隣に座ってるのは、イナリさんです」


 典晶と文也は白い子狐を見る。子狐に「さん」を付けるのはどうかと思うが、ここは黙って歌蝶の話に耳を傾ける。


「イナリさんの事も知ってますよね?」


 しげしげとイナリを見つめる。白い子狐。最後に見た時から十年近く経過しているはずだが、まだ子狐のままだ。狐の寿命を知らないが、もし生きているとしたら、子狐だったイナリはもっと大きくなっているだろう。だとすると、そこに座っている子狐はイナリの子供か孫なのだろうか。


「まあ、よく遊んだから……」


 典晶は文也を見る。彼は目を輝かせながら、宇迦とイナリを見つめていた。女に節操がないと思っていたが、まさか此処までとは。もしかすると、文也は年上が好みなのかも知れない。


「なら、話が早いですね」


 宇迦が言うと、歌蝶も「ええ」と答える。二人は顔を見合わせ、ニコリと微笑んだ。歌蝶と同じように、年もそこそこいっているのだろうが、宇迦の姿も昔見たままのように思えた。


「典晶」


 典成が口を開いた。一瞬、間を取った典成は引きつったような笑みを浮かべた。


「ここにいる宇迦さんの子供、イナリちゃんと結婚をするんだ」


「はっ?」


 チリンと風鈴が夏の風に鳴った。


 目の前にいるクソオヤジは、一体何を言っているのだろうか。典成の言葉を頭の中で反芻し、噛み砕き、咀嚼するまでに数秒の時を要した。


「いや、結婚って……え? 結婚……? 何言ってるんだよ。だって、狐じゃん?」


 「無理でしょ?」と文也を見るが、彼は典晶と目を合わせると「御目出度う!」と、満面の笑みを浮かべてこちらの肩を叩いてくる。


「典晶さんさえ良ければ、祝言はすぐにでも執り行いたいのですが」


「ええ、私どもの方はいつでも構いません。イナリさんが典晶を気に入ってくれればだけど」


 歌蝶の言葉に、イナリは「コンッ♪」と心なしか楽しそうに一言吠えた。


「おじさん、おばさん、俺も式の手伝いをしますよ。親父達に話して、人手と場所を確保します。ああ、美穂子にも話して手伝ってもらわないとかな」


「すまないね、文也君。お父さんの雅人には私の方からも話を通して置くから」


「きっと、親父も母ちゃんも喜びますよ。二人にとっても、典晶は息子のような存在だから。式は派手に執り行いましょう」


 ウンウンと頷き合う典成と文也。典晶は話がなんの違和感もなく進んでいくことに、激しく動揺した。


「ちょ、ちょ、ちょっと待って! 何で普通に話が進んでんだよ! 冗談だろ? ナニ? これドッキリか?」


 思わず腰を浮かして声を荒げる典晶だが、他のメンツは「ナニ? どうしたのこの子?」と、アブナイ子を見るかのような目付きでこちらを見ている。


「何か問題があるのか? お前、特に好きな子もいないんだろう?」


「え? いや、そうだけどさ、なんで普通にお前まで納得してるんだよ! 相手は狐だぞ? ホント、俺狐につままれてるのか! というか、これ夢か!きっとそうだ!」


 典晶は頬をつねるが、ただ痛いだけだ。目が覚めるわけでもなければ、状況が変わるわけでもなかった。


「典晶、落ち着きなさい。狐と言っても、イナリちゃんは宇迦さんの子供。宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の子供である仙狐よ」


「宇迦之御魂神って、お稲荷さん……神様じゃんかよ!」


 「冗談にも程がある」典晶は喉の奥で呻いた。


 目の前にいる宇迦が、あのお稲荷さんで有名な『宇迦之御魂神』であると歌蝶は言うのだ。学生時代のあだ名だとか、そう言ったものでないことは、言葉の雰囲気からして分かる。だが、典晶は「はい、そうですか」と納得できない。できるわけがない。


 典晶の想像する神様というのは、杖を持ち、霞を食べ、雲に乗って移動する……。


(って、それは神様じゃなくて仙人! 俺、マジでテンパってる! あと一つ何か来たら、ツモるぞ! いや、この場合はロンか!)


 自分にツッコミを入れながら、典晶は宇迦を矯めつ眇めつするように見る。どこからどう見ても、普通の人間だ。歌蝶と同じように、年齢不詳の所もあるが、それは今流行りの美魔女、美熟女といってしまえばそれまでだ。神様だとは到底思えない。そもそも、神様がこんな田舎町の一軒家に降臨するはずがない。されても困る。


「ここはファティマか高千穂か……」


 典晶の狼狽を見た歌蝶は、肘で隣にいる典成を小突いた。


「……アナタ、もしかして典晶にあのことを」


「……歌蝶こそ、話してないのか?」


「私はとっくの昔にアナタが話したと思っていました」


「僕は、てっきり歌蝶が話してくれたと思っていたよ」


「もう、こういう大事な事は父親から話した方が良いと、あれほど言ったでしょうに」


「いや、こういう事こそ、美しく優しい母親が言った方が良いんだ」


「ヤダ、宇迦さんの前で……美しいだなんて」


「歌蝶、僕は誰の前だって言えるよ。君は最高に美しいって」


 頬を染め、意地らしく畳に人差し指を畳にこすりつける歌蝶。それを見た典成もだらしなく目尻を下げていた。


「イヤイヤイヤ! ちょっと待て! アンタ等のノロケよりも、大事な話があるんだろう! 『あの事』って何だ!」


「ああ、あの事か。まあ、大したことじゃないんだ」


「そうそう、別段気に留める事もない、些末な事よ」


 典成と歌蝶はコクコクと首振り人形のように何度も頷く。


「そうですよ、典晶さん。そんなに驚く事じゃありません。リラックスしてください」


 宇迦に言われ、典晶は胸に貯まっていた息を吐き出す。


「大したことじゃなければ良いんだけどさ……。マジで、狐と結婚とか、宇迦さんが神様とか、悪い冗談は程々に……」


「簡単に言うとだな、代々、土御門の男はモノノケの嫁を取る事になっていてる。と言うわけで、お前には半分モノノケの血が流れている。母さんである歌蝶は人間ではなく鬼女なんだ」


「ああ、モノノケの嫁、母さんが鬼女。ああ、なるほどなるほど。そりゃ、全然たいしたことじゃ……、って! 大したことありまくりだろ! これ以上ショックな話はないよ! サラリと言うような内容じゃないだろうが!」


「ん、やっぱり、ショックだったか?」


「ショックと言うより、驚いたよ! マジな話なのかよ!」


「マジな話だ」


「大真面目、リアルガチってやつかしら?」


 今日の天気の話をするかのように、気軽に典成と歌蝶は告げた。その余りの気楽ぶりに、典晶の思考回路はますます混迷を極める。


「……ちょっと待って、少し、気分を落ち着ける…………。

 ………。

 …………。

 ……………。

 ………………。

 よし、何とか気を取り直した。母さんが鬼女だって? それは、『鬼』『女』と書いて鬼女か。少し前に流行った、鬼嫁とか、そんなニュアンス? もしかすると、ネット用語の『既婚女性』の『既』を『鬼』に変えた『鬼女』か?」


「典晶、全然落ち着いてないじゃない。ホラ、スーハースーハー」


 歌蝶が深呼吸のマネをする。仕方なく、典晶も深呼吸をして更に頭を静めた。


「母さんは、ネットとか良く分からないの知っているでしょう?」


「そりゃ、知ってるけど」


 そうなのだ。歌蝶は携帯を持っているが、できるのはメールと通話のみ。メールでさえ、文面は『きょうのごはんはなにがいい』と、句読点を打つことも漢字の変換さえできないのだ。歌蝶は、ネットで一部の既婚女性を鬼女と呼ぶことさえ知らないだろう。


「歌蝶さんは正真正銘の鬼の娘よ。西方の有名な鬼の娘です」


 宇迦が典成の言葉を肯定する。


「ほら、母さんの頭に角が生えるの、お前も見た事があるだろう?」


 典成は声を潜めて言う。普段優しい歌蝶だが、怒ると頭に角が浮かび上がる。だが、今までそれを不思議だと思った事はなかった。


「え? それは普通だろう? 女性はみんな怒ると角が生えるんだろう?」


 典晶の言葉に場が静まりかえった。文也は深い溜息をつくと、典晶の肩に手を置く。文也の無念そうなその表情は、無言のうちに典晶の言葉を否定していた。


「いや、あのな典晶。心して聞けよ。人間の女ってのは怒っても角は生えない。例えではあるけどな。歌蝶さんは若々しいだろう。モノノケってのは、人よりも時の流れが遅いんだ」


「……そうなのか? って、どうしてお前は驚かないんだ? 普通だったら、俺を見る目が変わるとか、そういうのがあって良いんじゃないか?」


「あ? 俺の家はオマエんちと懇意にしてるからな。うちの親父も爺ちゃんも曾爺ちゃんも、そのまた爺ちゃんも、家族ぐるみで付き合ってきたんだぞ? 土御門家の家族構成とかは全部知ってる。元々、伊藤家は土御門家、もっと遡れば安部家の氏族だったんだよ。その名残からか、結婚式は伊藤家が全面的に協力するって事になってんだ。俺の家だけじゃない、隣の石橋家、美穂子の家だって土御門の結婚式には協力するしきたりなんだ。

 正直言って、俺はお前が今まで自分の出自を知らなかったって事の方が驚きだよ。俺も美穂子も、典晶は知っているとばかり思っていたからな。あえて聞こうともしなかった」


「んじゃ、いずれ俺がモノノケの嫁を取るってのも?」


「もちろん知ってた。まあ、こんな早いとは思っていなかったけどな」


 この中にいたのでは、驚いている自分がおかしいように思える。もう一度大きな深呼吸をした典晶は、恐る恐る尋ねる。


「もしかすると、婆ちゃんも?」


「お婆さまは水神様の眷属、蛇女よ」


「やっぱり……。卵を丸呑みにするわ、冬になると布団から出てこなかったり。どうもおかしいと思っていたんだよな」


 祖母の奇行を何度か目の当たりにしてきた為、蛇女と言われて不思議と得心がいった。


「そう自分の出自を気にするものじゃないぞ。お父さんなんて、卵から生まれたんだからな。爺さんも驚いたと言っていたぞ」


「笑い話にできるようなネタじゃないだろーが! うちの一族、もっと色々と悩んだり考えた方が良くないか?」


 声を荒げる典晶だったが、典成の対応は至極冷めたものだった。


「ご先祖様が決めたことだ、従うしかない」


 低く真面目な声だった。歌蝶も宇迦も真剣な表情で頷いている。


「もしかすると、呪いで人との間じゃ子を成せないとか……? それとも、裏でゴーストバスターとかやっていて、その為にモノノケの血が必要とか、そう言った事か? 俺達、安倍晴明の安部家と血の繋がる土御門家だもんな」


「いや、違う」


 あっさりと否定された。ガクリと典晶の肩が下がる。


「代々、モノノケと婚姻するのは安部家からの伝統だ。時に、典晶は陰陽師や安部家がどういった物か知っているか?」


 突然違う話を振られた典晶だったが、気を紛らわせるように頷くと語り始める。特に興味は無かったが、土御門の名字を持つ者として、必要最低限の知識だけは頭に入れていた。


「んと、安倍晴明と言えば、言わずと知れた大陰陽師。陰陽師が活躍していたのは奈良時代、平安時代を経て戦国時代、明治になるまで存続していた。今で言う、国家公務員だったんだよね」


 典晶の言葉に典成と歌蝶は頷くと。隣に座る文也は、「へ~、陰陽師ってちゃんとした仕事だったんだ」と驚いていた。


「うん、今では呪い師や魔法使いみたいに思われてるけど、ちゃんとした職業だったんだよ。元々、陰陽道ってのは大陸から渡ってきたものでさ、まあ、成り立ちは諸説あるんだ。 紀元前六世紀頃、孔子が編纂した『左伝』に『陰』と『陽』の言葉が出ているから、概念的な物はその時代にあったんだと思う」


「そんな昔から? すげーな、陰陽道!」


 文也が喝采を送ると、嬉しそうに典成が頷く。


「その頃は、あくまでも概念ってだけさ。そもそも、左伝には今のように陰陽が森羅万象を司るなんて、大それた事は書かれていない。『陰・陽・風・雨・晦(かい)・明』の六気の内の一つとして考えられていたんだ。左伝では、陰の力が増せば『寒疾(かんしつ)』を生じ、陽の力が増せば『熱疾(ねつしつ)』を生じるって言われていた」


「寒疾と熱疾って?」


「うむ、誰かと違って勉強熱心な文也君に教えてやろう」


「……誰かって、俺の事か?」


 典成の呟きを完全無視し、文也の問いに答えのは典成だった。典成は細い腕を威厳ありそうに組むと、一度咳払いをして朗々と語り出した。そんな横顔を、歌蝶はウットリとした眼差しで見つめる。


 典晶はそんな歌蝶が本当に鬼女なのか、イマイチ信用できなかった。典晶のイメージする鬼女は、奥深い山中の一軒家に住んでおり、毎夜包丁を研ぐ。ボロボロの着物を着て、延びきった長い白髪、赤い顔は大きく、頭には二本の角が生えている。そんな感じだ。こうして冴えない男の横で、朗らかに笑っている美女ではない。

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