最終話;実り

 美緒は後ろを振り向き、答えた。


「博史さんなら、ほらっ、来たわよ。」


 南が改札口へと目を向ける。その向こうには黒服の男達に守られ、こちらに向って来る博史の姿が見えた。


「……ただいま…。」

「……おかえりなさい。」


 改札を出た博史は右手で南を強く抱き締め、その足で初めて東側の土地を踏んだ。


「……長かったね…?」


 南はそれだけを言うと目を瞑り、彼の胸に甘えた。


「あんた達、何歳までそんな事してるの?見てるこっちが恥かしいわよ!」


 かなり長い間待った美緒は痺れを切らして2人を叱り、黒服の男達に荷物を運ぶよう促した。


「さっ、行くわよ!」


 そして笑いながら、2人を駐車場へと誘った。

 美緒の掛け声に、男の1人が博史の側に立つ。博史は、美緒と違って西側から来た一般人なのだが、美緒がそう指示していたのだ。美緒がわざわざ鉄道を利用した事も、彼に理由があった。高齢なので飛行機での移動が難しく、そして、少しオーバーかも知れないがサポートが必要だった。

 彼の左腕は、自由が利かないのだ。あの時の暴動で、鈍器で殴られた左肩は想像以上に負傷をし、肘から指先までは動くのだが握力は殆どなく、左肩は回すどころか、上に上げる事も出来なかった。

 博史がそれを知ったのは、2人を隣国に送った次の日だった。国境沿いの街では充分な治療も受けられず、左肩の負傷は後遺症として残った。

 今の博史は70歳を超えており、腕の不自由は酷くなっていた。


 男達は、負傷の理由を聞かされていた。彼らは、統一の立役者である美緒に心の底から忠実であり、尊敬もしている。彼女の命の恩人とあっては、博史を無下には出来ないのだ。

 博史はオーバーな振る舞いを見せる美緒と男達を嫌がったが、美緒はそれを許さなかった。


「博史さん。私がこの国で英雄と見られてるなら、あなたは英雄の中の英雄です。私にとって、あなたは英雄なのですから。このくらい過ぎた対応の方が、あなたには合ってるんです。」

「……。」


 英雄になる事は望まなかったものの、それでも美緒の人生を変えたのは博史との出会いだ。



 駐車場に到着したが、左腕が不自由な博史は乗車に時間が掛かった。

 南は男達よりも先に彼を支え、車に乗せた後、その隣に座った。

 車も豪勢過ぎた。元々は美緒が乗る車なのだ。美緒も、博史が無事に席に着くと右側の扉を開き、彼の右側に座った。


「腕の事だって…結局、ずっと教えてくれなかった…。」


 南は右側へ体を寄せ、違和感がある博史の左腕に顔を埋めた。


「だってこれは…僕の不注意だったから…。」


 南達が無事に帰国した後、彼は自由な日々を送った。左腕に負傷を抱えながら、あの国を旅して回ったのだ。腕の不自由の理由は、襲われた事が原因なのか、その後のケア不足が原因だったのか…。

 それでも南は、事情を教えてくれなかった博史に腹を立てた。


 南と博史はその後もあの国へ、何度も旅行に出掛けた。公約通りに地方の開発を進めたあの国では地方の発展が目まぐるしく、毎年のように観光地が新設され、何度訪れても飽きないほどになっていた。

 暴動の2年後、再びあの国で再会した南は、その時初めて左腕の状態を知らされた。国境線で交わされた約束は、2年後に破られたのだ。しかしそれは博史の、南に対する優しさ以外のなにものでもなかった。

 だがそれ以降、2人が隠し事をする事は今の今まで何1つとしてない。



「本当に、ここで良いの?」


 駅を出て暫くもしない内に、博史と南は車を降りる事にした。乗車した理由は、駅周辺の混雑を避けたいが為だった。


「ここで待ち合わせしてるの。」


 どうやら南には、もう1人待ち合わせをしている人がいるようだ。

 それを聞いた美緒は博史を車に残し、外で一緒にその人を待つ事にした。


「久し振りだね?顔見るの…。」


 車を降りた美緒が、南の顔を見てそう語る。


「まぁ…南の顔を見てたら、久し振りって気持ちもなくなるけどね?そっくりだもん、あんた達…。」

「私に似て、美人でしょ?」

「誰も、南を美人だとは言ってないでしょ?」

「酷い!何でそんな言い方するのよ!?」

「はははっ、冗談だよ。あっ、来たんじゃない?」


 昔と変わらない会話を続ける2人の前方に、1台の乗用車が止まった。

 車から降りた人間は周囲を見渡し、そして南と目を合わせた。


「麗那!ここよ!」

「あっ、お母さん!ゴメン、待たせた!?」


 そこには、30代の頃の南とそっくりな女性がいた。但し背丈は遥かに高く、ちょうど、南達が世話になった麗那と同じくらいだ。


「あっ、美緒おばさんも久し振りです!向こうでの活躍、見てましたよ。」

「麗那ちゃん…。私の事、おばさんって言わない約束でしょ?」


 還暦を迎えた美緒が若い麗那を叱りつけると、車から博史が下りて来た。


「あっ、お父さん!久し振りだね!?」


 麗那は博史をそう呼び、車から出るのを手伝った。


 旅行を通じて、何度も同じ時間、同じ空間を共に過した南と博史は結ばれ、子供も授かった。名前は麗那と名づけられ、結婚が許されない2人は麗那を、南の私生児として育てた。

 店の主人だった麗那は、この事を知っていた。彼女が最期の時を迎える時、南のお腹には既に、子供の麗那が宿っていた。


「久し振りの、家族の再会って訳だ?」

「美緒のお陰で、やっとこの国でも3人で暮らせるようになったの。」

「…それまでに、長い時間が経ったね……?」


 美緒の言葉に、その場にいた人は昔を振り返った。

 男達は周囲への警戒を怠らずに、それでも美緒の言葉を噛み締めた。黒服で固めた彼らは周囲に威圧感を与えると共に、『ここに重要人物がいる』とアピールしているのと同じだ。彼らは、何処にいても警戒を解けないのだ。


「で、これからどうするの?」

「役所…。婚姻届を出しに行く。」

「ははっ!…面白そうだね?」


 美緒が尋ねると、60代の南が、20代の頃の笑顔でそう答える。

 法的には、今日から西側と東側の人間の結婚が許されるが、まさか今日の日に婚姻届を出しに行くとは役所の人間も考えてはいないだろう。

 南と美緒は窓口係の、唖然とした顔を思い浮かべて笑った。


「さっ、麗那。お父さんを手伝って。」


 南は、麗那に博史の荷物を車に移させ、自分は彼を車へと促した。


「それじゃ…今晩、私の家で…。待ってるからね?」

「出来るだけ早く行けるようにするわ。遅くなったら、先に食べてて。」

「待ってるから、ちゃんと来てよ?証明するんだから!私の腕もそれなりに、麗那さんの味に近づいたんだからね!?」

「はいはい。期待してます。」


 そう言って2人は、今晩の約束を確認して別れた。

 今日は南の家で、あの鍋料理を楽しむのだ。残念ながら麗那からは充分に伝授してもらえなかったが、あの国へ旅行に行く度に南は調べ物をし、どうにか目指す味へと近づいていた。




「席でお待ち下さい。順番になったら、お呼びしますので。」

「……。」


 南の予想は外れ、役所の人間は動じなかったむしろ同じような届出が多く、処理に追われていた。博史と南のような関係の人間は、意外と多いのだ。

 博史が言ったように、壁は、何処までも2つの国を遮るものではなかった。会えないのなら、壁が途切れた所まで行って会えば良いのだ。




 家に到着すると、博史はぎこちない感覚に襲われた。今日からここが、彼の家になる。だが勝手を知らない彼は戸惑った。


「楽にしていて。私、今からお母さんのお手伝いしてくる。」


 麗那は博史を居間へ案内し、台所へ向かった。

 台所からはあの酷く、そして懐かしい匂いが漂っている。博史はそれを鼻いっぱいに吸うと、これまでに起こった様々な出来事を思い出した。




 それでも時間を持て余すので、博史は家の中を見学する事にした。

 寝室に足を運び、壁に飾られた写真を見回す。店主であった麗那の写真や、紹介だけ受け、会えずに終わった南の両親の写真も飾られていた。


 南は当初、身篭った子の父親を両親に教える事が出来なかった。しかし両親は父親が誰なのか理解し、2人を責める事はせず、娘をサポートした。

 博史も誠意を見せた。海外の知人へ頼み込み、彼の口座を通して仕送りを続けた。両親は博史の誠意と彼自身の存在を認めたが、残念ながら彼と会う事は叶わず他界した。


「明日は…お墓参りに行きましょ?お父さん、お母さん、そして麗那さんの…。」


 寝室に現れた南の言葉に博史は黙って頷き、もう1度両親の写真を眺めた。

 そして、持参するように言われていた自分の両親の写真を取り出し、同じ壁に飾った。彼の両親も、既に他界していた。



 やがて日が暮れ、鍋の状態も良い具合になりつつあった。

 この料理は、長時間煮込まなければならない。食べる人はとにかく、作る人は、食べる頃には鼻が麻痺して匂いが分からなくなるくらいだ。

 それでも南と麗那は完成間近の鍋に鼻を近付け、その匂いを思いっきり嗅いでいた。


『ピンポーン!』


 誰かがインターホンを押し、麗那は1階に下りて玄関を開けた。

 この時麗那は、応接間で食事の準備をしていた。今日は美緒の他にも客人が来る予定で、台所の食卓では狭過ぎるのだ。


「あっ!美奈おばさん!お久し振りです!」


 訪れたのは、美緒の妹の美奈だ。


「麗那ちゃん…。また私の事、おばさんって言うの?」


 同じく60代に近い美奈は、姉と同じく麗那を叱った。

 美奈は今、実家の近所で『美奈のアトリエ』と言う花屋を経営している。大学で経営学を学んだ彼女は賢く店を経営し、南の店よりも大きな店を構え、支店も幾つか所持している。


「ところで、考えてくれた?例の件?」


 美奈は2階に上がる前に、小声で麗那に尋ねた。


「あの話なら、もうお断りしましたよ?私は、お母さんとこの店を続けます。」

「…もう!あなたの腕なら、もっと表舞台に出られるのよ…?それを…勿体ない……!」


 美奈はそう言って、この小さい店を見渡した。


 麗那は一流のフラワーアレンジメントの腕を持ち、数多くのコンテストで優勝を重ねていた。その腕をもっと広く、もっと多くの人に知らすべきだと考える美奈は彼女をスカウトしたのだが、麗那は頑なに断って店を切り盛りしていた。

 『南のアトリエ』と書かれた看板の下には、『麗那のアトリエ』と書かれた看板が隠れているのだ。


 美奈は頬を膨らまして2階に上がり、南と久し振りの再会を果たし、そして、博史との初対面も済ませた。

 美奈は博史を見て落胆した。パッとしない顔つきである事は写真で何度も見て知っていたが、実際に会うと想像以上にパッとしない顔をしていたので、それに幻滅したのだ。

 美奈は、南も麗那も、どうしてチャンスを棒に振るのか?と考えた。



 間もなく食事の準備も終わり、鍋は、いつ食べても美味しい状態になった。

 するともう1度インターホンが鳴り、麗那は再び玄関に下りた。


「あ~!雛おばさん!香おばさん!お久し振りです!」


 約束の時間よりも少し遅れて来たのは、すっかりお婆さんになった雛と香だ。


「麗那ちゃん、すっかり見違えたわね?でも、南の若い頃にそっくりだね!?美人に育ったんだね!」


 そう言ったのは、指先だけをバタバタとさせる雛だ。残念ながらこの歳になると、飛び跳ねる事は難しいのだ。


 2人はずっと昔の頃に、南や美緒と仲直りをしていた。それはちょうど、南が麗那を産む頃の話であった。

 妊娠していた事も知らず、突然の出産を知らされた香は、雛を誘って南の下を訪れた。子供が博史の子だと知らされた時、南の、博史への思いの大きさを知り、彼女と博史を許す事が出来た。

 側には美緒もいた。同じ場所に集まった4人の左小指には、あの時のピンキーリングがはめられていた。


「さっ!上がって、上がって!」


 4人の縁を繋げた理由である麗那は、その事も知らずに笑顔で2人を2階へと促した。

 そして2人は美奈と同じく、博史との初対面を迎えた。香は深く頭を下げたが、博史はそれを止めるように促した。

 雛は後ろの方で美奈と共に、博史の顔立ちを低評価していた。



 もう待ちきれない時間になった頃、普段着に着替えた美緒が訪れた。


「あっ!テレビの人だ!」


 雛が、美緒を見てからかう。


「止めてよ、ヒナ。私、皆の前じゃ普通でいたい。」

「だって~!美緒、カッコ良いんだもん。孫達にも教えてるんだよ?美緒は、私の親友なんだって!」


 嫌がる美緒を、雛は褒め続けた。

 香は美緒を見て、彼女の人生は偉大で正しかったのだと考えた。


「さぁ、食事にしましょう!」


 全員が席に座ったのを確認すると、南は例の果実酒を取り出し、皆に注いだ。


「じゃ~ん!どう?」

「あっ、似合う!良いね?それ。」

「お母さんから貰ったの。麗那さんのお下がりなの!」


 食事が本格的に始まる前に、麗那がオリーブの刺繍が入った服を着て、皆に見せびらかした。南が与えた、元の店主である麗那へのプレゼントだった。全ての遺品を処分するよう言われた南だったが、この服だけは残した。服に込められた麗那の願いは、あの時はまだ、叶っていなかったのだ。

 だが今日の日を迎えた今、それは誰かの手に渡るべきだと考え、背丈も合う娘の麗那にプレゼントされた。

 麗那は、4人を繋げ直した理由であり、2つの国が統一した象徴でもある。彼女こそが、この服を譲り受けるべき人なのだ。


「だからあの時、私が言ったじゃん!?」

「ヒナが言う事なんて、信用出来なかったんだもん!」

「酷い!南はいつもそうだった!香は私が言った事、信じてくれたよね?」

「……。」

「!!何か言いなさいよ~!!」


 4人は博史の事も目に入れず、昔話に盛り上がった。

 美緒は念願だった、お婆さんになってからの思い出話に花を咲かせた。




 食事が進み、酒も底をついた。

 それに不満を覚えた雛と香が南にせがむと、南は取って置きの酒があると言って、もう1つの酒瓶を開けた。


「!?何これ?不味い~!」


 しかし1口目を飲んだ雛が、酒の味に文句を言い出した。


「あれっ?失敗したのかな?」

「もの凄く渋いよ…このお酒……。何の果実??」


 香も、その味に不満のようだ。美緒も納得が行かない顔をしている。


「去年漬けたお酒なんだけど…渋抜きが上手く行かなかったのかな…?」

「渋抜き?果物に、渋抜きなんて必要なの??」


 遂に、美緒までもが文句を言い始めた。


「このお酒、実は…果物で作ったんじゃないんだ…。」

「???」



 賑わいが収まらない上の階であったが、1階でも、その賑わいが収まらないものがある。


 店には2種類の、異なった品種のオリーブが並べられていた。統一が確定的になった頃から、南がもう1本の木を購入して横に並べたのだ。


 品種が異なるオリーブの木は、小さく真っ白な花を、枝いっぱいに咲かせていた。

 そして数ヶ月後には、立派な実を実らせるのだ。









                           越えられない壁、完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る