第26話;その後

 数日後、雛から南へ連絡が来た。彼女は未だ、2人の安否を心配していた。

 そんな雛を通じて、香の近況を教えてもらった。まだ会う勇気はないそうだが、雛と同じく2人の安否を気にしてくれたらしい。

 ウエスト・Jの事は許せない。それでも南とは勿論の事、ウエスト・J出身の美緒とも、いつかもう1度会いたいと願った。博史の事も、少しは認めたようだ。

 香は激化を辿る、1度は訪れた国の悲劇を目にして、争いが人を変えてしまう事を知った。良い人としか巡り合わなかったあの国で、戦争が起こりそうになっているのだ。



 南と美緒は、雛と会う約束を交わした。そうでもしないと彼女の不安は消えない。とある週末に時間を設けた3人は、久し振りに食事を共にした。

 まだ、思い出のカフェレストランには足を運べない。3人は別の場所で会う事にし、いつものように先に待っていた雛は、2人の帰国と久し振りになる再会に跳ね続けた。


「ヒナ、相変わらずだね?」


 バタバタとさせる指先に、装飾品のように貼られていた絆創膏はなくなったが、料理教室を止めた訳ではない。


 2人は雛に土産を渡し、そして香への土産と、以前に渡せなかった就職祝いを託した。

 香と雛への土産は、左小指にはめるピンキーリングだった。キラキラした宝石が装飾されたものなどではなくシルバーのみのシンプルな物だが、南と美緒も買い揃えていた。例え会えなくても、同じ物を身に着けていたかった。


 左小指のピンキーリングは、願い事を叶えたい時にはめる物だ。南と美緒は、雛と香がこのリングをはめてくれたのなら、4人で会える日も近いと思えた。

 その日は、然程遠くはないだろう。南と美緒、雛、そして後日リングを受け取る香までもが、同じ思いでいるに違いない。



 それから1週間ほどが経ち、南の下へ、博史からのメールが届いた。思っていた以上に、博史の帰国には時間が掛かったようだ。

 南はメールを確認して安心し、美緒や麗那、そして両親にも博史の無事を伝えた。

 母親は、知らせを喜んでいた。


「…やっぱり…。」


 待たされたメールを読んで、南は腹を立て、そして笑いもした。

 博史は国境沿いの街で安全に過ごしていたのだが、隣国からではなく、あの国の、いつも利用している空港から帰国していた。

 ビザが下りた時点で勃発したデモと暴動は勢いを失い、占拠されていた空港も解放された。

 その事実を知る南は、メールが来ない事を不安に感じていた。博史のメールは、占拠解除の3日後に送られて来たのだ。帰国に手間取った訳ではない。彼は2人の予想通り、騒動を理由に、自らあの国に滞在していた。


『ビザが下りるまでの間、安全な場所を旅した。結局、ビザは必要なかったんだけどね。』


 メールにはそんなメッセージと共に、南が羨ましがる、多くの記念写真が添付されていた。勿論、南も負けじと空港で撮った思い出を送り返した。


 そして博史はメールの最後に、こう綴っていた。


『またあの国へ行こう。次に見るあの国は、今よりもきっと良い方向に進んでいる。』

「……。」


 危険な目には遭ったが、それでも博史の言葉に賛同する南だった。

 デモは完全に終わりを迎え、政府は大々的な表明を行った。それは政府自らが過ちを認める、稀に見る表明であった。政策が間違っていた事を認め、今後は地方経済の発展も平等に進めて行く事を約束したのだ。暴動には、政府側に問題があった事も表明した。

 この事には実は裏があり、他国のジャーナリストが、政府側の人間がデモ隊に混じって暴動を斡旋したと言う記事を流していた。それは否定出来ない事実として、多くのジャーナリスト、そして多くの証言者が声を上げた。

 政府は、本心はともかく、その声を素直に認めざるを得なかったのだ。


 そしてこの表明は、とある国へと飛び火する事になる。



 数ヵ月後、オリーブの花が白く、綺麗に咲き乱れる6月、ウエスト・Jが対外的なアピールを始め、50年前の過ちを清算しようと声を高め始めた。その声は東側にも届き、同じ声が聞こえ始めた。

 やがて東側の政府は海外からの非難を受ける事になり、それが次第と大きな波へと変って行った。




 そして、南が店で働き始めてから4年の歳月が過ぎた。

 西と東の両方で熱くなり始めた論争に、一時期は再戦を呼ぶとの声も上がったが、叫ばれる戦争反対の声は更に強かった。


 麗那はこの時、体を患っていた。数ヶ月前に脳出血を起こし、南の迅速な対応により命は取り留めたものの、右手が重度の麻痺を起こし、右足も、以前のようには動かなくなっていた。

 店の経営には問題がなく、南が4年間で覚えた事を発揮し、美奈も高校を卒業した後、アルバイトとして働いていた。

 美奈は、南を追い越せと技術を身に着けていた。


 南は仕事の殆どを任され、そして麗那の介護にも努めた。店が終わると世話をする為に2階へ上がり、寝泊りする日も少なくなかった。

 体を患わしてからの麗那は急激に老化が始まり、以前には殆どなかった白髪は、今や頭の全体を覆っていた。



 この日も、南は麗那の家で泊まる事にしていた。


「南ちゃん…いつもご免なさいね…。迷惑ばかり掛けてるね。」


 麗那は南に申し訳なく思い、また、こうなってしまった体を悔やんだ。健康だった彼女にとって、体の麻痺は寝耳に水であった。


「そんな事、言わないで下さい。」


 南は笑顔を心掛け、食事を手伝い、就寝の準備を始めた。


「南ちゃん…。ちょっと、話そうか…?」


 2人分の布団が敷かれると麗那は南を座らせ、今後の事を話し始めた。


「私が、お店をですか…?」


 麗那は近い内に、この店や家までをも南に譲りたいと切り出した。


「麗那さんはまだ元気ですし、そんな事、言わないで下さい。まだまだ麗那さんは、長生きしますよ。」


 南は驚き、そして本気で麗那を叱った。

 生きる活力を取り戻してあげたかったが、しかし麗那は引退を考えていた。


「勿論、長生きはしたいよ。でも私には家族もいないし、今の内に、身の回りを整理しておかないとね…。」

「……。」

「南ちゃんが店を引き継いで、私は南ちゃんに雇われる形を取るのが、一番良い方法だと思うんだ。私が死んだ後なら店を変えても良いし、売り払っても構わない。もし南ちゃんが構わないのなら、私が生きている間は、そうして働いてくれないかい?」

「……。」


 南は焦った。まだ若く、両親も未だ健在である。麗那を祖母のように慕ってはいるが、遺産の相続話を聞かされた事に戸惑いを隠せなかった。

 麗那は直ぐの返事を求めておらず、両親に相談してから返事が欲しいと言って眠りに就いた。

 南はその寝顔を見ながら、時の流れの残酷さを覚えた。そして自分はもう、学生気分ではいけないのだと悟った。


 美緒に相談でもしたいが、彼女は大学を卒業後、希望通りの会社に就職し、今は海外での生活をしている。

 美緒は商社に就職した。そこで研修として1年間だけ、海外支社へと転勤したのだ。女性であるにも関わらず社内で成績が認められ、異例の海外転勤となった。


 香とは、まだ会う事も出来なかった。彼女は最近両国を騒がせ、表面化し始めた東側の陰謀を認める事が出来ず、再び美緒や南と距離を取っていた。

 雛とは、時として会う事もある。彼女は最近香に恋人が出来、自分との時間を削っていると愚痴を漏らしている。

 しかし香は何度か、雛に異性を紹介していた。恋人の友人を紹介し、そうすれば雛との距離も良い感じになるのでは?と考えたのだが、お嬢様育ちで世間を知らない雛は、良い男性と巡り合う事が出来なかった。

 男性にとって、雛は難しい存在なのである。



 更に数ヵ月後、南は、美緒や博史とのメールでのやり取り、そして両親との相談を経て、麗那の店を引き継ぐ事を決心した。

 麗那は、自分が死んだ後は店を自由に扱っても構わないと言うが、南にそのつもりはなく、このまま花屋を続けるつもりだ。店の名前も変えるつもりはない。


 時期を同じくして、麗那の友人が他界した。友人は娘を失った寂しさから開放され、そして娘が待つ天国へと旅立った。

 麗那は友人の遺言を守り、遺品を全て捨て、財産は全て寄付する事にした。友人には、この世に残す物は何もない。

 財産は、戦争で苦しむ人々を救う団体に寄付された。少ない財産ではあったが団体は友人を賞賛し、冥福を祈ってくれた。


 他界した友人の後始末を手伝った南は、麗那から同じような言葉を聞かされた。麗那の遺言だ。彼女も友人と同じく残した身寄りはいないので、遺品は全て捨てるようにと指示した。

 南は話を聞いたものの、頑なに麗那の長生きを望み、彼女を叱り付けた。



 それから麗那は、5年生きた。死因は老衰であった。脳出血を起こしたが、それとは関係なく天命を迎えた。旅立つ際には死期を悟り、南や美奈、そして美緒までもが見守る中で静かに息を引き取った。

 美緒はそれまでに、数回に渡る海外での滞在を経ていた。だが美緒は麗那の最期を見送る為に、この時もはるばる遠い国から戻って来たのだ。


「麗那さん…。私…」


 南は麗那の手を握り、耳元で1つの報告をした。

 麗那にとって、それは良い冥土の土産になった。


 南の言葉に満足した麗那は3人の名前を呼んだ。


「皆…今までありがとうね。私には子供がいないけど、あんたらは孫みたいな存在だった。…でも、どうやら私は孫達が幸せに、平和に暮らせる世の中を見れなかった…。それがとても残念だよ。良いかい…?あんたらは希望だ。それを忘れないでおくれ。あんたらの世代で、必ず、平和な国を取り戻しておくれ…。」


 それだけを言い残し、麗那は天へと旅立った。

 美緒と美奈は抱き締め合って彼女の死を悲しんだが、南は気丈にも笑顔で見送った。


 麗那の遺言通り、遺品は全て捨てる事にした。

 写真や身の回りの物全てを処分したが、南は麗那から受け取っていた。物として残しはしないが、大切に保管されてきた物や写真、それらに秘められた意味や望みを全て引き継いだ。

 麗那は友人も眠る、無縁仏を預かる霊園に葬られた。


 この頃、世間には興味深い言葉が流行していた。


『ウエスト・J産、統一すれば国産』


 実は既にこの時、両国は少しずつ国交を回復させていた。政府の役人や離散家族、特別な許可を得た人間だけではあったが、西と東を行き来する事も許されていた。

 また、特産品に限定されるが輸出入も許可され、市場などではウエスト・J産の商品に、このような売り文句が飾られた。

 それは、2つの国の統一を願う声以外のなにものでもない。反対する人間や団体は多いものの、世間は統一に向けた声を高めていた。

 麗那はせめて、それを確認する事が出来た。希望を胸に、その夢を南達に託して旅立つ事が出来たのだ。



 そして美緒は、ウエスト・Jに入国する予定を控えていた。社内で成功を収めた彼女は、西側との貿易において重要なポストに立っており、両国の政府から、ウエスト・Jへの入国許可が下りるのを待っている段階にあった。

 勿論、入国出来たとしても、全ての行動は監視下に置かれる。個人的な自由は利かないが、それでも美緒は、麗那の夢を叶える大きな希望になりつつあった。


 そして南も、麗那の夢を背負うもう1つの希望であった。




 それから歳月は大きく過ぎ去り、既に南は、還暦を迎えていた。


 この日南には、朝早くから出掛ける用事がある。店の戸締りをし、タクシーを拾おうとしていた。


 店は少し変った。花屋は続けているが、店の名前が『麗那のアトリエ』から、『南のアトリエ』になっていたのだ。

 だが看板を外したのではなく、麗那の看板の上に被さるようにして、南の店の看板が立てられていた。


 タクシーは間もなく捕まり、乗車した南はこの国にある、国鉄の駅へと向った。

 車内では、ラジオ放送が流れていた。


『今日6月11日は、イースト・Jとウエスト・Jの2つの国が生まれた、悲劇の日でもありました…。』


 ラジオでは80年ほど前からの、2つの国の歩みを紹介していた。

 そのラジオの音を遮るように、運転手が南に声を掛けた。


「お客さん。今日、あの駅に向かうには…多少時間が掛かるかも知れませんよ?今日は、特別な日ですからね…。」


 運転手が求めた了承に、南は頷いた。彼女も今日の混雑を予想していたので、だから朝早くからタクシーに乗ったつもりなのだが、既に道路は混み始めている様子だ。


 そう、今日は特別な日なのだ。


「誰かと…待ち合わせですか?」


 運転手が、駅に向う目的を尋ねる。

 南は運転手の質問を聞くと、少し考えた。あの時から今日までに起こった様々な出来事を思い出し、それをゆっくりと懐かしんだ後、笑顔で返事をした。


「ええ…。今日、久し振りに会う人がいて…。駅で、待ち合わせをしているんです…。」


 運転手が質問を続ける。


「どうして、今日みたいな日に約束を…?今日は、とても混んでますよ?道路も、駅の構内も…。大きなデモもあるって言ってましたからね…。あっ、だからお客さん、早くに向うんですか?確かにデモ隊が行進を始めたら、道路は封鎖されますしね…。」


 今日は終戦記念日でもある。また、何処かの国では独立記念日でもある。このような日は、人が集まる場所で大きなデモが行われる事は当然だ。

 だが南は、どうしてもこの日に待ち合わせをしなければならない人がいた。



 タクシーは運転手の予想を外れ、混雑とも衝突せず駅に到着した。


「構内は混んでるかも知れませんよ?何せ今日は、壁の向こうから来る人だけでも凄い数になるはずですからね。」


 つり銭を返しながら運転手はそう言い、南に注意を促した。

 ラジオは未だ、記念日の報道を続けていた。


『…こうして、互いが冷戦状態にあった我々ですが…今日、遂にその壁が崩壊し、1つの国に戻るのです。今日は、3つ目の記念日となる日なのです。』

「……。」


 ラジオが告げる今日の日を、誰よりも待ち侘びたのは南だ。


「混雑が落ち着いてから、人と会うつもりです。…その人も、壁の向こうから来る人なんですよ。」

「……?」


 運転手はその言葉が気に掛かった。南は60代だが、見た目は若く、50代にも見えるのだ。

 国が分断してから、既に80年が経った。その時大人だった人の殆どは他界しており、生き残っていたとしても大半は90代と高齢なので、50代に思える南が、壁の向こうから訪れる誰を知っているのだろうか?と不思議に思えたのだ。

 南は不思議がる運転手の顔を伺い、笑いながらタクシーを降りた。


 駅前の大道路では、統一を拒むデモ隊が、行進の開始を待っていた。午前11時に、西から来る人の第一波が到着するのだ。デモは、それと同時に開始される予定だ。


 南は彼らの側を通り過ぎ、駅の構内へと向った。

 この日、国鉄は久し振りに、国の西の端から東の端へと走る事を許された。


 改札口に近づくと、既に多くの人が西から来る電車の到着を待っていた。

 南は人の群れを避け、離れた場所にあるベンチで誰かが来るのを待つ事にした。


 やがて周囲が騒がしくなり、それは、電車の到着を知らせた。

 人混みが、改札に一気に押し寄せる。警備員が慌しく動き出し、彼らに見守られながら、多くの老人が涙の再会を果たし、報道陣のカメラがそれを捕らえた。

 中にはデモ隊の人間も混じっており、罵倒を浴びせる人間もいれば、警官に取り押さえられる人間もいた。フラッシュが眩しく光り続け、多くの人間がざわめき立った。



 やがて、報道陣やデモ隊も、列車に乗って来た人もそれを待っていた人も、列車で西側へ向かう人の群れも、全てがここから去り、改札口は静けさを取り戻した。

 そこでやっと、改札口から現われた人間がいた。

 その人を確認すると南は立ち上がり、改札口へと向かった。


「南…。久し振り。」

「美緒…。元気だった?」


 改札から現われた人は、美緒であった。

 彼女は、5年ほど前に政府から特別な許可と指示を受け、ウエスト・Jに住んでいた。

貿易の視察団として派遣された彼女は、10年ほど前から両国の貿易を担う中心人物となっていた。数え切れないほどの出張と滞在を繰り返したが、統一が囁かれ、それが実現されようとする頃から、政府に任命された世話役としてウエスト・Jで滞在していたのだ。

 遅く改札に現れた理由は、西でも東でも有名な人物、そして危険人物として見られているからだ。騒動を避ける為に、時間をずらして出て来た。報道陣も、この場所にはもういない。美緒はお忍びで、東側に戻って来たのだ。

 勿論、国の重要人物である美緒の後ろには、黒服のガードマンが数名控えている。


「それにしても、美緒は偉い人になったんだね?後ろのガードマンの人達…怖いよ…。」

「そう?見た目は怖いけど、皆優しい人だよ?ただ彼らがいると、私の自由が利かないのが辛いけどね。」

「美緒は今、必要な人なんだよ。統一を迎えられたのは、美緒の役割も大きかったし…。」

「そうかな?そう言って貰えると嬉しいな。いつの間にか、そうなっちゃったんだね?」

「ははは。」


  2人は強く抱き締め合った後、数十年前と変わらない会話を交わした。


 美緒の人生設計は、当初の予定と違ってしまった。彼女は、もっと広い世界を見たいと思い、貿易会社に就職したのだ。しかしそこで2つの国の詳細を知る事になり、その知識と経験が両政府に求められ、統一における重要な役割を任された。

 美緒は、両国にとって必要な人間になったが、それは彼女自身が求めていたものではなく、今でもこのポジションに違和感を抱いている様子だ。


「…あの人は?」


 久し振りの再会を楽しんだ後、南は、誰かの安否を尋ねた。

 勿論、それは博史の事だ。美緒は西側に滞在中、博史と数回会っていた。


「博史さんの事?」


 美緒はそう返事すると、にやけた顔を作った。


「彼は…」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る