第24話;帰国

 無事に入国した2人だったが、目的のバスには乗り遅れた。次は午後9時30分の出発で、最終のバスだ。しかし最終バスは停留所が少なく、短い時間で空港に辿り着ける。


 バスターミナルは立派な造りをしており、デモの心配も感じられない。緊張を解き、2人は安心して待機出来た。

 この街では旅行先の通貨も利用出来、ただ、空港でどれだけの費用が必要なのか分からない2人はイースト・Jの通貨は使わず、博史に貰った旅行先の通貨で簡単な食事を済ませた。


 フードコートで頼んだ食事を待つ間、南は反省していた。博史に腹を立てたものの、自分も自分で何も知らず、何も尋ねなかった。

 そんな自分を改めようと決心した。だからもう、博史や美緒に隠し事もしなければ、して欲しくもない。


「どうしたの?美緒?」


 気持ちを入れ替えた南に対して、今度は美緒が気を落としていた。

 理由を聞いた南は、また塞ぎ込んでしまいそうになった。美緒が語った事に、返す言葉が見当たらない。やはり自分は欲張りなだけで力がなく、何も解決してやれない事を悟った。


「私…また裏切っちゃった…。この国に入れない博史さんを残して…南と、2人でここに来ちゃった…。明日は、私達だけが安全な場所に帰るんだよね…?」

「…………。」


 美緒は家族が背負い続けた重石を、実感として知った。


 黙り込んだ2人は味がしない食事を済ませ、時間が来たのでバスに乗り込んだ。

 バスが出発すると、疲れのせいでぐっすりと眠った。


 空港に到着すると早速ホテルに向かい、空き部屋を確認する。年始の騒がしい時期だが、どうにか部屋を確保出来た。

 ただ、宿泊費は高くついた。イースト・Jの通貨も殆ど失い、少しのお金しか残らなかった。しかし飛行機のチケットは準備されており、明日の夕方に乗ったとしても、それまでの必要経費は補えそうだ。


 部屋に入って落ち着いた2人は、博史の事を思い出してまた黙り込んだ。2人の間には会話もなく、美緒は黙ってシャワー室に向かった。

 南はテレビをつけた。ここでも、デモの様子が報道されている。大通りが大惨事に遭い、利用したホテルも酷い様子だった。血を流して文句を言う海外客も映った。

 博史の決断がなければ、同じ目に遭っていたのかも知れないのだ。


「……。」


 同時に、博史の無事が気になった。

 しかし、彼はきっと無事だ。国境の街は安全だった。

 南は心配を止め、代わりに旅での出来事を思い返した。


 美緒がシャワーを終えて部屋に戻って来ると、南は彼女に声を掛けた。


「ねぇ、美緒…。」


 シャワーが色々なものを洗い流してくれたようで、美緒は血色を取り戻し、落ち着いた顔付きになっていた。


「?」

「美緒がここに来たのは…裏切りじゃないよ。博史さんも分かってくれてる。美緒は自分の為に、正しい判断をしたんだよ。あの状況じゃ…誰だってこうしたと思う。美緒は間違ってない。正しかったんだよ。」


 南は、博史が教えてくれた自分の長所を思い出した。それを、実感として知りたがった。

 誰かが背負ってしまった過ちや悲しみを知ろうとする事は悪くない。しかしそれを材料にしては、人を救う事は出来ない。

 美緒に、過去の重石は必要ない。ただただ懸命に生きる彼女は最善の方法を取ったのだと、それを誰かにとやかく言われる筋合いはないのだと、南はそう説明した。


 美緒は祖父を思い出した。美緒と彼女の家族が背負う重石は、祖父が、逃げるようにして東側に移住した時から現れた。

 今なら、祖父の気持ちが分かる。彼は自分の為に、そして家族の為に移住を決めたのだ。

 祖父は間違っていた。移住を決意した後、彼は自分を許せなかった。移住後も、報道や噂で耳にする祖国の姿に涙を流し、後悔していた。その後悔が家族に、必要もない重石を背負わせた。

 祖父は、移住は正しい選択だったと、胸を張るべきだったのだ。最善の方法だったと、家族に言い聞かせなければならなかった。東側からの視線はとにかく、祖国の人々に対する後ろめたさは、彼の代で消す事が出来たのだ。


 そう思えた美緒は自分が執った行動も、祖父が下した決断も受け入れ、彼を許す事も出来た。祖父の時代は、自分の比にもならないほど酷かったはずだ。ならば尚更の事、移住を決意した彼は正しかったのだ。


「……南。」

「うん?」

「ありがと……。」

「……。うん。」


 美緒の言葉に、南は確信を持てた。博史の言った通りだった。美緒の過去を知り、それをどうにかする事が彼女を解放させる方法ではないのだ。

 美緒も、後ろを振り向く事を止めなければならない。そして自分は、前を向く彼女を支えてあげる事が大切なのだと理解した。




 残念ながら、2人は朝の便に乗る事が出来なかった。溜まっていた疲労が朝寝坊をさせた。

 夕方4時の便は確保した。そうなると帰国は、イースト・Jの時間で午後9時頃になる。


 時間を持て余した2人だが…計画がある。それは空港の施設を、時間とお金が許す限り楽しむ事だ。

 博史が気になるが、彼はきっと無事でいるはずだ。国境の街は安全で、そこでビザが下りるのを待つだけなのだ。お金を使わせてしまったが、あの国に口座を持つ彼は困ってはいないだろう。

 南と美緒は開き直った。いや、そう確信した。きっと博史はあの街で、美味しい食事でも楽しんでいるはずなのだ。それならばこちらも負けていられないと、残った時間を精一杯楽しむ事にした。

 記念写真も多く撮った。きっと博史も多くの経験をして、自慢して来るに違いない。その対抗策としても、写真はいっぱい撮るべきなのだ。

 フードコートで初挑戦の料理を頼み、その不味さも思い出になった。隣接するショッピングモールでウィンドウショッピングと試着を楽しみ、30分ほどのマッサージも受けてみた。

 長い間部屋に閉じ篭っていた日々のストレスも発散させた。


 やがて搭乗時間になり、2人は、定刻通りに帰国した。




 帰国するや否や、南と美緒は驚いた。旅行の間は電源を落としていた携帯電話に、雛からの着信が数十件記録されているのだ。

 相談し、美緒が電話を掛ける。今の時間なら、彼女も起きているだろう。


「あ、もしもし、ヒナ?私…」

「あっ~~~!!美緒~~~~~!!!!」


 美緒の言葉も終わらない内に、雛は、泣き出しそうな声で名前を叫んだ。


「心配したんだから!本当に心配したんだから!今、何処にいるの?まだ帰って来れないの?ご飯は食べたの!?」

「ヒ…」

「南も一緒にいるんでしょ!?南も無事?2人共、無事なの?ゴメンなさい!本当にゴメンなさい!私のせいだ…。私が2人を嫌いって言ったから酷い目に遭ったんだ。本当にゴメンなさい!」

「ヒナ…。い…」

「何とか言ってよ~!!美緒~~~!!まだ怒ってる!?ご免、本当にご免なさい!!」

「…………。」


 美緒は何かを話そうとするのだが、雛の、言葉のマシンガンが止まらない。

 遂に呆れた美緒は電話を耳から離し、そこから聞こえる声が収まるまで待った。

 しかしヒナは、繰り返して美緒の名前を叫ぶ。

 美緒の呆れた表情が解けないので、南が電話を預かった。


「もしもし、ヒナ?」

「あ~~~!!!南!無事だったのね!?ご免なさい!私、本当にご免なさい!無事なの?何処にいるの?美緒も一緒にいるんでしょ?美緒は大丈夫?2人共、大丈夫なの!?」

「…………。」


 しかし、間もなく南も電話を遠ざけた。


 雛は混乱していた。仕方がないので、南は大声で『メールするから!』とだけ言い残して電話を切った。そして美緒と顔を合わせ、相変わらずな雛の性格を笑った。

 電話を返してもらった美緒はその場でメールを送り、無事の帰国を雛に伝えた。


『ヒナ、私は南と無事に、イースト・Jに到着しました。心配してくれてありがとう。2人共無事だから…。後、この前はゴメンね。ヒナに辛い思いさせちゃったね?本当にゴメン。』


 メールの内容を隣で見ていた南は、美緒が一回り大きくなったと感じた。


「でも…どうしてヒナは、旅行に行った事知ってるんだろう?」

「本当だね?悪い事してるみたいだから、秘密にしてたのにね?」


 雛は時々南に電話を掛け、『香に謝るの?』と尋ねていた。

 南が旅立った次の日も、雛はいつもの調子で連絡を入れたのだが、何度掛けても音信不通な南を怪しいと思い、実家にまで電話を入れた。雛は慌てていた。音信不通の理由は、自分を避けているからだと勘違いしたのだ。

 真相を知った彼女は嫉妬し、南への電話も止めたのだが、数日経ったある日、デモの様子を知ってからは気が狂ってしまったかのように毎日数回、南と、そして美緒にも連絡を入れていたのだ。



「色々あったね…。けど、楽しい旅行になったよね?」

「博史さんが、良い人で本当に良かった。」

「うん!」

「へへへ。」

「…………。」

「……?」

「…無事だよね?博史さん……。」

「南よりも頭が良いから、大丈夫だって。」

「酷い!そんな事でからかうなんて!」

「ははは。ゴメン、ゴメン。でも、きっと大丈夫だよ。」

「…そうだよね。……美緒……。」

「?」

「ありがと。一緒に旅行に行ってくれて…。またいつか、一緒に何処かに行こうね!?」

「うん!」


 実家に向かう電鉄の中で2人は会話を交わし、旅行における、最後の日程を終わらせようとしていた。

 それは、無事の帰宅だ。


 そろそろ、美緒が降りる駅に近づいた。

 挨拶を交わすと美緒は電車から降り、いっぱいの笑顔で大きく手を振り、南を送った。

 やがて南も無事に帰宅した。11時を過ぎていたが、鍵を置いたまま出発した南は、インターホンを押して入る以外に方法がなかった。


「どちら様ですか??」


 インターホンを押すと、暫くして母親の声が聞こえた。


「南…。今、帰って来た。」

「南!?」


 娘の声を聞くと母親は大きな声で叫び、慌てて玄関の扉を開けた。


「明けましておめでとう。」


 南は精一杯の笑顔で、新年の挨拶をした。

 しかし母親の耳には聞こえず、泣きながら南を強く抱き締めた。奥の部屋では、父親が同じく涙を流していた。


「さっ!家に入りましょ!?」


 母親に強く背中を押され、南は家に入った。

 母親が、酷く心配をしている。南は昨日と今日、実家に連絡を入れ忘れていた。あの国の暴動が、最も激しい時であった。

 美緒も同じく電話をしなかったので、彼女の家でも同じく両親が泣いた。

 南は電話不精を謝り、無事に帰って来た事と、新年の挨拶を改めて両親に伝えた。

 帰りのチケット代が高くついた事も謝ったが、父親はそんな南を叱り付けた。そして、少しずつお金を返すと言った南を、もう1度強く叱り付けた。


「ヒナちゃんも心配していたわよ?」

「…あっ…。ヒナ、実家まで電話したんだ?ヒナには、もう電話したよ。安心して。」

「あ~。それにしても、よく無事で帰って来られたわね?美緒ちゃんには、キチンとお礼を言わなきゃ…。」

「美緒も助けてくれたけど、博史さんが、もっといっぱい助けてくれたんだ。」

「?博史?」


 南はそこで、彼の名前を口にした。だがそれは、香の前で口を滑らした時とは違った。

 南は伝えるべくして、博史の名前を伝えたのだ。


「誰それ?あなた、美緒ちゃんと2人で旅行に行ったんじゃないの?」

「行ったのは2人だけど、あっちで一緒に遊ぼって約束してたんだ。」

「…南……。あんた、悪い事に巻き込まれてないわよね?博史ってどんな人?」

「博史さんは、そんな人じゃないよ。悪い人じゃない…。」


 南は、旅行先で男と会った事を話したのは不味かったと思いながらも、それでも博史の事を両親に話した。卒業旅行で出会った時の事からを教えた。


「まぁ…。そんな人がいたのね?で、その人が仕事で同じ国に行ったから、そこで会っただけなのね?…本当にそうなのね?」

「信じてよ~!博史さんは、そんな人じゃないから!」

「まぁ…あなたを助けてくれた人なら…。それじゃ、その博史さんって人にも、ちゃんとお礼を言わなきゃね?」

「私が伝えておく。」

「それは駄目よ。私が直接お礼を言わなきゃ。たった1人の愛娘を助けてくれたんだから…。」

「……。お母さん、それは出来ないよ…。」

「?どうして?」

「博史さんは…ちょっと遠くにいる人なの…。」

「?あぁ、近所の人じゃないって事?そうよね。旅行先で会った人なんだから、近所に住んでいる訳でもないわよね。」


 母親は1つ安心した。遠い場所に住む男なら、南と悪い関係もないと思った。


「それじゃ、電話でもさせて頂戴。自分の口でお礼が言いたいの。」

「……。それも出来ないよ…。」

「…どうして?」

「…………。」


 南は言葉に詰まった。しかし、もうこれ以上、博史の事を隠したくない。両親にも雛にも、そして香にも…。堂々と彼の事を話し、彼が本当に良い人である事を教えたい。


「…博史さんは…ウエスト・Jの人だから……。会う事も出来ないし、電話する事も出来ないの…。」

「えっ……!?」


 南の言葉に、母親は衝撃を受けた。後ろで話を聞いていた父親も驚いた表情を作った。

 そして少しの間、3人は沈黙に支配された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る