第23話;隣国への脱出

 次の日、早くに朝食を済ませた3人はロビーに全ての荷物を持ち出して集まった。

 暫くしない内に従業員が人を探し始めたので声を掛けると、他の外国客と一緒に裏口へと案内された。

 車に乗る人は博史達を含め、肌の色が違う旅行客が4人、そして運転手を勤めるホテル従業員1人の合計8人だ。4人の観光客は1組の老夫婦と、1組の新婚のカップルだった。美緒が盗み聞きしたところ、国に帰れると安心していたらしい。新婚のカップルは、特に帰国を喜んだ。


 朝早く出発する理由は、デモに対する用心だ。今日の内に空港へ着かなければならない事もある。2組の旅行客は、深夜便を利用する予定らしい。

 残念ながら南達は、空港のホテルで宿泊しなければならない。イースト・Jへ向う飛行機には、深夜便がないのだ。博史の指示でイースト・Jの通貨は残していたので、宿泊には問題がない。食事などをする余裕も充分にあった。


 準備が整い、車が出発したのは朝8時頃だ。これなら午後3時頃には国境に到着し、2時間待ってバスに乗ったとしても、夜10時頃には空港に到着する。

 車は12人乗りの車で、運転席にホテルの従業員、助手席には荷物が少々、3列ある後部座席には、前から若いカップル、老夫婦、そして博史達の3人が座った。残りの荷物は後部座席の前2列と、最後部座席裏のトランクに放り込まれた。


 車はホテルの裏通りを通り抜け、幹線道路に入ると一般道を利用して隣の都市へと向った。

 途中でデモ隊のテントが幾つも見られたが、まだ座り込みを行っておらず、空港までの道程は順調だと考えられた。


 だが、1時間ほど車を走らせると、運転手が困った声を上げた。目の前の道路がデモ隊に占拠され、座り込みも始まっていた。


「おかしいなぁ…。ここにはデモ隊がいなかったはずなのに…。」


 事前に調べをしておいた運転手が首を傾げる。

 これ以上先には進めないと考えた彼は、違う道から隣の都市へ抜け出そうとハンドルを握った。

 その時、デモ隊が大声を出して騒ぎ始めた。急いで車をUターンさせ、どうにか今いる道路から抜け出した。

 来た道を戻り、ルートを変えて目的地を目指す。そこでも多くのテントを横切り、同じくデモ隊の行進や座り込みが見かけられた。

 今日に限って、いつもより早くデモ隊が行動を執り始めている。数も、昨日より増えた様子だ。


 デモ参加者が増えたのは自然な流れだ。テレビを通じ、賛同者が集った。

 デモ隊の不穏な動きは…

 車の中の博史達は知る由もなかったのだが、この時、王宮前に居座るデモ隊が機動隊と衝突し、多くの犠牲者を出していた。事は各地のデモ隊に伝えられ、怒りを覚えた彼らの動きは激しくなった。


 これも、政府が仕向けた作戦だった。政府は王宮前にも数十名の工作員を送り、暴動を煽るように指示していた。

 政府は、座り込みや行進だけを行うデモ隊に頭を悩ませた。どの国、どの時代でも、一番強い力は『非暴力』だ。先の時代の人々も非暴力によって訴えを貫き、周囲からの理解を得る事が出来た。デモ隊は同じ行動を取ろうと心掛け、政府は彼らに手を出せなかった。力によるデモの鎮圧を行うと、世論に対して立場が悪くなるのだ。

 そこで政府はもう1度工作員を送り込み、デモ隊を暴徒とさせ、大義名分の下にこれを鎮圧しようと企んだのだ。

 そして政府の思惑通り、デモ隊は声を高め始めた。それはまるで爆弾に繋がった導火線のように働き、デモ隊を暴徒に変える事は時間の問題になっていた。

 緊張感は、そこまで高まっているのだ。



 一方、博史達は混雑した道を抜け出し、ルートを変更する為に車を止めて地図を開いていた。空港は勿論の事、高速道路や大型バスターミナルなどもデモ隊に占拠され、交通も麻痺している。国境までの道程は、正しく選択しなければならない。

 運転手はラジオの電源を入れ、報道が伝えるデモの状況を把握しようとした。

 そこでやっと、デモの様子を把握した。

 焦った彼は急いで抜け道を見つけ出し、遠回りをして郊外に出る事にした。


 大切なのは、この都市を抜け出す事だ。遠回りをしてでもここから抜け出せば、デモは行われていない。そこから国境に行く道は、いくらでもあるのだ。

 運転手は英語が流暢なので、新しいルートと、それを選んだ理由を説明した。

 博史と南以外の人間に緊張が走る。美緒はゆっくり深呼吸をした後、2人に事情を説明した。


 これまでは北東の方角に、ほぼ直線で国境へ向かっていたが、これからは、先ずは北に向かい、首都を抜け出した後、東に車を走らせるとの事だ。

 乗車した全ての人が了解したのを確認すると、運転手はアクセルを強めに踏み始めた。



 北に向い始めた彼らだが、暫くもしない内に給油所で休憩を取る事になった。老夫婦がトイレに行きたいと言い出した。給油所は営業されていなかったが、トイレは開放されていた。

 老夫婦は急いでトイレに向かい、運転手と若いカップルの男性2人も外に出て、フロントガラスに地図を広げ、新しいルートを確認した。

 それを後ろから見ていた博史は地理に覚えがあり、予定よりも1時間ほど遅れて目的地に到着すると判断した。空港にも、今日中に到着出来る。

 車にも弱い彼はルートを確認した後、顔を洗いにトイレに向かい、再び車に乗り込んだ。

 車の中には、外にも出られない状態の2人がいた。


「大丈夫。ホテルの人が、デモが行われてない道を選んでくれた。少し遠回りになるけど、今日中には空港まで行けるよ。」


 老夫婦が戻って来たので全員が車に乗り込み、もう1度新しいルートを確認した後、車は給油所を抜け出した。


「!?」


 その途端、進行方向の道路が騒がしくなり始めた。地鳴りにも似た音が次第に大きくなり、こちらに近づいて来るのが分かった。

 車に乗った全ての人は、暴徒が押し寄せていると判断した。運転手から説明を受けずとも分かる。

 彼は急いでこの場を離れようとしたが、手間取ってしまった。この道にも路面電車が走っており、停留所が側にあったので、直ぐにはUターンが出来ないのだ。


「危険だ!」


 結局、車は進めないままに暴徒の群れを目の当たりにした。交差点から現れた彼らが、こちらに向かって進んで来たのだ。

 運転手と若い男性は急いで車から飛び出し、車を避けるようにと大声を張り上げた。博史は前の席に老夫婦がいるので外には出られず、窓からその様子を見守るだけだった。

 

 突然、彼は美緒と南の後頭部を掴み、2人の頭を伏せさせた。そして上に乗り、2人の背中に覆い被さった。

 彼は体格が大きいので美緒と南は驚き、そして苦しかっただろうが、直ぐに何が起きたかを知る事になった。車の4方のガラスが、鈍器のような物で殴られ始めたのだ。

 その騒動に、博史以外の人はパニックに陥り悲鳴を上げ始めた。博史はその声を聞いて、更に大きな声で身を屈めるように伝えた。

 車は激しく左右に揺れ、ガラスが割れる音も聞こえた。

 そして南は、後頭部に温かい何かを感じた。



 どれくらいの時間が経っただろうか…。やがて暴徒は通り過ぎ、それでもまだ数人が車を取り囲んでいた。

 そこで、先ほど外に出た2人の姿が確認出来た。彼らは車が襲撃される際、博史が伏せたのとほぼ同じタイミングで屈み込み、車が破壊されている隙に、車の下に潜り込んで難を逃れていた。

 2人は大声を出し、暴徒を止めようとした。中の人達は彼ら2人の声を聞いて、伏せていた顔を上げた。

 そして南は、先ほど感じた生温かいものの正体を確認した。それは、博史が流した血だった。彼は南と美緒をかばった際に、割られた窓から飛び込んで来た鈍器で左肩と腕、そして左頬を負傷していた。

 幸い意識と命に別状はないようで、頬から流れる血以外の外傷は見当たらない。しかし肩に重症を負い、腕を上げられない状態になっていた。内出血も酷いであろう。


 外では、手を上げようとした若い男が運転手に制され、暴徒も彼に説得されていた。

 やがて1人のデモ隊が落ち着きを取り戻すと、他の人々も連鎖反応を起こしたかのように車から立ち去った。


 外の2人が車の扉を開けると若い女性は飛び出し、男性と強い抱擁を交わした。

 続いて老夫婦も外に出た。彼らは座席に置いた荷物を盾にして身を守り通した。博史も、南と美緒を落ち着かせようと、外に出るように促した。

 その時、初めて左肩が動かない事を知った。激しい痛みにも襲われ、上げようとした腰も落とした。

 彼女達も動けなかった。顔はすっかり青ざめて、体は小刻みに震えていた。

 南が頭から血を流しているように見えたが、博史がそれを自分の血だと分かるまでには時間が掛かった。


「大丈夫!?ご免!2人を…怖い目に遭わせてしまった。」

「……。」


 博史は、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。自分が隣国へ行こうと言わなければ、2人が酷い目に遭う筈もなかったと自分を責めた。


 結局3人は外に出る事が出来ず、外にいた人達が乗り込み、車は発進した。

 博史は、ガラスがない窓から外の様子を伺った。デモ隊が通り過ぎた場所は、凄まじい光景に変わっていた。建物のガラスが殆ど割られ、駐車している車も形が変えられた。先ほどまでは伺えた通行人も見当たらず、廃墟と化した街が目の前に広がっていた。


 2人はまだ、下を向いて震えていた。その長い腕で南の肩を掴んであげたいが、それも出来ない。痛みを我慢しながら謝罪する他、2人にしてあげられる事がなかった。



 やがて車は無事、目的の道路まで辿り着いた。後はこの道をまっすぐに進めば、郊外に出られる。

 首都を抜けたところで運転手が危険は去ったと話し、それを聞いた美緒は緊張感を解いて、南と博史にその事を伝えた。


「博史さん!大丈夫ですか!?」


 やっと平静を取り戻した美緒が、博史の左頬から流れる血に気付いた。南はまだ震えており、博史の姿を見ても声を出せなかった。


「っ!ゴメン、美緒ちゃん。顔よりも肩が痛いんだ。」


 美緒が傷の具合を見ようと体を寄せた事が、博史には堪らなかった。それに気付いた美緒は博史の半袖を捲くり、内出血の酷さを確認した。

 南は先ほど起こった出来事を理解し、遂には泣き出してしまった。


「ご免なさい。本当に…ご免なさい。」


 博史は必死に謝った。

 だが涙の理由は恐怖ではなく、そこから抜け出せた安心と、かばってくれた博史に申し訳がなかった。



 博史は自身の判断を反省したが、実は、この手段を選んだ事は正解だった。

 時を同じくして、ホテルと大通りは更に悲惨な目に遭っていた。特にホテルは酷かった。内部にまで、暴徒が襲って来たのだ。


 デモ隊が、海外の観光客までをも襲撃した。勿論、主導者は誰なのか分からない。

 襲撃の名分としては、政府の方針に手を貸す海外諸国も格差社会の理由との事だ。この国の富は、海外からの投資に支えられている部分が多いのだ。

 そして…真の目的は、海外へのアピールだ。温厚な政府に対して暴力的な国民がデモを起こし、一般人だけではなく旅行客にも手を出したと見せたかった。



 南が泣き止んだ頃には、車は高速道路に進入し、それから4時間ほど走って、ようやく国境沿いの街に到着した。既に、午後6時を過ぎた頃だった。


 外に出た3人は、車の様子を見て驚いた。車内からは確認出来ない、外部の損傷が酷かった。よくこれで、ここまで走って来たものだと思わせる姿になっていた。

 博史の負傷も悪化しており、先ほどよりも肩が動かず、痛みも酷くなっていた。


 車を降りた若いカップルは運転手と抱擁を交わし、何度も何度も礼を言った。老夫婦は呆れた顔をして、危険を承知でここまで連れて来てくれた運転手に怒鳴り声を上げていた。

 博史達は運転手に深く礼を言い、運転手は左腕が使えない博史の荷物を下ろしてくれた。

 彼は今日、ホテルには戻らない。車の修理もしなければならず、ホテルに多大な被害があった事も知らされていた。今日はこの近辺で宿を探し、1泊してホテルに戻る事になった。



 3人は運転手と別れ、国境に向かった。

 国境は2つの国を隔てる川の上に作られ、関所のようになっていた。道の幅は狭く、中央に人が通る橋、その両端に車両が通る橋が、一車線ずつ掛けられていた。

 今なら、遅くても8時頃のバスに乗り込み、12時を過ぎた頃には空港に到着出来る見込みだ。国境を越えれば、南と美緒の安全は保障されている。もう、何も心配する事はないのだ。


 美緒と博史は空港までの道程を改めて確認し、3人で国境線の手前まで歩いて行った。

 そして、入国審査をする手前で博史は足を止めた。


「?」


 暫くそのまま歩いた南が、博史がいない事に気付いた。

 振り向くと彼は、10メートルほど離れた場所で立ち止まっていた。


「博史さん、どうかしました?肩が痛みますか!?」


 南は肩の具合が悪くなったと思い、博史の下に駆け寄った。

 美緒はその姿を、南がいた場所から見ていた。

 彼女の頬には、涙が流れていた。


「南ちゃん…ご免ね。今日は僕のせいで、酷い目に遭わせちゃった…。」


 博史は重い表情で、もう1度頭を下げた。


「良いんです…。博史さんの考えは正解でした。ホテルにいたら、そっちの方が危なかったかも…。」

「………。」


 南は先ほど、運転手が1泊する理由を美緒から聞いた。


「肩が痛みますか?私が、博史さんの荷物、預かりますよ?」

「ううん…。荷物は大丈夫。僕が持ってるから。」

「そうですか…?それじゃ、急ぎましょう。早くしないと、バスに乗り遅れちゃいます!」

「…………。」


 南が笑顔を浮かべ、バス停まで行こうと誘うと、博史は…そこから更に数歩下った。


「…?」


 博史の態度が理解出来ない南と、彼の間に沈黙が流れる。


「どうか…しましたか?」


 何も知らない南に、博史はやっと口を開いた。


「ご免…。南ちゃん。僕は、空港まで君達を連れて行ってあげる事が出来ない…。後は美緒ちゃんに従って、無事に帰国して欲しい。本当に…ご免ね?僕のせいで、2人に迷惑を掛けてしまった。」


 博史は、出来るだけ笑顔で南に語った。


「…えっ?博史さん、何を言ってるんですか?肩が痛みますか?それなら1日休んで、明日空港に行きましょうよ?出来たら病院に行って、お医者さんに診てもらわないと…。」

「……そうじゃないんだ。肩は痛いけど…大丈夫。少し腫れているだけだから…。数日もすれば、元に戻るよ。」

「それじゃ、早くバス停に行きましょうよ?博史さんも、隣の国からウエスト・Jに戻るんでしょ?」

「……。うん、そのつもりだよ…。でも、今は一緒に空港に行ってあげられない。後は美緒ちゃんと一緒に…。ホテルに泊まって、明日の朝か夕方の飛行機に乗ればイースト・Jに帰れる。美緒ちゃんが、帰る方法を知ってるから…。」

「??博史さん、話している事が分かりませんよ。博史さんがウエスト・Jに帰るのは分かりますけど、私達、また会えなくなるのは分かりますけど、空港までは一緒に行けるじゃないですか?そこまでは一緒に…」


 南がそこまでを言うと、あの時のように後ろから近づいて来た美緒に腕を掴まれ、言葉を遮られた。


「南…。博史さんは、私達と一緒に行けないの…。」

「えっ?どうして?」

「…………。」


 博史は、一緒に行ってやれない理由を知らない南に困った。

 彼は申し訳なさそうな表情で、その理由を説明した。


「僕には…この国に入る資格がないんだ…。ウエスト・Jの人間は、入国ビザがないと入れない…。」

「えっ……!?」


 どの国においても同様だが、自国よりも貧しい国からの入国に対しては、厳しい審査を設けている。

 イースト・Jは国際的に見て裕福なので、入国にはビザが必要ない。2週間程度の旅行なら、審査なしで入国出来るのだ。

 だがウエスト・Jの場合はビザが必要になり、確かな理由や旅程がない場合は、ビザを得る事も出来ない。この国の緊急事態を考慮すればビザの取得は問題なさそうだが、それでも博史が隣国に入るには、少なくとも数日の時間を必要とするのだ。


 南は、その事実を知らない。

 正しく言えば博史と美緒も、帰国を計画する時まで知らなかった。南を部屋に残して調べものをしている際に知ったのだ。

 美緒は、何度もこの計画で良いのか?と博史に確認したが、彼は2人の帰国が優先であると言って帰国を勧めた。

 博史がここまで同行して来た理由は、2人の無事を、出来るだけ見守りたかったからである。


「一緒に…帰れないんですか?」

「大丈夫。ここからの道は安全だし、1日だけホテルに泊まれば、次の日にはイースト・Jに帰れるから…。後は、美緒ちゃんが何とかしてくれるよ。」

「そうじゃなくて!!」


 南は、笑って大丈夫だと言う博史に腹を立てた。


「どうしてですか!?どうして、いつもそうなんですか!?博史さんと美緒は全部知ってるのに、どうして私だけが何も知らないんですか!?」

「…南……。」


 大声を出し始めた南の腕を、美緒はもう1度掴んだ。

 しかし南はそれを振り払い、言いたい事を全て博史にぶつけた。


「私1人が馬鹿みたいに、博史さんの気持ちを知らないで、博史さんの事情も知らないで…!それなのに博史さんは、どうして私にそこまでしてくれるんですか!!?」

「南ちゃん…。そんなに難し…」

「私は、何も知らない自分が悔しい!博史さんの事も美緒の事も、香の事も…。誰の事も理解出来ない自分が嫌いなんです!教えてくれたって良いじゃないですか!?どうして、今の今まで黙っていたんですか!?私は、馬鹿にされてるんですか!?」

「南ちゃん、そんな難しい話じゃ…」

「本当は!博史さんをあの時の空港で、今度こそ見送りたかったです!でも、それが出来ないなら、せめて違う空港でも良いから博史さんが搭乗口に入るのを、笑って…笑顔で送りたかったんです…。それなのに…何も知らされずに…こんなところでお別れですか!?博史さんを危険な国に残して、そのままお別れですか!?自分達だけ安全な国に行って、帰らなければならないんですか!!?」

「………。」


 南は全てを打ち明けた後、その場で号泣し始めた。

 美緒は南の肩に手を回して彼女を抱き締め、慰めた。その手は、博史の代わりだった。

 そして博史は、空港で南と別れた時を思い出していた。確かに自分は、あの時から南の気持ちを汲み取らず、勝手な判断をしていたかも知れない。

 今回もそうだ。南が反対すると思った博史は、美緒だけを説得してこのルートを選んだ。数日前の晩も、自分の見解だけを述べて南の気持ちを汲み取ってやれなかったのかも知れない。



「南ちゃん…ご免ね。最後まで僕は、君に秘密にしてた事が多かったかも知れない。君の気持ちも考えないで、勝手な行動を執ったかも知れない。本当に、ご免なさい。」

「………。」

「でもね……。悪気があった訳じゃないんだ。ただ僕は、君を守りたいと言う思いで、教える必要がない事を、伝えなかっただけなんだ。悪気はなかった…。それだけは分かって欲しい…。」

「私は…何でも良いから博史さんの気持ちを知りたかった。理解出来ないかも知れないけど…努力がしたかったんです……。」


 南は落ち着きを取り戻し、もう、大声を出す事はなかった。

 博史は数歩前に出て右腕を南の頭に手を回し、優しく抱き締めた。


「ご免なさい。本当にご免なさい。でも、理解して欲しい。君が知りたいと思う気持ちと、僕が君を守りたいと思う気持ちは…同じ強さだったって事。それだけは、理解して欲しいんだ。」


 博史はもう1度数歩下がり、笑顔で2人に別れを告げた。


「また、メールで連絡するよ!その時は、言いたい事を書ける仲になろう!また機会があれば、いや機会を作って、もう1度何処かの国で会おう!この国でなくても良い。何処でも良いから、また一緒に旅をしよう!」

「………。」

「僕らの間には、越えられない壁がある!でも、越えられないのなら……壁がない場所まで行って、そこで会えば良いんだ!」

「博史さん……。」

「僕は本当に大丈夫!ビザが下りるまで数日掛かるけど、この町は安全な場所だから問題ない。南ちゃんと美緒ちゃんは、無事にイースト・Jに帰って欲しい。僕も帰国したら、早速2人にメールを送るから!」

「…………。」


 博史は南と約束をした。もう、これ以上お互いの気持ちを隠す事も、気を使う事もなく会話が出来るはずだ。

 南も同じ気持ちだ。分からない事があったら、博史が教えてくれる。理解出来なくても、実感として知る事が出来なくても、それでも博史が教えてくれると思えた。

 だから南は、笑顔で博史の挨拶に答えた。


「絶対にメール下さいね!?ウエスト・Jに帰ったら、絶対!」


 南は、少しずつ後ろに下る博史に元気な声でそう答え、右手を振る彼に負けないくらい、大きく手を振って見送った。



 博史は、隣国に入る事が出来なかった。

 見送られたのは南と美緒だが、しかし南には、少しずつ遠ざかる博史の後ろに、あの時の搭乗口が見えていた。

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