第21話;混乱
次の日の朝、3人はホテルで朝食を取っていた。
博史がベーコンを頬張り、隣で南と美緒は唖然としていた。不憫な過去を送った彼に同情する2人だが、それでもやはり食欲に驚かされる。
よく、海外旅行に行った人間が太って帰って来る事があるが、博史は正しくそんな人間だ。彼は出張を重ねる毎に、その体格を横に広がらせているのだ。
食後の一時を楽しみながら、3人が今日のスケジュールを確認する。日程は短い。今日だけで、出来る限り観光地を回ろうと頭を捻らせた。
「朝から、外が騒がしいですね?」
「週末だし、年末だし…。海外の人も多いだろうね。」
屋外にいた3人が、今日は早い時間から外が五月蝿い事に気付く。見える限りでは大通りの両脇に鉄柵が並べられ、警察やガードマンなどが道路規制を行っていた。
この国で一番大きな通りでもある。ビジネス街よりも繁華街としての色が濃いここは、パレードなどの催しで利用されるのだろう。3人はそう思った。
部屋に戻り、出掛ける準備を急ぐ。南と美緒は少しの遅刻をしてしまい、慌ててロビーに向かった。
しかし、そこに博史の姿はまだない。
「外で…デモが始まってる…。」
辺りをきょろきょろと見回す2人の下に、玄関から戻って来た博史が現れた。
「えっ?デモ??デモって、電話で話してたデモですか?」
「みたいだね…。思った以上に、大々的に行われているね。」
外は朝食の時よりも人の数が増え、多くの報道陣も駆けつけていた。
博史曰く、デモ隊が掲げるプラカードはこの国の言葉だけでなく、英語で作られた物も多いと言う。恐らく、海外に向けたアピールでもあるのだろう。
「大通りは騒がしくなるけど、夕方までには終わるはずだよ。」
ただ、この国でもデモを行う際には事前の申請が必要であり、規制も掛けられる。警官や機動隊も警護をしているので、騒々しいが、観光するには問題ないと判断した。
ホテルに戻って来る頃には、いつも通りの騒々しさに戻っているはずだと博史は考えた。
困った事は、デモのせいで利用するバスが休運、若しくは路線を変えて走っている事と、タクシーすらも拾えない事だ。3人は大通りを徒歩で抜け出し、違う場所でタクシーを捕まえるなり地下鉄を利用するなりしなければならなかった。
「うわ…。ここも、凄い人の数ですね…?」
しかし3人が向かった先でも、大勢の人間がデモを行っていた。どうやらデモは大通りだけでなく、この都市の各地で行われている様子だ。
「あれっ?あのトラックは…。」
昨晩、博史と南が見かけたトラックも停まっていた。どうやらデモ隊が移動に使う車両のようだ。
観光地は王朝時代の古い遺跡群で、ガイドブックには、建国時代に建てられた王宮で、この国の象徴的建造物だと説明がされていた。
美緒は前回訪れたが、初めて足を運んだ2人は残念がった。デモのせいで、入場不可になってしまったのだ。せめて正面で記念撮影でもしたかったが、どの場所を選んでもデモ隊が邪魔をした。
仕方なく場所を変える事にした3人だが、人が集まる場所では常にデモ隊が邪魔をした。それでもローカルな観光地では、多くの記念撮影を撮る事が出来た。
昼食は海が見える場所で海鮮料理を楽しみ、食後は小船に乗り、簡単なクルーズを楽しんだ。
博史は船に弱いようで、クルーズが終わった後、彼の提案で近くのカフェに入る事にした。カフェと言っても純喫茶のような店で、海が近くに見える事以外は、お洒落だと思える要素がない店だ。店の中には雑誌や新聞、テレビも置かれ、どうやら、地元の漁師達が利用する憩いの場所のようだった。
お手洗いから戻って来た博史は注文したものを一気に飲み干し、楽になった表情を浮かべた。
「博史さんって、船酔いが酷いんですね?昔っからですか?」
南が、博史の姿をケタケタと笑いながら尋ねる。
「実は…船に乗ったのは最近の事なんだ。だから、自分でもこんなに船酔いするとは思わなかったよ…。」
「えっ?それじゃ、晩のナイトクルーズも難しいんじゃないですか?」
「いや、多分クルーズは大丈夫だよ。今乗った船は、余りにも小さ過ぎた。」
3人が会話をしていると、昼食時の忙しさから解放された店主がテレビをつけ、その前にあるテーブルで休憩を取り始めた。
テレビでは、今日から始まったデモの規模が確認出来た。デモは、やはりこの都市のあらゆる場所で行われており、今日の観光が思うままに行かない事を予感させた。
やがて画面は、この国で一番大きな繁華である大通りの様子を映し出した。3人が宿泊するホテルも映った。
他の場所で行われているデモと比べると、大通りでのデモが一番大きな規模のようだ。
「大丈夫かな?私達…。」
「ちょっと怖いね…。ホテルには、無事帰れるのかな?」
デモ隊がプラカードを掲げ、大きな声で何かを訴える姿に、南と美緒は強張った表情を作った。
博史は店の主人に状況を尋ねたが、ここは観光地ではないので、残念ながら英語が通じない。ただ、店主はテレビを見ながらアンカーが報道する内容を聞き、時として溜息をつき、時として大声を張り上げた。
彼がどちら側の人間なのか分からないが、今回のデモは地方と都市部の貧富の差に非難の声を上げるものである事は明白だった。
「きっと大丈夫だよ。デモ隊が五月蝿く騒ぎ始めたみたいだけど、警察も出動しているようだし…。」
店主との会話を諦めた博史は2人を安心させた後、取引している会社と工場の関係を説明し始めた。
この国も、近年目まぐるしい発展を遂げている。
首都と経済都市が同じ地域にある国なので、首都であるこの地域や近隣の地域は、特に著しい経済発展を遂げつつあった。
そして政府は更なる飛躍を図ろうと、国家予算を首都や都市部に費やしている。
しかしそれが、地方の反感を買う結果になる。相変わらず貧しい生活を強いられている上に、振り分けられるはずの予算を都市部に奪われ、予算の削減まで強いられた。
地方の人々は生活が向上しない事や、就職が困難になり地方経済の基盤が崩れ始めた事を理由に、都市部に対しての不満を大きくしていた。
だが最近になり、政府は地方の開発に介入し始めたので、不満は解消されつつあると博史は説明した。取引をする会社はその動きに乗り、政府の指示や支援を受けて新工場の建設を終了させていた。
しかしこれには、博史も知らない事情がある。
実は、政府は地方経済に対して関心がなく、今回の政策を一時的なものとして扱っていた。限定された地方都市のみにだけ投資を行い、地方からの反発を抑える対策としたのだ。
だが地方側は満足出来ず、政策の裏も見抜いた。実際に援助を受けた地域は都市部に近隣した場所にあり、この国の端にある地域には、何の援助もされていないのだ。
政府が行った政策は、『都市部の拡大』なのである。露骨に行われた格差社会の構築が、今回のデモにまで発展したのだ。
またこの政策によって、地方都市の間にも格差が生まれる事になった。博史が訪れた地域で起こったデモは、その地域の人間が起こしたものではなく、別の地方から来た人々が起こしたデモであった。
地方経済の安定を予想する博史の考えとは違い、今後、このようなデモは拡大する勢いを見せているのだ。
突然、店主が一際大きな叫び声を上げ、テレビに向かって怒鳴り始めた。
その声に驚いた3人はテレビに顔を向けた。そして、そこに映る様子を見て緊張感を走らせた。
画面には、デモ隊と警備隊との衝突が映され、中には血を流す者の姿も見られた。
そして徐々にデモ隊の行動は激しさを増し、遂には、何処から投げ入れられたものか分からない、火炎瓶による火災が発生した。
「!!」
それを見た南と美緒は、一瞬で凍りついた。
博史の考えも瞬時に否定され、激化を望まない3人の前で、報道は違う方向に進んで行くデモの様子を映し出した。
やがてデモ隊と警備隊の衝突は体当たりだけではなくなり、手や足、時として鈍器のような物を振り回す者まで現われた。警備隊は煙幕を炊き始め、倒れたデモ隊の人間を囲み、警棒で殴り出した。
負けじと暴れ始めたデモ隊は道路規制の為に張られた鉄柵をなぎ倒し、勢いで飛び出た彼らは、完全に暴徒と化してしまった。
店主は嘆き声を上げ、崩れた始めた祖国の秩序に落胆した。
その様子を黙って見ていた博史はテーブルに体を向け直し、何かを考え始めた。
形相は深刻だった。安全なはずだと思いながらも、頭の隅で描いていた最悪の状況に陥った事を確信した。
彼は工場で行われたデモの姿を見て、昔の祖国を想像していた。
祝賀会では職を得た人々が喜ぶ姿も見たが、宿泊した施設やデモの様子を見ると、その地域や近隣地域で貧困な生活が長く続いていた事は、容易く予想出来た。
だから彼は電話で、2人の安全を確認したのだ。
まさかと思っていた展開が現実になった今、博史は対策を練る為に頭の中を一転させ、一切の観光気分を捨てた。
2人は博史の様子に気付き、テレビを見る事を止めて彼の方だけを見つめた。
数分後、博史は1つの対策案を練り出し、それを2人に告げた。
「とりあえず、ここで待機しよう。」
それが答えだった。
2人はここにいる事が危険だと思ったが、博史はむしろ、ホテルに帰る事の方が危険だと考えた。このままテレビであちらの様子を伺い、暴動が治まった頃にホテルに戻って今日の内にチェックアウトし、空港近所のホテルで宿泊した方が安全であると考えたのだ。
そしてこれからの観光は、一切諦めるようにと勧告した。
2人は報道と博史の言葉で、完全にパニックに陥った。訓練ではない、本当の避難をするのは今回が初めてである。それも、勝手を知らない外国で行うのだ。
しかし暴動は激化の一方を辿るだけだった。露店などは崩壊し、店を壊された人々は避難するなり、暴徒に対して叫び声を上げ、時には物を投げつけた。
事態は深刻である。だがしかし、側には警察や機動隊も控えている。博史は、恐らくこの暴動は落ち着くものだと判断した。
叫び声を何度か上げた後、店主は呆れたようにテレビの電源を切った。
博史はテレビをつけるようにお願いしたが、店主は聞く耳を持ってくれない。仕方なく3人は店を出て、何処かテレビが見られる場所を探した。
デモ隊が暴徒に化してから1時間が過ぎた頃、3人はとある食堂でテレビを見ていた。
その頃には暴動は鎮まっており、3人は安心し、博史は、さっさとホテルに戻る事を提案した。
タクシーを捕まえ、ホテルに向う。
運転手は道路規制がある為にホテルの前までは行けないと言い、ホテルからなるべく近い場所で3人を下ろした。
下ろされた場所に見覚えはないが、案内標識を頼りに3人は、どうにかホテルの裏手口に辿り着いた。そこを通って正面玄関に向かい、南と美緒にロビーで待機するように伝えた博史は、1人で玄関から出て暴動の様子を確認した。
大通りには既にデモ隊はおらず、破壊された街並みを掃除する警官などの姿しか確認出来なかった。
博史は安心したが、やはり万が一を考え、ホテルを移動する事にした。幸いにもホテルは空港近所に姉妹店を経営しており、そこの空き部屋状況を調べてもらう事が出来た。
だが残念ながら、既に空港側のホテルは満室であった。年末なので仕方がない。
それでも博史は美緒を呼びつけ、ロビーの係に、デモから避難する為にどうしてもホテルを移動したい旨を伝えた。
それに対し、ホテル側は1つの提案をした。
ホテル曰く、博史が確認したように暴動と化したデモは沈下されたので、ここでの宿泊には問題がなく、明日にはホテルから臨時の、空港直通リムジンバスを走らせるので帰国にも問題がないと言う。
送迎バスの手配は嬉しい事だが、理由は明日もデモがあるので、ホテル側が気を利かせたのだ。
博史は少しでも安全な場所に避難したかったが、隣で美緒が大丈夫だと言うので、仕方なく従う事にした。
デモはメディアを通してアピールを行っていたので、暗い晩の内に行われる事はないと判断出来た。また、暴動も確かに沈下されたようなので、彼は一旦安心する事にした。
それでも、直ぐにでもチェックアウト出来るように、今の内に荷物を纏める事を2人に伝え、今日の外出は控えようと提案した。
クルーズを楽しみにしていた2人は残念がったが事態も理解しており、無理を言う事はしなかった。
夕食もホテルで済まそうとしたが、南が例の食堂に行きたいと言い出し、そこまでなら危険はないと判断した博史は了解した。
そして3人は、早速、部屋に戻って荷物の整理を始めた。
博史は、大切な物を1つのカバンに纏め、土産などの品は2つ目からの荷物に纏めるように指示した。最悪の場合、2つ目以降のカバンは置き捨て、荷物1つだけで移動する事を考えての事だった。
「あ…。これは大きなカバンに入れないと…。」
美緒と違って土産が多い南は、麗那へのプレゼントを1つ目のカバンに入れた。荷物を分けるのは最悪の状況を考慮しての事だが、南は何やら、不穏な空気を感じた。そうでなくとも今日の報道は、不穏な空気を感じざるを得ないものだったのだ。
やがて夕食の頃を向かえ、博史が部屋の呼び鈴を押すと2人は財布に全財産を入れ、パスポートも所持して部屋の外に出た。
博史は少しでも気分を変えようと、口数が多くなっていた。2人に気を使った結果でもあり、自分自身を落ち着かせる為でもあった。
食堂へは大通りのバスを使わず、裏通りを歩いて向う事にした。時間は掛かるが仕方がない。
裏通りの様子は昨日と同じで、食堂までは心配事もなく辿り着けた。
それに安心した3人は警戒を解き、夕食を堪能する事にした。
「ちょっと…びっくりしました。こんな経験、初めてだったので…。」
乾杯の後、ビールと鍋の肉を一口ずつ口にした南が、大きな溜め息の後にそう語る。
「けど、デモは明日も開かれるらしいから、まだ安心は出来ないよ。明日は朝食を取った後、直ぐに空港に向かおう。残念だけど、観光している余裕はないかも知れない。」
「……仕方ないですね…。」
博史の提案を、美緒は残念そうに飲み込んだ。
「でも、それも悪くないかも知れないよ。空港には色んな施設があるから、そこで時間を潰すのも一興かも知れない。」
美緒の決断に、南は残念そうな顔を見せた。だから博史は2人を元気付けようと、空港の施設を紹介し始めた。
空港はこの国一番の大きな、そして唯一の国際空港であり、ハブ空港としての役割も担っている。その為、空港には多くの施設が整っているのだ。食堂や免税店は勿論、マッサージ店、映画館やゲームセンター、浴場や温水プールまでもが設備されている。
それを聞いた2人の顔は明るくなった。空港の施設を楽しむ事は、美緒にとっても初めての事だ。観光が出来ない代わりに、一味違った、新しい楽しみが出来たのだ。
「とりあえず、今日のところは事態も収まったようだから、安心して食事を楽しもう。」
「はい!」
そして3人は旅行最後の夜を、2度目の鍋料理で楽しんだ。不思議な事に、短い間に2回も同じ食事を取ったにも関わらず、舌は飽きを感じなかった。この国に訪れたら数回はここに足を運ぶと言っていた博史の事を、南は身を持って理解した。
「さて、ここで質問。麗那さんの鍋とここの鍋、どっちが美味しい?」
昼間の騒動を忘れ、すっかり良い気分になった2人に、博史が悪戯な質問をする。
彼が作った悪戯な笑顔に、南は心にもない言葉を返した。
「やっぱり…麗那さんが作ってくれる鍋が美味しいです!」
「!!?」
「そうですね。私も、麗那さんの鍋が美味しいと思います。」
「…酷いな…。」
2人は笑い、博史もその笑顔に釣られて口元を緩ませた。
「国に帰ったら、麗那さんのよりも美味しい鍋を見つけてやる!」
「ははは!」
ホテルまでは、大通りを通って帰る事にした。デモの影響で営業が出来ない屋台も多かったが、街並みはいつもの雰囲気を取り戻していた。
博史と別れ、部屋に戻った南と美緒はテラスで最後の夜に花を咲かせた。
少し酒を交えて楽しみ、帰国に備え、今日は無理をしない程度で眠る事にした。
次の日の朝、3人は昨日と同じく屋上で朝食を取っていた。外ではデモの準備が始まっており、昨日以上の警備隊の数が確認出来た。
その数に、博史は安心した。昨日のような暴動は起こらないはずであり、起こったとしても、直ぐに沈下されるはずだ。
ならばスケジュールを戻して、観光でも?と考えた博史だが、2人がすっかり空港での時間を楽しみにしているようなので、予定通りに空港へ向かう事にした。
帰国の準備を済ませてロビーに集まった3人はチェックアウトを終えて、送迎バスの運行時間を確認しようとした。
バスは1時間に1本程度のスケジュールで運行されているが、残念ながら今出たばかりなので、次のバスが来るまでに、50分程の時間を持て余す事になった。
バスに乗るには、裏路地を出た所まで歩かなければならない。3人はホテルを出て、裏通りを見学しながらバスが来る場所で時間を過ごす事にした。
「えっ!?バスが来ない!?」
1時間後、博史はとんでもない事実を聞かされる事になった。バスが来るべき場所に待機しているホテル従業員が、バスは運行を停止したと伝えたのだ。
ホテルは2台のバスを準備しており、片道1時間、往復で2時間掛かる空港までの距離を交互に往復させていたのだが、2時間ほど前に空港に向かったバスが、こちらには戻って来ないと言う。
「空港がデモ隊に占拠され、空港施設に入れないのは勿論、全ての国際線と国内線の運行が延期されています。空港に向かった2台のバスは、占拠が解除されるのを待つ事になりました。」
それが従業員からの連絡だった。
暴力を行使した警察にデモ隊が怒りを覚え、この都市の空港、そして主たる幹線道路や高速道路、続いて長距離バスターミナルや主要建物を、一夜の内に占拠してしまったのだ。
首都は完全に麻痺状態に陥り、1時間前に出発したバスも、まだ空港とは程遠い場所にいると言う。
「…そんな…。まさか…!?」
事実を知った博史は、顔を青ざめさせた。
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