第18話;不穏な空気

「誰からの電話?」

「ん…博史さん。」

「あっ、そうだったんだ。何?明日の約束の確認?」


 3人は明日の昼過ぎに、ホテルの部屋で待ち合わせを約束している。博史は明日の朝一番に出張先からこちらへ向い、同僚達と昼食を済ませた後、別れてホテルに来る。

 電話で落ち合う時間も確認し合ったが、博史には、他に確認したい事があった。


「何か…博史さんがいる場所で、デモが起こってるんだって。」

「えっ?デモ!?何の?」


 博史が滞在する地域で、経済発展が著しいこの地域や他の都市部に対してのデモが、大々的に行われている。格差が目に見えて酷くなったこの国で、南達の国で起きた問題が発生しているのだ。

 博史の話に、美緒は家族旅行で目の当たりにした社会構造を思い出した。今でも格差は見られ、大通りと裏の通りとでは、見える世界が違っている。

 地方都市に行けば、裏通りよりも激しい格差を確認する事が出来るのだ。


「博史さんがいる場所じゃ、ちょっと、緊張感が走ってるんだって。それでこっちは大丈夫か?って連絡が来たの。」

「そうなんだ…。ちょっと怖い話だね。」


 南は、『こちらは問題ない』と返事していた。電話の後テレビを見たが、博史が言うニュースも確認出来ない。実際、昨日も無事に観光を済ませているのだ。

 2人は、博史が心配し過ぎたと判断し、今日の日程を消化する事にした。




 青空市場はバザールよりも規模が小さく、売っている物は主婦が必要とする食料品や日用品であり、時間帯もあってか、バザールとは違う雰囲気を醸し出していた。見た事もない、鮮やかな色をした魚介類、露骨に並べられた生肉、異臭を放つ調味料らが2人の目を丸くさせた。


 市場を見学した2人は遅い昼食を取った後、近辺にある寺院を見学する事にした。数個あるが、青空市場を楽しみ過ぎた2人は時間の都合上、2つの大きい寺院だけに足を運んだ。

 1つ目の寺院は訪問客も多く、造りも豪華だった。寺院の中には巨大な仏像が祀られていて、信仰深い信者や海外からの観光客で忙しなかった。彼女達の国にも仏教は広く伝わっているが、これほど巨大な仏像や熱心な信者を見た事がなく、文化の違いや信仰の深さを知らされた。


 2つ目に訪れた寺院には観光客が殆ど見当たらず、また、現地からの訪問者も少なかった。そして入った瞬間から、1つ目の寺院とは違った雰囲気が感じられた。

 大きさは先ほどのものと変らないのだが豪華さはなく、造りも古びていた。


「何か…ここ、静かで不気味だね?」


 南が不安そうに話す。寺院が巨大なだけに、その不気味さは強く感じられた。


「美緒は前に、この寺院に来たの?」

「ううん…。ガイドさんにここ一帯の寺院を紹介してもらったんだけど、ここは案内されなかったの。有名な寺院だって聞いたのに入れなかったから挑戦してみたんだけど…ちょっと不気味だね?」

「どうする…?とりあえず…建物の中に入ってみようか?」

「怖くなったら、さっさと出て行こうね?」

「…賛成。」


 怯えた2人だが、何事も挑戦の精神で寺院の中へと進んでいった。


 ここは修行僧が修行を行う場所として有名な寺院だが、観光客が見たがる歴史的な仏像や由緒在る遺産がある訳でもなく、観光地としては人気がない。

 貧困層の人々への生活援助もしており、家や財産、仕事がない者達の宿舎にもなっていた。


 2人が恐る恐る建物に入ると、直ぐに修行僧に出会った。驚いた2人は慌てて自分達が観光客である事を伝えようとしたが、僧は2人の姿を見るなり、近くにいる人を呼び寄せた。

 説明は必要なかった。2人の身形や顔つき、服装は、黙っていても観光客だと分かるのだ。

 修行僧が呼び寄せた人は他の僧とは違う色の服を着ており、どうやら僧侶の位を持つ人間だ。また、彼は英語が話せた。


「この寺院へようこそ。」


 流暢な英語で挨拶をくれると、それに安心した美緒は、寺院を見学しても良いかと尋ねた。

 僧侶は2人を歓迎し、自らが案内してくれると言う。



「……。」


 寺院の一部は宿舎になっており、大部屋では多くの修行僧や貧困層の人々が座禅を組んで経を唱える姿が見学出来た。

 更に案内された場所には、経済的な理由で治療を充分に受けられず、進行中や後遺症で不自由な暮らしをしている人や、それを看病する人の施設もあった。


 また、僧侶に説明を受けたものの、見学出来ない施設もあった。

 その建物の前で、彼は2人にこう説明した。


「この施設にいる人々は伝染病に掛かった人や不治の病を負った人達なので、一般の方々は入れません。」


 それを聞かされた2人は衝撃を受けた。先ほどの施設を見るだけでも充分に悲惨な現状を見たのに、目の前にある施設は想像を遥かに上回る、心が痛む様子なのだと考えた。


 この国は社会保障が充分に行き届いておらず、経済的に余裕がない人間や大きな病気を患った人間は、社会から『除外』される。寺院は、そんな人々を請け負う施設として、彼らの面倒を見ているのだ。


 南と美緒は目にした光景に、この国の社会の底辺を覗いた気がした。しかし僧侶の説明に寄ると、寺院で受け入れられる人数には限りがあり、外にはもっと多くの、不憫な人々がいるとの事。

 そうなるとこの社会の底辺は、もっと深い場所にある事に気付かされる。


 美緒は前回の旅行で、確かにそのような人々を見ていた。衣類として成立しない服を来た人や、五体が満足でない人が物乞いをしていた姿を、数多く見た。


「宜しければ、ご寄付をお願いします。」


 施設を全て紹介した僧侶が、手を合わせて頭を下げる。

 彼の言葉は重く、そして切実であった。英語が分からない南でも、彼の取った仕草で意味を理解した。彼が、私腹の為に寄付を求めているのではない事は、その様子と寺院の状況を見て充分に伝わった。


 2人は出来る限りの寄付をしたかったのだが、バザールに行く前に一旦ホテルに戻るつもりでいたので、生憎、持ち合わせたお金は多くない。財布係である美緒は南に確認を取り、帰りの交通費以外のお金を、全て寺院に寄付する事にした。

 ただ、そのお金は決して多いものではなく、渡すには恥ずかしい額だった。それでも僧侶は2人の厚意に深いお辞儀をし、丁重に金銭を受け取った。


「このお金だけで1人の人が、1週間食い繋げる事が出来ます。あなた達の厚意に、深く感謝します。」

「………。」


 美緒は僧侶の言葉を、南に伝える事が出来なかった。余りにもショックだった。

 渡した金額は、昨日の夕食で費やしたものとほぼ同じだった。2人はそのお金で食べ切れない食事を購入し、残った物は、今朝の内に全て捨ててしまったのだ。


 美緒は僧侶に深く頭を下げ、ここを出て行く事にした。

 美緒に従って僧侶に挨拶した南は彼女の後を追いながら、先ほどの話を訳してもらった。


「……。」

「……。」


 南は言葉を失い、話した美緒も、もう1度言葉を失った。




「やっぱり、この部屋は私達には大き過ぎるよね?」

「…うん。」


 2人は帰路に着いた。ホテルに到着するまで、これまでは漠然と見ていた街中の浮浪者や物乞いをする人々が目立つように感じた。

 博史が準備してくれた部屋に戻ると、2人は戸惑った。余るほどの大きさと優雅さに慣れなかった。それでも滞在中には慣れ、優越感に浸れると考えていた。

 だが寺院を後にした2人は、これまで以上の違和感を覚えた。やるせなさも感じた。せっかく準備してくれた部屋だが、今日の出来事を考えると、こんな贅沢をしても良いのだろうか?と考えてしまったのだ。



 夜が来たが、2人は食事にも頭を悩ませた。贅沢をするつもりはないのだが、普通の食堂やレストランに入る事にも躊躇ってしまった。街を歩けば至る所に貧しい身形の人々がいて、どうしても気になってしまう。

 どう転んでも食が進まないと考えた2人はコンビニで軽食を買い、それで夕食を済ませた。


 食後には、予定通りナイトバザールに出掛けた。昨日の反省を踏まえて、開かれる時間に合わせて訪れる事にした。

 バザールに人混みは少なく、ゆっくりと商品を探す事が出来たのだが、しかし結局この日も、同じ服は見つかるものの、同じ花の刺繍が施された服は見つからなかった。




 次の朝もホテルで朝食を取ったが、あれ程美味しかったベーコンが、今日は喉を通す事にも苦痛を感じる。

 2人の頭から、昨日の衝撃がまだ消えないのだ。

 昼食の時間までは、近所で買い物をする事になっていた。しかし、それも楽しいものではなかった。2人は家族や知人宛ての土産は購入し、自分への土産を避けた。


 昼食にも迷った。せっかく旅行に来たので美味しい物を食べたいのだが、気持ちがそれを贅沢だと非難する。

 仕方がないので2人は、昨日訪れたエリアに足を運んだ。

 しかし気が安らがない。ここなら罪悪感を持つ事なく食事が出来ると思ったのだが、食堂はオープンな造りをしているので、目の前を、見たくない人々が通るのだ。時としては店に入り込み、物乞いする人もいた。キチンとしたレストランや食堂に入ったのなら、彼らは門前払いをされるはずだが、ここではそうはいかない。特に2人は、あからさまに観光客と見えるので物乞いに迫られた。

 2人は、差し伸べられたその弱々しい手を直視出来なかった。そそくさと食事を済ませてホテルに戻り、博史が訪れるのを待った。


「ねぇ…?美緒…。」

「…?」

「何なんだろうね…?この国って…。」

「…そうだね…。物凄いくらいに、お金を持っている人と持っていない人の差が激しいね…。」

「きっと…私達の国も、昔はこんな感じだったんだろうね…?」

「……。」


 南が購入した本には戦争での辛い経験だけでなく、戦前から戦後までの、ウエスト・Jの情勢も書かれていた。美緒は南が本で読んだ話を、肉親から、経験談として聞かされていた。


「私…勝手な事言っちゃうかも知れないけど…ウエスト・Jが内戦を起こした理由…分かる気がする…。あんまりにも惨め過ぎるよ。この国の貧しい人達は……。」

「…そうかも知れないね…。私も想像以上だったから、驚いちゃった。」


 2人は、これまで傍観していただけの人々と距離を近づけ、その人達の目線からこの社会を見た。そしてそこに、内戦の理由を垣間見た気がした。


 彼女達の国の場合、この国のように貧富の差が同じ地域で発生していたのではなく、東と西に大きく分断されて生じていた。

 全ては、東側の政策であった。

 西側に潤う都市でもあれば問題は起きなかったかも知れないが、東側の長年の政策によってそのような都市や会社は存在せず、追い込まれる所まで追い込まれた西側は、決起して紛争を起こしたのだ。

 貧困層が集中していたので同志が集まるのも容易く、それも内戦に拍車を掛けた。


「今はまだ、この国の貧しい人々は戦争を起そうなんて、考えてないよね…?と言う事は、戦争を起こした西側の人達は、この国の人達よりも酷い生活をしていたのかな…?」

「それは分からない…。私も、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんに話を聞いた事があるけど…比較が出来ないよ。お祖父ちゃんがこの国に来て今の様子でも見なきゃ、どっちが酷かったのかは分からないと思う。」

「……。」



 暗い話ばかりでは良くないと、2人はテラスに出て大通りを見下ろした。

 そこで2人は、まるでタイムスリップをしたかのように、当時のイースト・Jとウエスト・Jの姿を見た気がした。



 部屋の呼び鈴が聞こえた。テラスに出ていた南は空耳かと思いながらも、鼓動を早めて耳を澄まし、もう1度呼び鈴が鳴るのを待った。

 呼び鈴がもう1度聞こえると、今度は満面の笑みを浮かべて扉へ走った。


「博史さん!!」


 鏡で自分の姿を確認してから扉を開けた南は、第一印象の時と何も変らない、パッとしない顔立ちに安物のスーツを来た、背も横幅も大きい男を見た。

 しかし南は、その男に会いたかった。この1年近くの間、ずっと彼に会いたかった。


「南ちゃん…久し振り。」


 その声も懐かしい。南は我慢出来ずに博史に飛びつき、彼を強く抱き締めた。

 博史は南の態度に焦った。奥で、美緒と思われる人がこっちを見ているので、戸惑いもした。


「初めまして。美緒と言います。」


 美緒は南を止める事はせず、少し恥かしげに挨拶をした。


「……あっ、どうも。始めまして。岡田博史です……。」


 博史は美緒への挨拶よりも、興奮した南をどうにかしたかった。

 それに気付いた美緒は南に、博史から離れるように促した。


「ちょっと南、博史さんが困ってるよ。」

「あっ…。」


 我に返った南は恥かしくなって顔を赤らめ、少しの間、博史の顔を直視する事が出来なくなった。

 博史は一旦自分の部屋に入り、荷物を置いて戻って来ると言う。彼の部屋はランクアップしなかったので、下の階まで移動する必要があった。

 南は、その間に平常心を取り戻そうと努力した。


「どう?落ち着いた?」

「おっ、落ち着くって何よ!?」


 しかし美緒の要らない心配…いや、悪戯に、もう1度顔を赤らめる南であった。


 再び呼び鈴が鳴り、南は落ち着けた事を確認して扉を開けた。扉の向こうには、着替えを済ませた博史の姿が見えた。

 初めて見る博史の普段着であったが…彼は服のセンスに乏しいようだ。ビジネススーツの時よりは悪くないが、履き古したジーンズに、黒のTシャツ姿をしていた。

 とにかく彼は、どんな服を着てもパッとしない。それでも博史の顔を見ると、南は笑みを止める事が出来なかった。


「お邪魔しても、良いかな?」


 断りを入れた後、博史は部屋の内装を見渡した。彼自身もこの部屋は初めてだ。思った以上の造りに満足していた。


「どう?気に入ってもらえたかな、この部屋?」


 満足げな博史とは違い、南は態度を変えて暗い顔を作った。隣にいる美緒も同じような顔をする。

 それを見て焦った博史は、2人が部屋を気に入らなかったと勘違いした。



「そうじゃなくて…贅沢過ぎます。」


 南は勘違いを訂正した。この国の実情を説明し、それが故に気が重いと伝えた。


「……。」


 博史は話を聞いて気持ちを理解したが、それでも良い部屋で宿泊し、旅行を楽しんで欲しいと思った。

 彼は、決して自ら贅沢なお金の使い方はせず、貧困な人々の生活も充分に知っている。出張で訪れた地域には、そんな人がもっと多くいた。

 それでも彼は、贅沢な部屋に泊まる事とは別問題だと考えた。




「僕が幼かった頃も…酷いもんだったよ。」


 先ほど南と美緒が疑問に思った答えは、博史が知っていた。3人は自己紹介と再会の喜びを含めて、長話を交わしていた。その中で、彼も幼い頃に、この国の人々と同じような生活をしていた事を伝えた。


 内戦後、西側は戦前より酷い貧困に襲われたが、やがて経済の回復と共にそれは過ぎ去った。だが博史の家族は他より遅れ、貧困な時代が長かった。

 彼の家族は、博史が就職した事で少しの余裕が出来たそうだ。


「だからと言って、自分の全てを投げ捨ててまでして、彼らに同情する事は出来ないよ。僕らには僕らの生活があって、それを守る義務もある。せっかく手にした平穏は、誰にも邪魔される権利はないんだ。」


 彼は工場がある地域まで行かずとも、この国の貧困を知っていた。そしておこがましくも、彼らを見て自分達の生活はマシになったのだと認識し、明日への活力を貰っているとも話した。

 全く身勝手で、倫理に反する考え方だと非難されそうだが、博史は隠す事なく自分の考えを伝えた。


「勿論、貧しい人を助けたいと思う気持ちや、何かをしてあげる事は良い事だよ。でもそれは、出来る限りで良いんだと思う。そして必要以上に落ち込んだり誰かを可哀想だと思う事は、それこそ身勝手な情けで、自己満足にしかならない。僕はそう思う。その気持ちは、優越感の裏返しのような気がするんだ…。そんな気持ちが、むしろ貧しい人達を惨めにさせるんじゃないかな…?」

「……。」


 博史は持論を述べたが、2人は充分な納得が出来ず、彼を変わった目で見てしまった。

2人にはまだ、博史の気持ちが分からない。

 しかし実は、彼は出来る範囲で寄付活動などを行っている。自身に経験がある為、貧困な人々を軽視している訳ではないのだ。



 自己紹介をするはずが、違った方向へ話題が進んだ事に気付いた博史は、これからの日程を話し合う事にした。既に夕方を前にしているので、今日は遠くには出掛けられない。

 話し合いの結果、もう1度バザールへ向う事になった。




「美緒さんの家族は…元々、ウエスト・Jの出身だったんですよね?」


 予定を立てたところで、博史が話し掛ける。唐突過ぎる質問だったが、手っ取り早い方法だと思えた。

 自己紹介をしている間、美緒はずっと博史の顔を伺っていた。彼が、西側の人間だからである。

 博史は、美緒の事も充分に知っている。彼は彼女に、悪い印象を持っていない。それは美緒も知るところだと分かっていたから、素直にそこから会話を始めた。

 そうでもしない限り、美緒は遠慮したままだとも思った。


 戸惑う美緒であったが、彼の態度を見て勇気を出した。

 会話は、意外なところから弾んだ。美緒の家族が住んでいた地域は、博史が住む地域と、然程離れていなかったのだ。博史は美緒の故郷の現状や名産などを教え、両親からも聞かされていない話に美緒は興奮して喜んだ。

 彼女の故郷にも、今は平穏な時が流れている。その事が、未だ残る自責の念を軽くしてくれた。


「博史さんのお祖父さんは、今もお元気なんですか?」


 博史の家族の話題になった。今度は美緒が、少し深入りした話を持ち込んだ。

 両親からして既に高齢である美緒の祖父は、既に他界している。


「僕の祖父は10年前に、自らの命を放棄しました。」

「えっ……?」


 何気に尋ねたつもりの美緒に対して、博史の返事は衝撃だった。10年前となれば、博史が2人と同じ歳の頃になる。その時期に彼の祖父は、自殺で命を失っていた。

 祖父は、自殺をしなくとも寿命を迎える頃だったと言う。だが、過ちを苦にしていた祖父は、自分は天国には行ってはならない人間だと感じていた。多くの人を殺めた祖父は自ら絶つ事によって、確実に地獄へ行けると考えたらしい。


「祖父は懺悔の為に、とある宗教を信仰し始めたんですが、その宗教では自殺は大罪で、行った者は地獄に堕ちると聞かされたんです。祖父には、それこそが救いの手だと思えたんでしょう。救いの手を求めて入信しましたが、そこで聞かされた教えが命を絶たせる事になりました。でも祖父はそうでもしないと、死んでも死に切れなかったのでしょう。自殺は良くない事ですが僕が思うに、祖父は自殺をして、地獄に行って初めて、安らかになれると思ったんだと思います。」

「……………。」

「……………。」


 地獄に行く事が、果たして安らかな最期なのか?ともかく彼の祖父は大きな罰が与えられない限り、背負った重石を下ろす事が出来ないと考えた。

 信仰を前に矛盾した行為であったが祖父はそれを行い、博史は祖父が楽になれたのなら、それは仕方がない事だと話した。

 2人は納得出来なかった。安らかな死を求めて地獄に行ったと言う話は、やはりどう考えてもおかしい。

 しかし、美緒にも同じような経験がある。彼女自身は気付いていないが、もっと大きな重石を背負う事で、自分の存在を認めてもらおうとした経験があるのだ。


「ご免なさい。また、要らない会話になっちゃったね?気分を変えよう!南ちゃんや美緒さんの、旅の目的は何?」


 空気が重くなり、それが自分の責任であると気付いた博史は口調を変えてバザールに行こうと誘い、ただその前に、例の鍋料理を食べようと提案した。

 気が滅入っていた2人だが、その提案に唾と胃液が大量に放出され、気持ちが楽になった。


 3人の共通点は、先ずは食欲だ。つい先程の重い空気も忘れ、急いで外に出る準備を始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る