第17話;二度目の旅行

 以前よりも落ち着くはずの空港で、南は美緒を待っていた。

 年末の空港は、初めて訪れた時よりも人混みで騒がしい。しかし南が落ち着かない理由はそれではない。睡眠不足でもある。


「おっはよ~!待った?」


 いつものように、美緒が約束時間ちょうどに現われる。


「おはよう。ううん、待ってない。大丈夫。」


 眠そうな顔で南が返事をすると、美緒は早速登場口へと向かった。南も思い出したように美緒の背中を追い、2人は余裕を持って搭乗手続きを済ませた。

 免税店を歩きながら博史への土産を探したが、どれも西側でもお目に掛かれるもののような気がする。

 興味深かったのは、日常何気に使用している物が高値で売られ、海外客が購入していた事だ。地元のスーパーではもっと安く売っている事を、観光客は知らないのだ。

 仮に、ここにウエスト・Jの人間がいたなら、2人と同じ事を考えたかも知れない。


「これも…イースト・Jの名物だよね?」


 南はその中で、一際気になる商品を見つけた。バイトからの帰り道、いつも目にする鍋料理の素を、粉末状にして売られていた。


「いらっしゃいませ!」


 会話に混じって来たのは免税店の店員だ。彼女曰く、この商品は海外でも人気が高く、外国人客が好んで購入して行くと言う。土産に喜ばれ、3瓶詰め合わせの商品が割安でお得だそうだ。


「この鍋って、イースト・Jで昔から食べてますよね?」

「そうですね。実際、この料理の歴史は古いはずですよ。」

「だったら、ウエスト・Jでも…食べられてますか?」


 南は、ずっと気になっている事を確認した。

 店員はその名前に一瞬驚いたが、微笑みながら返事をくれた。


「…そうですね。ウエスト・Jでも、食べられていると思いますよ。つまり、どちらの名物でもあるのでしょうね。」

「そうなんですか…。」


 蓋を開ければ当たり前なのだが、ずっと気になっていた事は解消された。


「そろそろ…戻ろうか?」

「うん、そうしよ。」


 時間が迫り、2人は搭乗口に向う事にした。

 結局、博史へのお土産は購入していない。どんな物を渡したところで、彼が喜ぶとは思えなかった。



 飛行機は予定通りに離陸し、予定通りに到着した。

 ホテルは博史が出張の際に利用するもので、勝手を知る博史に勧められて利用する事にした。以前に利用したホテルと同じ大通りに位置し、そこへ向うバスも同じだ。

 ただ、停留所は最終停留所より7つも手前だ。利用するホテルは大通りに入って直ぐの場所にあり、利用したホテルは大通りが終わる頃に建っている。

 大通りは、端から端まで歩いて30分は掛かる長いものだ。


「博史さんって、本当に優しい人なんだね?」

「??」


 念入りに路線図を確認した美緒が話す。

 博史は南が迷子になった時、自分が利用しているホテルも近所だと言い、ホテルまで送ってくれた。

 果たして、歩いて30分ほどの距離を近いと言えるだろうか…?

 美緒の話を聞き、南は彼の優しさを改めて実感した。その博史とは、2日後に会えるのだ。

…ただ、博史が南をホテルまで送ったのには理由があった。あの鍋料理である。本当なら出張最終日にでも訪れようかと考えていたが、南のホテルは目的の食堂近所にあると言うので予定を変更し、南を送ってから足を運んだ。

 美緒の勘違いで、博史の株は上がったようだ。


 ホテルには無事到着し、美緒は肩の力を抜いた。

 ホテルは古いが入り口が大通りに面しており、バス停の目の前にあるので便利も良かった。中の施設も、古さは感じるものの豪華な造りになっており、老舗の名店である事が伺われた。


 2人は先ず、チェックインを済ませる事にした。

 フロントで美緒が係の人間と話し出すと、南は唖然としてしまった。


「凄いじゃない!?美緒、英語が上手くなってる!」


 編入した大学で、美緒は英語の実力を高めていた。着々と、なりたい自分になる準備をしているのだ。

 フロント係がカードキーを手渡し、美緒に何かを伝える。美緒は驚いたが、南には何の事だか分からない。それ程、美緒の実力は向上していた。


「じゃ~~ん!」


 部屋に到着すると美緒は南を立ち止まらせ、声を上げながら扉を開いた。


「うわっ~!」


 南は驚かされた。部屋は予約していたものよりも大きく、広々としたテラスもあった。

 博史がホテルに頼み、部屋をランクアップしてくれたのだ。スイートルームまでとは行かないが、その広さを知らない2人は充分に満足した。

 博史が勤務する会社はこのホテルの会員であり、よく利用する博史は顔が利く。年末の、客足が多い時期ではあったが、ランクアップが可能になった。

 興奮した2人ははしゃぎ合い、部屋の至る所で写真を撮った。ベッドはキングサイズの物とクィーンサイズの物が1つずつ用意されていた。恐らくここは、家族連れが主に使う部屋なのだろう。以前のホテルよりもクッション性が高く、2人は雛のようにその上で飛び跳ねた。


 遊び疲れた2人はやっと自分達の荷物を整理し、昼食を食べにホテルを出た。

 美緒はホテルのネームカードを南に渡そうとしたが、南はそれを断った。もう2度とあのような失態はしないと、笑って返事した。勿論美緒も、冗談で南にカードを渡そうとしたのだ。

 しかし南は、迷子になっても良いとも考えた。今、この国には博史がいるのだ。


「博史さんは地方にいて、ここには居ないんだよ?」


 美緒が南をからかう。南は心を読まれた事に驚き、2つの理由で恥かしがった。


 昼食は、美緒が勧める店に向かった。家族旅行でも前回と同じホテルを利用したので、大通りの地理に詳しくなっていた。

 バスに乗り、最終停留所で降りた2人は裏手にある路地へと進み、屋台風の店へと入った。


「……。」


 以前とは変わり、店に不安を覚えたのは南だ。店は掘建てに近く、露店とも言う事が出来そうで、衛生面にも問題がありそうだった。

 一帯には同じような店が多く並んでおり、美緒曰く、通りの裏手、つまり大通りにあるビジネスビルに通う人々が利用するそうだ。


 今は昼食の忙しさから大分時間が経っていたので客足は少なく、ゆっくりと食事を取る事が出来た。

 勇気を出して食事を口にした南は、やはり美緒が勧める店だと納得した。そして美緒が大きく変った事を知り、先を越された気がして悔しかった。美緒は既に、南よりも多くの『旅立った者だけへの特権』を持っているのだ。

 美緒は以前の旅行で3回程、この一帯で食事をした。美奈は嫌がったのだが両親が大変気に入ってしまい、昼に2回、晩に1回、同じような店を利用したと言う。



 食事を終えた2人は、裏通りの商店でショッピングを始めた。

 美緒は既に、そして南は今回気付いたのだが、裏通りの店で売られている商品は、ショッピングモールで売っていたものと同じ物ばかりだ。しかも価格は、モールより安い。


「ナイトバザールなら、もっと安く買えるのかな?」


 南が質問する。

 美緒が、何食わぬ顔で質問に答えた。


「バザールは観光客も多いから、ショッピングモールよりも高いのよ。空港の免税店と同じ感じ。でも、値段交渉したらびっくりするくらい安くなったりするの。」

「へ~、そうなんだ。」


 ナイトバザールへは、今晩訪れる予定だ。ここから離れた場所にあり、交通の便もややこしいので、タクシーに乗って向う事になっている。


 2人は買いたい品と店舗の場所を覚え、ホテルに戻った。それでも時間は既に、夕食の頃だった。

 夕食も、変った趣向のものを考えている。部屋が豪華になったので気が引けるが、美緒は夜の屋台で食事を購入し、部屋に戻って食べようと提案した。


「家族旅行で、親が夜食を食べたいって屋台に行って…部屋に持ち帰って食べたんだけど、凄く美味しいの!」


 昼食も同様だったが、美緒は家族と食べた食事を南とも楽しんだ。新しいものに挑戦するよりも、彼女と思い出を共有したいのだ。

 ナイトバザールにも夜食は売っているが、若い2人の腹は底無しだ。先ずは屋台の食事を楽しむ事にした。


 再び外に出ると空は既に暗くなっており、代わりに、大通り中を彩る電飾が明るく灯っていた。露店が放つ電灯だ。大通りには、数え切れないほどの屋台が並んでいた。勿論、裏通りに入れば、更に多くの屋台が存在する。

 2人はホテルの周辺をぐるりと回って気になるメニューを少しずつ購入し、食べ切れない量を買い込んで部屋に戻った。ホテルの裏手にはコンビニもあり、飲み物はそこで購入した。

 この国は、年末でも寒くない。2人はテラスに食事を持ち出し、美緒は懐かしい、南は初めて口にする料理を堪能した。

 星空は拝めなかったものの、見下ろす大通りの夜景が代わりを果たした。


「そろそろ行こうか?」

「…そうする??」


 まったりとした時間を過ごし、酒にも酔った南は、美緒の誘いに鈍い反応を示した。

 美緒はその姿を見て微笑み、眠ったようにテーブルに顔を埋める彼女の髪を撫でてあげた。

 ナイトバザールは夜の8時から開かれ、明け方まで続くので、今直ぐ出発する必要はないのだが、治安や交通を考えると遅い時間の出発は良くない。それでも美緒は酔っ払った南の側に座り、一緒に旅行に来た甲斐を、初日にして感じた。

 温い風が、美緒の顔に触れる。自分の国では味わえない風だ。



 既に9時を過ぎた。眠りから覚めた南は、慌てて美緒をナイトバザールへと誘った。

 到着した頃には、既に10時を過ぎていた。しかし人混みは衰えるどころか、最も騒がしい時間帯を迎えていた。平日深夜であるのに衰えを見せないバザールの活気は、足を運んだ事がある美緒すらも驚かせた。

 2人は逸れないように、手を繋いでバザールへと入って行った。


 様子は、写真と違っていた。余りにも騒がしい人混みに、南は恐怖すら覚えた。美緒も同じく喧騒に負け、バザールに入るや否や、先ずは人気が少ない場所を目指した。


「美緒が来た時も、こんなに人が多かった?」

「ううん。私が来た時は早い時間だったから、人はこんなに多くなかったよ。びっくりだよね?」


 窮屈な通りから抜け出した2人は手を放し、やっと会話を交わした。

 この時間になると、仕事を終えた現地の人は勿論、観光を終えた海外客が挙って来場する。予定よりも遅く訪れた2人は要らない見学を諦め、麗那にプレゼントする服を探す事にした。

 バザールの敷地は広く、売っている物はエリア毎に別れている。2人は看板に描かれた地図を見て、現在地と目的地を確認し、もう1度手を繋いで歩き出した。


 麗那の服は意外と見つけ易く、多くの露店で販売されていた。民族衣装をモチーフにしたワンピースなので、土産物として定着しているのだ。

 安心した2人は、他のものにも目を奪われた。まだ見た事がない料理に気を取られ、幾つかの装飾品を試着した。


「…見つからないね?あの花の刺繍…。」

「可愛いデザインもあるんだけど…出来れば、あれと同じ物が欲しいな…。」

「私は自分用に、これ買おうっと。」


 それでも、南が拘った背中の刺繍と同じものは見つからない。

 自分も同じ服が欲しいと思った美緒は、気に入った一着を見つけ出した。生地の色が南のものと同じく淡い青色で仕上がっており、肩から腕に掛けて刺繍が入っているデザインで、モチーフは薔薇の花になっていた。刺繍の色は生地よりも濃くて深い青色をしており、青い薔薇など見た事がない美緒は購入に至った。


 実際、青い薔薇は近年まで存在しなかった。多くの人が青い薔薇を咲かせようと長年研究を続けたが、その歳月が余りにも長過ぎた為、青い薔薇の花言葉は『不可能』になった程だ。

 しかし近年になって、遺伝子組み換え技術の導入などで、青い色素を持つ薔薇が作られた。自然界で自生する薔薇とは違い、また、色素を茎から吸い取らせて青色にした薔薇とも違う。その成果は評価され、同時に青い薔薇には、『奇跡』、『神の祝福』、そして、『夢は叶う』と言った花言葉が付け加えられた。

 美緒はこれを知らないが、将来をしっかり見つめる彼女にとって、お似合いの花のようだ。


 結局、南が求める刺繍を見つけ出せなかった2人は、今日のところは諦めて少し買い物を楽しみ、タクシーに乗ってバザールを後にした。



 次の日の朝、目覚めると同時に、2人は部屋の広さに改めて驚かされた。美緒はキングサイズ、南はクィーンサイズのベッドを使ったが、落ち着かなくてなかなか眠りに就けなかった。

 朝日を浴びる為にテラスに出ても、夕食の食べ残しが優雅な雰囲気を壊した。あり余る部屋の豪華さに戸惑いながら、食べ残しをゴミ箱に捨てる2人であった。


 身支度を済ませた2人は、ホテルの食堂へ足を運んだ。ブッフェ式の朝食に必ず用意される、博史が勧めるベーコンを食べるのが目的だ。彼曰く、焼き加減が最高らしい。

 朝食は、部屋のランクアップと共に博史が手配してくれた。どうしても2人に、そのベーコンを食べてもらいたいらしい。


 食堂は、ホテルの屋上に建てられている。昼と晩はレストランとして運営され、ホテル直営のものだ。半分が屋内、残りが屋外になっており、屋内は、天井を含める全面がガラス張りになっている。日の光を浴びながらの食事、夜空を見ながらの夕食が楽しめるのだ。


「うわ~っ!何か、贅沢だね!?」

「博史さんに感謝しなきゃ。」

「本当だね。」


 天気も良かったので屋外のテーブルに座った2人は、早速食事を楽しむ事にした。


「うわっ!本当だ。このベーコン良い感じ。」

「本当だね。カリカリに焼いているのに、噛んだらしっかりジューシーだね。」


 レストランとしても、国内で高い評価を受けている食堂の朝食である。インテリアは勿論、使われる食材も一流だ。


「ひょっとして博史さん、私達の為に無理してくれたのかな?」

「…あっ、確かに…。部屋もびっくりするくらい良い部屋だしね…。」


 年末の忙しい時期にこれ程の待遇を受けるには、それなりの費用が掛かるものだ。博史は10歳ほど年上であり、仕事もしている。


「博史さんの給料って、どうなのかな?」


 美緒が露骨で、正直な質問を投げ掛ける。

 だが南は、博史にそのような事を尋ねた事がない。

 彼女自身、博史を裕福だとは思っていない。安物のビジネススーツを着ていて、髪型も顔立ちもパッとしないと言うのが印象である。連れて行ってくれた食堂も、現地の人が利用するお粗末な場所だった。


「でも、よく考えたらさ…」


 南は彼の印象を話したが、美緒は、経済的な余裕があるはずだと考えた。


「博史さんは出張で、この国によく来るんでしょ?と言う事は、貿易会社に勤めてるんだよね?で、言葉も喋れないのに、それでも出張に来るって事は…課長や部長クラスの人だよ。」

「そうかな…?私には、そんな印象がないなぁ…。」

「でも、今回の出張も取引先が工場作ったって言って、その祝賀会に参加する為に来てるんでしょ?普通の社員が、わざわざその為に出張に来れる?取引先に招待される?」

「…言われてみれば、確かにそうだね?」


 南は鈍感なので気付かなかったが、美緒は博史のステータスが気になった。玉の輿よろしく良い結婚相手を探しているのではなく、将来のビジョンを博史に見出そうとした。世界を飛び回るキャリアウーマンになる事が夢なのだ。


 2人は知る由もないのだが、ウエスト・Jの通貨は国際的に見て、イースト・Jのそれよりも価値が低く、また当然、所得もイースト・Jより低い。彼が南や美緒よりも経済的に余裕がある事は、ウエスト・Jで中産階級よりも上の地位にいる事を意味する。


「それじゃ私達、凄い人に出会ったって事かな?」

「良いなぁ…。私も、これから博史さんと連絡取りたい。色々教えて欲しいよ。仕事の事とか、将来の事とか…。」

「明日になれば会えるんだから、メールアドレスの交換でもすれば良いよ。」

「そうだね。お願いしてみる。」


 2人は朝食を存分に楽しみ、食べ過ぎたので部屋に戻って休憩を取る事にした。

 今日の予定も、以前に美緒が訪れた大型の青空市場を訪問し、付近にある寺院を見学した後、夜には昨日とは違うナイトバザールに出掛ける。青空市場は観光地にもなっており、用事がなくとも異文化を勉強する意味で、周辺の寺院を含めて、是非とも見てもらいたい場所だそうだ。



 腹も落ち着き、部屋の掃除を遠慮してもらおうと思った美緒はタオル一式と、夕食の残りをハウスキーピング係に手渡し、新しいタオルを受け取って部屋に戻って来た。

 部屋に戻ると、南が電話で誰かと話している。家にでも電話を掛けたのだろうか?と美緒は思った。会話が英語ではないのだ。


「……。」

「……?どうしたの、南?何かあった?」


 ホテルで掛ける電話は高い。家に用事があるなら、公衆電話から連絡を入れるべき事を南は知っているはずだ。つまり南は、誰かからの電話を受けていたのだ。

 受話器を置いた南は、不安そうな顔を浮かべていた。 


 電話の相手は博史だった。出張先から電話を掛けて来たのだ。

 久し振りに聞いた彼の声を嬉しがった南だが、博史の声はそうではなかった。


 彼は、この国に漂い始めた不穏な空気を知り、南を心配して電話を寄越してきたのだ。

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