第16話;出発前の計画

 夏休みに突入し、美緒と彼女の家族はあの国に旅立った。

 そして1週間後、多くのカルチャーショックを受けて帰って来た。これまでの家族旅行が、本当に観光でしかなかった事を実感した。

 勿論、例の食堂にもチャレンジした。美緒は本場の味を堪能し、家族は、彼女の服から漂っていた匂いの正体を突き止めた。


 美緒には妹がいて、彼女は今回の旅を不満がった。それでも4人が声を合わせて言う台詞は、『あの鍋がもう1度食べたい』だ。


 美緒は旅行中に、色んな事を考えさせられた。偽りの自分から本当の自分になる旅ではなく、新しい自分を見つける旅となった。人間として、一回り大きくなったようだ。

 スラムのような地域にも足を運び、貧困に苦しむ多くの人を見た。あの国は発展途上で、そのような人の姿や生活は容易く確認出来る。卒業旅行では目に入らなかったもう1つの姿が、今回の旅で確認出来た。美緒にとって、それが不思議だった。

 イースト・Jの物より巨大な建物に通う、綺麗なスーツを着込んだ人が、着古して原型を留めていない服を来た、物乞いをする人々の側を通り過ぎる姿、治療が思うままに受けられず、後遺症を背負って生活する人々…。そんな人達を見て美緒は、自分がまだ恵まれた環境にいる事を知り、自分の悩みが、贅沢で小さい事を知った。


 そして、このような格差から戦争や争いが起こるのだと思った。あの国の姿は、祖父母や両親から聞かされた、ウエスト・Jとよく似ている気がしたのだ。


 美緒の両親は、結婚も子供を授かる時期も遅かった。2人とも50を越える年齢で、生まれた頃はまだ、両国が戦争をしていた酷い時期だった。

 終戦直後に、西から東側へと移住する大きな動きがあり、祖父を始めとする美緒の家族はその動きに乗った。

 しかし彼らは東側で差別に合った為に、素性を隠してひっそりと暮らす者が多かった。軍人だった祖父は死亡した事にし、両親は、同じ生い立ちの者同士での結婚をした。


 旅行直前に、美緒は近況を両親に伝えていた。麗那の事や、南にも素性を教えた事、そして、雛や香の事も話した。

 両親を悲しませないように説明し、娘の成長を知った両親は喜んだ。

 両親も、麗那の言葉が身に染みた。祖父から続いた過去の重石は、美緒の世代で引き継ぐ必要がないのだ。

 だから反省もした。自分達が重石から逃れられないから、美緒にまで苦しい思いをさせたのだと悔やんだ。

 そのような事情があり、3人は旅の間、空回りをするくらいの元気を見せた。事情を知らない妹の美奈が、不満を覚えた理由の1つだ。




 やがて夏休みは終わり、秋も終わりを迎えるまでに月日は流れた。

 香は仕事が忙しい事もあって、南との確執を残していた。お互いが、連絡すら取れない状態だ。

 だが有難い事に、香は雛と連絡を取っているようで、1ヶ月に1度は食事を共にするらしい。

 情報源は雛だ。彼女は時として、南へ電話を掛けていた。


「南?香に謝る気持ちになった?」

「それは出来ないよ。でも、香から謝って欲しいとも思ってない。」

「それじゃ、まだ南とは会わない。」


 最初は気が重いと思った南も、まだ幼い雛の態度に、むしろそんな会話を楽しんだ。雛は、いつまで経っても雛なのである。

 それでも南には、譲れないものがある。香への謝罪を頑なに拒んだ。香の為に、美緒の為にそのような態度を取った。


 そんな雛も、美緒には連絡が出来なかった。仲良し4人組の仲でも、2人の間には昔から少し距離がある。嫌いではないのだが、雛は学生の頃から、しっかり者の美緒に劣等感を覚えていた。最近は、美緒のしっかりした性格は軍人である祖父の血だとも考え、彼女を恐れていた。

 雛は、いつまで経っても雛なのである。



 そして南と美緒は、年が明ける前にもう1度あの国へ旅行に行こうと計画を立てていた。本当は来年にでも旅行をと考えていたのだが、就職活動を控える美緒が早い時期の旅行を提案したのだ。

 3度目の訪問となる美緒だが、既にあの国の虜になっていた。また、南がまだ知らない、あの国のもう1つの姿を見せたいと考えた。

 この頃から、美緒の気持ちに変化が芽生えた。


 早まった旅行に、旅費の工面が難しいと思った南だが、それでも旅立つ事を決めた。博史が、同じ時期にあの国へ出張に行くと言うのだ。

 彼の出張は突発的に組まれる事が多いのだが、今回は取引先の工場新設が予定されており、祝賀会に参加する為に前もってスケジュールが組まれた。

 博史も南との再会を楽しみにし、美緒と会える事も喜んだ。


 博史は既に、美緒の事情を知っている。南と博史は、そのような会話も出来るようになっていた。


 ただ、博史は最初、美緒を裏切り者だと語った。


『美緒さんは裏切り者だ!イースト・Jに移住して、南ちゃんと一緒に、麗那さんの鍋を食べられるなんて信じられない!羨まし過ぎる!!』


 そのようなメールを送った博史も、それを受け取った南も、内容を聞かされた美緒や麗那も、その言い草に笑った。


 そして博史は、本音も南に伝えていた。美緒の家族の判断は正しかったと、自分達だって、余裕があればそうしていたはずだと話した。

 貧困を理由に戦争を始めたウエスト・Jは、終戦後には更なる貧困に見舞われた。当時の人なら、誰もがイースト・Jや他の国に逃げようとしたはずなのだ。

 美緒も彼の話を聞いて、またもう1人、許してくれる人がいるのだと喜んだ。



 博史は出張に向かうので、南や美緒と過ごす時間に余裕がない。出張先も南と出会った都市ではなく、新設工場がある地方都市だと言う。

 だから彼は有給を利用して、2人との時間を準備した。出張は年末のとある月曜日から始まり、木曜日に終わる。金曜日と土曜日に休みを貰い、休日である日曜日までを利用して、その3日間で2人と会う事にした。

 南は水曜日に旅立ち、2日間は美緒と、残りの3日間を3人で過す事にした。


 最終日には、卒業旅行で利用した時と同じ便に乗る。博史も同じく、あの時の便で帰国する予定との事だ。

 このスケジュールを知った時、南は1つの目的を思いついた。それは、今回こそは博史を見送ると言う事だ。あの時は美緒に腕を捕まれ、博史は避けるかのように搭乗口へと向かった。

 今回の旅では美緒と一緒に、笑顔で博史と別れる事が出来るのだと、あの時の間違いを、3人でやり直せるのだと考えた。


 目的はもう1つある。それは、麗那から貰った服と同じものを、今の麗那が着られるサイズで買う事だ。背中の刺繍も合わせたい。





 旅行に出ている間は、美緒の妹である美奈が麗那を手伝う。高校生である彼女は年末の休みを利用し、学校に内緒でバイトをするのだ。

 美奈もお小遣いを欲しがり、両親も良い経験になると、麗那の店ならばと快諾した。



 とある週末、美緒は南の家に訪れた。後期の期末テストに追い回される前に、旅行の計画を固めようと言うのだ。


「じゃ~~ん!」


 美緒が、家族旅行のアルバムを広げる。デジタルカメラが主流になっている時代に、美緒の両親はフィルムでの撮影に拘っていた。…のではなく、両親は年配なのでパソコンの使い方が分からず、せっかく記念に撮った写真を見たい時に見られないのは嫌だと、フィルムカメラを使用していた。

 アルバムには卒業旅行で訪れたような場所ではなく、古びた食堂での写真や、下町の市場の写真、人で溢れるナイトバザールの写真などが貼られていた。写真に写り込む人々も現地の人ばかりで、訪れた場所が気取られた観光地などではなく、あの国の姿を知れる場所である事が伺えた。

 写真を見て南は興奮した。南も美緒も最近分かった事なのだが、どうやら2人には気取ったものよりも、チープでディープな旅行が性に合っているようだ。それには、博史が教えてくれた『旅立った者だけへの特権』と言う言葉の意味や、麗那が作ってくれた異国の料理の美味しさに理由があった。


「美緒、凄いね!?こんな場所にも行ったんだ?」


 南は特に、ナイトバザールの写真が気に入った。

 屋台が長い列を作っており、裸電球で作られたチープな照明と、それに照らされる看板、並べられた民芸品や夜食が写っていた。

 揚げ物を揚げているのか、幾つかの屋台からは湯気が昇っており、それが照明に照らされ、幻想的な光を醸し出している。バザールには至る所で、壁から壁に括られた紐が蜘蛛の糸のように垂れており、そこにぶら下げられた幾つものカラフルな提灯が、一帯を鮮やかに照らしていた。


「何か、お祭りみたいだね?」

「お祭りみたいだけど、ここは毎日こうなんだって。」

「へ~、毎日?凄い!」


 経済的に余裕がない国や地域で見られる風景なのだが、南はこのような情景を見た事がない。


 写真に写るナイトバザールは一見楽しそうにも見えるが、実情はお祭り騒ぎを狙ったものではない。

 彼らは、生活に必死なのだ。

 豊かになれば背が高い建物でも建てるのだが、余裕がない地域では、露店で商売が行われる。晩になり、店じまいした商店の前に屋台を設置するのだ。場合によっては、開園時間を過ぎた公園でバザールが開かれる事もある。

 美緒が訪れたバザールは、深夜の公園で開かれているものだ。バザールは、土地代を払う余裕がない貧困層の人々が、知恵を絞って作った市場なのだ。

 しかし2人にはそのような事情を知る由もなく、ただただ艶やかなバザールの風景に興奮した。


「??」


 南は写真の中に、見覚えがあるものを見つけた。それは麗那から受け取った服によく似ていた。

 写真に顔を近づけ、じっと目を凝らした南は確信した。


「美緒!旅行に行ったら、このナイトバザールに行こうよ?私、この服が欲しい!」

「勿論、考えているわよ。どの服?ちょっと見せて?」


 南は興奮した声でバザールへ行こうと誘い、美緒はそれに乗じず、冷静に写真を確認した。


「あっ?これって、南が店で着ている服?麗那さんから貰ったって自慢してた…」

「そう!それ!」


 興奮が冷めないまま、南は服を欲しがる理由を伝えた。


「なるほど…。麗那さん、喜ぶかもね?絶対手に入れなきゃ!」


 美緒が賛成すると、南は洋服棚から貰った服を取り出し、詳細を説明した。


「この花と、同じ刺繍の服が欲しいのね?」

「うん。何となくだけど…麗那さんが、この花の柄が好きみたいなの…。」


 服を譲り受けた時、麗那は背中の刺繍を撫でながら、何処か懐かしそうな表情を浮かべた。


「でも…何の花だろうね?白くて小さくて…見た事ない花だよね?」

「そうなの。私にも分からないの。店にも同じような花は売られてないから…きっと、麗那さんのお祖母さんの国にしか咲かない花なんだ…って思ってる。」

「なるほど、そうかも知れないね。とりあえずこの花の模様、よく覚えておかないと…。」


 2人はこの花を、訪れる国の国花だと思った。服は麗那の祖父が祖母にプレゼントしたものであり、あの国の民族衣装をアレンジした物だと聞いている。

 南はこれまで、花の名前を気に留めなかった。麗那にプレゼントしようと思いつき、やっと名前が気になったのだが、驚かせたいので名前を尋ねる事も出来ない。店にある花も全て確認してみたが、どれも刺繍の花とは違っていた。

 店には観葉植物も揃えているが、それらは花を咲かせない植物だと思っている南は結局、刺繍の花の名前を知る事が出来なかった。



 バザールを旅程に組んだ後、2人は他に訪れたい場所を探し、ある程度の日程を立てた。博史にも訪れたい所はないか?と尋ねていた。彼は観光で訪れた事がないので何処でも良いと言う。

 例の食堂に関しては、南からも博史からも、そして美緒からも行きたいと言う言葉は出て来ない。愚問中の愚問なのだ。


 旅行の計画を話し終えた2人はパソコンを立ち上げ、訪れる国の国花を調べた。


「あれ??この花じゃないね…?」

「本当だ。それじゃ、一体…何の花なんだろ?」


 花の名前や姿を検索してみたものの予想は外れ、旅行先の国花は、刺繍で描かれた花とは全く違うものだった。

 結局、花の名前は分からずじまいだ。美緒は久し振りに南の家で夕食を楽しみ、試験勉強もあるので早い時間に帰宅する事にした。


 南は部屋に戻り、美緒から借りたアルバムを開いた。

 アルバムを広げながら、少し悩んだ。果たして、足を運ぶ前に訪問先の写真を見ても良いのだろうか?写真を見た後に訪れたら、感動や驚きが劣るのではないか?と考えたのだ。

 だが、見ずにはいられない好奇心にも煽られた。


 結局、写真で空想旅行を楽しむ南がいた。好奇心が先立ち、博史の言葉も手伝った。アルバムを見たとしても、まだ『旅立った者だけへの特権』が残っているのだ。

 現地に行って知らされる事は多い。若しくは、事前に訪れる場所を調べた方が、よりその特権を得られるのでは?と考えもした。

 現地で新しいものに驚いてばかりでは、それを深く知る事は出来ない。それなら今の内に前知識を持ち、もっと深く観察出来る目を養う事も1つの手段なのだ。あれ程美味しい鍋料理を食べさせてくれた麗那も、是非、現地の食堂には足を運べと行っていた。負け惜しみだとは思っているが、博史も現地の食堂で食べるのは一味違うと言っていた。

 特権は、まだ残されているのだ。



 翌週の金曜日、美緒は南のバイト先まで足を運んだ。彼女の妹も一緒だ。南の代わりを務めるので、挨拶をしに来たのだ。


「済みませ~ん。お邪魔します。」

「おやおや、これは美緒ちゃん。久し振りだね?」

「あっ、麗那さん、お久し振りです。今日は、妹を連れて来ました。」

「初めまして。私、美奈と言います。よろしくお願いします。」


 美奈は、紹介されて直ぐに腰を90度に曲げた。緊張している訳ではなく、美緒と同じく礼儀正しいのだ。


「あらあら、そんなに畏まらないでおくれ。こっちまで緊張しちゃうよ。」


 麗那はその礼儀正しさに感心したが、同時に少し寂しがった。

 美緒も美奈も…世間の目が気になって仕方がないのだ。本人達は気がついていないだろうが彼女達の礼儀正しさは、世間を警戒する気持ちから来るものだ。両親が世間の目を気にして、2人をそう育てたのであろう。


「?あれ?南はいないんですか?」

「あぁ、南ちゃんなら今、食事を取っているよ。もう少ししたら、帰って来るんじゃないかね。」

「あっ、そうなんですか。」

「南ちゃんが帰って来るまで、奥のテーブルでゆっくりして行きな。」

「それじゃ、お言葉に甘えて…。」


 美緒は奥にある作業場に座り、南を待つ事にした。

 作業場には4つの椅子が置かれていたが美奈は座らず、ずっとテーブルの前で立っていた。バイトとは言え、世話になる店主の前でだらけた姿を見せる事が出来なかった。


「あらら、美奈ちゃん…と言ったかね?座っておくれよ?」

「妹、ちょっと緊張しちゃってるみたいなんです。」

「緊張??おやおや、私の前では止めておくれ。そんなに私が怖く見えるのかね?」

「あっ!いえ!!そう言う訳じゃ…」


 麗那と美緒は、慌てる美奈を見て笑った。

 美奈は、姉が目上の人の前で礼儀を忘れている事に戸惑った。

 麗那は美奈を席に座らせ、緊張を取り除こうとした。何処の学校に通っているのか?趣味は何か?花は好きか…?他愛もない質問に、美奈の緊張は少しだけ取り除かれた。

 それを確認した美緒は席を立ち、店を見学する事にした。刺繍の花が気になったのだ。


(…どれも、違う花だ…。)


 一通り確認したが、やはり刺繍に描かれた花は見当たらない。観葉植物にも目を向けたが全て花を咲かせておらず、また、刺繍にある花を咲かせるものはないと思えた。


「何か、気になる花があるのかい?」

「えっ!?あ…いえ、何でもありません。」


 麗那に話し掛けられると、美緒は適当な嘘をついて場を誤魔化した。


「戻りました~。あっ、美緒!来たんだ?」

「お帰り、南。」

「あっ!美奈ちゃん、久し振り~!」

「お久し振りです。南さん。」


 南と美奈は久し振りに顔を合わせたが、南が高校生の頃は、よく3人で遊んだものだ。


 美緒は先に帰ると言う。テスト勉強が待っているのだ。

 南は美緒にアルバムを返し、店に残る美奈に仕事を教える事にした。

 アルバムを受け取った美緒が、南の顔を伺いながら麗那に尋ねた。


「麗那さん、何か、欲しいお土産はありますか?」

「もうそろそろ出発だね?この歳で欲しい物なんてないよ。楽しい旅行になる事を願うだけだよ。」

「それでも、何か買って来ますんで楽しみにして下さいね?」

「無理はしなくていいんだよ。」


 麗那は本心からそう返したが、2人は顔を合わせて笑い合った。


「南。それじゃ、また明日ね。」

「うん。それじゃ美緒、勉強頑張ってね。」


 美緒を送った南は美奈に一通りの仕事を教え、何度かの接客を見守り、夕方になる頃には彼女を帰した。

 顔見知りである南が相手だったのか、花に興味を持っていたのか…美奈の飲み込みは早かった。




 年末が訪れ、旅行前日を迎えた。数日後には博史に会える。南の興奮は、最高潮に達していた。

 両親は、同行者が美緒である事に安心していた。博史の事は伝えられていない。

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