第11話;美緒の苦しみ
博史に送る写真を撮ってからの、美緒の態度は明らかに変わった。ずっと下を向いたまま何も話さず、暗い表情を作っていた。
「やっぱり、口に合わなかったかい?」
麗那が、急に態度を変えた美緒を心配する。
「いいえ…。そんなんじゃなくて…。」
「はっきり言いなよ。何かあったのかい?そんな顔のままじゃ、美味しく食べられないよ?」
そして、落ち込んだ理由を聞き出そうとした。
「……。」
それでも美緒は言葉に出来なかった。
言葉に出すには、大きな勇気が必要だった。
「…あの…。」
「…?どうしたんだい?」
「……。」
勇気を出して声にした美緒だったが、麗那の言葉に、もう1度黙り込んだ。
南は、心配そうに美緒の顔色を伺った。今のような姿に覚えがあった。最近、時として見せる、何か意味深に考えている表情だ。
ずっと気になっていた南だが、これまで聞く事が出来ずにいた。今日は麗那に乗っかり、勇気を出してみた。
「どうしたの?美緒。最近、そんな顔が多いね?何かあったの?」
「……。」
気付かれていた事を察した美緒だが、それでも黙っていた。
麗那は空気を変えようと背中を椅子にもたれさせ、少し大きな声で美緒の元気を煽った。
「せっかく、女3人で楽しもうと集まったんじゃないか?言いたい事があったら言ってみな?それとも何かい?私の料理が、やっぱり不味かったかね?」
そして背中を丸めて美緒に顔を近付け、子供をあやすような笑顔で語り掛けた。
美緒は麗那に愛想笑いを返し、もう1度黙り込んだ。しかし、もう顔を下に向ける様子はなく、何かを話そうとしていた。
「私…隠している事があるんです。」
「隠している事…かい?」
「南にも…話した事がありません。」
「……。」
南は、急に名前を出されて驚いた。そして、美緒が隠している事とは何だろう?と不安になった。
「言ってみな。何があったか分からないけど…そんな顔されちゃ、気になって仕方がないよ。何でも聞いてあげるから…。ほらっ!」
「……。」
「話してよ。私達、親友でしょ?」
「…………。」
2人は優しく話し掛け、美緒の曇った表情を取り除こうとした。
「…私……。」
暗い表情の美緒が、やっと言いたい事を話し始めた。
「私は…ウエスト・Jの人間です。そして博史さんのお祖父さんみたいに、私のお祖父さんも軍人でした。」
「!?」
「…おや…まぁ……。」
それは、長い付き合いの南さえも知らない事実であった。
美緒はこの事を、誰にも話した事がない。彼女だけでなく家族全員が隠し通していた。
「お祖父さんは、イースト・Jの人をたくさん殺しました。なのに、私の家族は内戦が終わった直後、ウエスト・Jよりも平和だと思えたイースト・Jに移住して来たんです。私は…私達家族はウエスト・Jを裏切り、憎まれているイースト・Jに越して来た人間なんです。」
「………。」
美緒はずっと、博史に出会った時からずっと、この事が気になっていた。
彼女の家族はイースト・Jに越して以来、故郷がウエスト・Jだった事を語る事も出来ず、祖父が軍人として多くの人を手に掛けた事などは、尚更話せずにいた。
家族全員が、終戦後に生まれた美緒や彼女の妹さえも過去に束縛され、誰にもその事実を打ち明ける事が出来なかった。
彼女の家族は、行き場を失っていた。果たして自分達は西側の人間なのか、東側の人間なのかを、はっきりさせる事が出来なかった。
その事が美緒を、そして彼女の家族を、国際的な場所を求めて旅行に出たり、仕事で飛び出してみたいと思わせたりする理由だった。彼らは外の国へ出た時、西や東も関係なく、全てをひっくるめて外国人として扱われるのだ。そこに安らぎを感じた。そこに、自由を感じていた。
そして、外から自分の国を客観的に見つめる事で、自分達の国を知り、居場所を模索していたのだ。
だから美緒は写真を撮り、それを博史に見られる事が嫌だった。祖国を裏切り、争い合った国の人間と楽しそうに食事をする姿を見られる事が心苦しいのだ。
「…そうだったのかい……。」
重くなった雰囲気を壊すように、麗那が呟いた。
美緒はもう1度顔を下に向け、肩を小さくして縮こまった。
南は小さくなった美緒を見て、知らずにいた彼女の過去に驚いた。
「はっはっは!そんな事で悩んでいたのかい!?」
麗那が、重い空気を一気に吹き消すかのように、大声を上げて笑った。
美緒と南は驚き、麗那の顔を見た。その大笑いは、とてもこの場、この雰囲気には似合わない。笑う麗那の姿に、2人はただただ呆然とした。
「美緒ちゃん。あんた、そんな事で悩んでたら勿体ないよ!」
「……?」
「あんたが良い子だってのは…よく分かるよ。南ちゃんの親友だ。悪い子なはずがないじゃないか?」
「……。」
「人が住みやすい場所に移る事は、ごくごく普通の事なんだよ。」
南は、麗那の言葉に真実味を感じた。美緒も、南から聞いた麗那の生い立ちを思い出した。
麗那の家族は祖父の時代に、戦争から逃げるように移住して来たのだ。
美緒は自分の立場を、少しでも理解してくれる人を見つけた気がした。
「それに…お祖父さんが戦争で誰かを殺してしまった事も…あの時代じゃ、仕方がない事だったんだよ。それが戦争ってもんだ。」
「……。」
「美緒ちゃん、南ちゃん、聞いておくれ…。私は…もう、戦争なんてこりごりだ。誰もが仲良く暮らす世の中が理想だよ。今みたいに、皆で美味しい食事が楽しめる…そんな世界が一番なんだ。そしてイースト・Jは、いや、ウエスト・Jも…今は、平和な時間を取り戻しているんだよ。」
「……。」
2人は麗那の話を、黙って聞いていた。彼女は歴史の生き字引きだ。語った言葉の、重さが違う。
「だから…お願いだから、あんたらの世代で戦争の悲しみや重みを感じたり、背負ったりするのは止めておくれ。まだ戦争が終わっていない気がして、私は…死んでも死に切れないよ。」
「……。」
「……。」
「どうか…美緒ちゃん、どうか覚えていておくれ。あんたには、何の罪もない。だからあんたが、過去になった戦争の何かを…背負う必要はないんだよ。」
「……。」
「…確かに、世の中にはまだ、お互いを憎んで悪く言い合う人もいるさ。でも、それは間違っているんだよ。『誰かが憎い』。それじゃ…何の解決にもなりゃしないんだ。そんな事を言う人間は、心が狭いんだ。そんな人達に自分の人生を振り回されて、どうするんだい!?」
「…………。」
美緒は麗那の言葉に、海外に出た時に感じる、開放感に近い何かを思い出した。それは他人の目を気にしない、自由な自分が出せると言う感情だ。
彼女の家族はイースト・Jの、全ての視線を恐れている。テレビやラジオからは、毎日のように西側を批判する声が聞こえる。その声が、自分達の存在を否定する声に聞こえるのだ。
ここでは、出身を語る事が出来ない。自分の存在を教える事も出来ない。それを隠す為に、自分を殻に閉じ込めていた。
「…麗那さん…。」
「?どうしたんだい?美緒ちゃん?」
麗那の、全ての言葉を噛み締めた美緒は、どこまでも優しく心が広い彼女の言葉に包まれ、何かに怯えながらも、勇気ある一歩を踏み出そうとした。
「私は…本当に悪くないんですか?私の家族は…イースト・Jの人をたくさん殺して、ウエスト・Jを裏切って…」
そこまで言うと美緒は言葉に詰まり、大粒の涙を流し始めた。
まだ、殻を破って外に出る事が怖いのだ。殻から出た瞬間に多くの人から卑劣な言葉を投げつけられそうで、それが怖かった。香との確執があった最近は、特に怯えていた。
「お祖父さんが殺した誰かは…私が知ってる誰かの家族や知り合いだったかも知れません…。南から、麗那さんの友達の事も聞きました。ひょっとしたら友達の赤ちゃんを殺したのは、私のお祖父さんかも知れ…」
「!?美緒ちゃん!!」
美緒は自分が背負い続ける、祖父の代から続く重い過去を告白しようとした。
しかし麗那は途中で割って入り、大きな声で怒鳴った。
麗那には、美緒の気持ちが分かった。何かを白状する事で、今の状況を少しでも変えられると考えている。
しかしその方法は、麗那からしてみれば間違っている。美緒の姿は、懺悔をしながらも、更に重い過去を背負おうとしている姿にしか見えなかった。自分をもっと苦しめる事で、罰を与える事で、家族が背負い続ける罪を償おうとしている…。『私は、最低な人間です』。そう言い張る事で、自分の存在を認めてもらおうとしているのだ。
それでは、殻から出た事にはならない。更に固く分厚い殻を作って、誰からの非難も受けないようにするだけなのだ。何より美緒には、反省しなければならない事が一切ないのだ。
だから麗那は殻を破り、美緒がこちらの世界に来られるように手伝った。
「美緒ちゃん。あんたは、1人の立派な人間なんだ。そこに国籍や故郷、過去なんて関係ないんだよ。昔の事を、美緒ちゃんが背負う必要はないんだ。今の自分に…自信を持っておくれ。」
「……。」
「お祖父さんだって、誰かを殺したくて殺したんじゃない。仕方がなかったのさ。あの頃は、そう言う時代だったんだよ…。お祖父さんに、罪はなかったのさ。それにイースト・Jだって、たくさんの人を殺したんだ。美緒ちゃんが知っている人が、イースト・Jの誰かに殺されたかも知れないだろ?」
「……。」
「だからって、イースト・Jが悪いってもんじゃない。お互い様なのさ。戦争ってものは、そんなもんなんだよ…。そして、戦争は終わったんだ。今は誰もあんたの存在を否定したり、拒否したり出来ないんだ。分かるだろ?もしそんな人がいたら、ぶっ飛ばしてやりな。あんたが出来ないなら、私がそいつの所に出向いて、ぶっ飛ばしてやるよ!」
麗那は強い口調で語り、弱々しい両腕でファイティングポーズを決めた。
美緒はその姿に、笑いを堪える事が出来なかった。
「そう…。その笑顔だよ。それを忘れちゃいけない。泣く余裕があったら、もっと楽しい事を探して、どうか笑っておくれ。私は2人の、笑顔が大好きだよ。」
「……ありがとうございます。」
美緒は少しの間黙っていたが、やがて精一杯の笑顔を作り、麗那に礼を言った。
麗那はそれを聞くと大きく微笑み、鍋にお玉を突っ込んだ。
「さぁさぁ、食べよう!悲しい話はもう充分だ。今日は、女3人で楽しもうと言ったじゃないか!?どうか美味しい料理を楽しんでおくれ。」
「…はい!」
美緒は元気な返事で皿を受け取り、笑顔で食べ始めた。
麗那は、美緒が取り戻した笑顔を見て満足げだった。
そして南は…初めて見る美緒の悲しい表情、暗い過去、麗那が話してくれた事、その全てを傍観していた。
彼女には、まだ分からなかった。美緒が感情を高ぶらせてまで、勇気を出して話した事、麗那が、美緒の気持ちを全て汲み取ってくれた事…内戦が、今でも引きずる暗い過去…。その全てに、彼女達ほどの実感がないのだ。
しかし、それは仕方がない事だった。南は他の人に比べ、戦争を知らずに平和な人生を送っていたのだ。
しかし南は、美緒の悲しみを分かってやれない、だから彼女を慰めたり、救ってあげたり出来ない自分がやるせなかった。自分は戦争に関して、何も知らない人間だと思った。
そして、博史の事を思い出した。
博史の苦悩は、美緒のものと似ている。2人は誰かを殺された憎しみではなく、殺してしまった過ちに苦しんでいる。だがそれは2人が行った過ちではなく、2代も前である祖父らが犯した過ちなのだ。
それを自分の過ちであるかのように引きずる2人を、まだ本心から理解出来ない自分を知った。
博史に返事をした時は、自分は理解出来ていると思った。だが麗那の話を聞かされ、美緒の涙を見て、自分は本当に、まだ何も知らないのだと痛感させられた。
(私は…何も知らない。)
博史が教えてくれた言葉が、痛いくらいに心に響く。
『旅立った者だけへの特権』…。
素晴らしい言葉のはずなのに、この言葉が南を苦しめた。
暗い過去を、実感や実体験として知らない者は、過去を背負う人に何かを言う権利はないのだ。憎む事も、蔑む事も、批判する事も出来なければ…支えてあげる事も、一緒に涙を流してあげる事も、勇気付ける事も、おこがましい事でしかないのだ……。
南はそう考えた。だから自分は親友や恩人の前で、何の価値もない人間だと思えてしまった。
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