第6話;過去の悲劇
南は勇気を出して、博史と思われる人物のブログに書き込みをした。
これが間違いなら大変な事である。何せ彼女はイースト・Jの出身でありながら、ウエスト・Jの人間に書き込みをしてしまったのだから。
南は、これが国際問題にまで発展しないかと不安を覚えた。大袈裟な考えかも知れないがそれ程までに、彼女は両国の関係に対して無知で、余りにも無関心過ぎた。
ブログの最新記事(…とは言っても、数ヶ月前に書かれた記事なのだが…。)にコメントを残した南は、自分のブログを見て焦った。彼女もまた、自分の写真を公開していないのである。
急いで顔が大きく写った写真を探し、ブログにアップした。
新しい記事も作成した。ちなみに南も無精者で、友人のブログは閲覧するにしろ記事の更新は、数ヶ月に1回程度だった。博史と南は、ブログにおいては似た者同士のようだ。
新しい記事には文章は書かず、写真1枚だけを載せた。卒業旅行初日に撮ったもので、ショッピングモールの正面口が背景になっていた。
そして、記事の題目はこう記した。
『待ち侘び人』
全ての作業を終えた後、南はパソコンに手を合わせて祈った。
「お願いします。どうかこの人が、私が探している博史さんでありますように。」
そして、彼からの連絡を待つ事にした。
数日後、面接に合格した南は初出勤の日を迎えた。
バイト先は自転車で通える距離にある、駅前の花屋だ。望んでいた通りの、お洒落で可愛い店舗だ。
制服は着ないものの、店の名前が書かれたエプロン、そしてピンクのバンダナを着用しなければならず、しかし南はそれを気に入った。
残念ながら、今の段階で博史と思われる人からの連絡はない。南のブログに書き込みはなく、博史のブログも更新された様子がない。友人のブログにも、2人が会話を交わした形跡がなかった。
南も人の事は言えないが、博史は不精者だ。ブログの更新が数ヶ月に1度なので、南の書き込みにも、直ぐには気付かない。それは南も、実体験を通して知るところだ。
しかし、それがもどかしかった。彼女は最新記事の題目の通り、博史からの連絡を待ち侘びていた。
やがて4月も中頃になり、就職と入学が決まっていた香と美緒は、忙しい毎日を送り始めた。雛は母親に勧められ、料理教室に通う事になった。
とある日、4人は久しぶりに会う約束をした。週末に、いつも通っていた大学近所のカフェレストランで食事をするのだ。
約束の日を迎えた美緒と南は、一緒にそこへ向った。連絡は取り合っていたが、顔を合わせる事は数週間振りだった。
「で?博史さんは見つかったの?」
声を掛けた美緒は、想像と違った返事に驚いた。
「うん…まだ。でもね、博史さんじゃないかな?って人のブログを見つけたの。」
「えっ?本当に!?」
「はっきり分かんないけど…ウエスト・Jの人で、同じ名前の博史って人が、美緒達が食べ損ねた鍋料理の記事にコメントしていたの…。どう思う!?どう考えても、博史さんだよね?」
予想外の返事と、急にテンションを上げた南に、美緒の顔は曇った。
美緒は、世界と言う舞台に関心を持っている。ブログを通じて世界中に友人も多く、また、それだけが理由ではなく、ウエスト・Jに関しては他よりも知っているつもりだ。
しかし、そんな美緒もウエスト・Jの人間とは、交流を持っていない。声を掛けた事もなければ、向こうが連絡を寄越して来た事もなかった。
…そして美緒には、ウエスト・Jの人間と交流しない理由がある。
「大丈夫…なのかな?本当に…。」
美緒は、南の勘は当たっていると考えた。
だが彼は空港で、逃げるように去って行った。既に、南がイースト・Jの人間と言う事を知っていて、だから逃げるように去ったのでは?と考えていた。
彼が、逃げるように去ったのは2回…。博史は、南からの連絡を望んではいないだろう。
博史は、南がイースト・Jの人間である事を知っている。
ウエスト・Jとイースト・Jでは、パスポートの色が違う。表紙に書かれた紋章も違うが、それまでは確認出来なくとも南のパスポートが自分のものと色が違う事を確認していた。
対して南には、両国間で、いや、他の国のパスポートとも色が違うと言う知識がない。
「うわ~、久し振り!元気だった?」
「そんなに長い間、会えなかった訳じゃないでしょ?」
「ヒナ、皆に会えないから寂しかった~。」
レストランに到着すると、以外にも雛が一番乗りで待っていた。香の姿はまだ見えない。恐らく集合時間から遅れて、それでも10分以内には来るのであろう。
以前は、毎日のように顔を合わせていた4人だった。だから1ヶ月近くも会えなかった事は、雛にとって一大事だった。学生生活を終えてそれぞれの道を歩き始めた事に、まだ彼女は実感を持つ事が出来なかった。
「香は?」
「…まだ来てない。」
「まぁ、もうちょっとしたら来るんだろうね。」
美緒は時計を見て、集合時間になった事を確認した。
その予感…いや、経験は当たり、香はそこから5分遅れて訪れた。
「あ~、香~~!!遅い~!寂しかったんだから!」
「えっ?ヒナ、もう来てたの?」
「来てた、来てた!ずっと待ってたんだからね!」
香が現われるや雛は、南達との再会以上に喜んだ。雛は、今更のように香の存在を大切に感じていた。我侭な自分を2年もの間、ずっと相手してくれた人は香だけだったのだ。
彼女達は家が遠いので、これからも会える機会が減るだろう。特に香は就職したので、時間を作る事が難しくなっていた。
久し振りに顔を揃えた彼女達は卒業旅行、そして、学生生活の思い出に花を咲かせた。就職をした香は、貴重な時間だったとその頃を懐かしんだ。
「どうなの?会社の方は?」
「まだ実感が沸かない。今は、お茶汲みよりも研修で頭がいっぱい。覚えなきゃならない人や仕事が多くて大変よ。」
「凄いね…。もう、社会人なんだね?」
「う~ん、どうなんだろうね?研修が終わったら、同じ毎日がずっと続くだろうし…。マンネリしちゃうでしょ?それを考えると、研修を一生懸命やる必要があるのかな?って思ったりする。」
そう語った香だが、彼女の性格を考えれば研修も、単純作業のように続く仕事も、一生懸命にこなすはずだ。
彼女の台詞に他の3人は、そう、雛までもが、香が大人に見えて堪らなかった。学生気分で過ごしたい気持ちと、働いてみたいと言う、妙な気持ちが交差した。
「ところで、南はどうしてるの?」
「私?私は、近所の花屋さんでバイト始めた。着るものが凄く可愛いの。店のエプロンにピンクのバンダナつけて、お花の世話してる。」
「え~、何か可愛い。南にはお似合いだね。」
香も香で、3人が羨ましい。バイトを経験した事がないので、特に南が羨ましかった。
地方から出て来た香は、バイトをしながらの生活では余裕がなく、就職する他なかった。他の3人は実家暮らしで、彼女ほどの苦労を知らない。それが、香には羨ましく思えた。
卒業旅行の話に戻ると、南は例の鍋料理を思い出した。同じものがこの国でも食べられると話し、次の機会にでも、皆でそのレストランに行ってみようとなった。
「あの料理は、世界的にも有名なんだって。」
「あっ、そうなんだ?」
「うん。余りにも美味しかったから、気になって調べたんだ。ウエスト・Jでも有名なんだよ?」
自慢をする内に南は、ついウエスト・Jの名前を持ち出してしまった。
博史の事を話した訳ではない。彼の名前を出す前に雰囲気が変わり、それが出来なくなった。
「えっ?ウエスト・J?」
香が顔を曇らせた。あの国の名前や話題はこのレストランでも、いや、他のどの場所においても望ましくない。
特に、香の前で禁句だった。
「ウエスト・Jが、どうかしたの?」
雛は関心がないようで、その国の名前が場違いな雰囲気を作った事も分からなかった。
「……。」
美緒は、その隣で黙っていた。
「南…。ウエスト・Jの事、何か知ってるの?」
香が、暗い声で話し始める。
南は香がいつもと違う、恐い表情をしていた事に戸惑い、彼女の話を聞く事しか出来なかった。
「あの国には、関わらない方が良いよ。私達の『敵』なんだから。あの国で何が起ころうが、何が流行で、何を好きであろうが、私達には関係ないでしょ?」
香が南に対して、必要以上にウエスト・Jへの思いを語った。
実は、彼女の地元はウエスト・Jとの国境近くにあり、そこでは未だ、冷戦ではない、紛争時の緊張状態が続いている。西側に対して、警戒心や敵対心が強い地域だ。武力による抗争も起こっており、それに因って亡くなった人も少なくない。つまり、同じ国の者同士が争い合ったのではなく、ウエスト・Jと言う国に殺された人間がいるのだ。
実際、香の父方の祖父は抗争に巻き込まれ、ウエスト・Jに命を奪われた。香が物心ついた頃に起こった出来事であった。
彼女は、優しい祖父が大好きだった。彼が殺された事は、幼かった香には衝撃以外の何物でもなかった。
「…料理を紹介しているブログでさ、ウエスト・Jでも食べてるって書いてて…。」
南は、続けて言おうとしていた事が言えなくなった。
美緒は何故か反省したような表情を浮かべ、ずっと下を向いたままだった。
雛は怖がっていた。いつもおっとりして優しい、面倒見が良い香の姿がそこにはなかったからだ。
「香~、どうして怒ってるの?いつもの香じゃないよ…。」
溜まらず雛が、自分が知る香の姿を求める。
「ご免ね、ヒナ。でも、ウエスト・Jの話だけは聞きたくない。名前を聞く事も、私は勘弁。」
しかし願いは届かず、香の高ぶった感情は沈まなかった。
「ただ、そう紹介されていたから話しただけよ。ご免ね。香の気持ちも知らないで…。」
南は頭を下げ、いつもの楽しい、4人での時間を過ごそうとした。
やがて香も落ち着き、4人は楽しい会話を十二分に交わした後、それぞれの家に帰った。
南と美緒は、同じ電車に乗って家へ向った。
2人きりになると、南は落ち込んだ表情を浮かべた。
美緒は何も語らず、ずっと暗い表情のままだった。
「ウエスト・Jって…そんなに悪い国なのかな…?」
南が、独り言を話すかのように呟く。
「博史さんが…人を殺すような人には見えない。あの人は、困ってた私を助けてくれたんだよ…?」
南は博史をかばった。そして、香が何故あんなにもウエスト・Jを毛嫌いするのかが分からなかった。祖父を殺された悲しみは理解出来る。だからと言って、ウエスト・Jの人全てを悪者と考えるのは違うと思った。
「香も、博史さんが悪い人だとは言ってないよ…。気にしない方が良いって。」
美緒が、南を慰めるように話す。
「ねぇ、美緒…。どうして私達の国は、戦争なんかしちゃったのかな?」
歴史的背景をよく知らない南は、美緒に素朴な疑問を投げかけた。
「…それは…政治家みたいな偉い人が、勝手に起こしたからだよ。普通の人達は戦争をしたい訳じゃなかったし、誰かを殺したり、誰かを憎んだりは求めてなかったはずよ…。同じ国の人同士で、そんな事を望んでする人はいなかったはずだよ…。」
美緒が、意味深な言葉を返す。
「博史さんは…誰かを恨んだりしていないよね?」
美緒の言葉に、南は少し元気を取り戻した。博史からの立場も考え、それでも彼は誰も憎んでいないと思えた。彼は、優しい人なのだ。
だが美緒は、それを否定するかのような返事をした。
「それは分からないよ。彼の家だって、被害がなかった訳じゃないはずだから…。香みたいに、肉親の誰かを戦争で失っているかも…。若しくは…」
美緒の言葉は香の話を思い出させ、南は言葉を失った。
香も、博史と同じくらい優しい人間なのだ。それがウエスト・Jと言う国の名前1つで、あれ程興奮してしまった。博史にも、同じような面があるのかも知れない。
「……。イースト・Jのせいだよね?私達の国の誰かが、そうしたんだよね……?」
「……。」
南は、何故博史が2回も姿を消したのかを考えた。自分には覚えがないが、どうやら博史は、自分がイースト・Jの人間である事を知っている。
彼も香のように、イースト・Jを、自分達の事を恨んでいるのだろうか…?それならば何故あの時、彼は優しくしてくれたのだろうか…?と考えた。
「……。」
しかし南は、こうも考えた。
(本当に急な用事があって、自分の下を去ったのかも知れない…。)
空港では、本当に急いでいたかも知れない。ホテル前でもそうだ。何か、急ぎの用事が出来たのかも…。
(でも…あんな遅い時間に?)
訪れた国とこちらでは2時間の時差があり、向こうの方が時間は遅い。あの時、博史が会社から連絡を受けていたとしたら、会社は深夜に博史へ電話した事になる。
南は当惑した。色んな可能性が、彼女の頭を悩ませた。
(あっ…。)
そしてもう1つ思い出した。
それは、食堂で過ごした時間…。博史はあの席で、南が語る話題について行けなかった。あの時は年の差のせいだと、博史をジジイ呼ばわりしていた。
(話が合わなかったのは、彼がオジサンだったんじゃなくて、ウエスト・Jの人間だったから…?)
会話のズレが、博史に自分の正体を感付かせたのだろうか?
(でも、それなら…)
しかしそれならば何故、その後も楽しい時間を一緒に過ごし、食事代をも払ってくれたのだろう…?帰り道も、ホテルの前まで見送ってくれたのだ。
南は、何度も自問自答を繰り返した。
そして結論として、博史は本当に急な用事があって立ち去り、自分がイースト・Jの人間だとは気付いていないと思う事にした。
だがそれと同時に、過ちにも気付いた。彼のものであろうと思われるブログに、書き込みをしてしまった事だ。その書き込みをクリックすると、南のブログにジャンプ出来る。そこでは最近の南の写真と…そして自己紹介のページが確認出来る。自己紹介ページで南は、自分がイースト・Jの人間である事を公開していた。博史が南の国籍を知らないのなら、ブログの書き込みはそれをばらす事になるのだ。
だがブログ以外、博史と連絡を取る方法はない。仕方がない手段だったのである。
「私…どうしたら良いんだろう…?」
すっかり1人の世界に入った南の言葉は、美緒には突然過ぎる相談だった。
不思議そうな顔をする美緒に、南は自分の気持ちを打ち上げた。
「博史さんが悪い人だと決まった訳じゃないし、イースト・Jの事を恨んでいる人じゃないかも知れないよ?だから、とりあえずは待ってみようよ?彼からの返事…。」
不安がる南を慰めた美緒だったが、彼女は心の中で、博史から連絡は来ないと思った。ホテルでの、特に空港での彼の態度は、あからさまに南を避けていたように見えた。
「……。」
南は列車の窓から、すっかり暗くなった外の景色を眺めた。美緒の言葉も完全には信用出来ず、ただただ不安そうな顔色を浮かべた。
美緒と別れ、家に戻った南はパソコンを立ち上げて自分のブログを開いた。そして管理ページに飛び、自分の国籍を『非公開』に変えようと考えた。
「……。」
しかし考えたあげく、設定はそのままにして置く事にした。
国籍を明かす事は、確かに怖い。博史に嫌われたり、恨んだりされるのではないかと不安になる。
ひょっとすると既に、博史は南の国籍を知っていて、それで連絡を寄越さないのでは?とも考えた。ならば彼からの連絡は、一生来ないのだとも思った。
だが南は信じた。彼が自分を助けてくれた事、優しくしてくれた事を信じる事にし、彼の人間関係には、国籍は意味を持たないと思う事にした。
また、いつか彼から連絡が来た後に国籍を打ち明ける事は卑怯な方法だとも思った。だから南はブログの設定を、そのままにして置く事にしたのだ。
月日は流れ、季節は夏を迎えた。南や香は仕事にそろそろ慣れ、雛は料理教室で幾度となく指を切り、美緒は大学で多くの事を学んでいた。
それぞれが、違う人生を歩み始めていた。
「……。」
南は、今日もブログをチェックしていた。月日が流れ、色んな物が変わりつつある中で、博史のブログは何一つ更新されなかった。それでも南は諦めずに、毎日1度は自分と博史と、そして彼の友達のブログを確認した。
博史は、ブログに対して不精者である。最近やっと気付いた南には、少しの余裕も出来始めた。南も、バイトが慣れた頃にエプロン姿の写真をアップし、それ以来は更新を怠っている。そんな自分の経験がそう思わせ、共通点を見つけた事が嬉しかった。
だから南は朝一のブログチェックを終えた後、元気に花屋へと向った。
「南ちゃん、おはよう。今日も頑張ってね。」
「麗那さん、おはようございます!今日も1日、宜しくお願いします!」
店は駅の近所だがメインストリートから少し離れており、こじんまりとした、個人経営の店だ。店主の美的センスは高く、インテリアも彼女の個性を生かしたものになっている。花束は勿論、鉢植え植物なども売られていて、店主の才能が光るアレンジメントが、客の足を保っていた。
店の名前は、『麗那のアトリエ』と言う。麗那とは、白髪交じりの店主の名前で、イースト・Jでは、少し変った名前に聞こえた。
今日は、朝一番に予約が入っていた。麗那は花束を繕い、客が来るのを待っていた。
予約されたものは純白の花であしらわれた花束で、ところどころに葉の緑が映えていた。売り子に関心を持つ南だったが、毎日のように見ても飽きない飾り付けに、花をあしらってみたいと思い始めていた。
「済みません…。昨日、お花を予約した者ですが…。」
予約の客が訪れた。店主の友人で、腰は曲がり、髪は全て白髪だ。どうやら、店主が実際の年齢より若く見えるようだ。
「お待たせしました。」
南が、元気な声で花束を差し出す。
「まぁ、綺麗なお花ね?毎年お願いしているけど、いつ見ても素敵だわ…。これなら、娘もきっと喜ぶ事でしょうね…。」
客は花束を受け取り、甘い香りを嗅いだ後、満足そうに笑った。
「娘さんの、誕生日か何かですか?」
南は、客の言葉に笑顔を浮かべた。まるで自分が褒められているかのような気分になったのだ。
「娘の命日に、捧げる花なの。毎年、ここでお願いした花束を遺影に飾るのよ…。」
「あっ…。」
南は声を失った。
しかし客は怒りもしなかった。申し訳なさそうにする南に、優しく微笑んだ。
「済みません…。私、何も知らないくせに…。」
「良いのよ。ずっと昔の話だから…気にしないで。こんな綺麗な花束を貰ったんだから、娘も喜ぶわ。」
客は先程よりも大きな笑顔を作り、南の手を優しく握った。
花は、麗那からのプレゼントだった。彼女達は同級生として、数十年の年月を共にしていた。
「あの…さっきは済みませんでした。私、何も知らなくて…。お客さんに、失礼な言葉を掛けてしまいました。」
客が帰った後、南が麗那に謝ると、彼女も客と同じような優しい笑顔で応えてくれた。
「良いんだよよ。彼女も、怒ってなんかいないさ。娘さんが亡くなって…もう長いからね…。命日は悲しい日じゃなくて、娘を思い出せる、懐かしい日なんだよ。だから気にしないで。」
「……。本当に済みませんでした。」
麗那の言葉にも胸が痛い。南は90度に腰を曲げ、深々と頭を下げた。
「…ところで…あの方の娘さんは、いつ頃亡くなられたんですか?」
麗那が笑って許してくれた後、南は思っていた事を尋ねた。彼女の言葉が気になった。
自分はまだ若い。例えば親や友人が亡くなったとして、自分はいつ、その悲しみから抜け出せるのだろうか?10年、20年経っても悲しみは消えない気がした。長い年月、同じ時間や思い出を共有した人なら尚更だ。
「…50年近くも…昔の話だよ…。」
麗那は、少し考えて教えてくれた。
「…えっ!…50年…ですか!?」
南は驚きを隠せなかった。懐かしい日になるまでが云々ではなく、50年と言う長い年月がそう思わせた。
「内戦の時にね…娘を亡くしたのさ。まだ…乳飲み子だったよ。」
「!!」
今でも冷戦状態にある2つの国だが、戦争は遠い昔に終わりを迎えたのだ。
以前、香に戦死した肉親がいると聞いたが、子供までもが命を落としたと言う事実に、南は更に衝撃を受けた。
「あの時は、ウエスト・Jの軍隊がここまで侵略してね…。ここら一体は、戦火に合ったんだよ。」
麗那はゆっくりと、昔を思い出しながらゆっくりと、当時の事を教えてくれた。
麗那と友人は、幼い時からこの地域に住んでいた。
友人の結婚は早く、同級生の中で、誰よりも早く子供も授かった。麗那はまるで自分の事のように、子供の誕生を待ち望んだ。
だが出産を迎える頃、戦火は急激に迫って来た。
1度は疎開を考えた友人だが、既に重い体になっており、また、戦火は迫るものの、民間人に被害はないと考えた。
実際、ウエスト・Jは民間人を傷つけないように軍を進めていた。
そして友人は、無事に子供を出産した。大きな声で泣き、母乳をいっぱいに飲む元気な女の子だった。
麗那をはじめ、周囲の人々は小さな命の誕生を喜んだ。
しかしその頃、どちらの物か分からない流れ弾が着弾し、病院は炎に包まれた。
友人は我が子を助けたかったが、思い虚しく避難した。火は…赤子がいる病室から広がり始めたのだ。
赤子は、たった数日だけ乳を授かって死んでしまった。…恐らくの話だ。子供の死体は、遂に見つけ出す事が出来なかった。
「何処から飛んで来たのか…悪いのはどっちの国だったのか…それは分からない。安全なはずの病院に、突然大砲の弾が落ちて来たんだよ…。今じゃ信じられないかも知れないけど…私達は、そんな時代を生きて来たのさ。」
「……。」
南は、最近知り始めた。いや、思い知らされ始めた。西側と東側の、暗い過去に対して…。
戦争の成り行きや背景も知らないままに、実感も沸かないままに、南は…人々の苦しみや痛みだけを教えられていた。
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