第5話 「愛してほしい!」
「愛してほしい!」なんて、言葉、男は(あるいは女だって?)そう軽々に、言えたもんじゃないから、みんな、持って回ったような言い方をして、それがさも高尚なもののように仕立てあげる。受け取る側も、また、「愛してあげたい」だなて、とてもじゃないが口にできないから、さあ契約成立だ。(一三六字)
吾輩は猫である、で著名な故夏目井漱石大先生は、「I love you」を「あなたといると月が綺麗ですね」なんて邦訳したらしいが、どうにもいけ好かない。なんだそれは。その長ったらしい文言を、反対に英訳してみろ。「The moon is beautiful, seeing you」とでもなるのか。ただ、月が美しいと言っているだけだ。愛も微塵も伝わるまい。
僕は浅学無知の愚か者だから、歴史も知らぬ大馬鹿者に違いないから、いかに偉大な先生とてこき下ろすにためらいはない。それに、雀の涙ほどの肝っ玉の臆病者であるから、故人であれば、どれほどの批判罵声を浴びせたところで、当の本人から殴り掛かられることもないのだから、いわんや、というものだ。
愛しているなら素直に愛しているというべきだし、そもそも、「I love you」を「私はあなたを愛している」なんて訳すのも野暮ってもんだ。「I love you」は、どう取ったって、「アイラビュー」にしかならないのに。邦訳なんてものは、あくまでそれ相当のものでしかなくって、例えるなら、リンゴ1個が50円と同価値なのと変わりない。リンゴ1つと50円玉1つは、決して同じものじゃあない。
だから、50円玉1つでは決して腹が膨れないように、「私はあなたを愛している」だとか「あなたといると月が綺麗ですね」なんていくら囁かれたところで、「I love you」は一向に伝わらない。
さてさて、ところで。
そもそも「I love you」もしくは「私はあなたを愛している」という言葉は、果たして本当に必要なのかしら。少なくとも僕は、誰かに愛していますなんて宣告されたら、これ見てのとおり小心者ですから、へどもどしちゃうに違いない。喉から声を振り絞って、呻くように、
君だって、あなただって、そうだろう? 「じゃあ私も愛しています」、なんて、もしやもしやも言うまいね?
せめて、愛しているなんて言わず、目いっぱいに腕を広げて、抱きしめるというのなら、まあそれなりに筋は通っている。
だって、愛は一方的に与えるものだから。無尽蔵に授けるものだから。
今からあなたに愛を与えます、などという文句は、まったくの無意味で、無価値で、むしろ彼の、彼女の品位を貶めるものでしかない。
それじゃあ正しくは(正しくは?)なんと言うべきなのか。
僕はあなたに恋しています、なんてどうかしら。恋に見返りは必須である。ゆえにこの宣言で以て、君は僕になにかをよこせ、という訳だ。言葉一つで代価を頂戴しようなどと、まるで詐欺師みたいじゃないか。ふふ、恋する少年少女は詐欺師である、とは、なかなかどうして面白い。
あるいは、僕はあなたに愛してほしい、ぐらいがちょうどよい。これは、汝よ、無尽蔵に我に与えよ、という宣言に他ならない。ここまでくれば、見上げたものだ。一切の報酬なく他人に施しを求めるのだから、物乞いか――いや、物乞いですら、その物乞いとしてのプライドで以て相手に施しを求めるものだ――、あるいは、敬虔な神の子羊かしら。
けれど、だれもかれも、自分が憐れな子羊だなんて認めたくないから、「愛してほしい!」とは言うまい。それとなく、態度や行動でほのめかす。ああ、ばかばかしい。
愛が欲しいのなら、その小さくてみじめな自意識の高さくらい、売り飛ばしてしまえばいいのに。それでもいくらになるものか。二束三文? それとも、リンゴ1個?
一四〇字物語 終末禁忌金庫 @d_sow
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