第4話 私小説とロックンロール

  三、私小説とロックンロール

 

 「ロックンロールに意味なんていらない。ほんのすこし気持ち良ければいい」

 これは僕の大好きな言葉のひとつである。僕に音楽の知識なんてほとんどないから、バッハとベートーベンも聞き分けられないし、アカデミックなクラッシックだって、手を叩いて笑える。(一二一)

 

 

 

 ともかく、このフレーズがなんとも心に響き渡る、しみ渡る。

 ロックンロールについてちょっと調べてみる。こんな時代であるから、ひょいひょいとキーボードをたたけば、知りたいことはなんでも教えてくれる。

 ロックンロールとは、もとは黒人スラングで、性交のことを表し、また、バカ騒ぎという意味も持つらしい。Rock and Roll。

 なるほど、ロックンロールとはセックスのことかしら? それならば、ほんのすこし気持ち良ければなんの問題もありますまい。

 となれば、私小説だってほんのすこし気持ち良ければいいと思う。私小説なんて、山猿のオナニーみたいなものだもの。くだらない、くだらない。そんな精液をまき散らすために紙を使うのであれば、鼻紙にでもしたほうが大変有益である。チーン。

 「私小説に意味なんていらない。ほんのすこし気持ち良ければいい」うむ、うむ。至言である。

 けれど、存外、「ほんのすこし気持ちよいこと」は、人を腑抜けにする恐ろしい魔物でもある。阿片やシンナーの類のような強烈な快感は、だれがどう見ても、きっと人をダメにしていくのだけれど、こいつは、もっとずっと徐々に、緩やかに、人の心根を腐らせていく。ちょうど草や花が根腐れを起こすように、土の中のもののことだから、他人はもとより、あるいは、本人さえ気づかない内に、じわりじわりと病んでいく。

 私小説をつらつらと書いているやつは、文字をひとつを書くたびに、作品を一篇書き上げるたびに、観葉植物に水をあげていくみたいなもので、むろん、なんにも上げなければ枯れてしまうのだけれど、とはいっても、そればかりでは、土の中に水が溜まっていって、挙句、根腐れを起こして、心の酸欠に陥ってしまう。

 あぶあぶといつも溺れているみたいになって、当然、周りから見れば、「あいつはいつも趣味に耽って、ずいぶん気持ちのよさそうなことだ」とつれない視線を投げかけられ、苦しみの一片たりとも理解されることはなく、そうして、辛苦から解放されんとして、また私小説を書き始める。悪循環。

 「どうして誰もわかってくれないんだ。この胸の苦しみを」だなんて、言ったが最後、それはもう手遅れで、お医者にかかっても、あるいは治らないかもしれぬ。心はとっくに「ほんのすこしの気持ち良さ」で埋め尽くされ、窒息寸前。あるいは、脳みそまで回ってしまって、通常の思考もままならぬ状態かもしれぬ。

 こうなってしまっては、もはやゾンビと変わらぬ。苦しい苦しいと呟くばかりで巷間をさまよう。


 私小説に意味なんていらない。ほんのすこし気持ち良ければいい。

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