第3話 三十五分の居眠り

  二、三十五分の居眠り

  

 ちょっとした何かの合間に、居眠りをこくなら、三十五分に限る。三十分ではすこし短い。四十分なら今度は長い。一時間以上眠りこけてしまったなら。それは居眠りではなく仮眠になる。居眠りには、居眠りにしかない魅力が詰まっている。それを、僕はいまから、みなさまに教え伝えていく所存である。(一三八)

 

 

 

 目をつぶって、はじめの五分間というのは騒々しい。身の回りがうるさい、という訳ではなく、頭の中がかまびすしい。あれやこれや、いろんな考えが頭の中をめぐりめぐっていくのである。が、五分経つ内に、すうっと、いつの間にやら、街の中心から外れへと遠ざかっていくように静かになって、十分経つ頃には、すっかり静寂の中でうとうとしはじめている。

 航海に例えるなら、はじめの五分は出港準備。ずいぶんあわただしい。もやいを解いたり、いかりを上げたり、赤や青の旗を上げ下げしたり。そうこうする間に、いよいよ船は準備を終え、ゆるゆると岸辺を離れていく。船が波に揺られるように、僕の精神も、ゆらゆら、ふわふわしていって、十分が過ぎる頃には、もう沖へ出てしまってる。

 この時の僕の精神は、実に自由である。本当の船なら事前に決めた目的地に向かって、羅針盤に従って進まねばならないが、この時、我々の精神は、波間を漂う小舟よりももっと奔放で、危なげない。たとえ時化の高波に襲われようとも、無邪気な子供のごとくそれを受け入れて、深々と海の底へ沈んでいくだろう。いわゆる、それを熟睡というが、これもまた乙なものに違いないが、たった三十五分の航海では少々頼りない。

 こういう時、僕はうんと力を振り絞って舵を取り、大波小波をよけきって、大海原への彷徨を続ける。やがて、我々は沸き立つ海に出会うだろう。恐れることはなく、これは海が煮えたぎっている訳ではなく、我々の記憶や感情の端々が泡沫となって、沸き出づろうとしているのである。ぷくりと膨らんだ無数の泡たちは、そのまま海から離れしゃぼん玉となって空へ飛んでいく。これに指先を触れ合わせた時、ぱちんと弾けるかと思いきや、小さなしゃぼんは、我々を頭から大きく飲み込み、今度は空旅へと導いてくれる。これが夢である。

 船を置き去りにして我々の心は、天へ天へと昇っていく。僕はしゃぼんの玉の中から雲の上を見上げ、きっとあの先へ行くことを死ぬと言うんだろうなぁ、なんて考える。その内、しゃぼんは針でつつかれたように割れて、我々の体を優雅な空旅から解放する。そのまま真っ逆さまに落ちて行って、海の中へ沈んでいくのかしらと思うのもつかの間、船へ着地する。これが夢の終わり。ぱちんとしゃぼんが割られて、そのまま起きてしまうパターンもある。こういう時は、たいがい興醒めする。とある大先生は、目が覚める時の気持ちを、箱をあけると、その中に箱があって、またそれを開くと箱があって、……七つも八つも繰り返して、ようやく最後の箱をあけたと思ったら、からっぱでやるせない、なんて言っていたけれど、きっと的の中心を射ている。目覚めというのはやるせなく、それが夢の終わりと同時なら、そのうえひどくがっかりする。

 凪いだ海の航海の時もある。つまり夢を見ない時だ。こういう時は、たいてい、仕掛けておいた目覚ましのけたたましい鳴き声や、乱暴な闖入者に肩を揺すられて覚醒する。静かな海で釣り糸を垂れていると、船のへ先が突然なにかにぶつかってびっくりする。こんな具合である。

 驚いて、いまにも舟から転げ落ちそうな気持ちで以て目を覚ますもんだから、寝起きは最悪である。

 三十五分の居眠りはこれでおしまい。退屈な船旅だったかもしれない。虚構、妄想ばかりで、つまらなかったかもしれない。けれど、こんな与太話が、案外真実を端くれを手のひらで転がして赤ん坊みたいにくしゃくしゃな顔をしているんだから、なかなかに侮れない。

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